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いつもと違う日


 その日、ポルガ村の少女ニナは、いつもと何かが違っていた。

 朝、目覚めた時、ぼんやりと大事な夢を見た気がしたし、朝ごはんの目玉焼きは三つ子だった。

 散歩にでかければ、珍しい色の蝶をみつけて追いかけ、いつもは行かない道を進んだ。

 そして急なお天気雨が降ると、慌てて近くの小屋に入り込んだ。

 

 小屋は古く、歩くたびに軋んだ音が響き、埃が舞う。それは思わずせき込むほどで、暫くの間誰にも使われていないことが伺えた。

 天井を見上げて雨が染みていないのを確認すると、ニナは安堵する。ここで暫く雨宿りさせてもらおうと、小屋の中を見渡した。

 

 そこでようやく、ニナは違和感に気が付いた。

 

 「なんだろ? この扉」


 目の前に、重厚感のある木製の扉があった。淵には繊細な彫刻が施されており、どう考えてもこの小屋には似つかわしくない。

 その上、扉が部屋の中央にあり、後ろには何も接していない。それなのに、不思議とそれが正しく見える、奇妙な扉。

 ニナは扉の周りをぐるぐると回り様子を見た後、そっと扉に触れた。冷たく、すべすべとした感触に指を下に滑らせ、すぐにノブに当たる。

 

 『開けてみたらいいんじゃない』

 

 耳元で誰かが囁き、ニナはすぐに後ろを振り向く。だが、そこには誰もおらず、変わらず雨音だけが小さく聞こえている。

 彼女は頭をかしげながら、扉に向き直すと、自分の手が既にノブに添えられていることに気が付く。

 変だな、そう思っているのに、手を離したくない。無性に、ドアを開きたいと、胸の奥底から欲が湧き上がる。

 6歳になったばかりのニナに、好奇心を止めるすべはなかった。彼女は意を決してノブを掴み、引いた。


 開いた扉の先から、強い風が吹き込んできて、思わず目を瞑る。風がやむと、あたりが静かになり、鳥の囀りが聞こえてくる。

 ふわりと鼻先をくすぐる青臭い香りに、そっと瞼を開くと、目の前には暖かな太陽の光が差し、緑豊かな草原が広がっている。


 一歩扉に近づき、ニナは大きく息を吸う。新鮮な空気を、草花の香りとともに吸い込み、満足げなため息が漏れる。

 その流れで、足を一歩踏み出そうとして、地面すれすれのところで止まる。


 扉の向こうに行っても、大丈夫なのかな。

 戻ってこれないとか、あるのかな。


 ニナは臆病な子供だ。街に出かけたがる子供が多い中、村から一歩も出たことがない。そんな彼女が、この異様な状況に戸惑うのは、至極真っ当なことだった。

 少しの間考え込み、ニナが取った選択は、扉を閉じることだった。名残惜し気に、ゆっくりと、扉の先の景色を目に焼き付けながら。


 

 

 先に行かない、そう選択したのに、どうにも扉のことが頭から離れない。経験したことのない強い好奇心は、ひとりで抱え込むことが、難しかった。

 

 誰かに、扉のことを話したい。


 食事の最中に、ちらりと祖父母に視線をやる。今日入った小屋の辺りは、少し危険な魔物もいるから立ち入らないようにと注意されていた場所だ。話したら、きっと怒られるに違いない。

 ニナの視線に気がついた婆ちゃんは、「どうしたんだい?」と優しく微笑む。

 ニナは慌てて、「なんでもない」と言ってスープを一気に飲み干した。


 翌日、一晩考え込んだニナは、幼馴染のトーチャに話すことにした。

 トーチャはニナのひとつ上の男の子で、元気いっぱいで明るい子だ。同世代のリーダーのような存在で、無鉄砲な部分はあるものの、ニナは行動的な彼を尊敬し、慕っている。

 彼はニナの話を聞くと、あっさりと、扉を開き、一歩を踏み出した。

 彼は扉の向こうで深呼吸をした後、高揚し、赤らんだ顔でニナに微笑んだ。

 一歩を躊躇っている彼女に、「大丈夫だって!」と言って手を伸ばす。ニナは眉を下げて微笑み、扉の先に足を踏み出した。


 

 靴の下に感じる柔らかな土の感触と、足首を撫でる草花が少しくすぐったい。

 もじもじと、その場で足踏みをしているニナを見て、トーチャは笑い声をあげる。そんな彼に笑い返しながら、顔を上げる。

 草原は、どこまでも続いているかのように見えた。背伸びをしてみたが、ニナの低い背では少し先が見えたくらいで、草原の終わりは見えない。

 背中から風が強く吹き、それに乗って、赤白黄色、たくさんの花びらが空を舞う。その光景を、ニナとトーチャは見上げた。

 風がやむと、二人は顔を合わせ、少しの沈黙の後、歓喜の声を上げた。

 ポルガ村には、こんなに綺麗で広い場所はない。感じたことのない解放感に、夢中で走り回った。

 

