20.お願い
たっぷりと休みを取り、私は翌週から学校へ復学した。
教室へ入るとクラスメイト達が温かく出迎えてくれる。その中にはリューとマルクスもいた。
なんだか少し気まずくて、軽く会釈だけして自分の席へと着いた。一息つく間もなく席の周りをクラスメイト達に囲まれる。
「大変な目に遭われたとお聞きしましたわ。ディオネ様、お体はもう大丈夫ですの?」
「何でも犯人はこの学園に通っていた方の関係者だとか……」
「イーリス様はまだお戻りになられないのかしら?」
だれもかれもが興味津々といった様子で、いっそ清々しささえ感じる。
あの事件はかん口令が敷かれたため、もれた情報が独り歩きをしている次第だ。噂の中には私が死んだとか、イーリスがいまだ行方不明だとかといったものまであったのだが、次第に収まるだろう。
暇な貴族のご婦人たちは、次から次へと噂を仕入れていくが、飽きるのもまた早いのだ。
「さぁさぁ皆様、まだディオネは病み上がりなんですのよ。その辺で許して差し上げて?」
手を打ち鳴らしながら、レイアが凛とした声を上げた。そして、その声を合図に私の周りに群がっていたクラスメイト達が散開していく。
「フフ、大変ね」
「ありがとう、助かったわレイア。……フローラはまだ来てないの?」
そう言った所で、教室の扉が開く。ひょっこり姿を現したフローラと目が合うと、彼女の表情がパッと明るくなった。
「ディオネ!」
小走りで私の席まで来ると、眉をへの字に曲げて相貌を崩した。
「ごきげんよう、フローラ。もう大丈夫よ、ありがとう」
学校へ行けなかった私を気遣って、フローラとレイアはちょくちょくお見舞いに来てくれた。今日は学校で何をしたのとか、誰それがこんなことをしたのとか、他愛のないことを教えに。
「ううん、本当に良かった」
そういって笑うフローラの手元を何気なしに見ると……、しっかりと握られたカバンで揺れる一つの影。黄色い、不気味なその姿。……雑貨屋で見たあの子じゃないですか!
「フローラ……それ……」
驚きを隠せず、私はフローラのカバンで揺れ動く人形を指さした。
「え? ああ、コレ?」
「ウフフ、ディオネが休んでいる間ね、フローラってばすっごく元気がなくて、見かねたリュー様がプレゼントして下さったんですって」
フローラが恥ずかしそうに俯き、ちらりと隣の席にいたリューを見る。私もそれにつられるようにリューを見た。
マルクスと何かを喋っていたようで、私たちの会話は聞いていなかったようだが、視線に気が付くとこちらを見た。目が合い、リューがにっこりと笑うとフローラは顔を真っ赤にして顔を伏せる。
え、なんなのこの甘酸っぱい雰囲気。私がいない間にどんな発展があったの?!
「ちょちょちょっと、え、まって理解が追いつかないわ」
私が混乱している様子を見て、レイアがニコニコしながら頷いている。
「ウフフ、色々あったのよ」
その色々の部分を詳しく知りたい。
だがガイア先生の登場により、その願いは絶たれれてしまった。厳かに歴史の授業が始まる。
授業の合間にある休憩時間、私はマルクスを探していた。授業が終わると同時にリューと二人、教室を出て行ってしまったのだが、彼らが行きそうな所に足を運んでも姿を見つけることができない。
「あと探してないところは……」
校舎内はあらかた見終わってしまったので、中庭に出ることにした。確かリューはゲーム内で中庭にあるベンチに座りマルクスと他者に聞かれては困るような話をしていたはず。
人通りが決して少なくはない中庭なのだが、マルクスが人の気配や視線に敏感なので、誰かが聞き耳を立てているという時点で会話は中断されるのだ。
さすが単身、王子の護衛としてついてきているだけのことはある。
長い渡り廊下を抜けて中庭に出ると、いくつかあるベンチはすべて埋まっていた。その中の一つ、中庭全体を見渡せる位置にあり、他とも程よく距離が離れているベンチに二人の姿を発見した。
ふと、私にいたずら心が芽生える。
こっそり背後から近づいてみてみようかしら。まぁマルクスに気が付かれて終わるんでしょうけれど。
なんだか楽しくなってきた。いたずらを思いついた童女のように、口元を綻ばせる。私はこっそりと背後から回り込んでみることにした。
抜き足差し足、忍び足……。今日の私のドレスは生地がはんなりとしていて、ボリュームが少ないタイプだ。衣擦れの音も少ないし、ヒールも低めのタイプ。何より、舗装されていない中庭全体が芝に覆われていて、靴音も消してくれる。丁度大きな雲に太陽も隠れており、影が伸びる心配もなし。
「フフフ、……っと静かに……」
漏れる笑い声をそっと飲み込み、私はゆっくりと背後から二人が座るベンチへと近づいていく。
ベンチの背後にある、丸く剪定された植木の傍に身を滑り込ませる。さて、ここまで来たけれど、意外とまだ見つかっていない? すぐに見つかるものと思っていたから、この後どうしたらいいのか迷ってしまう。
「わっ」と声を上げて驚かせる?
