1、赤い
大きな体、黒い角、赤い瞳、禍々し姿を持つ魔獣は古代から悪魔の使いだと言われていた。
草木が埋め尽くす山。人が通るために作られた山道以外は明かりも無いその場所で、その魔獣は地を這い進む、まるで何かに呼ばれている様に。赤い目はその場所を写しているのか、それとも何も写していないのか。
木々を揺らす音はまた一つ増える。魔獣のスタンピードが始まろうとしていた。
*
「リーリエいつまで寝ているんだい!」
朝の陽光が差す、屋根裏部屋まで響く怒声に赤毛の少女はノソリと起き上がった。
「ハ~イ」
寝癖を四方に跳ねさせて、とても怒鳴り声を浴びたとは思えない。気の抜け、間延びした声で返事を返すがリーリエは、そこかしらしばらく動かず再び眠りの世界に入ろうとしていた。
「リーリエ!」
「ハァ~イ!」
ほとんど怒鳴り声に聞こえる声で呼ばれ、リーリエはようやくベットから足を下ろす。しかし目はまだ開いておらず、そんな状態で階段を降りる物だから、足を盛大にに滑らせて尻餅をついて一階に落ちた。
「イッター」
「また、階段から転げたのかい?やっぱり寝室はババと一緒じゃ無いとダメかね」
「イヤ〜プライベート〜」
「足腰悪いババに上の部屋使えって」
「違う〜気おつけるから〜」
「その言葉を聞くの、今日で最後であってほしいね。ほら、顔洗って朝ごはん」
「うん」
いつものように小言から始まる少女の日常。十四歳になり一人で寝たいと、元々物置きだった屋根裏部屋を自分の部屋にしてから、少女は無傷で一階に辿りついた事はない。
「いただきます」
パンと目玉焼き、昨晩の残りのスープ。人によっては質素な食事に見えるだろうが、祖母が言うにはこんな贅沢な食事は無い。リーリエはこれ以上の食事を知らないためそれが本当か嘘かもどうでもいい。
ただ思うのはこんなもんで十分だと言う事。
基本ドジなところ以外は何処か達観していて気だるげに癖毛の赤毛を揺らし生きる少女は。村の人から変わった子扱いを受けた。山間部の小さな村はそれでも同年代の子供も遊び相手がいない訳では無い。しかし動きの遅いリーリエは遊びたい盛りの子供達には不評で、ほんのたまに頭数合わせに遊びに誘われる程度、リーリエから誰かを遊びに誘う事はない。
「リーリエ、村長宅にいま有名な魔術師が来てるんだって。うちの卵後で持って行ってくれるかい?」
「はーい」
「返事は伸ばさない」
旅人の羽休めに丁度良い場所にあるためか、小さいながらに宿があり旅人の出入りもそこそこ多い。特に名のある冒険者や魔術師が村を訪れると、少しミーハー気質のある村長は嬉々として家に招くそうだ。
リーリエはさほど旅や魔術に興味など無いが祖母は違うようで。村長宅に旅人の人間が招かれる度、特に魔術師の場合は家で採れた野菜や卵をリーリエに持って行かせて、お客様に会えたかと聞いてくるのだ。
とわ言え玄関口で祖母からだと言って渡す程度なので。客間にいるであろう人物には一度も会った事は無い。
祖母の行動は正直よく分からないがリーリエも家の手伝い以外は基本暇なので、言われるがままお使いに出る。
「あら、リーちゃん」
「こんにちは、アーシャさんこれ祖母からです」
出迎えたのはいつも通り村長の娘、アーシャさんだ。茶髪を一つに括り清楚のな印象のその人はいつも穏やかにリーリエに声をかける。優しい人だとリーリエは思っている。
「まぁ、いつもありがとう。エーリスさんに今度お返しを持っていくって伝えてもらえる?」
「はい、失礼します」
「リーちゃん」
「はい?」
いつもならそこで直ぐに家に帰るのだが、この時はアーシャはリーリエを呼び止めた。
いつも笑みを浮かべている印象しか無い表情は何故かリーリエを見つめるだけでそして数秒後、彼女は笑みを深めてリーリエの頭を撫でた。
「ごめんなさいやっぱり、何でもないわ…そうそう明日みんなでクランベリーを摘みに行くの。リーちゃんも一緒に来る?」
「うーん」
正直言ってあまり村の人達とは話すのは苦手だ。村に祖母と自分以外いない赤毛は一目で余所者だとわかる上に、腫れ物扱いまでは行かないが。何処と無く気まずい雰囲気がするのだ。
「私は、よしときます、読みたい本があるので」
断り文句にしては苦しい言い訳だがアーシャは微笑みを浮かべたままその言葉を受け入れた。
「そっか、それじゃ沢山採れたらジャムにして持っていくね」
「うん、ありがとうアーシャさん」
互いに手を振り合い別れ、リーリエは寄り道せずに家路に戻る。
とぼとぼを通り歩いていると。子供達の集団が横切った。
「赤毛〜」「赤毛〜」
通り際にそんな声が聞こえる、村にはリーリエと祖母しか持っていない赤毛は目立ちたまにこうやって揶揄われたりする。とわ言え、赤毛、赤毛と言われても赤毛である事は事実で。リーリエは事実を言われている感覚でいじられているとは思っておらず、いつも頷くか聞き流す。衝動で言葉を発する子供の言葉に反応する気力はリーリエには無い。
