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 魔族は、分厚い雲を破って降りてきた。

 全員、あれがそれだとわかった――圧倒的な魔力だ。

 魔力圧を軽減するための装備を使ってなお、身体が凍りついた。あれは無理だと魂が悲鳴をあげる。


 ――無理じゃない。


 いや、この状態のルジェリには無理だ。それは認めざるを得ない。

 イシュダヴァを中心に、数名の魔術師とその護衛騎士が彼女を囲んでいるが、魔族はなんら気に留めることはなかった。


 これが罠だということくらい、魔族にもわかるだろう。周辺に重唱魔術の準備があることは、隠していない。隠しても無駄だからだ。魔族は魔力をる――それこそ、イシュダヴァ以上の精度で。

 だが、重唱魔術の準備があることは感知できても、どんな魔術が仕込まれているかはわからないはずだ。

 全員を見下ろす位置で――長身の師団長の頭よりさらに高いところで、魔族は止まった。角がある。尾がある。翼がある。組んだ腕は太く、爪は長くするどい。それでいて、顔立ちは清純無垢な乙女のようだった。肌は蒼白く、血の気がない。それも当然、魔族には赤い血が流れているわけではないのだから。


「そなた」


 魔族の声は低かった。雷鳴のように空気をふるわせた。

 虹色のひとみが、イシュダヴァを見下ろしている。


「よう育ったな。食い頃であろう」


 イシュダヴァは不敵に魔族を見返した――と思う。目隠しのせいで表情はわかりづらいが、口角は上がっていた。

 その口が、言葉を紡ぐ。心地よい、落ち着いた声だ。


「よく来たな」


 イシュダヴァは、相手の魔力に抗し得ることを証明した。大丈夫だ。できる。


「みずから出迎えるとは、殊勝であるな。さあ、我のもとに参れ」

「誰が殊勝だ。わたしの居場所は汝の胃袋の中ではない。ここだ!」


 イシュダヴァの叫びは、起動の鍵だった。

 一斉に、重唱魔術が起動する。一重ではない。二重、三重、四重――どこまでも展開し、封じこめていく。

 重唱魔術とは、特定の空間を独自の決まりごとで定義づけるものだ。だから、囲うのと定義づけで二重の魔術を同時起動する必要があり、それで重唱魔術と呼ばれる。

 イシュダヴァたちを覆った空間の定義は――。


「む」


 魔族が墜ちた。

 真っ先に動いたのは、ルジェリだった。イシュダヴァの背後に控えていたから、距離が近い。どこでもいいから一撃入れてやりたいが、できれば尾を切り落としたいと思った。

 尾は人間にはないもので、読みが難しい。すぐに意識から消えてしまい、視界の外からいきなり攻撃されることもある。危険な部位だ。

 だが、ルジェリの剣はほかならぬ尾ではじかれた。剣を取り落とさなかった自分を褒めてやりたいと思うほど、重たい一撃だった。


「どういうことだ」


 魔族は立ち上がっていた。眼球がぐりぐりと動いている。虹の光輝が失われつつあるのは、魔力が乏しいせいだろう。


 この空間は、魔力を消すためのものだ。

 魔力比べでは、イシュダヴァくらいしか太刀打ちできない。全員倒されて終わりである。

 だったら、魔力を奪ってしまえばいい。こちらが魔術師団だから、まさか魔力を消してくるとは想像しないだろう。みずからの力をわざと減じるような作戦、魔族は思いつかない。魔族にとって、力こそがかれら本来の在りかたなのだから。

 そこに付け入る隙がある。


 だが、重唱魔術を最大限に重複させても、上級魔族の魔力をすべて奪うことは不可能だ。イシュダヴァや、上位魔術師の何名かも同じだ。

 すべては奪えなくとも、減らせれば――そう師団長に直訴したのは、ルジェリである。立場を鑑み、ほかの魔術師を経由すべきか少し考慮したが、とにかく急ぎだと自分で訴えた。

 師団長はすぐに飲み込んで、部下に重唱魔術の設定変更を命じた。担当者は徹夜で作業にあたった。間に合ってよかった。

 魔力の圧さえ消えれば、護衛騎士が戦える。同僚たちへの根回しは容易だった。積年の鬱憤を晴らしてやる! と、皆が前のめりで賛成してくれた。


「どうなっている!」


 この叫びは、一旦引いたルジェリに向けられたイシュダヴァのものだ。

 哀れ、彼女は作戦の変更を知らされていなかった。嘘つきのクソ魔術師を騙し返しただけなので、ルジェリの心には一点のやましさもない。

 魔術師の腕を掴み、ぐいぐい引っ張って魔族との距離を空けた。


「イシュダヴァ様、まだ魔術を使えますか?」

「当たり前だ! ……いや、ちょっと危ないな。いつもほどには無理だ」


 重要なことだと認識したらしく、後半は正直だった。

 ルジェリは指笛で竜を呼んだ。陣の端に控えさせておいたのだ。賢い竜は、すぐイシュダヴァの隣に来た。竜は魔力がなくても動けるが、残念ながら火は吐けなくなる。それが可能だったら、囲んで燃やしておしまいだったのに。

