セツナの涙
出血により力が入らなくなった膝、巨大な体を支えることで大きな負荷が掛かっている腿、そして全ての二足歩行する者の弱点であるアキレス腱。
容赦なく下半身を拳撃の連打により削られ、白き獣は蓄積したダメージから立っていることも困難になり、地面に膝をつき倒れ込みそうになる。
しかし、その倒れ込もうする先には、真っ黒な大鎌を構えたエレナが待ち構えていた。
白き獣とエレナの視線が重なり、2人の間に冷たい空気が流れる。
そして白き獣の頭が、エレナの間合いに入った瞬間……命を刈り取る大鎌をエレナは鋭く振りかぶった。
白き獣のギョとした瞳に一瞬、恐怖が映るのを感じたエレナは白き獣を殺せると確信するが……白き獣は予想外の行動に出る。
地面につこうとしていた両手をガードに使い、両腕を犠牲にして生き延びることを選択したのだ。
「フンッ!!」
しかし、それでもエレナの大鎌の勢いを殺すことはできずに、白き獣の手首は深く切り裂かれる。
「ギアアァァァァ!!!!?」
白き獣の絶叫と共に地面には大きな血溜まりができ、中庭に不釣り合いな血生臭さが辺り一帯に広がっていく。
よたよたと後ずさる白き獣の手首からは、絶えずドクドクと真っ赤な血液が漏れ出し、健を損傷したのか、獣の手は力なくぶら下がっているような状態だった。
追撃を仕掛け、完全に首を落とそうとするエレナと援護に入ろうとするルプルだったが……上から様子を見守っていたキアが慌てた声で、2人に警告を発する。
「2人とも獣から、距離を取って!!」
キアの警告と同時に、白き獣に異変を感じて咄嗟に後方へと距離を取るエレナとルプル。
すると、先程まで自分が立っていた場所に、薄っすらと氷が張っていることに気付く。
「あれは……氷?何故あんなところに……」
「エレナさん!白き獣の体が!?」
エレナ達の視線の先には、体から白い冷気を発している獣の姿があった……しかも、先程まで大鎌で切り裂かれてた手首は、氷によって包まれ巨大な爪が形成されていた。
「あれは……氷で止血してるのですか?そんなことをすれば、下手をすれば死に……いや、魔物であれば死ななくても、不思議ではないということですか」
魔物の中には氷塊を住処にする種類や、溶岩の中で生きている種類もいるとされている。
それだけ未だに魔物の生態は謎に包まれているのだ……人の常識という枠に、収まりきらない生物である魔物の恐ろしさを、目の当たりにしエレナ達は警戒を強める。
良く白き獣の体を観察すると、キアが矢によって損傷を与えていた箇所も、氷によって止血されている。
それどころか白き獣は、氷で全身を覆っていくうちに、まるで氷の鎧を纏ったような姿へと変化していく。
迂闊に手を出せない状況になり、唖然としているエレナとルプルの元にキアが舞い降りてくると重々しく口を開く。
「失敗しましたわね……先程の手順で首を落しておきたかったところですが、まさかこんな能力があったとは。追い詰められた手負いの獣ほど、厄介だと聞きますが……先人達は上手いことを言ったものですわ」
自分達が実際に体験していることで、非常に同意しずらい話であったが……手負いの獣が厄介な存在であることは否定できない事実であり、エレナは苦笑いを浮かべる。
「だとしても、更に状況は悪化しているようですし……なんとか早々に片付けたいところですね」
エレナの言葉通りに状況は、徐々に悪化していた。
白き獣の周りは段々と気温が下がり、足元の草花は凍てつき砕け始めている。
エレナ達の足元にも霜が降り、足が冷たくなっていく。
中庭に面した王城のガラスも白く曇りだし、離れてエレナ達を見守っていたセツナや兵士達も、自らの身を小刻みに動かしており寒さを感じているようだった。
