26 黒幕認定された悪役令嬢、最強の処理担当とおやつを満喫中
神殿の奥深く、上層部にしか立ち入れないその隠し会議室では、複数の重鎮が揃って重い空気を纏っていた。
「なんて事だ……まさか十歳の王子にしてやられるとは!」
王宮から送りつけられた監査報告書の束が、机の上にドサリと重苦しく山積みになっている。
「王宮の監査能力が異常に向上している……なぜ急に……」
「……裏帳簿の隠匿も限界です。寄付金の流れまで追跡され始めました」
神官の一人が額の冷や汗を拭うのも忘れ、焦燥感に指先を震わせながら歯がみをしていた。
「このままでは全て暴かれるぞ……!」
重鎮たちの顔は青ざめていた。
数か月前まで、王子レオンハルトは激務に追われるだけの無害な少年だった。だがある日、突然変わった。
業務改善。人員再配置。監査制度改革。内部統制。
そして容赦ない抜き打ち監査。
十歳児とは思えない冷徹で容赦のない改革が次々と実行されていたのだ。
「原因は明らかだ」
神官長が低く、地を這うような声で言った。
「フランチェスカ=ローデンベルグ」
密閉された部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「王宮の内部統制改革を提案したのも、あの娘だそうだ」
「まさか……神殿の財務構造まで把握しているのか?」
「あの年齢でそこまで……」
実際には、フランチェスカは「残業を減らしましょう」と書いた業務効率化マニュアルを渡しただけである。
だが、頭脳戦に長けた彼らの勘違いは、物凄い速さで次々と重ねられていった。
「やはり、あの娘……か! 王子を裏から操る黒幕め」
「恐るべき知略……。十歳にして王宮を支配するとは……!」
「あの娘は国家秩序を破壊する危険思想の持ち主だ。このまま放置すれば王国そのものが変わってしまう……神官長、例の件はどうなっている」
重苦しい口を開いた枢機卿が視線を投げかけると、神官長は恭しく頭を垂れた。
「はい。すでに神子セドリックを送っています。……ですが、まだ報告が」
「……遅いな」
神官長の言葉に、枢機卿は片眉を上げた。
「対象があの悪女、ローデンべルグ侯爵令嬢です。慎重に接触しているのでしょう」
「あの神子だ。心配はいらん」
ざわめきだした会議室を、枢機卿は視線だけで黙らせた。
「……とはいえ、万一のこともある。手を打っておいても損はあるまい」
神殿の白い石床に、どこからともなく、冷たい月の光だけが、まるで刃のように落ちていた。
……だが、彼らは誰も知らない。
彼らが「最強の処理担当」だと思って送り込んだ神子が、現在ローデンベルグ侯爵家で台車に乗せられながらクッキーを食べていることを。
◇◇◇
その頃、フランチェスカの部屋では――。
彼女は盛大に朝寝坊をしていた。
昨晩は目を離すわけにもいかないとセドリック(※暗殺者)のために客用ベッドを自室へガタガタと運び込み、警戒しながらその4K高画質の横顔を観察していたら、すっかり夜更かししてしまったのだ。
チチチ、と遠くで鳥の鳴き声が響く中、フランチェスカはまだ深く寝入っている。
その寝顔を、セドリックの灰銀色の瞳がじっと見つめていた。
寝癖で爆発したかのような、光に透けるもじゃもじゃの赤い髪。
(無防備だなぁ)
セドリックは無意識にくすり、と微笑んだ。
暗殺対象のはずの少女。けれど、今は何の殺意もわかなかった。
(それもそうか。フランチェスカ様は僕を殺すつもりなんてないんだから。……今の僕はフランチェスカ様の護衛だし)
フランチェスカが小さな手で、そっとかけてくれた質の良い毛布は、ふわふわとしていて、お日様の匂いがして、ひどく温かかった。
殺伐とした神殿の床では決して知ることのなかったその温もりに、セドリックは静かに頬を寄せた。
セドリックがその温もりに浸っていると、フランチェスカの部屋に朝を告げる軽いノックの音がトントンと響いた。
「お嬢様ー! もう朝ですわよ、起きてください!」
ノックと共に、侍女が慌ただしく部屋に入ってくる。
その瞬間。
「しっ。声を落としてください」
