11 R10版シンデレラと深夜残業の不審者対応
夜の廊下は、昼間とは異なる静けさに包まれていた。
レオンハルトが寝台に横になる頃を見計らい、フランチェスカは彼の部屋の扉を叩く。
「フランチェスカ、今度はなんだ? 言われなくても、もう今日は仕事はしないぞ?」
警戒するように身を引くレオンハルトへ、彼女は満面の笑みを向けた。
「ご安心ください。殿下が寝不足のようでしたので、今夜は特別に本の読み聞かせをしに来ましたの」
「……はぁ、童話を読む年齢ではないんだが……どうせ、ダメだと言っても読むんだろう?」
レオンハルトは額に指を置き、ため息をつきながら苦笑する。
フランチェスカは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
——しかし、その脳内は完全に不埒な感情に満ちていた。
(ショタレオ様のロイヤルすやぁ……スチルを見なくては!)
完全にオタ活だ。
レオンハルトが横になるのを見届けてから、フランチェスカはコホンと小さく咳払いをする。
「じゃあ、読みますね」
勝手に本を開いた。
「むかしむかし、あるところにブラック企業がありました」
「待て。何だ、その話は」
「え? シンデレラですよ? 童話は嫌だと言うので、R10版です」
普通の童話のはずが、フランチェスカの口を通すと何故か社畜翻訳されていく。
「王子様は残業八十時間を超えました」
「……もはや原作の面影すらないな」
「深夜のワンオペ(深夜労働)を強いられていたシンデレラのもとに、怪しいコンサルタント(魔法使い)が現れました。『あなたをホワイト企業(舞踏会)へ出向させてあげましょう。ただし、派遣契約(魔法)の納期は24時よ』と」
「……24時を過ぎたらどうなるんだ?」
「超過勤務(サービス残業)になるので、かぼちゃの馬車(タクシー代)が経費で落ちなくなります」
「現実的すぎて夢がないな……」
レオンハルトが呆れたように息を吐く。その表情は、昼間の張り詰めたものとは違い、完全に年相応に緩んでいた。
少しずつ眠気が誘われてきたのか、彼の長い睫毛がゆっくりと伏せられていく。
(よしよし、ロイヤルすやぁまであと一歩——)
——それは、侵入の合図だった。
パキィン。
静まり返った深夜の寝室に、冷たい金属音が響いた。
ガラスがかすかに擦れるような、あまりにも小さな異音。その瞬間、寝室の空気が“殺意”に変わった。
「っ……!」
レオンハルトの目は完全に覚醒していた。
昼間、庭園で鳥に驚いて剣を抜いた時とは比べ物にならない、本物の「戦士」の目だ。
彼は音もなく跳ね起きると、ベッドの脇に隠してあった短剣を握り直す。
同時に、扉が勢いよく開いた。なだれ込んできたのは、昼間も側にいた侯爵家の護衛騎士だ。
「殿下、お下がりを! 侵入者です!」
護衛の叫びと同時に、暗闇から数条の冷たい刃の光が、音もなく護衛へと襲いかかる。
(——って、ひええええええ!? 本物の暗殺者イベントきたーーー!!)
フランチェスカの脳内アラートが最大音量で鳴り響いた。
——ゲームのレオンハルトの過去。親切な貴族に裏切られて人間不信になったと言う設定があった。
ならばここでレオンハルトが怪我を負うと、彼の人間不信パラメータがカンストして本格的な冷徹ルートに突入してしまうのではないか。
(ここで推しに怪我を負わせるわけにはいかない!)
「殿下、こちらへ!」
フランチェスカは迷わずレオンハルトの手を掴んだ。
護衛が火花を散らして暗殺者と切り結ぶ中、彼女が向かったのは扉ではなく——窓だった。
「おい、フランチェスカ!? ここは二階だぞ!」
「大丈夫ですわ! 我が家の庭園の芝生は、最高級クッション仕様でふっかふかです! 労災は下りませんので、着地だけは気をつけてくださいまし!」
窓枠に足をかけ、豪奢なネグリジェを翻すフランチェスカ。
「深夜のコンプラ違反(不法侵入)お断りですわー!」
叫びながら、彼女はレオンハルトの手を引いたまま、夜の庭園へと迷いなく飛び降りた。
「くっ――相変わらず、君は……っ!」
落ちていく一瞬の浮遊感の中。
握りしめた手から、レオンハルトが力強く握り返してくるのが伝わった。
二人は芝生と生垣のクッションにボフッと着地すると、そのまま駆け出す。
だが、背後から暗殺者の殺気が追ってくるのを感じた。
(まずい!)