しかしそんなリーリエにも聞き流せ無い言葉がある。それは大人の言葉だ。
「ねぇ聞いた、」「聞いたわよ、あの噂」「ご本人はなんて」「それが、はぐらかすんだって」「図星なんじゃ無い」「可哀想に」「あの子」
「エーリスさんの孫じゃ無いんですって」
リーリエは祖母の名前を聞いて駆け足で家路についた。
元々余所者のリーリエ達。年配の女が赤子のリーリエだけを連れて村に来た事もあって、表面上は受け入れてくれた村の人々も中にはいろいろ勘ぐり、時より暇つぶしの種として噂話をする。
子供の真正面から言われる揶揄いとは違い。まるで本当の事を言っている様な言葉にリーリエはただの噂だと思っても、その内容によっては不安になる。
「おかえりリーリエ」
「ただいま」
庭先で洗濯物を干しながらそう言った祖母の背は凛として、その光景にリーリエは安心した。
そう、例え本当でもリーリエはエーリスの孫だ。
「手伝うよ、おばあちゃん」
「あんた雑なんだから、勉強してなさい」
「はーい」
そうしていつもの日常をまた一日終えるかと思われたその日の夜、村に異変が訪れた。
テーブルについて夕食をとっていたリーリエはスープに波紋が広がる様子を見た。
「やだ、地震かね」
「うん」
揺れは強くなく祖母と二人ジッと天井を見上げて、ランプが揺れる様子を見た。
「長いね、リーリエこっちおいで」
祖母は椅子からたち上がり。リーリエの手を引いて屋根裏に移動した。
屋根裏の窓を開けて。外の様子を確認する
「小さいのだといいんだけど……!」
「きゃーーーーー!」「うわーーーー!」
地震に不安になった村の人が様子を見るため外に出たのだろうか、村の人達の声が窓の向こうから聞こえてくるが、その声は明らかに悲鳴でリーリエは驚き両耳を手で塞いだ。
でも、外の声は大きくて次に聞こえた言葉は聞き取れてしまった。
「魔獣だ!!!!」
いつもは強気な祖母の体が震えている。
そっと抱きしめてられた両肩から手が震えているのがわかり、リーリエの内側からジワジワと恐怖が迫り上がってきた。
バッと顔を上げて祖母を見上げる……どうする、どうしたら良いと言葉が出ないながらにそう祖母に問いかけてしまった、きっと祖母もどうすれば良いかなんてわからないかっただろう。
外に出るよりかわ安全だろうと。その場に止まり二人抱きし、耳を塞ぎ合いながら助けがくるのを待つしか無かった。
屋根裏部屋があろうと比較的小さいこの古屋なんて魔獣に簡単に壊されてしまうなんて想像する事を放棄して。
………………
パラパラと土が顔にかかりリーリエは僅かに目を開けた。
大きな音と同時に床が割れて。祖母と一緒に落ちた。気絶はしていない。背中に感じる痛み、その感覚がリーリエをこの恐怖の世界から切り離してくれなかった。
「リ、リーリエ」
声が聞こえてリーリエはしっかりと目を開けてあたりを見渡す。一緒にいた祖母はすぐ近くにリーリエの手を握ってくれていた。
「走って、森の方に……」
「おばぁちゃっ」
声も、しっかりと聞こえる。でもその姿は崩れ落ちた屋根の一部で体半分見えなくなっていた。
「今っ」「いいから逃げっ!」
祖母の手をを引いて考え無しに引っ張り出そうとしたが、その声はすぐに祖母によって遮られた。
乱れた白髪混じりの赤毛、その隙間からいつもの祖母のしっかりとした瞳がこちらを見ていた。
「逃げて、リーリエ」
その声が耳を通ると同時に、周囲の騒音がだんだんとリーリエを現実に引き戻す。
誰かの悲鳴、全てが甲高く男も女も声を上げる。ズルズルと何かを引きずる音は低く、魔獣が村中を動き回る音があちらこちらから聞こえる。
バキバキと何かが折れる音、崩れる音。
あぁ、ここは地獄なんだ。
リーリエは祖母の手を引く力を緩めてへたり込む自身の両足の間に、自分の手で包み込んだまま置いた。
「無理だよ……」
祖母を置いて逃げれない。逃げ方なんてわからない。
「リーリエェ、お願い走って、逃げて」
「むりだよ」
涙が込み上げて祖母の手も一緒に濡らてしまう。冷たい感覚がするはずの手はけれども暖か物で包まれた。
瓦礫の下にあった筈の祖母のもう片方の腕はリーリエの手を上から包み込んでくれていた。
「リーリエ、後で会えるから、今は逃げて」
肩が震えさせてる少女を宥める様に手に力を込めてしっかりと目を見据え再び言葉を紡ぐ。
「ここらか右手側の森に走って、今なら大丈夫だから」
「はしる?」
「置いていかない。先に行くの、後で追いつくから、だから」
逃げて
リーリエは震える足を祖母に支えら、お尻を押されて立ち上がる。片足の靴は脱げているが、足の痛みは些細な事で只々祖母の言葉通り。森に向かって走った。
「逃げて!!」
最後に聞いた祖母の声を耳の奥、頭の中で何度も振るわせながら。只々頼りに走った。
痛み辛い。急な斜面とヌカルんだ地面に靴を取られて足を切って。何処までいけば良いかなんて考えずに進んで。やがて視界が歪み目の前が見えなくなった。




