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第2話:国境の門は、叩き割るもの

月光が照らす夜道。クロムウェル王国の国境を司る『鉄壁の関門』の前に、二つの影があった。

 一人は、返り血一滴浴びていない真紅のドレスを翻すアルティナ。もう一人は、彼女の歩調に一寸の狂いもなく付き従う褐色の青年、カイルだ。


「……止まれ! こんな夜更けに何奴だ! この先は自由都市連邦だ、通行証のない者は通せん――」


関門を守る兵士たちが槍を構える。だが、彼らの言葉は最後まで続かなかった。

 アルティナがただ一歩、踏み出した。

 それだけで、夜の空気が凍り付いたような錯覚に陥る。極限まで研ぎ澄まされた彼女の「剣気」が、物理的な圧力となって兵士たちの喉元を締め上げたのだ。


「私は、今とても機嫌が悪いの。……いえ、清々していると言った方が正しいかしら。とにかく、通行証を発行するまでの数時間を待つほど、今の私は辛抱強くないわ」


「な、何を……ひっ、貴様、その姿……グラナート公爵家の……!?」


一人の兵士が、アルティナのプラチナブロンドに気づき、顔を真っ青にする。当代最強の剣聖。王国の至宝。それがなぜ、夜会に出席しているはずの時間にここにいるのか。


「カイル。無理やり通るわよ」


「御意。……皆様、賢明な判断を。命までは奪いたくないとお嬢様が仰っております」


カイルが静かに、しかし有無を言わせぬ足取りで巨大な鉄門へと歩み寄る。

 彼は腰に差した長刀を抜くことさえしなかった。ただ、その褐色の剛腕を門の合わせ目に差し込み、静かに力を込める。


――ギ、ギギギ……ッ!!


ありえない音が響いた。数十人の大人がかりで開閉するはずの、王国の技術の粋を集めた鉄門が、カイル一人の膂力によって歪んでいく。


「な……化け物か!」


「失敬。お嬢様の道を開けるのが、私の役目ですので」


ドォォォォン!! という衝撃音と共に、鉄門のかんぬきが弾け飛んだ。

 兵士たちが腰を抜かす中、アルティナは優雅に、まるでサロンの絨毯を歩くかのような足取りで門を通り抜ける。


「世話になったわね。……ああ、それと。王宮に使いを送るなら伝えておいて。――『自由って、こんなに空気が美味しいのね』って」


アルティナは振り返りもせず、闇の向こう側――自由都市連邦の灯りを目指して歩き出した。


***


翌朝。

 隣国・自由都市連邦の入り口にある街『リベルタ』は、活気に満ちていた。

 ここは実力主義の世界。金と腕さえあれば、素性など問われない冒険者の街だ。


その街の冒険者ギルドの扉を、一組の男女が潜った。


一人は、目を見張るような美女。プラチナブロンドをポニーテールにまとめ、高価そうなドレスを改造して動きやすく仕立て直した、奇妙だが気品溢れる装い。

 もう一人は、彫刻のように整った顔立ちをした褐色の美青年。彼は常に一歩下がり、女の背後を完璧に守護している。


荒くれ者たちが揃うギルド内が、一瞬で静まり返った。


「おいおい……場違いなお嬢様がお出ましだぜ」

「隣の褐色野郎は強そうだが、あんな華奢な女が冒険者志望かよ?」


酒臭い男たちの視線が突き刺さる。中には、アルティナの白い肌を見て下卑た笑いを浮かべる者もいた。

 だが、アルティナはそんな雑音を完全に無視し、受付へと直行した。


「一番手っ取り早く、高ランクに上がれる依頼はどれかしら?」


受付の女性が目を丸くする。

「……ええと、お嬢様。冒険者登録が初めてでしたら、まずは下水掃除や薬草採取から始めていただく決まりでして……」


「そんな時間は無いの。今日中にまとまった資金と、この街での相応の地位が欲しいわ」


「しかし、ルールですから……」


困惑する受付嬢。その時、ギルドの奥から、ガシャンと椅子を蹴る音がした。

 現れたのは、このギルドで幅を利かせているBランク冒険者の大男だった。


「おい、新入り。ここは王国のままごと遊びの場じゃねえんだ。ランクを上げたきゃ、俺を倒してから言うんだな」


大男がアルティナの肩を掴もうと、汚れた手を伸ばす。

 だが、その手が彼女の服に触れることはなかった。


パシッ、と乾いた音が響く。

 いつの間にか、カイルが男の手首を掴んでいた。


「……私の主に、無断で触れるなと言っている」


カイルの琥珀色の瞳が、冷酷な光を放つ。

 大男が悲鳴を上げる。カイルの指が、男の骨をじわじわと軋ませていた。


「て、てめぇ……! やっちまえ!」


男の仲間たちが一斉に剣を抜き、襲いかかる。

 だが、アルティナはため息をつき、腰の剣を――抜かなかった。


「カイル、3秒で終わらせなさい。埃が舞うのは嫌よ」


「御意」


次の瞬間、ギルド内に突風が吹いた。

 カイルが動いた。目にも止まらぬ速さで男たちの懐に潜り込み、掌底、あるいは手刀の一撃で次々と床に沈めていく。


1、2……。


3秒経ったとき、立っていたのはアルティナとカイルだけだった。


「な……っ!?」


受付嬢も、他の冒険者たちも、何が起きたのか理解できなかった。

 Bランクのベテランたちが、たった一人の「従者」に、一瞬で、しかも素手で制圧されたのだ。


「……お待たせしました。お嬢様。雑草の処理は終わりました」


カイルは涼しい顔でアルティナの前に跪き、彼女の靴に付いたわずかな埃を払う。


「ふふ、ご苦労様。……さて、受付の方。もう一度聞くわ。一番効率の良い依頼は、どれ?」


アルティナは、掲示板の最上段――そこにある、数年間誰も手を付けていない「レッド・ドラゴンの討伐」の依頼書を指差した。


「これ、受けてもいいかしら?」


ギルド全体が、恐怖と期待で震え始めた。

 最強の剣聖と、最強の従者。二人の伝説は、隣国でもこうして派手に幕を開けたのである。

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