プロローグ
時は魔法の概念が存在する中世期後半、ある時を境に”魔物”と呼ばれる存在が表れ始め世界が混乱状態に陥ってから数百年。国々は互いに協力し合い、人類は元の平和な世界を再び取り戻すことに成功した。そんな世界で一人の女は過去を呪い、今を生き続ける。
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帝都は今日も平和だ。だが騒がしく人通りの多いエリアから離れるとそこにはスラムがあり、様々な社会の闇が淡々と存在する。
少々高価な装飾品を身にまとった黒髪の男は路地裏に入ると鞄からフード付きのコートを取り出し羽織った。周りには多くの貧民が地面に寝そべっていたりある者は怪しげな袋を吸い快楽に浸っていたり様々だ。
そしてしばらく歩いたところで彼は足を止め、目前に立つ一人の男性に目を移した。
『黒カフェ』
男性は銀製のヤカンを手に取りカウンターの端でコーヒー豆の入った紙袋へとお湯を注ぎ込む。すると彼はこちらに気が付いたようでこちらへにこやかに微笑む。
カラン、カラン
ドアの鈴が鳴りフードを被った男はカフェの店奥へ向かった。カウンターで珈琲を入れ終えた男性はフードを被った男、ではなくその背後に座るスーツ姿の男のテーブルにコーヒーカップを置いた。
「琥珀君、遅刻だよ? 待ち合わせ時間に君が来てくれることは最後までなかったようだね」
穏やかな声を発し彼は微かに微笑む。しかし店内へ入ってもなおフードを被ったままの琥珀は「たかが二分だがな」と、反抗的に言う。すると彼は一息つきマスターが先ほど持ってきたティーカップを手に取り一口飲むとゆっくりと溜息を吐いた。そして、
「少しこのやり取りが寂しく感じるね」
彼はそう名残惜しそうに言うが、琥珀は少しも彼と同じようには思っていないように見える。二人は背中合わせのテーブル席で会話をしているからなのか目の前に会話相手がいない分、二人の視線は机や自分の膝上にある。
「本当に辞めてしまうのかい? 僕は君と二人ならば幾らでも上へ行けると思うのだがね...。」
彼はそう言いながら今回琥珀に渡す報奨金の入った封筒を年季の入ったこげ茶色のビジネスバッグから取り出し、そっとテーブルの上に置いた。すると
「喜さん。俺は暗殺者にはやはり向いていない。すまないが俺は先に足を洗わせてもらう」
と、琥珀言い、席を立った。そして暗殺の際依頼人が取ってこいと要望していた物を入れた小包を喜さんのテーブル上に置き、その隣にある封筒を手にして「感謝する」と一言告げてカフェを出た。
暗殺業とは所詮こと程度だ。出会いも別れも淡々としている。まるで通りすがりに出会った友人と別れるような感じで。
琥珀は今まで自分が行ってきた暗殺稼業の数々を思い出しながらなんとなく歩むように黒カフェから離れていく。そして過去を思い出していたからなのかふらふらと路地裏を歩いていると小汚い服を着た一人の男が勢いよくこちらに向かって突進し、通りすがりに琥珀の左ポケットに入れた財布を抜いて走り去っていった。
スリ。周りで横たわっていたスラム街の住民は今の出来事を誰もがそう解釈した。そしてこうも思った。”当然だ”と。彼のようにふらふらとしていたりおどおどとこの暗いスラム化した路地裏を歩いていればスリに遭うのは寧ろ当然なのだと言える。そしてそのスリを追いかけたとしても「お前が頼りない顔して歩いているのが悪い」と言われるのは明確なことだ。
だが、琥珀は少しも気にはしない。何故なら先ほど琥珀にぶつかって走り去っていった男は琥珀の取引相手なのだから。そう。先ほどの男もプロなのだ。誰もが当然と思いただのスリとしか思えない素振りを見せた彼は琥珀に突進した瞬間、袖に仕込んでおいた封筒を誰の目に付くこともなく琥珀の鞄の中へと滑り込ませ琥珀が用意した報奨金だけを入れた左ポケットの財布を抜いて去っていったのだ。
琥珀は鞄を手で自然な仕草で以前より強く押さえ、ひと気の無い場所へ行くと鞄の中に入った二つの封筒を開け覗いた。一つの封筒は先ほど喜さんから受け取ったものであり中には依頼通りの金額と彼からの気持ちだろうか、紐に通された如何にも琥珀が好きそうなルビーの装飾が施されたリングが入っていた。琥珀は何の抵抗もなくそのアクセサリーを首にかけた。そしてもう一つの封筒には冒険者証明書と書かれたカードが入っていた。
