すれ違い
―― 意図しないすれ違いは、 重なるごとに毒となる……―― と言う事を、 その時は気付かなかった訳ですが。
「やはり、 帰って来られる気は無いのですか……? 」
いかにも心もとない―― 不安げな声で聞いて来たのは朱羅妃の三番目の息子の鳳焔。
細身の身体に顔には眼鏡―― いかにも文官といういでたちで実は武官であったりするんですが……。 対して、 巌のような体躯をした青年―― 炎祐は争い事を嫌い文官をしていたはず。
はっきり言えば見た目とは真逆の二人であるけれど、 この兄弟は仲が良かった。
まったく知らぬ仲でも無いので我が君を置いて軽く挨拶をしに行った所、 この二人に捕まり庭へと連れ出された訳ですが……。
予想通りと言うべきか、 帰って来る気が無いのかと問われて私は心の中で溜息を吐いた。 『帰って来る』 とは言われても、 本来、 私が『帰る』 のならこことは違う別の場所になるのですがね……。 いつまでたってもこの二人はそこが理解できないらしい。
―― 個人的にはさっさと我が君の元に戻りたいんですがね……。
男二人に懇願されても嬉しくもなんともないので、 私はげんなりとした。 どうせなら我が君に懇願された方が嬉しいのですが。
冷たいと言われようと、 私はこの国をとっくの昔に出た身。 傲焔様が代替わりする事無く―― 死が決定するような事でもない限り、 私が戻る事は無いだろう。
それでも彼等が私に縋りたがるのは、 この国の誰よりも―― 私が傲焔様と長く付き合いがあるからでしょうが。
「俺たちだけじゃあ、 陛下―― いや、 親父を慰められる気がしねぇんだ…… 少しの間だけでも帰って来れねぇかな…… 」
「まったく、 貴方達は幾つになっても子供みたいですね―― 」
思わず呆れた声を出しつつも、 苦笑してしまったのは…… 幼いころの彼等を思い出したからだった。
あれは何をしに此処に立ち寄った時だっただろうか……。 何か用事があったかでこの国に来て、 ついでに顔を出した時だ。
傲焔様に紹介されて、 目を見開いて驚く吾子。 当時は二人とも随分と幼なく、 今と違って可愛らしい子供であった。
何が気に入ったのかは分からないが、 私の事を「兄々(にぃに)」 と呼びながら雛が親鳥の後を着いて歩くように慕われて困惑したのを覚えている。 帰る時に大泣きされて引き剥がすのに苦労したのだったか。
図体がこんなに大きくなった今からは、 想像が出来ない光景ですけどね。
「貴方達が傲焔様を心配するのは分かります。 仲の悪い親子で無いのなら、 子が親の心配をするのは当たり前ですからね。 けれど、 私が傍に居たからと言って、 傲焔様の悲しみが癒せる訳ではありませんよ? 」
その言葉に「だけど―― 」 と口を開きかけた炎祐を私は片手を挙げて制しました。
「確かに私はこの国で産まれましたが、 今は西の王に仕える宰相です。 ましてや今の我が君は色々と難しい状況を抱えているのは知っているでしょう? そんな現状で宰相である私が故郷に入り浸ればどうなるか、 賢い貴方達なら理解できますね。 西の国の人達は、 私が我が君を見限ったと思うでしょう。 ―― それに、 傲焔様は私だけがこの国に残るといっても許しはしませんよ。 我が君の事を貴方達が思う以上に気に入っていますからね。 残ると言っても叩きだされるのがオチです」
私の言葉に鳳焔と炎祐が顔を見合わせた後バツの悪そうな表情を浮かべた。 炎祐はそのまま項垂れる。
大男が身を縮めて捨て犬のような顔をするものだから思わず笑ってしまった。
「兄者―― ひでぇよ」
恨めしそうな顔をして私にそんな事を言う炎祐を、 鳳焔が目で諭す。
「大きな図体をしてそんな顔をするからですよ。 ―― 傲焔様は悲しみに慣れる事は無い方です。 毎回毎回ね――…… 表面上は王として自己を律していますが、 夜―― 庭の片隅で一人で泣いていたりします。 けれど、 それを子供達に知られる事は好まないでしょう。 貴方達にとっては辛い時間になるとは思いますが、 そっとしておくのが一番です。 そっとしておいて時間が心を癒すのを待つしかありません。 ―― 貴方達だって一緒ですよ? 母親を失ったばかりなのだから傲焔様の心配ばかりしていないで、 自分の悲しみに向きあいなさい」
「―― 大兄の言うとおりですね。 まぁ、 正直に言えば父上の心配をしていた方が気がまぎれるという所もあったかと―― 母上がそろそろ危ないと言うのは理解出来ていたのですが、 実際にそうなってみると存外辛い物があります。 良い年なのに情けないとも思うのですが―― 済みません大兄―― 多分私達も寂しくて無茶を言いました」
