決戦・2
―…こちらトリー。……配置に、ついた
―同じくセーミ! 配置につきましたわ!
―私もよぉ。ところで、ドスはまだかしらぁ?
頭上高くに開いた孔から、真黒き汚泥が流れ落ちてくる。
どろどろと勢いよく、まるでひり出される排泄物のようにして。
この世界の誰であっても。それどころか、この宇宙の誰であっても。あの光景を直視した者が発する形容の言葉は、たった1つだけだろう。
―本当に。なんて、なんて『汚らしい存在』なのかしら
遥か空に顕現した同位体1号“貪食”の、その醜く悍ましい姿を見上げながら、“タムたち”はそう思っていた。
すでに分身体総勢130名は、城を離れて山の至るところへ潜んでいる。同じく散り散りになったトリー、フィーア、セーミらに付き従っているのだ(ドスだけは少し遅れているようだが、もう間もなく到着するとのことである)。
スィスの精霊による結界も二重三重と張られており、あの汚泥を逃すことも、被害を外界に広げることもない。
“貪食”の侵攻の速さという唯一の誤算はあったが、事態はほぼ計画の通りに進んでいると言えるだろう。
だというのに。
恐怖と怒りによる震えが、止まらない。
おおよそ8カ月前の敗走。己の分身体の半分以上を貪り食われてしまったときの、あの苦痛と屈辱が蘇ってくるようだ。団への奉仕者としての責務を果たせず、あまつさえ新入りのナインに、団長の護衛という重責を肩代わりさせてしまうという大失態。
「今日こそは、その汚名を雪いでみせます……」
そう小さく呟きながら、タムたちは“武器”を握る両手に力を込めた。
右手には短剣。左手には突撃銃。頭にはヘルメットとゴーグル、そしてガスマスク。いつものワンピースとエプロンのセットは、武骨な戦闘服に置き換わっている。いずれも団の技術によって製作された一級品だ。
剣にはフィーアによって魔法的な力が添加されているし、銃の方はピャーチの知識を基に、威力・連射性能・取り扱いのし易さの全てを高いレベルで実現して製造した。服装に関しても、耐刃、耐弾、耐衝撃、耐熱……化学薬品から放射線、果ては魔法的な呪いすら防護が可能な代物だ。
普段は団のメイドとして、団員たちの身の回りの世話や城の管理に精を出す彼女であったが、今では戦闘員としてのもう1つの姿を。否、本性を、完全に現していた。
「あ……?」
奥歯を噛み締めながら見つめていると、“貪食”に向かって何かが一斉に群がっていくのが分かった。未だ地上からは距離があるため、小さすぎて目視でははっきりとしない。だが、陽光を反射しながらひらひらと舞う白い姿から、その正体にはおおよその見当がつく。
「天使どもか」
傍らから低い声が上がる。団員ナンバー6にして、今回の計画の立案者であるスィスだ。30名からなる護衛のタムらの輪の中で、同じく空を見上げている。
「宜しいのですか、スィス様」
老人の、その実に落ち着いた顔を見つめながら、タムの1人が訊ねた。
計画では、件の同位体13号らを含めた天上の軍勢である天使たちは、残らず彼の指揮下に入る予定だった。しかしあの動きは、彼らだけで攻撃をかけるつもりのように見える。
「あれでは無謀です。団員の皆さまですら、倒しあぐねているというのに……」
「構わん。もとよりあの連中が、我の指示に大人しく従うとは思っていない」
タムの懸念を余所に、スィスが淡々と答える。その口調にも表情にも、怒りや苛立ちといった負の感情は一切浮かんでいない。と、言うよりもむしろ……
「むしろ、あれでいい。途中で離反されるよりは好都合だ」
「そんな!? それでは、初めから彼らを信用していなかったのですか!?」
「それは、お互い様というやつだ。現に奴らがこうして先走っているのは、我らを。というよりも、我を信じられないからであろうよ」