『Dランク』
それが琥珀の冒険者証明書に記載されていた冒険者としてのランクだ。琥珀は次になる職業は冒険者と決めていた。しかし彼が手にしたDランクというランクは冒険者全体からして見てかなり低いランクに位置する。通常、冒険者というものは13歳になればFランクだが一応、証明書を受け取ることができる。そしてSランクからFランクへとランクで冒険者の強さが格付けされている冒険者ギルドの中で琥珀のように二十歳を超えてもなおDランクである者はよっぽど実力や魔力の無い者でなければ決して在りえないランク、つまり琥珀は冒険者として活動し始めたとしても最初の依頼は恐らくスライムや良くてゴブリン狩りのような弱い魔物に限られる。通常、冒険者はすべての依頼を完璧に熟したとしても特例を除いて凡そ半年はランクをもう一ランク上へ上げるのに必要なのだ。だから暗殺者のように過去のデータが全て消去された者は身に似合った実力と同等の冒険者を暗殺し、証明書を手に入れる。だが、そこには大きなリスクがあり、当然彼らは自分の拠点とする国から遠く離れた他国出身の冒険者から証明書を手に入れるのだが冒険者はその名の通りさまざまな場所へ旅に出るため顔見知りは少なくなくその冒険者の名のままなのだから身元がバレてしまう可能性は十分にある。
しかし、琥珀の冒険者証明書は数年前より琥珀の本名と年齢で他者に登録させたものであるため安全であり身代わりとして琥珀という名で育ててきた身代わりの村人は数人確保してある。勿論、それらの人間が死ねば他に用意した架空の存在でありながらも国に村人として申請した無人村人の名を買えばいくらでも逃げ道はあるのだから身よりを聞かれた場合は国に申請したものと同じことを言えば何一つ疑わしいものは出てこない。
だが念には念を。琥珀は暗殺者であり依頼提供者である喜さん以外とは会ったことは無く暗殺稼業にて誰かに見られたことも一度たりともない。だが喜さんがいる限り、彼を信用していないわけではないが万が一のため、彼と琥珀が暗殺稼業の拠点としていたこの国を琥珀は離れることにした。
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「旦那、日が暮れてくるからそろそろここらで野宿しましょう。あと少ししたら平坦な場所に着くはずですぜ」
琥珀を旦那と呼ぶ御者はそう言い、馬車の速度を遅め始めた。彼は穏やかな顔をした御者であり服装は町でもよく見かけるいわゆるおじさんファッションだ。しかし農業や牧場で働きやすく、汚れても気にしなくていい程度のややダボっとした村人と比べれば生地の質も良く流石は帝都都内の御者というべきだろうか。暗く錆びた印象を持つスラム街の中でもとびっきり治安の悪い区間の路地裏にある住宅の一室で住んでいた時、ベランダから日常的に通りすがる路地裏の通行人と比べればそれはとてもかなり裕福な服装に見える。勿論、帝都全体からすればこの従者の服装は普通なのだが。
と、そんなこと何気もないことを考えていると突然、爆音が鳴り馬車は急停車した。
すると。
「旦那! 大変でっぜ!」
従者は慌てて馬車から飛び降り、必死に馬車から馬に繋がる紐を解き始めた。
「ちっ、どこから火を放ってやがる。。。」
御者は何者からか襲われている苛立ちを表しながら急ぎ馬をと馬車との縄を解き、彼は何も言わずして琥珀を馬車の中に残したまま馬に乗って去っていった。そう。外の状況を一切説明せず、しかも馬車を引いていた二匹の内一匹だけの縄を解いて走り去って行ったのだ。
「どういうことだ。。。」
いつもながらに非常事態であっても一切慌てることなく状況を確認しようとする琥珀は馬車から降りるとその瞬間、隕石のような燃えた物体が琥珀の降りた場所からすぐ手前の地面に直撃した。そして隕石が落ちてきた方角の空を見上げるとそこには5人のフードを被った者たちが浮かんでいた。
「あっちゃー! 外しちゃった~! でもさっきのは凄かったよね!?」
女とも男とも聞こえるような中性的な声を発する一人はそう言いながら背後に控える四人の者たちを見る。するとその後ろに控える一人が「お見事です」とささやかな声で言うと