いつもマルクスがしてくるように、そっと顔を近づけてつぶやく?
どうしようかと考えていると、二人の声が聞こえてきた。少しトーンの落とされた声音に、嫌な予感がした。
「昨晩も暗殺者が二名来ましたが、最近頻度が高くないですかね」
「ああ、誰かが本格的に動き出したのか……。この国には二つの派閥があると聞くが……おそらくは教皇派の誰かだろう」
「そうですね。しばらく動きを見ながら、黒幕を捕まえたい所ですが……、如何せん人手が足りませんねぇ」
うーん、しまった。完全に出るタイミングを見失ってしまった。
今出たら、この会話を聞いていたことが二人にバレる。口封じに何かしらをされる可能性がある……。まぁ殺されはしないとは思うが、あまりいい方向に動かないのは瞭然としている。
両膝をぐっと体に抱え込み、息を潜めた。こうなったら二人が立ち去るまでここで身を潜めるしかない。そう思った瞬間――
「それで、後ろにいるディオネ様は何をしていらっしゃるんでしょうかね?」
マルクスのひときわ大きくなった声音が、私を呼んだ。
「ひっ」
「そんなところで座っていたらせっかくのお召し物が汚れてしまいますよ?」
ベンチに座りながら半身になり、こちらをニコニコと見つめてくる様はまるで悪魔のようである。
「ほ、ほほほ、ごきげんよう? 偶然ですね、私今ここに来たところなんですのよ?」
私は何も聞いていませんとアピールしてみる。だが「中庭に足を踏み入れた瞬間から、あなたの挙動は見させてもらってましたよ」と、笑顔のまま告げる悪魔に、私は観念せざるをえなかった。
「……悪魔」
「ん~?」
私が行ってきたことを終始見ていたのならば、どうしてこのタイミングで聞かれたらまずい話をするのだと怒りたくもなったが、おそらくは……。
「私にその話を聞かせて、一体何をさせたいのですか」
そう、マルクスは私を利用したいのだ。話を聞かせて、逃げられないようにしてまで。
「あははは、聡明でいらっしゃるようで何よりだ。いやね、ちょっと小耳にはさんだんです、貴方がアンシャール伯爵と婚約をなさると」
「……暗殺者の黒幕を探れってこと?」
「賢い子は好きですよ、貸しも一つあることですし……ちょっとお願いできませんかね?」
ピリッとした空気が私の肌を撫でていく。背中を冷汗が伝っていくのが分かった。
「マルクス。彼女に危険が及んだらどうする」
「リュー、我々は手段を選んでいる程余力があるわけではないのですよ。私には貴方を何が何でも守らなければならない使命があるんです」
「しかしだな、彼女を巻き込んで何かあったら……」
「条件が一つ」
二人の会話をぶった切るように、私はお腹から声を出した。思わず大きくなった声に、周りの注意を引いてしまったのではないかと心配したが、杞憂に終わったようだ。もうすでに中庭には私たちしかいなかった。
「……貸しを返してもらうだけなので条件を付けられるいわれはないのですが……まぁいいでしょう、聞いて差し上げますよ」
「私に護身術を教えていただきたいの」
「……は?」
目が点とはこのことを言うのだろうか。二人がきょとんとした様子で止まってしまった。
「護身術。私、自分の身を自分で守りたいのです」
二人は顔を見合わせて、同時に深くため息をついた。
あれ、呆れてる感じかしら?
