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結局、イシュダヴァは三十日ほど入院した。
イシュダヴァの目は開いていない。眼球は戻っているだろうとのことだが、瞼を上げられないので検査もできない。医官の見立てでは、長年使っていなかったものを急に随意で動かせないのだろうと。心が現状を認められないのも関与しているように見える、とのことだった。また、魔術も使えていない。感覚が変わったのが原因だろうが、こちらも心が追いついていない可能性はある。本人は焦るだろうが、その焦りこそが禁物である、云々。
さすが、福利厚生の手厚い魔術師団だけのことはあった。医官もいろいろ心得ている。
退院日は当然、ルジェリが付き添った。なにも見えていない状態だからというだけでなく、体力が落ちて歩くのもしんどそうだったので、途中からは抱き上げて運んでやった。
「そういえば、あのときもこうやって運ばれたな」
感慨にふけっているらしいイシュダヴァを宿舎の寝台に突っ込み、さっそく申し渡す。
「当分、出歩くのは禁止です。退院は、上官がわがままを通しただけですからね? あんまりうるさいんで、医局が面倒になって放り出したというのが実情です。試しに魔術を使ってみるのも禁止です。この部屋は、重唱魔術で魔術禁止空間にしてあります。なにかしても発動しないのが当然です。上官の復調とも不調とも関係なく、ただただ発動しません。ご了承ください」
「……ルジェリだなぁ。戻って来たって気がするね」
「早く元気になって、本格的な宴会を主催してもらわないと困るんです。イシュダヴァ様の具合はどうだ、宴会はいつだ、とせっつかれるのは自分なので」
「はは、頑張ってみるよ」
「あなたは頑張らないで寝ていてください」
ぴしゃりといって、ルジェリは荷物の整理をはじめた。入院が長かったので、それなりの量があるのだ。
「話をするくらいなら、かまわないかい?」
「時間を区切った方がいいですね。会話も体力を消耗するものですから」
「許可制かぁ」
「申しわけありません」
「なんにも申しわけないと思ってなさそうな声だ」
少し笑って、イシュダヴァは咳き込んだ。ほれみろ、早速これだ。
「寝ていてください」
「今は気分がいいんだ。ほんとうだ。嘘じゃない」
「嘘じゃないと念押しする嘘つきほど、あやしいものはないですね」
「……じゃあ、会話はしなくてもいいよ。部屋にいてくれないか。不安なんだ」
ルジェリは手を止めた。
「不安? なにがでしょうか。善処します」
「いてくれればいいんだ。ここが魔術師団で、わたしの護衛騎士がいて、だから――うまくいえないんだが。いや、こんなの恥ずかしいな」
「今さら恥ずかしがる年頃ですか。聞きましたよ。師団長が入団なさった頃にはもう、ここにいらしたそうではないですか」
「恥ずかしいな……」
やめんか。聞かされてるこっちの方が恥ずかしくなってくるだろ! ……とルジェリは思ったが、口にはしなかった。
「で、なにが恥ずかしいんです。白状しないでごまかす方が、あとから恥ずかしくなりますよ」
「実体験か」
「ご明察です。で、なんですか?」
「まぁ……つまりだな……なんだか、みんな夢みたいな気がするんだ」
「夢ですか」
イシュダヴァは、うん、と小さくうなずいた。やっぱり子どもだろ、こいつ、とルジェリは容赦なく思う。
つるりとした顔は、窓からさしこむ日差しを受けて、いっそう若く見えた。
「これはわたしが見ている都合のいい夢で、ほんとうはまだ、魔族の訪れを待っているような気がするんだ。皆がやさしくて、親切で……まぁルジェリはルジェリだから安心するけど、なんだか変なんだ。ふわふわしていて……現実感がない」
「皆がやさしいのは当然でしょう。あなたは病人ですし、大業を成し遂げられたのですから。上級魔族の討伐ですよ。ちやほやしない方がおかしいです」
「だからその討伐が成ったというのが、夢みたいで。奴はまだ、どこかに隠れているんじゃないかって。たとえば――」
わたしの中、とか。
低い声でつぶやかれて、ルジェリは全身が総毛だった。
自分が見聞きしたことを思い返し、順に考えていく。たしかに討伐する肝心の場面は見られなかった。戦闘があったのは、あきらかだ。灰が積もっていた。魔族を完璧に倒すとそうなるという話は確認がとれた。魔族は魔力そのものだ。イシュダヴァの中に隠れたとしても、滲み出るものがあるだろう。そんなもの、誰も感知していない。
よし、病人の妄想で決まりだ。ビビったじゃねぇか、クソが!
「そっちが夢ですね。魔族がまだ生存している方が夢で、熱を出して寝込んでいる方が現実です。しっかりしてください」
「……君が断言してくれると、そんな気もするな」
そういって、またイシュダヴァは咳き込んだ。
もう休んでもらいたいが、こいつがおとなしく従うはずがない。部屋にいてほしいだけといいながら、ずっと喋りつづけるだろう。
「咳止めを煎じて来ます。それを飲んだら、もう少し喋ってもいいですよ」
「許可制だなぁ。わたしが君の上官だったと思っていたが、それも夢だったか?」
「上官の手綱を引くのが、自分の職務であると心得ております。少々お待ちを」
ルジェリはぬかりがないので、咳止めに少々寝つきのよくなる薬も混ぜた。混ぜても大丈夫であることは、医局に確認済みである。我ながら完璧だ。
イシュダヴァは、おとなしく咳止め兼眠り薬を啜った。まずい、と文句をいいながら。
「手を握ってくれる?」
「ご命令とあらば」
「うん、じゃあ命令だ」
ルジェリは寝台の脇に椅子を寄せ、弱った魔術師の手を握った。冷たくて、小さな手。ほんの子どもみたいだ。
実際、目隠しのないイシュダヴァは、まだ十四、五歳といっても通る。年相応なのは声だけだ。
「魔力で感知できないって、すごく不便だな……なにもわからない」
「以前から興味があったのですが、俺はどんな風に見えていたのですか?」
「君かい? 君は、なんにもない人型って感じだったなぁ」
魔力が乏しいからだろうと自分を納得させつつ、それでもルジェリは思った。なんにもないって。もう少し、なんとか表現できなかったのか。
魔術師はルジェリの内心など気づかぬ風に、ふふ、と小さく笑った。
「なんにもないんだけど、すごくそこに在るんだ。前に君がいっただろう。生きてるんだって。なるほど、生きてるって在るってことなんだと納得した。君が自分を肯定してるの、すごく眩しいよね」
イシュダヴァの発言を分析し、少し考えて。ルジェリは一歩、踏み込んでみた。
「それは、上官はご自分を肯定しておられない――と、いうことでしょうか」
「うん? そうだな。だって、わたしは存在しない方がいいからね」
――は?
なにいってんだ、こいつ?
ルジェリの当惑をよそに、イシュダヴァは笑みさえ浮かべてつづける。
「わたしがいるから、魔族が来るんだ。わたしがいたから、皆が死んだんだ」
いない方がいいだろ、と。当然のことのように。
あっ、とルジェリは思った。踏んではいけないものを踏み抜いた気がする。
イシュダヴァの行動のすべて――いや、すべては盛り過ぎだが、かなりの部分を理解してしまった。自罰なのだ。多くを犠牲にして生き延びた自分を、許せていないのだ。




