10 最新レシピ(炭化仕様)と無言の低評価退出
レオンハルトがローデンベルグ家で療養を初めてから数日後の朝。
いつものようにメイドに支度を手伝ってもらっていると、乳母のオルガが思い出したようにぽんっと手を打つ。
「そういえばお嬢様。昨日医療魔導士がいらして、レオンハルト殿下の外出の許可が出たそうですよ」
フランチェスカの耳がぴくりと動いた。
「本当に!? それは良かったわ! 第二フェーズへ移行ね!」
「第二……ふぇ?」
オルガの頭にはてなが浮かぶ。しかし、フランチェスカの思考はすでに次の段階に突入していた。
(過労対策? 運動不足? いやその前に『子供としての遊び方』を教えるべきでは?)
メイドに髪を結われながら、うんうんと真剣に頷く。
(……それにしても、レオンハルト様がワーカーホリックだったなんて)
ゲーム画面の中で、いつも完璧な笑みを浮かべるカリスマ王子。ヒロイン、アネットとのイベントでは、背景に花でも散っていそうな勢いでキラキラしていた。
(……そっか。この世界のレオンハルト様、HPゲージだけじゃなくてちゃんと人間なんだ)
働きすぎたら倒れるし、毒を盛られたら吐血もする。当たり前の事だが、ゲーム画面の向こうにいた時より、ずっと近く感じた。
(——って、しんみり感傷に浸ってる場合じゃないわ!)
「いやいやいや、そもそも、王宮の労働基準法がバグり散らかしているのが原因でしょう!」
ばぁんっ! とドレッサーを叩いて立ち上がると、ちょうど後ろで髪を結っていたメイドがびくりと肩を跳ねさせた。
(十歳児をワンオペで潰しかけるなんて人事部……いや王族の怠慢でしょ! 私が代わりに推しの健康経営(QOL)を爆上げするしかないわ)
「さぁて、今日のロイヤァル初詣(コンプラ監査)にいきましょう!」
赤い髪を揺らし、彼女はスキップしながらレオンハルトの部屋へ向かった。
◇◇◇
「レオンハルト様、フランチェスカです。入ってもよろしいですか?」
早速訪れたレオンハルトの客室。
ノックをしながら声をかけると、すぐに中から護衛が扉を開けてくれた。
フランチェスカが部屋に入ると、窓際の椅子に眼鏡をかけたレオンハルトが座っている。
彼は手にした書類から顔を上げると、フランチェスカに微笑みかけた。
「君か。今日は……ん? どうした?」
へなへなと座り込んだフランチェスカを見て、レオンハルトが首を傾げる。
「推しの……ロイヤル眼鏡ショタバージョン……ありがたや……じゃなくて!」
4Kの推しの衝撃からフランチェスカは我に返った。
「殿下。何をなさってますの?」
「王太子教育だ。今は法学についてを……」
言いかけたレオンハルトの手をフランチェスカはぐっと、掴んで引いた。
「殿下、今日は有給ですよ! さあ、天気も良いのでまずは庭園に行きましょう」
「な……っ、ちょっと待て。相変わらず強引だな」
困惑しながら立ち上がったレオンハルトは、そのままフランチェスカに手を引かれるままについていく。もう抵抗する様子はなかった。
◇◇◇
庭園に着くと、フランチェスカは小脇に抱えていた大きな布を広げた。
「今日はピクニック日和ですわ。さ、こちらにおかけになって」
フランチェスカが自分の隣をぽんぽんと叩いて、レオンハルトを促す。
「今朝もあまり召し上がってないのでしょう? 今日は私がクッキーを焼いて来ましたから、食べて下さい」
フランチェスカがバスケットを開いて、中からリボンのついた袋を出し、レオンハルトに差し出した。
「ここで食べるのか?」
「もちろんですわ。ピクニックですもの。外で食べると三割り増しで美味しいんですよ」
困惑したような表情を浮かべるレオンハルト。
しかし、対照的にフランチェスカは満面の笑みだ。
「テーブルは?」
「地面ですわ」
「椅子は?」
「芝生ですわ」
「……」
地面に座る事に少し抵抗はあったようだが、フランチェスカが当たり前のように笑っているので、レオンハルトはそれに従った。
レオンハルトはリボンのついた袋を受け取ると、一瞬だけ香りを確かめるように目を細める。
警戒するようにクッキーの袋を開けると、そこには消し炭、いやクッキーだったものが入っていた。
一瞬、沈黙が落ちる。
「……料理長の監修は?」
レオンハルトは、完璧に整えられた王族の微笑みを浮かべなら尋ねた。
「逃げられましたわ!」
フランチェスカは、満面の令嬢スマイルで即答する。
「定時だからって、タイムカード押して帰られましたの!」
木漏れ日の中、温かな風が二人の髪を柔らかく撫でていった。
——その時、庭園の木の葉を揺らす音が二人の耳に入った。
「!!」
レオンハルトは弾かれたように立ち上がり、流れるような速さで護身用の剣の柄に手をかけながら辺りを見回す。
「あら、鳥ですわね。きっと私のクッキーに惹かれて来たに違いないわ」
木漏れ日の中、フランチェスカは満足げに消し炭クッキーを砕き、庭へと投げた。
「さあどうぞ、愛の恵みですわ!」
ちゅん。
一羽の鳥が慎重に近づき、ついばむ。
——鳥は動きを止めた。
「……ん?」
首をかしげてもう一度ついばむと、さらに停止。
そしてゆっくり顔を上げると、こちらを見た。
(……これ、食べ物扱いでいいやつ?)
そんな圧のある沈黙。
フランチェスカはなぜか真剣に頷いた。
「ええ、最新レシピ(炭化仕様)ですわ!」
鳥は一拍置いたあと、くるりと背を向けた。
そして、なぜか飛び立つこともなく、てくてくと庭園の外へ歩いていく。
「待ちなさい! どこへ行くの!? レビューは!? ★は!?」
フランチェスカは慌てて追いかける。
だが鳥は止まらない。
完全に無言の低評価退出である。
「せめて『まずい』か『毒』かくらい言ってちょうだいよ!? お願い待ってぇぇ!」
その横で、レオンハルトは剣に手をかけかけたまま固まっていた。
(鳥が……食べ物を諦めて撤退した……?)
鳥が何事もなかったように羽ばたき、どこかへ移動した瞬間。
——張り詰めていた空気がふっと抜けた。
「……ふ、あはは!」
フランチェスカが振り返ると、レオンハルトが声を上げて笑っていた。
王宮で見せる、完璧に整えられた王太子の笑みではない。肩の力が抜けた、年相応の少年の顔だった。
「はは、何だか君を見ていると、色々な事がちっぽけに思えてくるな」
そう言って笑う彼の表情は、わずかな物音に剣へ手をかけた直後とは思えないほど、穏やかだった。
その場に控えていた護衛も、思わず目を瞬かせる。
(よし! 笑った! ストレス値が-3くらいは下がってるよね!)
フランチェスカはその笑顔を見て、小さくガッツポーズをした。




