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決戦・4

―準備はできているな、チィ?

―まっかせてよ! チィなら1人でやっちゃうから!

―コンビネーションを忘れちゃ駄目よぉ。少なくとも、今はねぇ



 メアリの足取りは、覚束ないものだった。

 彼女が盲目であるからではない。全体、この聖域の森など、杖代りの大弓が無くても平気な程に歩き慣れているし、里への道筋も完全に記憶している。だが、さっきから立て続けに響いてくる雷鳴と、鼻が曲がりそうなくらいの悪臭のせいで、感覚が上手く働かないのだ。

 そして、それ以上に。


「うう……こ、こわい……こわいよう……」


 足がもつれそうになる。歯の根が鳴り止まない。弓を握る手に、力が入らない。

 恐怖だ。圧倒的な恐怖が、メアリの全身を重く包んでいる。

 

 ナインと別れたすぐ後のことだった。メアリの鋭敏な感覚は、何者かの気配を察知していた。

 それは、あまりにも大きな“食欲”の塊。そして、ほんのちょっとの“ある感情”。まるで幼子のように純粋で、しかし野獣のように狂暴なその欲求は、メアリを。それどころか、この世界のすべてを貪り喰らってしまいそうな勢いで、そこいらじゅうにまき散らされていたのだ。


―いやだ、死にたくない! 食べられたくない!


 まとわりついてくるような恐ろしい気配から逃れたい一心で、メアリは杖代わりの弓を、ほとんど箒のように乱暴に振るいながら歩いていた。

 発生源は、ナインたちあらいんの城があるという、山の方だった。彼は詳しく話してくれなかったが、きっと何か酷いことが始まろうとしているに違いない。あるいは、もう始まっているのか。だからこそナインは、逃げろと言ったのだ。


「は、はやく。はやく、離れないと……」


 草に足を取られかけ、張り出した木の枝に頭をぶつけそうになりながら、どうにか進んでいくメアリ。

 音や臭いは、一層強くなっている。今までに経験したことも、師匠から教わったこともない、まったくの異常事態だった。


 そのときメアリは、不意にまた別の気配を感じ取った。 

 一帯を埋め尽くすような、ねっとりとした重苦しさの中から、とても真っすぐな思いの力が漂ってくるのが分かる。慣れ親しんだこの感覚は、間違いない。


「兄さん!?」

「まさか、メアリか!?」


 まさに気配がした方向からかけられたその声に、メアリは思わず安堵の溜息をもらした。

 森人の頭領、コンフュシャスだ。少し弱々しいが、他にも数人分の気配を感じ取れる。きっと里の戦士たちだろう。

 縋るような思いで駆け寄ると、逞しい2本の腕がメアリの細い身体を包み込んでくれた。肌を通して伝わってくる確かな温もりは、メアリの胸中を満たしていた、得体の知れない何かへの恐れを吹き飛ばしてしまう。


「無事で何よりだ。お前の師匠は? 一緒ではないのか」


 コンフュシャスに問われ、そこでメアリははたと思い出した。逃げるのに精一杯で、完全に失念していたが、あの人は無事なのだろうか。


「お、お師様は、その。用事があるとかで、町の方へ」

「……そうか。まあ、仕方がない」


 言いながらコンフュシャスは、メアリから離れる。途端に、再びの不安に駆られ、メアリは問いかけた。


「なにがっ、何が起こっているのです!? いったいこの騒ぎは!?」

「悪いが、話している時間はない。あの若者に言われてきたのだろう? お前はこのまま、里へ避難しなさい」

「え? そ、それは……」

「今あちらでは、術師が総出で護りを固めているところだ。無能人の軍隊やドラゴンが相手でも、一月は持ちこたえられる程の結界を張り巡らせている」

「しかし、よ、よろしいの、ですか?」


 少しだけ冷静になったことで、メアリはある事実に思い出す。

 ナインに言われるがままに、そして恐ろしい雷や異臭に追い立てられるようにここまで来てしまったが、本来メアリは、森人エルフたちから追放された身だということだ。コンフュシャスとナインらの間を取り持つという役割のおかげで、数度は里へ踏み入ることを許されたが、それはあくまでも特例中の特例のこと。今のメアリに、“まっとうな”森人エルフと同等の資格があるとは思えない。


