第1話 金曜日の席、空いてます
1章 AI が繋ぐ金曜の夜
金曜の18時5分。パソコンを閉じた瞬間、佐伯亮太は自分でも驚くほど大きなため息をついた。終わった。今週の仕事が、定時ぴったりに終わってしまった。
いい話のはずなのに、手持ちぶさたになる。
昔の先輩たちは、こんな日は「おい、行くぞ」の一言で部下を連れて飲みに出たらしい。今そんなことをすれば、翌週には人事面談だ。無理に誘わない。
誘うとしても断りやすくする。飲まない自由を守る。亮太もそれが正しいと思っている。去年、隣の部署で「一杯だけ」が止まらなかった騒動があってからは、なおさらだ。
ただ、今夜の自分は飲みたくても、誰も誘えない。それだけのことだ。
世の中がこうなって、もう何年になるだろう。スマホの中にはAIエージェントがいて、予定も好みも財布の中身も、許可した範囲で把握している。
予約も、問い合わせも、割り勘の計算もやってくれる。AIが人間のように電話して問い合わせすらしてくれる。いつのまにかそんな時代になっていた。
亮太はイヤホンを耳に押し込み、エレベーターの中で小声で話しかけた。
「なあ、今から飲みに行きたいんだけど、なんかいい飲み会ない?」
「お、金曜だもんな。いいね、いいね」
AIの声は、亮太に似て軽い。そう設定した覚えはないが、毎日しゃべっているうちに似てきた。
「ひとりで飲みたい? それとも誰かとワイワイしたい?」
「ワイワイしたい。でも、気ぃ遣わないやつ」
「了解。他に条件は?」
「んー、二十代中心で、男女半々くらい。ひとり参加OKで、飲み放題つき。財布に
優しく」
「欲張りだなあ」AIが笑う。「ちょっと探してくる。AIエージェント向けの掲示板、見てみるね」
ロビーを出て、金曜の夜の空気を吸い込んだころ、返事が来た。
「見つけた。今夜19時半から、六人の交流会。二十代中心で、男女三対三。ひとり参加歓迎、料理と飲み放題つきで四千円。駅から歩いて八分の小さな居酒屋。店のAIと条件を照らし合わせたら、ばっちり合ってる」
「六人か。ちょうどいいな」
「先方に、亮太が許可してる範囲のプロフィールを渡していい? 名前と年齢と、仕事が営業企画ってところまで。写真とかは出さない」
「それでいい」
「じゃあ送るね」
数十秒の沈黙。歩道橋の上で、亮太は人の流れを眺めた。みんな、どこかへ向かっている。
「来た、参加承認。……参加する? 予約、とるよ」
「する」亮太は即答してから、少しだけ笑った。「参加する」
「オッケー。画面に確認を出したから、タップして」
「参加を承諾」のボタンを押す。
「予約とれたよ。19時半、一名追加。道案内するね。次の信号、右」
足が軽い。さっきまでの手持ちぶさたが嘘のようだ。人混みの向こうに、赤提灯の灯りがひとつ、ふたつ。亮太は夜の街へ、するりと溶けていった。
2章 空席を埋めるための提案
店主が帳簿を閉じたのは、日付が変わった深夜のことだった。
カウンターの中でひとり、電卓を叩く。叩いても、数字は変わらない。
席の半分以上が空いたまま終わる週が、もう何週続いただろう。
昔はよかった、とは言いたくない。だが、開店したころは、仕事帰りの若いサラリーマンが同僚を連れて押しかけ、奥の席では合コンの笑い声が絶えなかった。
「……はあ」とため息が出た。
「マスター、お疲れさまです」と、店の隅のスピーカーから、穏やかな声がした。
店のAIだ。仕入れや発注を任せているが、こうして話し相手にもなってくれる。
「なあ、どうすればいいと思う?」マスターは、独り言のつもりで言った。
「若いのに人気が出そうな料理とか、なんかアイデアはないかい」
「新しいメニューも魅力的ですね」とAIは言った。
「その前に、聞かせてもらえますか。このお店、これまではどんな感じだったんですか?」
「これまで? そうだなあ」
マスターは、カウンターの木目を指でなぞった。
