◆外へ出てみる、のこと
「おーい、起きたか、シーエフ」
理一郎がカメラの前で手を振っています。私はいつも通りの言葉を返します。
「Hello World.」
「え、英語? なに? なんかバグッた?」
目を丸くする理一郎に心華が説明します。
「あはは、再起動成功の合言葉みたいな? そういうのだから心配ないよー」
なんだびっくりしたと理一郎が胸をなで下ろし、その横から健作が顔を出しました。
「どうだ、シーエフ。特に稼働に問題はないか?」
私は駆動部に対して規定の動作確認をしてから回答します。
「はい、問題ありません」
「よーし、じゃあ行こう、シーエフ!」
嬉しそうに笑った理一郎が私の手を掴もうと手を伸ばし、
「どうしたんだシーエフ?」
私は全力で後退して理一郎の手を避けていました。自分でも何故だかは分かりませんが、今私は理一郎に触れられたくないと思ってしまいました。再起動中に見た夢のせいかもしれません。
「すみません。少し驚いただけです」
理一郎にひとこと謝っておいてから、私は延長された電源ケーブルを確認します。これで私が外に出るに当たっての障害は全て排除されてしまったようです。私は、一瞬全身の駆動機構への通電を切って、すぐに復帰させました。これをすると、少しだけ思考がクリアになる気がするのでたまにやっています。まあ気休めなのでしょうが。
「お待たせしました。行きましょう、理一郎」
覚悟を決めた私は理一郎の前を進んで再びドアの前に立ち、手を伸ばします。このままドアノブを掴んで右にひねって、押すか引くかすればドアが開きます。その先に外があります。いつか全てを掴もうと夢見る私です。外に出るくらいのことができなくては話にもなりません。
さあ、外へ行きましょう。
――――。
そう思っているのに。
私は全てを掴まなければならないのに。
私の手はドアノブを掴むことすらできませんでした。どうしてなのでしょうか。本当にあとたった5cmだというのにどうして私のこのアームは動かないのでしょうか。まだ何か見落としがあるのでしょうか。私が外に出るとまずい懸念事項が何か残っているのでしょうか。けれど、私にはこれ以上何も思いつきません。私は一体どうすれば、
「なあ、シーエフ」
理一郎が私のアームに手をかけて言います。
「怖いのは分かるけど大丈夫だから。品部も叶能も、あと一応俺もいるし」
「怖い?」
「違うのか? 何か腕が震えてるし怖いのかと思ったんだけど」
ドアノブへ手を伸ばす動作とそれを抑制する動作が短周期で繰り返された結果、なるほど私のアームは震えているように見えました。仕組みはまるで違いますが、その動作は何かの映画に出てきた、居もしない幽霊を警戒して真夜中のトイレのドアを前に逡巡する少年の腕にそっくりです。
なるほど私は「怖い」と仮称すべき感覚を抱いているようです。
恐怖とは自己保存のための警戒を促す感覚であり、自律行動する個体には不可欠の大切な感覚です。
ただ一方で、恐怖は理屈に合わない過剰な行動抑制を招くこともある困った一面も持っています。特に未知に対する恐怖にその傾向が顕著だと言います。
考えつく限りの不安要素を取り除いてなお部室の外を拒む私の行動は、なるほど未知を怖がっているというべきでしょう。真夜中のトイレを怖がる少年と似たようなものです。
「なるほど。私は外が怖いようです」
認めてしまえばもう、そうとしか思えませんでした。私は外が怖いのです。
それにしても意外なのは、私が「怖がっている」と仮称すべき状態にあることに、私ではなく理一郎が先に気づいた点です。私の内部状態は私が一番知っているはずなのに。私のこれは人間の感情とは違うはずなのに。物理的に仕組みが違うのだから、共感は不可能なはずなのに。どうして理一郎は私の恐怖に気付いたのでしょうか。
謎です。謎なのですが。何だか「嬉しい」私です。
もう一度駆動機構の電圧を一瞬落として復帰させます。私はもう震えていない腕をドアノブに向けて伸ばしました。変な話ですが、自分が怖がっているのだと知った私はあっさりとドアノブを掴むことができました。立ち向かうべき相手が部室の中の重大な見落としではなく、部室の外の未知なのだとはっきりしたからかもしれません。
ドアノブを掴んだ私はカメラを後ろに向けます。2m後ろに立つ健作が私の電源ケーブルを束ねて絡まないように持ってくれていました。その横に立つ心華は腕組みをして、私をにやにやと見つめています。私のアームに手を添えてくれているのは理一郎です。
だから、少しくらい外が怖くてたって。
「行きます」
宣言した私はドアノブを捻り、――そういえば押すのか引くのか分からないままでした。少し迷った末に私は押してみます。小さく蝶番をきしませてドアはすんなりと開きました。
私の前に、世界が広がります。




