蛇の卵 その4
「しかしお前、妙にピーターに拘ってるなあ。あれか、ドナーカードに登録していると、そういう相手が気になるわけ? 何だったらお前が殉職した時、目玉をバロってやる相手は是非ピーターの妹にって推薦でもしてやろうか?」
「馬鹿言え、縁起でもない。それに生体反応の途絶えた死体からは、バロウルできない事くらいお前も知っているだろう。やっこさんに移植治療費が払えるとは思えんし、どうせ何処かの金持ち相手に移植されるのが落ちだ。それと、ドナー提供は良き市民としての、義務だ」
「良き市民とは恐れ入ったなあ。だけどその良き市民ってやつの口が悪いとは、これはまた驚きだあ」
お前も十分口が悪い、とは口にしない。
マークスは黙って最後の聴取相手、ピーターへと近づく。
お目当ての相手はアパート入り口の石段に腰かけて、気を利かせた担当官が渡したのであろうコーヒーを味気なさそうに啜っていた。
「さて、君がピーター君かね?」
「はい、刑事さん。また取り調べでしょうか?」
マークスの抱いた第一印象は、顔の整った青年といったイメージ。女にもてそうな面構えだなと判断するが、すぐにそれを否定する。
清掃業者の制服なのだろう、オレンジの作業着の上半身を剥いで、両袖の部分を腰の位置で括った状態で座り込んでいるのだが、外見をざっと一瞥すると二の腕部分がまばらに日焼けしているのが見て取れる。
スキンケアに気を使っていない証拠だ。おそらくファッションに関しても、着れればなんでもよかろうの精神なのだろう。
袖の長さが違う服を着回している。肌の焼け具合がグラデーションになっているのは、明らかにウケが悪い。
ヘアスタイルも実に適当感が満載だ。流行り以前の問題で、顔に対して似つかわしくない。
もうちょっと金をはずめばピッタリの髪型に変身できるだろうに、勿体ない。
馴染みの店を贔屓にしているのか、値段の安さで選んでいるのか。
どちらにせよ、素材は悪くないのだが、本人の意識の低さで価値を下げているとマークスは判断した。
俺だってもうちょっとは気を遣うぞ――マークス、謎の上から目線。
だがこういった着飾らない素直な姿でいるからこそ、素朴さと善良さが眩しく映ってとれる。
きっと全盲者の目玉交換取引なんてものを持ち掛けても通報されずにいられる理由が、そこにあるのだ。
普通だったら、間違いなく通報されてるもんなあ。
計算づくか偶然かは不明だが、奇跡的なバランスの上で成り立っている。
見事な奴だ。
ここまでほとんど五秒と掛けず、分析の第一段階を終える。
「何度も同じことばっかり尋ねてしまって悪いけど、もう一度最初からお願いできるかい?」
少し下手に出た口調で質問をしてみる。
さあどう出る? マークスは挑戦的な視線をピーターに向けた。
だが、予想していたよりもピーターの説明は滑らかで、淡々としながらも細かい描写まで丁寧にしてくれた。
あまりにも動揺が見受けられないものだから、マークスの方こそ驚いたくらいだった。
いやはや、参った。隣に佇むヴィンセントも舌を巻く。
確かにここまで冷静でいられると、死体にビビッちまった奴からすれば恐怖そのものに映るだろう。宇宙人か冷血な吸血鬼に見て取れるのも仕方のない話だろう。
最初からこいつとだけ聴取してればよかったとマークスは後悔する。
ピーターの説明だけで状況が十分に見て取れた。むしろ変なバイアスが掛かってしまい、うっかりピーターを軽く疑ってしまったもんだから、結果的にヴィンセントに方針の指示権を任せるハメになってしまった。
これで八勝十四敗。
年下の相棒に指示権の奪い合いを負け越していて、マークスは地味に凹んでいた。
「じゃあ、もういいよ、解散。聞きたいことも一通り聞き終えたし、帰ってよろしい。おつかれ」
気のない言葉を最後に、他の同僚と相談せずに勝手に解放する。
ピーターを疑ったのは取り越し苦労だった、しかしこれから何を調べるべきか。
次に手を付けるとしたら何処からにするかとマークスはヴィンセントに尋ねようとする。
そのタイミングで後ろから割って入ってきたのは、ピーターの声だった。
「あの、刑事さん……」
「ん……? なんだ、まだ何かあるのか?」
振り向いた矢先に息を呑む。
ぬらぬらと濡れた両目が、妙な熱を孕んで向けられている。
大人しい少年と思っていた相手から突然発せられる妙な剣幕に、マークスの呼吸は一瞬止まる。
果たしてピーターが口を開くと――
「眼球、見つかるといいですね」
「は……?」
的外れなねぎらいの言葉。
それだけを告げると、ピーターは軽くぺこりと頭を下げて帰ろうとする。
マークスは言葉にもできない倦怠感に包まれながら、それを見送る。
危ない奴だな。ピーターへの認識をもう一度改めた。
完全に魅入られていやがる。あんな剣幕じゃあ、誰もバロウルなんてしてくれるはずがない。
音を立てない様に慎重になりながら、マークスはハッカドロップを舌で転がす。
「こういう時、普通見つかって欲しいのは、目玉の方じゃなくて犯人の方じゃねえか……?」
「そう言うなよマークス。妹のこともあるし、そっちが気になるんじゃないか? もしくは、冷静なように見えても、死体を発見したことで動揺してたとか」
その可能性は非常に低いな。マークスの刑事勘が囁いた。
あれはそういう類の人間じゃなくて、魔物か何かに取りつかれた人間の視線だった。
だが――ため息を漏らす。
「いずれにせよ、あいつはシロだな。被害者の目玉の件を勘違いしていやがる」
「あっ……! 言われてみればあいつ、目玉は生前に潰されていたというのに、盗まれたものだと勘違いしてたな」
マークスが指摘するとヴィンセントは初めて気が付いたようで、口を覆って驚きの声を上げる。
してやったり――とは、流石のマークスも考えなかった。
狂人を理解しているような気分にさせられるから、出来ればおのれでも気づきたくもない着眼点だったようだ。
しかしそれはそれとして、マークスは指を一本立てる。
「もう一つ気づいたことがある。さっきのドナーカード云々の話題だが、死んだ人間からはバロウルできないって部分だ。被害者は生きたまま目玉を潰されたが、その後視神経を引きずり出される間も、おそらく息が続いてたと思われる」
「う、うわぁ……。そんな気味の悪い予想、よく思いつくなあ」
それこそ褒められてもうれしくない。
マークスは苦虫の代わりにハッカドロップをかみ砕いた。
午後五時を過ぎた頃、ようやく被害者の身元が判明した。
名前は、アベル・キャラダイン。あるいはカイン・キャラダイン。
郊外に一人住む三十二歳の男性で、双子。病院の通院履歴から特定に至る。
身体的特徴の差が乏しく、兄或いは弟であるかの断定は不可能。
現在、どちらかの身元は不明の状態。
いずれかの兄弟が殺人の犯人あるいは関与、もしくはいまだに死体が発見されていないか、犯人に拉致監禁されているものと判断し、捜査を続行す――……