「しかし……ならばせめて今からでも、攻撃の中止を呼び掛けては」
「聞くものか。所詮我らは、この名も無き世界では異物に過ぎん。それこそ、奴らにとっては“貪食”となんら変わらん存在なのだからな」
「それでは、この計画そのものが立ち行かないことになってしまうのではありませんか」
タムたちが、ぎょっとしながらスィスを見つめる。
全体、この『“貪食”殺処分計画』は、団と名も無き世界の守護者たちの力を結集することで、初めて実現可能となったものだ。だがスィスは今、その戦力の半数を見捨てようとしている。
これでは、前提から崩れてしまうではないか。
すると、スィスが言った。
「問題はない。最も当てにできる実力者の協力は、すでに取り付けている」
「実力者? それは、アリシア様やルイン様のことなのですか?」
それ以上、スィスは答えなかった。ただその表情からは、感情の色がいっそう薄まったように思える。それはこのスィスという人物が、自身の胸の内をことさらに明かしたくないときの癖であった。普段はそうでもないが、何か後ろめたい秘め事があるときなどは、気心の知れた相手、仲間である団員などに対してすらこうなってしまう。
この期に及んでこんな態度を取られてしまうと、燻っていた不安がまた膨れ上がってしまう。この老人は、此度の勝算について非常に高い見積もりを出していたが、ひょっとするとそれは団員に向けた宣伝に過ぎないのでは……
「案ずるな、タムよ」
スィスが顔を下げ、タムの方を見つめながら言った。
「我らは必ず勝利する。無論、お前や団員たちを使い潰すことなく、な」
「……はい。申し訳ありません、スィス様」
胸の内を看破され、タムたちは即座に首を垂れた。奉仕対象である団員に対し疑心を抱きかけてしまったことに、酷い罪悪感を覚えてしまう。
全体、この老人が必要だと判断したのならば、初めから直接的に『団のために死ね』と命じてくることだろう。それをしないということは、この事態も彼の予測の範疇でしかないからだ。
だとすれば、勝利という結果は揺るぎない。タムは、ただそれを信じて戦うだけだ。
タムたちが決意を改めたそのとき、ふと頭上から強い光が差した。
再び見上げてみると、天使たちの手に輝く棒状の何かが握られている。光の源は、あれだ。
「いよいよ始まるぞ。総員、警戒しろ」
スィスが、ペンダント越しに団員たちに呼びかけた。
その直後、天使たちが“貪食”に向かって棒を投げつける。それらは、ぶよぶよとした黒い体表に深く突き刺さっていき、耳をつんざくような音を立てながら激しく明滅しだした。
ぴしゃぁぁあん!
ごろごろごろごろっ!
断続的な閃光と、腹に響く重い音。あれこそは、まさに“奇跡”と呼ばれる雷の力だ。
「すごい……」
邪悪なる存在に果敢に立ち向かう、荘厳ながらも荒々しいその姿に、思わず感嘆の声が漏れる。それはまるで、絵画や御伽噺で表現される一場面だった。
凄まじい威力なのだろう。糞尿を火にかけたような、酷い悪臭が漂ってくる。“貪食”の身体が、電撃によって焼かれているのだ。耐生物化学兵器用のガスマスクを通してすらこれでは、生身のままでいる団員たちや、それこそ今まさに至近距離で戦闘している天使たちは、相当に辛いに違いない。
だが、天使たちが攻撃の手を緩める様子はなかった。全方位から“貪食”を取り囲み、次から次へと雷の槍を投擲する。団員たちもかくやとばかりの容赦のなさだ。
―これならば、きっと……!
タムが淡い期待を抱きかけた、そのときだった。
浴びせかけられる電撃に耐えかねたように、空中にある“貪食”が、その巨体をのたくらせたのだ。
ぎ あ あ あ あ あ あ あ あ っ ! ! !