 ……ま、護衛騎士が手柄を上げる、滅多にない機会が得られたのだから、それでいい。


「いいですか。重唱魔術が効いているあいだ、上官はここから出られません。できるのはせいぜい、護衛騎士を応援することくらいです。上官の安全は竜に委ね、自分もあっちに参加します」


 同じく陣の端に控えていた腕利きの同僚たちが、魔族を囲んでいる。魔力を失ってなお、多勢に無勢である程度戦えているあの魔族には、少しだけ感心しなくもない。


「聞いていたのと違うぞ」

「当然です。教えたら従ってもらえませんので」

「ルジェリ!」


 ルジェリは剣を構え直した。やっぱりあの尾だ。太くて長くてぶんぶん動く尾。あれを、なんとかしたい。


「あいつの尾を固定したり……できますか?」

「ひとりでは無理かもしれん」

「師団長があそこにいます。相談して協力してください。尾と翼はわかりづらいので、優先して封じ込めたいです」

「……許さんからな、ルジェリ」

「作戦を許可したのは師団長ですから、苦情もそちらにお願いします。では、行って参ります」


 ルジェリは同僚たちと並び立った。

 魔族は糸のようにほそい稲妻をあやつり、その腕に斬りつけていた護衛騎士をしりぞけた。一本、二本。稲妻は、何回もあらわれて空間を切り裂く。

 ルジェリも一回はそれにふれた。大した痛みでもないが、一瞬でも痺れるのが困る。動きが止まってしまうからだ。

 それでも、皆の攻撃で徐々に魔族は弱っていく。懸案の長い尾も、切り落とすことができた。翼もまともに動かせまい。骨を折ったからだ。


 ――けど、魔力さえ復活すればなんの問題もないだろう。


 肉体が痛めつけられていても、あの魔力があれば。

 重唱魔術の効果時間にはまだまだ猶予があるが、一刻も早く終わらせたい。なにか嫌なことが起きそうな気がする。

 正体不明の焦りを覚えつつ、ルジェリは剣を構え直した。汗で握りが滑りそうだ。そこにまた、糸のような雷撃が来る。躱したものの、すべって体勢を崩し――ルジェリは空を見た。


「……まずい」


 あたりを覆う魔術の天蓋に、罅が入っている。

 原因はすぐに知れた。あの雷撃だ。雷を呼ぶことで、外の雲と繋がっている――繋がった魔力が重唱魔術に干渉し、その殻を壊そうとしている。


「急げ!」


 仲間に叫んで、ルジェリ自身はイシュダヴァを目で探した。どこだ。いない。嘘だろ。いるはずだ。冷静に探せ。

 いた。

 イシュダヴァも、空を見上げていた。

 隣に立つ師団長は、まだ気づいていない。


「イシュダヴァ様!」


 ルジェリは叫んで、彼の魔術師を目指して地を蹴る。

 そのとき、天蓋が割れた。

 耳を圧する轟音。たちまち萎えてしまう手足。そして、魔族の低い声。


「よい余興であった」

「本番はこれからだぞ」


 魔族に応えたのは、もちろんイシュダヴァ。

 彼女は少し屈み――移動魔術を使う前の予備動作だ。ルジェリにとっては死ぬほど見慣れた、呪わしい動きである――そして消えた。

 魔族もそれを追った。魔力の圧に伏していた護衛騎士たちも、急いで詠唱をはじめた主力級の魔術師たちも、誰も間に合わなかった。かろうじて師団長は魔族の翼に一撃当てていたが、魔族は意に介さなかった。翼で飛んでいるわけではないのだ。

 あれは、魔力そのものだ。


「外から来るぞ!」


 上位魔族が姿を消しても、彼が率いた魔族どもは残っている。ルジェリたちが重唱魔術の空間で戦っていたあいだも、外ではほかの魔術師や護衛騎士たちが支えていたのだ。

 魔力の圧が消えて立ち上がった護衛騎士たちは、くそっとつぶやきながら、それぞれの魔術師を探して散った。


「ルジェリ」


 師団長に声をかけられたルジェリは、すでに竜の背にいた。


「上官を探しに行きます」

「……ああ、行ってきたまえ。無事の帰還を祈る」


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