ベッドの上から、ノア特製のツル(絶対荷崩れ防止モード)で芸術的にがちがちにパッキングされたまま転がっているセドリックが、神々しい後光を背負って微笑んだ。
「フランチェスカ様は昨夜遅くまでお仕事(※監視)をされていました。あと15分、寝かせてあげてください」
「まあ……! なんて気の利く、お優しいお方かしら……! しかもお嬢様を安心させるために自らを縛り付けるその奉仕の心……」
侍女が両手を頬に当ててうっとりとため息をつく。
その声でガバッと跳ね起きたフランチェスカのツッコミが炸裂した。
「いやそれ、私が縛ったんだけど!?」
「あらお嬢様、おはようございます。起きてらしたのですか?」
「おはよう。私もツッコミながら飛び起きたのは初めてよ」
◇◇◇
そんな調子で数日が過ぎた頃には、すっかり侯爵家の住人達は、パッキングされたセドリックを連れ歩くフランチェスカに誰も疑問を持つこともなくなった。
なんなら、侍女や執事とはすれ違うたびに微笑ましいと笑顔で見つめられる。
(聖人バフの設定がおかしい。まず何で私にはチート能力がないのよ。まったく、このクソゲーは……)
ぶつぶつと呟きながら廊下を歩くフランチェスカの横には聖人バフを振り撒きながらキラキラしい笑顔で歩くセドリックが当然のようにいた。
(そういえば、いつの間にか縛られたまま普通に歩いてるし……)
中庭に続く廊下を歩いていると、通りかかったサロンにはローデンベルグ侯爵夫妻が優雅にお茶を飲んでいた。
「最近、フランチェスカが妙に落ち着いたな。以前のような、定時退勤だの現場猫だのといった、よく分からん奇行が減った」
「ええ、あなた。神殿の神子殿のおかげですわ。あの方が部屋にいらっしゃるようになってから、娘のトゲが抜けたようですもの」
「うむ、素晴らしい教育係を神殿は派遣してくれたものだ。感謝せねばな」
物陰で聞いていたフランチェスカは壁にゴンと、頭を打ち付けた。
「違うわよ!? 落ち着いたんじゃなくて、監視(安全管理)とツッコミで、私が毎日24時間フル稼働で疲れ果ててるだけよーー!!」
頭を抱えながら、ヨロヨロと春の柔らかな日差しが満ちる中庭へお茶をしに向かった。
◇◇◇
すっかり風景として馴染んだセドリックを前に、お茶を用意しながら侍女たちが微笑ましそうに囁き合う。
「最近のお嬢様は、神子様のおかげで本当に穏やかになりましたねぇ」
ここでもチート級聖人バフが浸透していた。
「いや、だから違うのよ!? ほら、セドリック、あなたからも何か言いなさいよ!」
話を振られたセドリックは、縛られたまま、息を呑むほど神聖な後光(4K高画質)を放ちながら、完璧な笑顔で肯定した。
「はい。事実です。フランチェスカ様は毎日、僕の『メンテナンス(お世話)』を隅々までしてくれますから」
「「「まあ……! まあまあまあ!!!(※お嬢様が美少年を夜な夜なお世話していると解釈)」」」
中庭の温度が、一瞬でガッと5度くらい跳ね上がった。侍女たちの目がらんらんと赤みを帯びた熱を帯びる。
「その誤解を招く言い方やめなさい!! 燃料補給とシステムスリープ(睡眠)の話よーーー!!!」
辺りにコンプライアンスが404 Not Foundしそうな誤解が広がっていく。
周囲の視線がますます温かくなっていく中、フランチェスカが頭を抱えていると、不意にぽつりとセドリックが呟いた。
「……そう言えば今日は、神殿の薬草採取の日ですね」
「薬草採取?」
フランチェスカが首を傾げる。
ハーブティーのポットから立ち上る、温かく甘い湯気。その白い向こう側で、セドリックの灰銀色の瞳から、すっと一切の光が消えていた。
「ノルマに失敗すると、神殿の子供たちは食事がなくなります。……後輩たちは、きちんと採集出来たでしょうか」
セドリックは淡々と呟きながら顔をあげると、庭園へ視線を移し、遠くを見つめるような目をしていた。
その横顔を見ながら、フランチェスカは拳を握りしめる。
(……神殿が魔窟になってる。そんな場所にセドリック様を帰すわけにもいかないし、何とかしなくちゃ……)
その時、フランチェスカは気づかなかった。
彼女が顎に手を当てながら唸っている間も、セドリックの視線だけは庭園の奥——茂みの影に、ぴたりと固定されていたことに。