鳳焔が目頭を赤くさせてそんな事を言ったものだから、 炎祐がボロボロと涙を零し始めた。 うぉんうぉんと泣きはじめた炎祐に、 私は苦笑して幼いころしてやったように頭を撫でてやった。 私にしては破格の扱いだ。 もしも斎巴がこれを見れば、 私の体調不良を疑うでしょうね。
そんな私達を見て無言で涙を零す鳳焔の背中を軽く叩いてやる。 酒が入っていなければ、 二人ともこのような姿は見せないようにしただろう。
傍から見れば無様と言えそうな状態ではあったけれども、 例え情けなくとも私には二人がこうして泣く事が必要のように思える。 親を亡くした事が終ぞ無いので真実、 それが必要かまでは断言が出来ないのだけれど……。
良い年をした大人が―― と言わないのは、 彼等が私よりも随分と年が下な所為で雛のように後ろを着いて来たあの頃とさほど変わらない様にも思えるからか……。
「さて、 直ぐ戻るつもりだったのに、 貴方達の所為で我が君を長い時間一人にしてしまいました。 私はそろそろ戻ります」
「一人―― って父上達も居るのでは?」
「黒耀樹サマが大分面倒な感じに出来上がってますからね。 あまり離れていたくはありません」
「相変わらず過保護だなぁ兄者は」
泣いてる二人に付き合っていたら朝になりそうな気がしたので、 私はさっさと我が君の待つ部屋に戻る事にした。
少し呆れた口調で、 鳳焔と炎祐にそう言われたけれど微笑みを浮かべて無視する。 一体過保護の何が悪いと言うのだろうか。 どうせもうすぐ蛹は蝶になるだろう。 子供のままでいてくれるのも後少しなのだから、 過保護な保護者役をもう少しだけ続けさせて貰いたい。
立ち去る時、 二人の目にはもう涙は無かった。 呆れ顔の中にも、 笑顔があって少しだけほっとする。
少しは気持ちを吐きだせたらしい。 哀しみも、 不安も時間が癒してくれるでしょう……。
※※※
部屋に戻った時、 我が君は居なかった。 傲焔様に『お前を迎えに行ったぞ? 会わなかったのか?? 』 そう言われて、 部屋を出て探しに出る。
見つけたのは裏庭の―― 少し開けた場所にある石の上―― ポツンと一人月を見上げる我が君の姿。
まるで儚く消えそうに―― そう見えて、 心が冷えた。
※※※
「我が―― 君―― 」
戸惑ったようにそう問われて、 私は肩を震わせました。 今、 一番会いたくは無かった人のその声に、 涙が零れ落ちそうになります。
「…… どう、 しました? 迷子になりましたか」
月影に隠れていたのは幸いでした。 私は表情を取り繕うと、 石の上から飛び降り炎咒の元へと駆け寄りました。
「炎咒がお隣の部屋にに居なかったので、 探そうと思ったんですけど…… たまたま此処に辿りついて…… その、 見上げた月がとても美しかったので…… 」
「そう、 ですか」
上手く誤魔化せたでしょうか…… けれど、 どこかぎこちない炎咒の様子を見れば、 『何か』を誤魔化している事を悟られているのかもしれません。
それでも、 それに気が付かない振りをして明るく振る舞うしか私には出来ませんでした。
―― 聞かないで―― 聞かないで下さい炎咒――
そうしたら、 言わなくてはいけません。 本当は炎咒を見つけたの。 こっそりと話を盗み聞きしてたの――…… そうしたらきっと止まらなくなります。
―― 炎咒はこの国に残りたいのですか―― 嫌です、 許しません―― 私の傍から離れないで!!
きっと、 泣いて縋ってしまう。 なんて我儘で勝手なのでしょう。
だから精一杯明るい口調で何事も無いように振る舞いました。 だって、 炎咒がどう決断を下したのかなんて、 聞かなければ分からないじゃないですか。
それに、 炎咒が残らず一緒に帰ってくれるという選択をしているかもしれません。 それなのに、 残るのかと聞いてしまえば、 気が変わって残りたいと言うかも……。
怖くて、 怖くて怖くて―― 気が変になりそうでした。 だから必死で目を逸らしました。
決断を聞いてしまえば無様に追いすがり、 炎咒に何と自分勝手で心が狭い王か―― と見限られてしまうかもしれないと思ったからです。
幸いにも、 その後は炎咒から何を言われる訳でもなく、 帰路に着きました。
炎咒が傍に居てくれる事で、 こんなにも安堵した事は無いかもしれません。 けれど、 それと同時にいつか傲焔様の元へ行くと告げられる恐怖が増す事になりました。
だから、 風麗に最近様子が変だと言われた時に思わず不安を零してしまったのです。
『ねぇ風麗―― 炎咒は…… 南の国に帰りたいと思っているでしょうか…… 』
不定期かつ遅い投稿でも見捨てずに読んで下さり有難うございます(泣)
短くて申し訳ありませんが、 今回はこんな感じです。
そろそろ行方不明の明花媛が何処に居るのかチラリしたい感じはありますが……。 次回は風麗とのやり取りからになる予定です。