うちに住み着いた幽霊が、人気配信者になってチャンネル登録者100万人???:1
青白く、髪の長い女が、ゆっくりと画面に迫ってくる。
近づくにつれ、その血の気のない肌がディスプレイの中央を白く、染め上げる。
"ソレ"は、動きを止めると、静かに口を開いた。
「わたしの声、聞こえますか?」
それはつまらない、ある日の日常の事だった。
もう完全に日が昇り切った、午前も終わった頃に目を覚まし重たい身体を起こす。
トイレで用を足し、冷蔵庫を開けたが、そこにはマヨネーズとわさびのチューブ、後は干からびた脱臭剤が奥の方に鎮座しているだけだった。
何も取り出さずに扉を閉じると、台所の蛇口を捻り、グラスに水を注ぐ。
それを一気に飲み干すと、PCデスクに置かれた潰れたセブンスターの箱を開いた。
カラリ、と一つだけ音が鳴る。
「最後の一本か。バイト行く前に買わないとな。」
少し曲がったそれに火を付けると、味わうようにゆっくりと吸い込み、紫煙を吐き出した。
手短に出かける準備をすると、黒くくすんだ安物のスニーカーを履いて玄関を開けた。
夏の空気が残る、生温い暑さを感じながら、安アパートの階段を降りて駅へと向かう。
赤いポストがある郵便局の角を曲がり、小学生がグラウンドを駆け回る姿を横目に見ながら、視線は左手に持ったスマートフォンに注がれていた。
半年以上会っていない友人からのLINE、Xのどうでも良い通知、いつ登録したかも覚えていないメルマガに、携帯代の引き落とし、雑多な通知が並んでいる。
中身も見ずに、通知を消すとイヤホンを耳に詰めて、スマートフォンをポケットに放り込んだ。
しばらく歩いていると、駅前の雑踏が見えてきた。
小さい子供を連れた主婦や、腰の曲がった老人、学校が早く終わったのか制服姿の高校生が道を歩いている。
それを眺めながら、牛丼屋に入ると並だけつゆだくで頼み、流し込むように胃に放り込む。
スマートフォンの電源ボタンを押すと、あと20分。
店を足早に出ると、コンビニで煙草を買い、駅前の喫煙所で火を付けた。
吸い終わったら、今日もまた労働が始まる。
店に着くと、店長は既に仕込みを始めていて、着替えを済ませると私もキッチンに入り仕込みを始めた。
もう、仕事には慣れてきたもので、積まれた段ボールを開封していくと、次々に冷蔵庫へ仕舞っていく。
野菜や肉を切り、パックに詰められた総菜を小鉢に盛り、鍋や器をセットする。
米を洗い、炊飯器にスイッチを入れると、平日の控えめな仕込みは終わり、裏口の戸を開ける。
階段の踊り場にしゃがんで、煙草に火を付けた。
日によっては、開店してからは休む暇も無いが、この仕事前の時間は唯一とも言っても良い安らぎだった。
スマホ片手に煙を吐いていると、戸が開き店長が出てくる。
隣に座ると、同じように煙草に火を付け、ゆっくりと煙を吐き出した。
「小柳くん、社員にならないの?ボクは小柳くんが社員になってくれるとうれしいなぁ。」
目の下に隈を浮かべた店長は、煙草を片手におどけるように語り掛けてきた。
しかし、私は、
「いや、社員になったら、給料下がるじゃないすか。田辺さんとか、ほとんど毎日居るのに、携帯代払えないとか言ってるし。」
田辺さんは、この居酒屋の中で店長以外の唯一の社員。
金が無いのは、パチンコを打ったり、競馬や競艇をしてるのが半分以上は悪いのだが、それを差し引いても月給は安く、月の半ばには職場の賄い以外は飯を食っていないと言うし、時折携帯が繋がらなくなる。
それに比べれば時給で給料は出るし、残業代は付くのでバイトの方が実入りは幾分マシだった。
「でもさぁ、小柳くん。30にも40にもなって、このままフリーターってわけにはいかないでしょ?今は安いかもしれないけど、他で就職しないなら、ここで社員になった方が良いんじゃない?」
新卒カードでブラック企業を引いてから、派遣や契約社員を転々としたが馴染めず、私は近所の居酒屋のバイトに落ち着いていた。
まだ、25歳とはいえ、これといった見通しもなく、目標もやりたい事も特にない。
社会に出たが大した仕事にも付けず、毎月ギリギリの生活を繰り広げていたので、このままではいけないとは思っていた。
しかし、最低賃金を割るような社員になる気にもなれず、ゆるやかに現状維持を続けてしまっている。
「考えておきます。」
私はそれだけを返して、まだ三分の一くらい残った煙草を灰皿に押し付け、キッチンへと戻っていった。