 しかしコンフュシャスはメアリに、というより、その場の全員に対して力強く言った。


「構わん。他の同胞たちと同じように、お前のことも護ってやると決めた。頭領として、そして兄としてな」

「えっ……!?」


 メアリと、そして周囲の戦士たちが息を呑んだ。コンフュシャスのその発言は、極めて異例だった。

 森人エルフの社会は、大自然の中で生きるということに完結している。無能人や鉱人ドワーフ、それに鬼人ハーフ・オーガのように、土地を開いて住みよい環境にするという考え方が無い。それはすなわち、弱肉強食という最も単純な世の理に従うということだ。

 

 弱きを淘汰し、強きを生存させる。


 その考えに基づけば、里にはメアリのような不具を受け入れる余裕はないだろう。このように差し迫った状況ならば、なおさらだ。


「で、ですが、ですが。とても酷いことが、起きるのでしょう? きっと、それこそ、多くの命が危険に晒されるような……」

「その通りだ。あの山にな、邪神デーモンが来ているのだと」

「で、邪神デーモンが!?」


 メアリは仰天した。成程、それならば、ナインやコンフュシャスの態度にも、そしてこの騒ぎにも納得がいく。


「我らは森と共に生き、森と共に死ぬ。だから何が起ころうと、生まれ故郷であるここを離れることはしない。そして命ある限り、この森を護るために闘う。そこには勿論、お前も含まれて然るべきだろう」

「わ、私も、です、か? 里を追放された、私も?」

「いかにも左様。私たちは神ではない。そしてそれ故に弱き者を護り、救うべきなのだ」


 メアリの肩に、温かいものが触れる。コンフュシャスの手だ。それは正しく、メアリを救ってくれた漢と同じ、大きく、優しく、力強いものだった。

 だが。少しだけ、震えてもいた。


「いいな、メアリよ。お前は逃げろ。できるだけ速く、な」


 そう言ってコンフュシャスが、メアリの脇を通り過ぎて行く。その後には、戦士たちが続いた。足音を聞く限り、彼らが向かおうとしている先は、どうやら里とは反対側のようだった。

 嫌な予感を覚えたメアリは、即座に一行を呼び止めた。


「に、に、兄さんたちは、これからどうするのです!? ま、ま、まさか」

「この森を護るために闘うと言ったであろう! 例え相手が邪神デーモンだとて、むざむざと聖域を穢させるつもりはない!」


 まるで自分自身を鼓舞しているかのようなその台詞に、戦士たちが『応!』と続いた。


「では、さらばだメアリ! 達者でな!」

「にいさん……」


 遠ざかっていく足音を聞きながら、メアリははっきりと理解した。コンフュシャスの、森人エルフの頭領としての強い責任感の裏に、どうしようもない程に膨れ上がった恐怖が隠されているのを。


―そんな。そんなに怖がっているのに、それでも闘うというの……?


 追いすがることもできず、メアリはただ、愛用の大弓をぎゅっと握りしめる。

 邪神デーモンに対抗しうるのは、神やその眷属たちだけだ。人の身でその領域に踏み入ろうなど、正気の沙汰ではない。そしてコンフュシャスたちは、それをよく理解している。その上で、死地に赴こうとしているのだ。


 同胞を護るために。メアリを護るために。

 それならば……


「わたしは……兄さん……」


 メアリのか細い呟きは、一際大きな爆音によってかき消された。







 “貪食”は―“貪食”自身に、そのように呼ばれていることを知る故などなかったが―理解しかねていた。

 激しい光と衝撃。続く少々の痛みと、それから痺れ。空を舞う矮小なる者どもの扱う珍妙な力は、“貪食”にまた新たな体験をもたらしてくれた。しかし結局のところ、何の意味があったのかは分からない。

 “貪食”を傷つけるにしても、その進行を妨害するにしても、力も量もまったく足りていない。まさかあれで抵抗しているつもりではないのだろうし、だとすれば何だったのか。あるいは意志疎通コミュニケーションの手段の一種なのかと考え、真似てはみたが、結果はこれである。


 “真似る”。

 それは、もう数えきれない程に繰り返してきた、“貪食”による意思表示だった。矮小なる者どもの姿を。行為を。現象を模倣し、接触コンタクトを図ってきた。だが奴らは、いずれも真っ当な反応リアクションを返そうとしない。残念ながら、今回もまたそうだった。