「だよね~!? あのヘッドショットは凄かったよね!」
若干、うるさいくらいに彼、または彼女は「凄いよね!?」「やばいよね!?」と何回も背後の者たちに問いかけながらも琥珀には決して気を許していないのが琥珀には理解できた。暗殺者であれほどまでに派手な魔法と仕草を見せる者は珍しい。そして彼女からは駄々洩れた殺気というものが伝わってくる。暗殺者はいくら笑っていようが楽しそうな風にしていたとしても常に心は冷静であり冷酷。いついかなる時でも暗殺目標と接触する時があれば必ず殺す。それは暗殺者にとって当然のことでありだからこそ何をしていても暗殺者の目は凍えるような感情が表れる。
ところで、彼はどうしたのだろうか?と、琥珀は周りを見渡すが先ほどの従者の姿は見えない。馬で駆けって行ったのだから見えないのは当然といえば当然だがここ周辺はかなり遠くの方までは身の丈程の草木は存在しておらずいくらなんでも彼が姿を消すには早すぎると琥珀が周りを見ていると一頭の馬が背中に火を灯して、正確にはその馬は背後に付いた火を慌てて消そうと地面に背中を擦り付けながら転げまわっていた。恐らくは先ほどの従者が見当たらないのは上空の何者かが言っていたヘッドショット、つまり隕石が彼の頭に直撃したことによって今どこかで彼の体は引火により燃えているのだろう。まあそんなことはどうでもいいのだが。
「君たちは誰に命令されて俺を襲うように?」
琥珀はそう浮遊している者たちに問いかけると
「言うわけないじゃない。あっ、そういえば貴方、元暗殺者らしいわね? 今回はちょっと楽しめそうかも!」
と、先ほどから騒いでいた一人が答えた。どうやらあれは女のようだな。かなり自分の腕に自信があるようだが都合が良い。
微かに嗤い琥珀は腰から短剣を抜くと強く足を踏み込み次の瞬間には琥珀の日本の短剣には赤い液体が流れており、浮遊している者たちの背後で立っていた。
「なっ...!」
すると上空に浮遊していた者たちは一斉に地面へと叩きつけられ、女は声にもならない苦痛の篭った叫びを出し、もがいていた。だがその他彼女の背後で浮遊していた4人は叫ぶことなく地面で倒れこんでいた。
彼らはもう死んでいる。だから声も叫びも発さない。それに頭の天辺から下まで待っ直線に切っているのだから体はピクリとも動かない。
「えっ...どういう」
唯一生き残った女はそう小さく呟き腹に触れる。するとそこからはどす黒い赤と具が漏れ出し彼女は察する。私も彼らのように体を斬られたのだと。
トス、トス、トス、トス
「で。君、誰からの依頼なんだ?」
琥珀はにこやかにそう問いかけた。
その時、彼女は今日ある男からの依頼を思い出していた。暗殺依頼の内容は聞いたこともないような暗殺者の暗殺。彼女は生まれてからというものずっと裏の世界で生きてきた。時には金稼ぎに、時には自分より強い者を探して、時には暇つぶしに暗殺稼業をこなしていた彼女は裏の世界のほぼ全てを知り尽くしていると言っても過言ではない。勿論、彼女より強い者は多い。だが彼女と同等、もしくはそれ以上に強い暗殺者の裏の顔は勿論、表の顔も彼女が知らないはずはなかった。だからかこの依頼は正直、暇つぶし程度にしかならないと思っていた。何しろ目標は彼女の知らない暗殺者だったのだから。
「あっ、えっと。 聴こえるか?」
琥珀は若干、残念そうに彼女頭を持ち上げながら耳にそう問いかける。
すると
「聞こえているわ。依頼主は喜という男よ」
と、女は答えた。そして琥珀はそれを耳にして残念そうな悲しい顔から穏やかな顔になり、琥珀は再び腰から短剣を抜き、ゆっくりと彼女の首を完全に切り落とした。
「やはり喜だったか。それにしてもこの子完全に死んだかと思ったわ。。。」
そう琥珀は言い、ほっとした顔で彼女の所持品を漁り始めた。琥珀は彼女を斬った時、残念そうな仕草を見せたがそれはもちろん、彼女が死んだのではといった不安からなる感情であり依頼主を知ることができた琥珀からすればもうそこにあるのは女の見た目をした物質でしかない。彼女は助かりたいがために彼女の依頼主の情報を吐いたのだろうが別にそれはどうだっていい。琥珀にとって大事なのは誰が自分を狙ったのかを知ること。それだけだった。だから殺した。