リューが眉をひそめ、首を横に振った。
「君はエペイロス家の令嬢だろう? 身を守るなら護衛を雇えばいい」
「護衛はベッドの中までついてきてくれるのかしら?」
私の歯に衣着せぬ言葉に、二人は途端にハッとした表情を浮かべた。……リューはそのあと少しだけ頬を染めて視線を外した。
「何もその道のプロに立ち向かえるような本格的なモノは望んでいません。一朝一夕で身につくものでもないでしょう? ただ、ちょっとしたときに動ける、動けないの差は大きいと思うんです。学校を卒業し嫁いだ後、私が生きていくための力を付ける為に、協力をして頂きたいのです」
真摯に思いを打ち明ける。もしこれで断られたって諦めてたまるもんですか。私の今後がかかっている。なりふり構ってはいられない。
別の誰かなんてツテなんてないし、彼ら以外に相談なんてしたら、余計なことをしないように護衛と言う名の監視者を付けられるのは目に見えている。
何が何でも了承を得なければならない――
「良いけど……」
「貴方たちにしか頼める人がいないの、だから断られた……ら……え? 良いの?」
まさかこんなに早く引き受けてもらえると思っていなかった私は、素っ頓狂な声を上げてしまう。
それはリューも同じだったようで、驚いた表情でマルクスを見ていた。頭を抱えた後、その手をマルクスの肩に持っていこうとする。
これは、やめろという事を進言しようとしている。いや、もしかしたら命令するのかもしれない。
そんなことさせて、たまるもんですか。
伸ばされたリューの手がマルクスへ触れる前に、私がつかみ取る。ぎょっとした様子のリューを私はじっと見つめた。どうか止めないで欲しい――そう願いを込めて。
「君は……」
「リュー、君の負けだよ」
「……はぁ……分かったよ、学校が終わってから家に帰るまでの間――小一時間ほどの時間をあげるよ」
「ありがとうっ!」
「ただし! 危険が及ぶことが分かっている場合は、事前に周りに助けを求めること。何もかもをすべて自分で解決しようとしちゃ駄目だからね?」
釘をさす様に、リューが強い口調で進言してくる。
すでに言えない事がたくさんあるのだけれども、首を上下に振り肯定を示す。
「じゃあさっそく今日から……!」
「明日からで」
さっそく出鼻をくじかれる。やる気がみなぎってる今、この高揚感をどこに持っていけば良いというのだろうか。
「……」
不満が顔に思いっきり出ていたのだろう。リューに膨らんだ頬をつつかれる。
「何を教えたらいいのかを今日練って来ます」
やれやれと言った様子で、マルクスが顎に手を当て考え込んでいる。きっと何から教えるのか、何を教えるべきなのかを考えているのだろう。
「っと、もう授業が始まっているようだね」
中庭から見える校舎の窓には、机に向かう真剣な様子の生徒たちが遠目に見える。
「今から戻っても注目を集めるだけだし、このままサボってしまおうか」
茶目っ気たっぷりに提案するリューはどこか楽しそうだ。
「じゃあ、中庭の裏手にでも行きましょうか。ここでは少し人目に付きますしね」
中庭を抜けた先、裏手にはお茶をするスペースがある。丁度死角になっているので、校舎内からは見えないし、廊下を歩く人からも見えない。
生憎お茶はないけれど、リューに聞きたいこともあったので丁度いい。
フローラとの一件、詳しく聞かなければ……!
繁忙期です。
ストックもなしなので更新速度がとんでもないことに…(-_-;)
仕事をしながら小説の流れを考える日々です。