視界の端に、レオンハルトへ伸ばされる暗殺者の太い腕が映る。
フランチェスカは反射的にレオンハルトを突き飛ばした——!
ドンッと背中に走る衝撃と共に、レオンハルトが芝生へと転がる。
「フランチェスカ!」
悲鳴のようなレオンハルトの声と同時に、頭部に激痛が走った。
暗殺者に頭髪を強く掴まれたのだ。苦痛に顔を歪めながらも、視線だけを足元へ走らせる。
「く……っ! 髪引っ掴むとかどこのクソクレーマーよ!!」
足元に転がったレオンハルトの短剣を、痛みに耐えながら素早く拾い上げる——。
「こんなもの、邪魔……!」
一瞬だけ、躊躇を捨てるように動きを止める。
「——損切りよ!!!」
そのまま自らの髪を……勢いよく切り捨てた。
月の光の下で、切り落とされた赤い髪がまるで炎のように舞う。
驚愕に目を大きく見開くレオンハルトを視界に収めながら、彼女は叫んだ。
「ヤンキー戦法! くらえ! 目潰し!」
フランチェスカは膝をついた姿勢のまま地面の土を引っ掴み、暗殺者の顔面へ投げつけた。
一瞬怯んだ隙を見逃さず、レオンハルトの手を強く掴んで引き上げると、再び走り出した。
背後に護衛の声が聞こえる。だが、フランチェスカは振り返らず、必死に庭園の奥へ足を動かした。
「殿下、ここに入って!」
庭園の中でも生垣の深い場所へ来ると、フランチェスカは花の咲き乱れる生垣へレオンハルトを押し込んだ。
そのまま背後から彼を守るようにぎゅっと抱きしめる。
レオンハルトはわずかに震えていた。
「……すまない」
何かを堪えるように、形の良い唇を強く噛む。
「俺のせいだ。俺が気を抜いたせいで……足が、すくんだんだ。君まで巻き込んでしまった」
(えええ!? あのカリスマ傲岸不遜レオ様がロイヤル可愛いわぁぁぁ! やっぱり怖いよね。十歳の子供だからね)
推しの尊さの前で、暗殺者への恐怖も何もすっかりふっとんだフランチェスカは、何とか彼の緊張を紛らわせようと、脳をフル回転させる。
だが、彼女の脳はポンコツ限界オタ脳だった。お嬢様フィルターはすでに限界を迎えている。
「あの、殿下。ここの薔薇、うちのお父様とお母様が私のために作った品種ですの。えーっと、こっちは、チェスカローズ」
「……うん」
「こっちはチェスカスペシャル」
「ネーミングが雑だな」
「そしてこっちはチェスカたんかわよ♡ですわ」
「急にひどくなったな……」
呆れたように肩の力を抜くレオンハルト。
一拍の間が空いた。
「……チェスカ、それは君の愛称?」
「ええ! フランチェスカなんて長いでしょ? 殿下も宜しければそう呼んでくださいな」
フランチェスカのらんらんとした瞳を見つめて、レオンハルトは張り詰めていたものが全てに抜けたように、ふっ、と小さく笑った。
「……チェスカ」
むせ返るほど甘い花の香りが二人を包み込む。
レオンハルトはそっと手を伸ばし、ガタガタに切り落とされた、彼女の短い赤髪に触れた。
「殿下? どうかなさいました?」
「……チェスカ、俺を見捨てずに……いや」
レオンハルトは少しだけ照れたように笑う。
「クビにしないでくれて、ありがとう」
「当たり前ですわ! 大切なクライアントですからね!」
フランチェスカは「任せなさい」とばかりに、彼の小さな体をぎゅっと抱きしめ直した。
(ヨシ! 名前呼び(チェスカ)イベント発生で精神的バリアもバッチリね! 不審者対応は想定外の突発業務だったけど、夜間手当(推しのデレ)が手厚すぎて実質お釣りが出るわ!)
やがて、遠くから「お嬢様ーーー!!」と静寂を破る護衛たちの声が響いてきた。
(あ、現場に救援到着。これ業務完了ですわね)
満足げに頷くフランチェスカだったが、この時の彼女はまだ知らない。
自分が今腕の中で温もりを感じている王子が、将来とんでもない執着を発揮することを。
ただ今は、何も考えず「ショタレオ様のハグ」という最上級の福利厚生を心ゆくまで噛み締めていた。




