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たのむぞと背を叩くと、心得たようすで竜は駆け出した。
まず攻囲を切り拓く必要があったが、それは師団の皆が助力してくれた。イシュダヴァをたのむという言葉を背に受け、ルジェリは駆ける。
自分の作戦が甘かった。魔族の魔力をもっと高めに想定すべきだった。天候も今後は視野に入れる必要がある。
……今後? 今後なんてあるのか?
どう、と音が轟いた。木立の向こうに、水煙が見える。
竜はそちらを目指しており、イシュダヴァはそこにいるのだとわかった。
――死ぬな。
自分が犠牲になればいいと諦めるな。抗え。本気で生きろ。
近寄ればただ魔力に圧倒されるだけかもしれなかったが、それでもルジェリは竜を進ませた。
そして、自分が通常の状態であることに怯えた――イシュダヴァを食って、魔族が去ったのではないかと案じたのだ。
竜は進む。倒木や大きな岩を器用に乗り越え、やがてたどり着いた場所には、小さな人影が倒れ伏していた。
……いつかも、こんな光景を見たような気がする。
周囲を見回したが、あのときのように雑魚どもが狙っている気配はなかった。
魔族とイシュダヴァが戦ったのだろう、へし折れた木や不自然に割れて飛び散った岩、どうやら流れが変わったらしい小川がある。災害級の戦いだ。必然として、あたりには生命の気配がなく――ただ、静かだった。
「イシュダヴァ様」
ルジェリは膝をつき、脈をとった。生きている。意識が――戻った。
顔を上げたイシュダヴァを見て、彼ははっとした。目隠しがない。それに……瞼の下が、盛り上がっているような?
「誰だ……」
「あなたの護衛騎士です」
「見えないんだ」
今まで聞いたこともないほど、不安そうな声だった。少し、ふるえている。
抱き起こしながら確認したところ、怪我はないようだ。弱らせたとはいえ、上級魔族と戦って無傷とは。衝撃で内臓を痛めていたり肋を折ったりしている可能性はあるか? いや、それなら抱き起こすと痛がるはずだ……などとルジェリの頭の中は忙しい。
「声でわかりませんか?」
「魔力で判別していたからなぁ……でも、なにも見えないんだ。どうしよう?」
「師団と合流し、医官の診察を受けましょう」
「そうだな。……ああ、魔族は倒したぞ」
「見ればわかります。粉微塵です。国宝級の素材を得る予定でしたのに、すべて灰になっています」
どこにも魔族の気配がない代わりに、イシュダヴァが倒れていた場所の近くに、不自然な灰のようなものがあった。少しずつ風で散っているようだが、これをそのままにしていいものか、ルジェリには判断がつかなかった。
「そうか……」
「これは、なんらかの処置が必要でしょうか?」
「袋かなにか持っているなら、それに詰めるといい。高級素材だぞ」
自信ありげな調子が戻ってきたが、たぶん嘘だ。というより、素材の価値など知らないまま適当なことをいっているだけだろう。
「周囲に悪影響は?」
「ないんじゃないかな。魔力の残滓のようなものだろうが、魔力自体にはなんの方向性もない。大気に馴染み、土に沈み、水に溶け、やがて世界を循環するだけだ」
「では放置します」
「は? 儲かるのに捨てていくのか?」
「時間が惜しいですからね。金ならイシュダヴァ様が荒稼ぎなさったでしょう。上級魔族の討伐ですよ。報奨金、すごそうですね」
「国庫が傾くかもしれんなぁ……」
売り捌ける現物なしで報奨金だけ出さねばならないのだから、赤字は確実だろう。まぁいい、イシュダヴァの財布が肥え太るぶんには、ルジェリはなにも困らない。
「さすがイシュダヴァ様です」
「皆が痛めつけてくれていたおかげだ。報奨金をいただいたら、宴会を開こう。豪勢なやつだ。君に取り上げられたあの酒な、箱で注文したのがもうじき届くんだ。無駄にならなくてよかった」
いつもより高い声で喋るイシュダヴァの額には、もうあの呪術による徴がない。なめらかなその皮膚にふれて、ルジェリは顔をしかめた。
「熱があります。やはり、早く医官に診てもらわねば」
「あっちは大丈夫なのか」
