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はじまりの夏 series 理性か、衝動か  作者: 日蔭野泉


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3-8 ファミレス

 大学へ戻る頃には、空の端が夕方の色に変わり始めていた。


 車から下ろした荷物を、手分けして倉庫へ運ぶ。


「相馬先輩、ちょっと」


 梨沙子が嶺の袖を引いた。


「何?」


 手招きされ、嶺が少し身を屈める。


「小松先輩のこと、もう少し大切にしてあげてくださいね」

「……なんで?」

「……そういうタイプですか」


 梨沙子はため息をついた。


「小松が何か言ってた?」

「何も言わないからこそですよ」

「……あいつ、体調でも悪いの?」

「心の問題です」

「いつも通りに見えるけど」

「無理してると思いますよ」

「……そうなの?」

「言葉や行動で示すことが大事なんですよ!」

「……何を?」


 梨沙子は呆れたように嶺を見た。


「胸に手を当てて聞いてみてください」

「……誰の胸に?」


 梨沙子が思わず吹き出した。


「相馬先輩の胸に決まってるでしょう」

「俺?」

「他に誰がいるんですか」

「なんで俺、怒られてるの?」


 嶺は意味が分からず、思わず笑った。


 ふと顔を上げると、紗良が収納袋を抱えて歩いていた。声をかけようとしたところで、朝倉が駆け寄ってくる。


「日向先輩、持ちます」

「ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」


 紗良が笑って袋を渡した。


 嶺はその様子を見てから、手元の荷物へ目を戻した。


       ◇


 倉庫へ荷物を運び終え、紗良は空になった手を軽く払った。


 片づけが終わりかけたところで、院生の三人が夕飯を食べて帰ろうと言い出し、ほぼ全員が賛成した。


 大学近くのファミリーレストランへ向かうことになった。


 店員に案内されて奥の席へ向かった。人数が多いため、いくつかのテーブルに分かれて座る。


 紗良は千晶の隣へ座った。同じボックスに一年生男子、志乃と梨沙子もいた。


 嶺はみちるに呼ばれ、院生たちのいるテーブルへ向かった。みちるが隣の椅子を引き、吉岡がメニューを回している。


 注文を済ませると、あちこちでキャンプの話をしていた。


 紗良は届いた料理を奥へ回し、空いた皿を端へ寄せた。森田のスマートフォンに付いたキャラクターを志乃が見つけたことから、こちらのテーブルでは漫画の話になった。


 朝倉や三浦も加わり、好きな場面や登場人物について話し始める。梨沙子はいつになく饒舌で、森田と何やら解釈が食い違っているらしかった。


「でも、元カノに告白しましたよね」

「本人は、そっちが恋だと思ってるんだよ」

「いや、普通に本気で好きだったと思いますけど」


 梨沙子が首を振り、森田が笑う。


 紗良もつられて笑ったが、話の内容はあまり頭に入ってこなかった。


 キャンプでのことが、ふとした拍子に浮かんでくる。だが同時に、現実ではなかったような気すらしてくる。


「日向先輩、何飲みます?」


 朝倉に声をかけられ、紗良は顔を上げた。


「私も取りに行くよ。何にする?」


 千晶と志乃が飲み物を頼んだ。紗良はグラスを持ってドリンクバーへ向かった。


 戻ってくると、向こうのテーブルでは嶺が届いた料理を奥へ渡していた。


 座るとすぐ、みちるが袖を引く。顔を寄せて話している。二人の肩が近かった。


 ふいに嶺が顔を上げた。まっすぐ、目が合った。


 紗良は何気なく視線を外し、グラスに手を伸ばした。


 同じ学年で、普段から顔を合わせているみちると並んでいるのはやっぱり自然だった。


 片づけのときも、梨沙子が何か耳打ちしていた。かなり親密な雰囲気に見えた。


 キャンプと来週の夕涼み会が終われば、定期試験や課題、公務員試験の面接に追われる。来年には卒業する。


 もともと、そのつもりだったのだ。


「日向先輩、これ食べます?」


 朝倉が最後の唐揚げを示した。


「ありがとう。でも、朝倉くん食べて」

「じゃあ、いただきます」


 朝倉が唐揚げを取ると、森田が空いた皿を重ねた。


「キャンプって、なんか不思議ですよね」


 森田が言った。


「普段そんなに話さない人とも、仲良くなったりして」

「そうだね。非日常だからかな。普段と違うことしちゃったりするよね」

「帰ったら、元通りですかね」

「ああ、それわかる。現実に戻ると前と同じだつたりするよね」

「大学でも日向さんに話しかけていいですか」


 紗良は吹き出した。


「私の話だったの? それは、もちろん」


 そう答えたところで、千晶が顔を上げた。


 その視線を追うと、嶺がいた。


 ドリンクバーへ向かう途中だったのだろうか。こちらを見ていたが、紗良と目が合うと、何も言わずにテーブルに戻った。


 紗良はグラスを持ち上げた。