もうそろそろ開店かと、表に看板を出したりしていると店の電話が鳴る。
聞き耳を立てていると、お大事にという言葉が聞こえてきた。
「小柳くーん!悪いんだけど、絵里ちゃんが風邪ひいちゃったってさ。ボクがキッチン頑張るから、ホールのフォローお願いね。」
あぁ、電話が鳴った時点で予想はしていたが、今日の仕事中の休憩はもう無いかもしれない。
了解です、と軽く返事をすると、また裏口の戸を開けて煙草に火を付けていた。
開店直前になると、浜野さんが出勤してきた。
浜野さんはこの居酒屋のバイトの先輩で、ホールを取り仕切っている。店長とはほぼ同期みたいなものらしいが、浜野さんはバンド活動が忙しいとかで、社員にはならずにバイトでの仕事を続けていた。
「チャーッす。」
店の中に入ってゆるーく挨拶すると、浜野さんはささっと着替えて予約表を確認していた。
店長から絵里が休みになった事を聞くと、不満そうに毒づいた。
「絵里ちゃんかわいいけど、休み多いよね。そろそろ店長キツく言った方が良いんじゃない?」
「いや、ずっと求人かけてるけど、ぜんぜん人来ないからなぁ。下手に言って辞められても困るし・・・」
今日は田辺さんも休みだし、この三人で頑張るしかない。追加で文句を言う気にもなれず、キッチンでだらっと客を待っていた。
何件か予約は入っていたものの、平日ということもあり、休みは出てもそれなりに仕事は回っていく。
「3番さんビール出てないから、陽介急いで!」
ホールの浜野さんから声を掛けられると、キッチンから飛び出して両手にジョッキを運んでいく。
そうこうしていると、今度はキッチンから声が掛かる。
「刺し盛り出来たから、これ2番さんのところにお願いね。」
どちらかというと、キッチンよりホールに居る事が長いような気もするが、22時を過ぎた頃には客足も弱まってきた。
ここまで取れていなかった休憩を回していき、やっと裏口の階段で煙草に火を付ける。
ゆっくりと煙を吸い、それを吐き出しながら夕方の店長の言葉を思い出していた。
このままではいけないことはわかっている。でも、なにをしろって言われてもなぁ・・・。
その後は客もまばらになり、片付けをすると着替えて帰路に着いた。
帰りのコンビニで缶チューハイを二本と、菓子パンやホットスナックを買う。
別に一本増えたからといって大したことではないのだが、普段よりは多く飲みたい気分だった。
コントラストの落ちた赤いポストを眺め、誰もいない校庭を横目に自宅へと歩いていく。
何してるんだろうなぁ。
片手に持つ、ビニール袋は指に細い跡を付けていた。
家に帰り着くと、荷物を適当に放り投げシャワーを浴びる。
ゴトッ。
なんだろう?スマホかライターでも床に落ちたのかもしれない。
浴室から出ると、タオルを片手に床を探す。
狭い室内を見渡すと、昔、誕生日に貰ったZIPPOが床に落ちていた。
冷蔵庫から缶チューハイを取り出すと、それを拾ってデスクに座る。
PCの電源を付け、Discordを開くと、VCに浜野先輩が待っていた。
VCに入ると、同じく風呂上りなのか、首にタオルを掛けた浜野先輩と、ロックバンドのポスターが並んだ部屋の壁が映っている。
「お疲れー!もう、俺は開けてるから、お前もさっさと缶開けろよ。」
缶のプルタブを起こし、ガスの吹き出る音を聞くと、画面の向こうの乾杯の音頭に合わせる。
たわいもない話や、今日の仕事の愚痴を話していると、浜野先輩が問いかけてきた。
「陽介はVtuberとかって見る?俺は最近、いろいろ見てるんだけどさ。」
問いかけられたが、正直Vtuberにはあまり興味がなかった。
たまにオススメ動画で切り抜きが上がってくるのを見るくらいで、リアルタイムで配信を見たりはしていない。
推しは誰かと聞かれたが、正直よく分からなかったので、最後に見た切り抜きの適当な名前を出した。
しばらく話していると、突然。
ゴトンッ!
背後から、何かが落ちる大きい音がした。
「おい、陽介大丈夫か?こっちにも音が聞こえてきたが。」
音のした方を振り返ると、おそらく洗面所の方だろう。
「何か落ちたかな?ちょっと見てくる。」
席を離れ、洗面所へ向かう。
閉めたはずだが、ドアは少し開いている。
洗面所の中を恐る恐る窺うと、真ん中あたりに洗濯用洗剤が転がっていた。
落ちそうなところに置いてたっけ?