「この冷気が、どの程度拡大するかは不明ですが……このまま見ていても状況は好転しません。危険を負ってでも早期討伐を目指します!ルプルさんは囮を、キアさんは引き続き空中から援護をお願いします!」
「了解ですわ」
「分かりました!!」
エレナからの指示を受けて、攻撃位置についたキアとルプルは距離を保ちながら攻撃を仕掛ける。
しかし、直ぐに白き獣の動きが先程よりも鋭くなっていることに気付き、苦虫を噛んだような表情を見せる。
白き獣の腕は、最初に見た時よりも倍程度に太くなりゴツゴツと筋肉が隆起している。
それに加えキアの矢による攻撃が、氷の鎧によって阻まれ、全く貫通しなくなっていた。
それどころか白き獣は、自らの生成した氷の塊を砕き、空中にいるキアに向かって投擲し始めたのだ。
不規則な氷の破片は、獣の腕力によって速度を上げ危険な凶器になってキアを襲う。
危険を察知したキアは、いち早く【風の障壁】を発動し、難を逃れる。
【風の障壁】に衝突した氷の破片は、ガシャン!ガシャン!と激しい音を立て弾かれていく。
囮をしていたルプルも先程までの余裕はなく、リーチが伸びた巨大な氷の爪を何とか回避することが精一杯になっていた。
先程までとは違い、一撃一撃がルプルを確実に捉え速度は、段々と上がっていく。
しかも、白き獣から放たれる冷気によって動きが鈍くなり、身体能力が低下し始める。
「やり辛いなっ!本当にっ!」
巨大な氷の爪が横に薙ぎ払われると、冷気を伴った突風が起こり、ルプルの肌に突き刺さるような痛みが伝わってくる。
それでもルプルは、全ての攻撃を紙一重で華麗に回避していく。
周囲の空気を巻き込みながら、繰り出される氷の爪が、さながら氷の暴風のようにルプルに襲いかかる。
直撃こそ、していなかったものの……突風に舞う氷により、ルプルの体中に生傷が凄まじい勢いで増えていく。
そんな目障りな氷の破片に気を取られた刹那、地面に広がる氷に足が滑りルプルは体勢を崩した。
「あっ!!」
氷で滑ったルプルの体は、宙に投げ出され尻餅をつく。
それでも何とか体勢を立て直そうとするルプルだったが……自らに迫る冷たい圧力に顔を上げると、そこには丸太ような右腕から、巨大な氷の爪を突き出そうとしている白き獣の姿があった。
(くそっ!間に合うかっ!!)
恐怖で硬直しそうになる体を奮い立たせ、ルプルは腰を落とし威嚇する4足歩行の獣のような姿勢を取る。
ルプルがギリギリ躱せるか、どうかという体勢を取った瞬間……頭上から声が降ってくる。
「それまま突っ込んで下さいですわ!!」
視界外から叫ばれたキアの声に、ルプルは何の疑いもなく従い、回避を諦めて前へと突進する。
それは何かを考えたわけではなかった……ただ命が掛かった場面で聞いたキアの声には、はっきりとした意志が感じられ、それにルプルの体が反応したのだ。
ルプルの眼前には、正面から直視するのを躊躇われるような凶悪な氷の爪が迫る。
ルプルの頭1つ分程の距離まで迫った時、爪の側面から黒い何かが飛び出してくる。
「はああぁぁぁ!!!はっ!!」
掛け声と共に爪の側面に現れたのは、先程までの大鎌ではなく……身の丈程ある無骨なハンマーを担いだエレナだった。
エレナは、大地を2本の足と足の裏から伸びた触手によって力一杯掴むと、体を捻りながら全力でハンマーを振りかぶる。
白き獣の右手首を狙った鈍重なハンマーの一撃は、ガシャーーン!!!と豪快に氷を打ち砕き、大ダメージを与える。
元々、深く切り裂かれていた手首は、ハンマーの衝撃と氷の爪の重さに耐えられず、グギィィ!と骨が折れる鈍い音と共に、地面に転がっていく。