「端っこまでいくぞ!」

 

 そう叫ぶトーチャに大きく頷き、走り抜ける。必死に、腕を、脚を、動かす。心臓の音が、どんどん大きく鳴っていく、息が苦しいのに、止まりたくない。

 そうしてしばらくすると、少し先に、大きな城が見えてくる。絵本でみた、王様が住んでいるような、高く、美しい城。


 「端っこだ!」


 そうトーチャが叫び、ニナは最後の力を振り絞って、速度を上げる。トーチャに少し遅れ、ニナは草原のはじっこにたどりつく。

 カラカラの肺に空気を吸い込みながら、荒い息を整える。一度喉を鳴らし、その先を見逃さないように、大きく目を開く。

 どうやらニナ達のいる草原が小高い丘になっていたようで、その少し先に先ほどの城と城下町が見える。その周り全てが、ぐるりと高い城壁に囲まれている。


「すごい……」


 思わず言葉が溢れるほどに、それらは大きく、立派だった。特に、城から天に向かって伸びる白い塔は、目を逸らせなくなるほどに、傾斜さえ美しく感じた。

 

「行ってみよう!」

 

 トーチャはそう言うが、ニナは躊躇いがちに彼から視線を逸らし、足先で地面をなぞる。

 

「でも、よそ者なのに、大丈夫かな」

 

 爺ちゃんが、よくよそ者に愚痴を言っていたのを思い出したのだ。いつもは温厚な爺ちゃんが、この時ばかりは青筋を立てていたのが、よそ者という言葉とリンクして、嫌な記憶として頭に蘇る。

 

「大丈夫だって! 嫌な顔されたら戻れば良いじゃん」


 そう言って笑うトーチャに、ニナは悩みながらも、徐々にそうかもしれないと思った。間違ったことをしても、きちんと謝れば許してもらえる。爺ちゃんの言葉を思い出したのだ。

 ニナは足先を地面から離し、トーチャの横に並んで城下町に向かった。

 

 街に着くと、そこは人で溢れていた。

 祭りでもあるのだろうか、昼間から片手にジョッキを持って踊り回る人や、花びらを空に投げる人など、皆喜びを全身で表している。

 左右に延びる露店では、店主が気前よく値引き交渉に応じ、客も大喜びしている。

 宙を仰げば、建物の間から見える青空を飾るように、旗がいくつも吊るされ、風に靡いている。旗に描かれているのはこの国の国旗だろうか、勇ましい蛇が龍に巻き付いている。

 こんなに人が多くて、活気に溢れた場所は初めてで、ニナは面食らってしまい、その場に立ち尽くす。

 トーチャはそんなニナの横を駆け抜け、露店を見て回る。少しの間を置いて、慌てて彼の後を追うと、トーチャはニナに顔を近づけ、囁いた。


「もしかしてだけど、ここの人達、俺らのこと見えてないのかも」

「え?」


 見えていない? ぽかんとしたニナに、彼は「見てな」と言って、露店の前に歩いていき、商品が置かれた棚の上に昇った。

 トーチャの目の前には店主がいる。彼の視線がトーチャに向けられるのを見て、怒られる! そう思い、慌てて目を瞑る。

 だが、いつまで経っても怒声は聞こえて来なかった。

 薄く目を開き、トーチャを見ると、彼は店主の目と鼻の先に立ち、こちらに向けてピースサインをしていた。


「な? 見えてないんだよ。ただ、声は聞こえるみたいだ」

 

 机から降りると、トーチャはニナに耳打ちする。

 そして、また露店に戻ると商品であるリンゴをひょいっとふたつ取ると、そのまま走り去る。

 ニナは慌てて追いかけ、トーチャの腕を引っ張る。


「返さないと! 泥棒だよ」


 そういうニナの横で、しれっとトーチャはリンゴを齧る。


「でも、誰にも見えないんだし、いいじゃないか。うわ! これすごく甘い! ニナも食ってみろよ」


 トーチャは、ニナにリンゴを差し出す。

 リンゴはニナの大好物だ。甘い蜜の香りが鼻をくすぐり、思わず喉が鳴る。


「いままでに食べたことないくらい甘いから! ほら」


 ずいっと目の前に差し出され、おずおずと手を差し出す。手のひらに置かれたリンゴは、ずしりと重かった。

 躊躇いがちに歯を立てると、果汁がじゅわっと溢れる。


「こんな美味しいもの、初めて食べた……」

「本当だよなー。 あ、ほらあっちのも気になるな」

「え、もう、やめておこうよ」

「一個食べちゃったんだから、ばれたらどうせ怒られるよ」


 ニナは、早速リンゴに手を出したことを後悔したが、トーチャが言うなら、そうかなと誘惑に負けた。

 一度食べてしまったことで、タガが外れたように、トーチャは盗みを働いた。串焼き、お菓子にジュース。そうして、ニナは渡されたそれを受け入れた。

 どれもがポルカ村では見たことも、味わったこともないようなものばかりで、二人はすっかりその魅力に溺れていた。


 ――パパパー。

 