 そう。すぐに元に戻る。キャンプは特別だった。嶺も、普段とは違う気持ちになったのかもしれない。


 それを、ずっと続くもののように思ってはいけない。


 そのとき、バッグの中でスマートフォンが震えた。弟の悠馬からだった。


「ごめん、ちょっと電話」


 千晶に声をかけ、紗良は席を立った。


        ◇


 店の外へ出て電話に出ると、悠馬の声がした。


「姉ちゃん、今大丈夫?」

「うん。どうしたの?」

「いや、ちょっと聞きたいことあって」


 大した用事ではなかった。二、三言やり取りして、また連絡すると伝えて電話を切る。


 スマートフォンをバッグへしまったところで、店のドアが開いた。


「日向さん」


 嶺だった。


「……相馬くん」

「電話、終わったんですか」

「うん。弟」

「少し、いいですか」


 紗良が頷くと、嶺はまっすぐこちらを見た。


「さっきの話」

「……さっき?」

「キャンプが終わったら、元に戻るって」


 紗良は少し困って笑った。


「ああ。森田くんと話してたの?」

「はい」


 嶺は一度、言葉を選ぶように黙った。


「日向さんがどう思ってるかは、わかりませんけど」


 その声に、紗良は顔を上げた。


「俺、戻るつもりないです」


 息が止まった。


「キャンプだったから、ああいうことしたわけじゃないです」


 嶺は目を逸らさなかった。


「無かったことにはしないでください」


 紗良は何も言えなかった。


 キャンプだから。非日常だから。普段と違うことが起きただけ。


 そう思っていれば、何も失わずに済むような気がしていた。


「……うん」


 ようやく、それだけ答えた。嶺の表情が少し和らいだ。


「あの。今度の日曜──」


 背後で店のドアが開いた。


「あれ、日向。相馬も」


 院生の岩井だった。片手に煙草の箱を持っている。


「何、二人で密談?」

「普通に話してただけですよ」


 嶺が答えた。


 紗良は一年ほど前、岩井に告白されたことがある。紗良はその気持ちに応えられなかったが、その後も以前と変わらず話す間柄だった。


「あ、日向。そういえば前言ってた料理、聞きたいことあるんだけど」

「あの、アルミホイルのやつですか?」


 岩井が嶺に目を向けた。


「ちょっと長くなるかも。相馬、先戻ってていいよ」

「俺も聞きたいです」

「お前、料理するの」

「しますよ」


 紗良が作り方を説明する間も、嶺はその場を動かなかった。


「日向、家ではどんなの作るの?」

「ハンバーグとか」

 紗良は少し首を傾げて言った。

「へえ。今度作ってよ」

「俺も食べたいです」

 紗良は困ったように笑った。

「……相馬。お前は食べ放題だろ。もう戻れ」

「俺、岩井さんともっと話したいでーす。キャンプであんまり話せなかったし」

 嶺が爽やかな笑顔で答えた。


「お前……」


 岩井は呆れたように笑った。


「……まあ、いいけど。そういえば相馬。みちるちゃんもと梨沙子ちゃん。どっちなの?」


 嶺は真顔になった。


「……何がですか」


 声が低い。


「どっちとも仲よさそうだから。日向はどう思う?」

「え? うーん……」


 紗良は少し考えた。顎に指を添える。


「みちるちゃんは明るいから、相馬くんのちょっと暗いところも明るく受け止めてくれそうだし……」

「……暗い?」

「梨沙子ちゃんは、控えめだけど言う時は言うししっかりしてるよね。相馬くん、結構抜けてる所もあるから支えてくれるかも。どっちだろう……」

「抜けてる……」


「……俺、そんなイメージなんですね」


 嶺の声に、不満の色が滲んだ。


「えっ? 悪い意味じゃないよ。可愛いと思うし」

「……可愛い」


「日向。じゃあ俺のイメージは?」


 岩井が横から口を挟んだ。


「岩井さんですか? うーん……冷静で、抜け目がない感じですかね」

「へえ。そう?」


 岩井は満足そうに笑い、嶺をちらりと見た。


 嶺は岩井を一瞥し、わずかに眉を寄せた。


「……まともに分析しなくていいです」


「そもそも。何でその二人なんですか」

「まあ、みちるちゃんは言わずもがなだろ。さっき倉庫の前で梨沙子ちゃんにも至近距離で耳打ちされて、いちゃついてたじゃん」

「いちゃついてないです。あれ、小松の話ですよ」

「小松?」

「小松が何か悩んでるらしくて」

「何に?」

「知りませんよ。何かデリケートな問題みたいですよ」

「何で梨沙子ちゃんが知ってるの?」

「俺が聞きたいです。胸に手を当てて考えろってなぜか怒られました」

「……お前、何したんだよ」

「何もしてませんよ」


 紗良が小さく笑った。紗良は二人を交互に見た。


「……何か、二人とも楽しそうですね」

「まあね」

「そうですね」


 二人がほとんど同時に答えた。


 岩井が先に吹き出した。


「相馬。お前、いつもはもっと空気読むじゃん」

「いつも通りですよ」

「……分かった分かった。じゃあ、戻るか」


 嶺が店のドアを開けた。

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