大して覚えていない記憶を漁り、浴室の中も様子を見る。
洗濯用洗剤を片付けると、浴室のドア、洗面所のドアとしっかり閉め、PCの前へと戻る。
椅子を引き、見てきたことをディスプレイの向こうへ伝えた。
「洗面所で、洗濯用洗剤が落ちてたよ。ビックリするよね、ほん・・・」
パリンッ!
最後まで言いかけたところで、また背後から音がする。
「今度はなんだよ・・・」
頭を掻きながら、座ったばかりの席を立つ。
背中にからかう声が聞こえた。
「そっちは地震でも起きてるのか?こっちは揺れてないけど。」
さっきよりは音が近い。
部屋の中を見回すと、キッチンの流し台の前に割れたグラスが落ちている。
あぁ、もう。
男の一人暮らしの家に、グラスなんていくつもあるものではない。
新しいのを買うまでは、しばらくマグカップ一つで過ごさないといけないだろう。
めんどくさいとは思うものの、居酒屋でバイトをしていればグラスが割れるなんて日常茶飯事である。
手慣れた手つきで、それを片付けていった。
キッチンまで行ったついでに、二本目の缶チューハイを冷蔵庫から取り出し、またPCの前へと戻った。
「お待たせ。」
そう声を掛け、プルタブに指を掛けると、
「ちょっと待って。俺も取ってくるから、開けずに待ってろよ。」
先に始めてたくせに、待たせるのか。
先輩風を吹かせたりもするが、こういうかわいいところもあって、面倒見も良いので憎めない先輩だった。
しょうがないなぁ、と思いながら、待っている間にブラウザをカチカチと開く。
前に見たVtuberのライブが、おすすめに上がっていた。
見た事はなかったが、リアルタイムで見たら面白いんだろうか?
そんな事を考えながら、待っていると画面の中に先輩が戻ってきた。
画面の向こうで、先輩は500mlの缶を机の上に置くと、椅子を引いてドカッと勢いよく座る。
顔がこちらに向き、画面越しに目が合うと。
「あれ?陽介彼女居たっけ?邪魔しちゃったかな?」
先輩はニヤニヤとしながら、茶化してくる。
彼女?何の話をしているんだろうか。
「彼女?なんの話ですか?大学卒業してからは、彼女なんていないですけど。」
そう返すと、先輩は怪訝な表情を浮かべ、画面に顔を近づける。
「いや、その右の子。彼女じゃないの?」
何の話だかさっぱり分からない。
右の方を後ろまで振り返るが、ヤニで黄ばんだ壁が見えるだけだった。
「おい、コントやってるんじゃないんだから。逆だよ逆。」
逆?そう言われ、左も振り向く。
しかし、同じように黄ばんだ壁が見えるだけだった。
キョロキョロ見まわしながら、困惑していると先輩が続けた。
「からかってるのか?自分が映ってる画面見ろよ、その右にいる子だよ。」
自分が映ってる画面?
何が映ってるんだろうか。
画面の真ん中に大きく映っていた先輩を小さくすると、セルフビューの表示を引っ張り出す。
青白い肌。黒く長い髪。
白いワンピースに身を包んだ、女性の姿が画面に映る私の横に並ぶように映っている。
目は前髪で隠れ、その表情は見えない。
びっくりして、改めて振り向いたが、やはり黄ばんだ壁紙しか見えない。
ディスプレイと背後を何度も往復するが、画面の中にしかそれはなかった。
「え?なんだこれ?あれっ?何が映ってるんだ?」
混乱しながら、先輩に問う。
「これ、いつから映ってました?何かのイベント?バグ?」
私がバタバタとしていると、画面の向こうの先輩は神妙な顔で耳に手を当てていた。
「しっ!陽介、少し黙ってろ。何か聞こえる。」
そう言われて、口を閉じた。
画面の中の先輩と、こちらのセルフビュー、何かがいるだろう方向を順番に往復していると。
その白い女は、徐々に画面に近づいて来る。
部屋の中では見えないが、セルフビューでは私に近づいて来ているので、床を蹴り横へと避ける。
青白く、髪の長い女が、ゆっくりと画面に迫ってくる。
近づくにつれ、その血の気のない肌がディスプレイの中央を白く、染め上げる。
"ソレ"は、動きを止めると、静かに口を開いた。
「わたしの声、聞こえますか?」