 急に楽器の甲高い音が辺り中で響き渡り、人々が列を成していく。

 

「なんだろう?」


 ニナとトーチャも列に並び、人々の視線を追うと、遠くから、立派な馬車と行列が歩いてくるのが見えてきた。


「これって、ぱれぇどってやつかな」


 ニナはぽそりと呟く。行商が持ってきた絵本の中に、王子様とお姫様の結婚パレードというシーンがあった。それに、似ている。

 パレードの人気は相当なようで、人々は少しでもよく見ようと顔を乗り出し、手を振っている。

 馬車の前を歩く白い衣装を着た子供達が、花びらを宙に飛ばしている。

 空からひらひらとピンクの花びらが落ちてきて、その美しさに見惚れてしまう。

 馬車は屋根が折り畳まれていて、金色の縁が優雅に曲線を描いた立派なもので、そこには芯の強そうな美しい女性と、隣には騎士と思われるがっしりとした体型の男が座っている。二人とも真っ白な衣装を着ており、時折周囲に手を振っている。


「すごい、お姫様かな。綺麗……」


 見惚れるニナが、トーチャに話しかけるが返事がない。


「トーチャ?」


 左右を見渡すが、トーチャの姿がない。

 焦ったニナが必死に周りを見渡すと、トーチャを見つけた。

 ゆっくりと進む、馬車によじ登っている彼を。


 悲鳴にならない声を出し、ニナは馬車に近づきジェスチャーで戻るよう促すが、彼は気がついていないのか、気にせず馬車に乗り込む。

 そして、お姫様と騎士の間に仁王立ちで立つと、キョロキョロと周りを見渡し、ニナを見つけ笑顔で大きく手を振った。

 ニナは、少し引き攣った笑顔で、手を振り返そうとした。


 その時だった。


「シロウ」

「はっ」


 お姫様が、騎士の名を呼び、騎士が急に立ちがあった。

 彼の手には大きなランスが握られている。

 何があったのだろうと、ニナは彼をじっと見つめていた。騎士はランスを構え、そのまま突き上げるように、勢いよくトーチャの体を貫いた。

 トーチャの体は宙に浮き、彼は口から大量の吐血をし、びちゃびちゃと血が飛び散り、馬車を赤く染める。

 

 まるで時間が止まったように。周りの音が聞こえなくなり、ニナは呆然とそれを見ていた。

 真っ白になった頭で、ただぼんやりと、トーチャから視線を逸らさずに。


「羽虫が紛れていたか」

 

 お姫様が、蔑むように低い声で呟く。


「だが、異世界人のようじゃないか。異世界人の血は不老不死に効くと聞く。シロウ、これを死なせないようにしろ」

「はっ」


 騎士はトーチャの首を後ろから掴み、ランスを引き抜く。

 トーチャは虫の息で喉からヒューヒューと音を出し、ニナに向かって震える手を伸ばす。彼の表情は恐怖で歪んでおり、助けを求めているのは明らかだった。


「なんだ?」


 お姫様の声に、ニナはびくっと肩を揺らす。


「誰に助けを求めている? まさか、他にも仲間がいるのか」


 衝動的に、体が動いた。

 逃げないと、いけない。そう、本能が働いたかのように。

 列を抜けるため、振り向く瞬間に、トーチャと視線がぶつかった。ニナの表情を見た、トーチャの目が、絶望で歪んでいくのが見えた。

 胸がひどく、痛い。でも、それ以上に、怖かった。

 ニナはその場を走り去った。

 必死に、息を殺しながら。脳裏に浮かぶトーチャの顔を、必死に払いながら。

 そうして、丘に戻り、振り返ることなく扉を開け飛びこんだ。


 そこは、元の古びた古屋の中だった。ニナはすぐに扉を閉じ、祈るように、そのままじっと扉を見つめた。

 シロウと呼ばれる騎士も、誰も、その扉を開かないことを確認して、ようやく息ができた。

 息を整えようと、息を大きく吸うと、小屋の埃っぽさを感じ、安堵する。

 束の間、すぐにトーチャの表情を思い出し、そのまま、その場にへたりこむと大きな声を出した。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 謝罪の叫びは、終わらない。

 涙を流しながら、必死に、祈るように謝り続ける。


 

 私は、トーチャを見捨てた。

 自分の命を守るために。


 

 ニナの声を掻き消すように、小屋の外で雨音が響いていた。

 

 

 

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