外側からの衝撃で爪の軌道を逸らし、白き獣の太い腕がルプルの直ぐ横を通り過ぎていく。
風圧で体が後ろに流されそうになるのを堪え、ルプルは力強く前へと進み続ける。
「すみません!足場に借ります!!」
エレナの横まで来たルプルは、一声エレナに掛けるとグッと脚部に力を溜め込んで、勢い良く飛び上がる。
そのまま振り切られたハンマーを足場にして、またしても飛び上がり今度は白き獣の腕に飛び乗る。
白き獣が、手が千切れた痛みで絶叫している隙に、器用に腕の上をルプルは走る。
しかし、自らの腕を駆け上がってくる者に、白き獣は容赦なく噛み殺そうと強靭な顎を動かし、大きな口を開く。
白き獣の牙がルプルに届くかと思われた……その時、頭上から冷気を切り裂くような風切り音と共に、銀色の2本の矢が現われる。
2本の矢は、吸い込まれるように白き獣の両目に突き刺さり、グサッと眼球を貫く。
白き獣は激痛に大暴れし、乗った左手で目を押さえようとするが……痛みから触ることもできずに頭を激しく振っていた。
その時、白き獣は眼球の激痛により、完全にルプルの存在を失念していた。
ルプルは、暴れる白き獣の頭上に辿り着き、必死に枝分かれした角に掴まる。
ルプルが最初から狙っていたのは、氷の鎧が及んでいない頭だった。
いくら魔物の姿をしていても、元は人……であるならば、当然頭部は急所である確率は高いと、ルプルの野生の勘は訴えていた。
そして偶然にも辿り着いた頭上で、ルプルは弱点の匂いを嗅ぎ分ける。
暴れ疲れた白き獣の動きが止まった一瞬、ルプルは必死に両手で掴んでいた角から手を離し、白き獣の頭の上に立ち上がる。
両手をガッチリ噛み合わせ、天に掲げると……半獣としての有り余るパワーと自重を乗せて、重なる拳を思いっきり頭蓋に向かって振り抜いた。
ベギィ!!!と何か硬いものが、割れる音が中庭に響き渡る。
頭に深刻なダメージを受けた白き獣は、グラングランと大きく頭を前後に振りながら、うつ伏せに地面に倒れる。
白き獣が倒れるとドシッン!!と地面が揺れ、先程までの戦闘が嘘のように中庭は静寂に包まれる。
白き獣が倒れる寸前に頭から飛び降りたルプルが、地面に着地するとキアとエレナが駆け寄ってくる。
警戒を緩めないエレナの目線の先に、泡を吹いて倒れている白き獣の姿があった。
「やはり、確実に殺しておくべきでしょうね……再生でもされたら堪らないし」
「でも、いいんですの?この獣……元は、この国の王妃ですわよね?殺したら犯罪者扱いとか嫌ですわよ……」
「いや、それは流石に――ないとは言い切れませんね〜あの宰相なら、私達を王妃を暗殺した犯人とか言い出しそうです」
3人がトドメを刺すか迷っていると、外野から声が掛かる。
それは王城内から、エレナ達の傍に移動してきたセツナだった。
「皆様……お母様を楽にしてあげて下さい。そのままでは、また人を襲い犠牲となる者が出てしまうかもしれません。責任は私が負います……ですから、どうか」
悲痛な表情で、エレナ達にトドメを刺すように伝えるセツナの目には、今にも溢れ出しそうな涙が溜まっていた。
それを見たエレナは、持っていたハンマーを流動的に変化させ、鋭い大鎌へと換装していく。
王城内に避難していたエレナ達に助けられた兵士達も一切喋らずに、これからの結末を固唾を飲んで見守っていた。
エレナの大鎌が、うつ伏せに倒れている白き獣の首に添えられる。
そしてエレナは、躊躇することなく大鎌で首を刎ねる。
セツナは中庭でジッと、その光景を見届けると……天を仰ぎ、溢れる涙で頬を濡らす。
そして絞り出した言葉は、曇った空へと吸い込まれていった。
「お母様……ごめんなさい」