 やはり“貪食”の他に、意志ウィルをもつ者は存在しないのだろうか。


 観察を止め、“貪食”は視線を落とした。まだ何かをするつもりなのかと待ってはみたが、奴らは空の彼方へと去っていくだけのようだ。

 それならば、もうどうでもいい。全体、食したところで味も栄養も薄そうなので、これ以上執着する理由がないのだ。

 それよりももっと旨そうな、“貪食”の力になりそうな者は、地上で群れている方だ。


 巨大な鼻をヒクつかせ、匂いのもとを探り当てる。

 あれだ、あの食用に適さない物質で形成された、直角だの円錐だのの立体物の集合。その中から、一等食欲を掻き立てる存在を感じ取れる。あの“桃色”を食せたのならば、きっと“貪食”はまた一つ上の領域へと至れる筈なのだ。


 “貪食”は、ゆっくりと歩き出した。窪地となった周囲の地面からは、無数の鋭い針のようなものが張り出しているが、特に気にはしない。この程度で“貪食”の進行を止めることなどできないし、たとえ踏ん付けても、大した傷にもなりはしないのだ。

 大きな足を上げ、そのまま振り下ろす。


 ぼがんっ!


 突如、地面で爆発が起こった。ただの岩の塊だと思っていたものが、勢いよく“貪食”の足を貫く。

 かつてない程に増大した自重を、たった2本の棒切れで支えていたものだから堪らない。バランスを崩し、あわや転倒するというところで、どうにか踏ん張る。

 直後、前方からまたもや強い光が放たれる。先ほどの“びりびり”するものとは違う。“貪食”でも貪ることのできない、恒星に似た力のもち主だ!


「うおおぉぉぉりゃあぁぁぁっ!! 好機到来っ!!」


 突っ込んできたのは、よく見知った高エネルギー体、“白”だった。いつも“桃色”の傍に控えていて、“貪食”に突っかかってくるヤツである。

 咄嗟に左腕を伸ばし、ほとんど片膝立ちの様になって、“白”の身体を受け止める。


 ずどぉん、ばぎぎぎぎっ!


 小さな小さな拳骨が、“貪食”の巨大な身体を、わずかばかりに地上から跳ね上げた。チビのくせに、物凄い力だ。食べたとしてもまったく栄養にならないので、こちらとしては相手をしてやるつもりはないというのに、どうしてか毎回邪魔をしてくる嫌なヤツだ。

 右腕を頭上高くに振り上げる。引っぱたいて、棘だらけの地面に叩き落としてやろうと、力を込めた。


「させませんっ!」


 また、別の光が走った。同時に右腕に衝撃が走り、黒い体液が迸る。

 周囲を見渡すと、歪な形の棒切れをもった何かが、“貪食”の周りを飛び回っている。今ほど逃げ出したひらひらした者どもと同じ、“鳥”と似た存在だ。だが、やはり旨そうではない。できればこれ以上、構わないで欲しいのだが……

 しかし、意志無き者どもに、“貪食”の思いが通ずるはずもなかった。


「行きますよっ!」

「応よっ!」


 “白”と“鳥”が、“貪食”にまとわりつくようにして飛行をし始めた。振り払おうとはするが、一方が正面に回ると、もう一方が後ろからという具合に、絶妙な連携で“貪食”の腕を躱してしまうのだ。そうして隙を見ては、“貪食”の身体の至る部位を殴り、切り付けてくる。

 いずれも大した傷にはならず、すぐに再生してしまうが、さすがに煩わしい。せっかく匂いを追ってここまで這ってきたというのに、またぞろ“桃色”に逃げられてしまうというのは、望むところではない。


 ならばと“貪食”は、新しく背中に生やした翼に力を込めた。あの“びりびり”を真似するために、今まで食してきた者たちの遺伝子情報から見つけ出した、特殊な『発電細胞』である。これを使えば、きっと奴らと同じくこいつらも……


「させるかぁっ!」


 絶叫と共に、背後で地響きが起こる。振り返ればそこには、背負っていたはずの翼が、無残にも地面でびくびくと蠢いているではないか。そしてその直上には、薄っぺらい板切れを抱えた、また別の矮小なる者が浮いている。


―なんだろうか。ああ、いったいなんなんだろうか


 自身を取り囲む、小さくも力強い存在たちに、“貪食”は困惑したように身じろぎをした。

 “貪食”にとって、自身以外のすべては理解しかねる存在だ。だから結局、ただ食べてやることしかできない。

 だが今だけは、少しだけ。

 ほんの少しだけ、“貪食”の中に芽生えたものがあった。










―あなたたちは、いったい……?


 

―さっきの落雷でエレベーターが止まっちまった! 屋上まで、もうちょいかかるぞ!

―時間稼ぎ……必要……

―私たちも出ますわ!

―ええぃ、ドスの奴はまだか!?

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