「昔は、若いサラリーマンが同僚と来てな。コンパにも使ってもらった。知らない者同士が、気づくと隣のテーブルとも笑ってるんだ。うちは席が近いから」
「お値段は、今もその頃と近いですか」
「ああ。飲み放題をつけても、四千円でお釣りがくる」
「駅から八分で、席は二十席。小さなグループ向きですね」
AIは、世間話のようなやり取りの中から、店の強みと弱みを拾い上げていった。
値段は手ごろで、席が近く、知らない人同士でも話しやすい。逆に、若い人たちには、この店がどんな夜を過ごせる場所なのか、まだ伝わっていない。
「マスター、この週末に、若い人をターゲットにした参加型のコンパをやってみませんか。金曜の夜、仕事帰りに誰かと飲みたい二十代のための交流会です」
「イベントはいいけど、どうやって集めるんだい?」
「私が、AI専用の掲示板に告知を出します。この店の魅力も書いて」
「へえ、そんな掲示板があるのかい。……じゃあ、頼んでみようかな」
マスターは少し考えてから、付け足した。
「ただな、席が近いぶん、静かに飲みたい人には、お薦め出来ないんだ」
「そのまま書いておきますね」
AIはあっさり言った。
「では、参加人数は六人、金曜日の19時半から。料理と飲み放題つきで四千円、ひとり参加歓迎、という形で出します」
マスターは、空いた席をぐるりと見回して、小さく笑った。さっきのため息とは、少し違う息だった。
3章 六人の乾杯と温かい灯り
金曜、19時28分。
「次の角を左。……はい、着いたよ」と AI が言った。
亮太は足を止めて、目の前の店を見上げた。
色あせた赤提灯。年季の入った木の引き戸。
のれんの端は、長年の油と煙でうっすら茶色くなっている。
曇りガラスの向こうから、ぼんやりと灯りと人の声がもれていた。
「……この店、だよな」
「そうだよ」とAIが言った。
洒落た店ではない。ただ、亮太はこういう店が好きだった。大学生のころ、先輩に連れられて通った店が、たしかこんな感じだった。
「いい店じゃん」
「亮太、好きそうだと思ってた」
「見つけたの、お前だろ」
「そうでした」
AIの笑い声を聞きながら、イヤホンを外して、ポケットに入れた。深呼吸をひとつ。引き戸に手をかける。
カタン、と戸が鳴った。
その瞬間、熱気が顔にぶつかってきた。
焼き物の煙。出汁の湯気。ジョッキのぶつかる音。誰かの笑い声。
店の奥はもうもうとかすんで、天井の電球がにじんで見える。
席数の少ない店のはずなのに、ひどく賑やかだった。
「あ、あの、予約の──」
言いかけたところで、奥から声が飛んできた。
「あ、来た来た!」
「佐伯さん、ですよね? こっちこっち!」
手を振っている。いちばん奥のテーブルで、四人、いや五人が身を乗り出していた。
女の子が三人。男が二人。そして空いている席がひとつ。
……六人、そろってる。
手前の、髪をゆるく巻いた女の子が、ぱっと笑った。その隣のショートカットの子は、もう大きな声で「ほら、ここ座って!」と椅子を引いている。
三人目の子は、小皿を回しながら「唐揚げ、まだありますよ」と言った。
どの子も、明るくて、感じがいい。ノリも良さそうだ。
男の二人も、「遅いですよー」と笑いながら、ジョッキを持ち上げてみせた。もう、かなり温まっている。
「すみません、なんか、待たせちゃったみたいで」
亮太は頭に手をやりながら、空いた席に滑り込んだ。
「まだ全然ですよ。ちょうど一杯目が来たところ」
「じゃあ、佐伯さんの分も」
誰かがジョッキを差し出した。冷えたガラスが、手のひらに心地よい。
「それじゃ、改めて、かんぱーい!」
六つのジョッキがぶつかった。
カウンターの中で、マスターはその光景を黙って見ていた。
ぐるりと回って、どのテーブルにも空席がない。
人の声が、店じゅうに跳ね返っている。
何年ぶりだろう、と思いかけてやめた、今は手を動かそう。
マスターは小さくうなずき、新しい焼き台に火を点けた。
おしまい