「自分が出てきたときは持ち堪えていました。気になるなら、早く戻りましょう。少しでしたら、魔術を使って加勢してもかまいませんよ」
「許可制か」
「許可制です。今日はもう、イシュダヴァ様は頑張り過ぎましたからね」
そう決めつけて、ルジェリは魔術師を抱き上げた。おどろくほど軽い。あんなに豪華なものを食べたり飲んだりしているのに。
「そうか……頑張り過ぎか」
「よく頑張られました。褒めてさしあげます」
「偉そうだな」
ルジェリはイシュダヴァを抱いたまま、竜に騎乗した。支えていないと間違いなく落ちるし、落としたくない。ルジェリ自身も濃い疲労を覚えており、あの難路を戻れる気がしなかった。竜はまだ元気で助かった。
魔術師団の方は、無事に迎撃を終えていた。途中で急に集団が崩れたというから、その頃、イシュダヴァがあの上級魔族を倒したに違いない。統率者の存在ごと、連携もなにも消し飛んだのだろう。儚いものだ。
イシュダヴァを医官に預け、ルジェリは報告のため師団長のもとへ赴いた。上級魔族は消し飛んでいたこと、戦闘を直接目撃はしていないが地形が変貌を遂げていたこと、などなどを説明する。
師団長はその秀麗な顔を歪め、そうか、とつぶやいた。
「イシュダヴァは、勝ったのだな」
「はい。皆が痛めつけてくれたおかげだと、我が上官にしては殊勝なことを申しておりました。討伐の報奨金が入ったら、宴を開くとか」
「それはいい。後始末も頑張り甲斐があるだろう。皆にも伝えねばな」
「ただ、体調は芳しくありません。今は発熱しているので、医官にまかせて来ました。魔力で感覚することができなくなったようです。本人は、当惑していました」
「ああ……もう長いこと、あの状態だったはずだからな」
「あの、イシュダヴァ様は何年くらい……?」
詮索すべきではないとも思ったが、どうしても気になる。
ルジェリの問いに、師団長は額を揉みながら答えた。
「はっきりとは覚えていないが、わたしがはじめて会ったのが師団に入ってすぐだから……かれこれ三十年ほどか?」
「三十年? ……ですか」
いや、だったらアレは何歳だ? 五歳かそこらで魔族に遭遇したとして、三十五? 嘘だろ。
表情を取り繕いそびれたルジェリを見て、師団長が説明する。
「魔族に徴をつけられると、成長が遅くなるらしい」
惜しい、とルジェリは思う。
当惑しているのは、肉体年齢の方じゃない。いやまぁそっちもたいがいだが、それより精神年齢の方だ。あんな脳みそつるつるの身勝手なクソ魔術師が、最低でも三十過ぎ?
十二、三歳だといわれた方が納得できる。
「過去の記録は曖昧なものが多くてな……たいがいの魔族は、徴をつけて放置するなどせずに、いきなり食ってしまうから」
それはそうだろう、とルジェリは思う。むしろ、なんで放置しているのかわからない。育てば魔力がより強くなるのはわかるが、迂遠過ぎないか?
師団長がつづけた言葉は、ルジェリの疑問に答えていた。
「そんな酔狂なことをするのは、暇と思考を持て余している奴だ。ゆっくり育てて、より魔力が豊富な個体を恐怖させ、絶望とともに食らう――かなりの上級魔族だけが、そういう『遊戯』をする。上級魔族の討伐は困難だから、魔族の花嫁とされた者が生き延びた例は皆無だ。少なくとも記録されている限りはな。ゆえに、討伐例はイシュダヴァが初となる」
今さらだが、非常に胸糞悪い話だった。かわいそうな話として消費されることすら、不愉快だ。
「……上官が解放されて、よかったです」
「そうだな。あとは、イシュダヴァが健康を取り戻せればよいのだが」
眼球が戻っているかもしれない、という話をルジェリは口にしなかった。確実なことではなかったし、そのへんは医官からきちんとした報告が上がるだろう。
「では、俺は後始末を手伝いに行ってもよろしいでしょうか?」
「ご苦労だった。ああ、順序がおかしくなったが――よくやった、ルジェリ。感謝する」
「は。過分なお言葉をありがとうございます」
「手が空いたら、イシュダヴァのところに顔を出してやれ。感覚がおかしくなっているなら、常時行動をともにしていた君がいる方が安心できるだろう。医官にも話しておく」
敬礼して、ルジェリは退出した。