天使たちの放つ雷鳴をかき消してしまうような、凄まじい声量のいななきが響き渡った。背筋どころか魂までもが冷え切ってしまいそうなその悍ましさに、タムたちは堪らず耳を塞ぐ。
と同時に、上空の孔からの汚泥の流出が、ピタリと止まった。そして、巨大な1粒の黒い水滴のようになって、大地に落下し始めた。
前回の、環状の世界で出会ったときよりも、明らかに体積が小さい。
「効果があったのでしょうか?」
「……いや、違うな。密度を増したのだ」
そう答えてから、スィスは素早く何かを呟いた。どうやら、下僕の精霊に命令を放ったらしい。間髪を入れず、タムたちが立つ大地が小刻みに震え出す。そしてタムたちの眼前にある、“貪食”が落下するであろう地点が、見る間に“べっこり”と、まるでボウルのように大きく深くへこんでいった。
落下の衝撃によって、“貪食”の身体が一帯に飛び散ってしまうのを、防ぐつもりなのだろう。スィスのその目論見の通り、黒い汚泥は山頂にできたカルデラのど真ん中に、叩きつけられるように落着した。
どがぁぁぁぁあんっ!
地響きと共に、悪臭が一段と酷くなる。
タムたちがたたらを踏む中、上空の天使たちが追撃をかけようと、巨大な地面の穴に殺到していき……
むくり
そのとき、“貪食”が、起き上がった。
無数の眼球が蠢く頭部に、2本の腕と2本の足。大きな大きな人の形をした闇が、あの時と同じように起立したのだ。
否。少しだけ。
ほんの少しだけ、違う。
その闇の巨人の背中には、まるで一対の翼のようなものが……
「まさか!?」
「ほほぅ、今度は天使の姿を真似たか」
驚愕するタムたちを尻目に、スィスが愉快そうに言う。
だが真似たと言うのには、あまりにも歪で醜い。何せ翼のように見えるそれは、夥しい数の針の集合体だったからだ。
長い針の先から新たな針が生え、そのまた先から新たな針が生え。びくびくと脈動する気味の悪いそれらは、以前に何処かの世界で見た『ヒトデ』という海中生物にそっくりであった。
「大地の精霊よ!」
突然、スィスが叫んだ。するとまた、地面が小刻みに振動を始める。
見ていると今度は、人の背丈をゆうに超えるような、巨大な針が生えてきたではないか。それも1本や2本ではない。タムたちの間を縫うように、そして山中を覆いつくすように、びっしりと林立しだしたのだ。
揺れが収まった頃、スィスが静かに言った。
「総員に次ぐ。“避雷針”より距離をとれ。身をかがめ、目と耳を塞いでおけ」
そしてすぐに、自身が言った通りに両手で耳を塞ぎながら、片膝をつく。
理由を考えている暇などない。それだけは、直感的に理解できた。
数体がスィスに覆いかぶさり、残りも命令に従って身をかがめる。
直後。
閃光。
次いで、轟音。
……否。
そんな生温い単語では到底表現できないような、常軌を逸した光の爆発が起こった。先程の、身の毛もよだつような悲鳴すら凌ぐ振動により、大地どころか世界の全てが揺さぶられたような感覚に陥る。
頭が痛い。
視界がぐわんぐわんと揺れる。
耳も良く聞こえない。
酷い吐き気で、倒れそうだ。
―い、今のはいったい……?
混乱しつつも、タムの分身体たちは懸命に意識を共有する。
取り急ぎ、団員たちの安否を確認……問題無し。
次に、自身の身体状況を診断……体内の“気”の流れに若干の乱れがあるだけ。
最後に、現状の把握……もうすぐ、視覚と聴覚が回復する……!
比較的に回復の早かった個体から立ち上がり、ゆっくりと“貪食”の方を顔を向ける。
針の林の向こうには、ぼんやりと立ち尽くす闇の巨人の姿があった。その背中にある翼からは、ばちばちと火花が散っている。
それに加えて、巨人の周囲に展開していた天使たちが、煙を上げながら墜落していくのが見えた。
……火花。堕ちていく天使たち。“避雷針”。
では、先ほどの爆発のような何かは、まさか。
「……電撃だというの?」
間違いない。前回の、あの環状の世界での撤退戦の最中に、本来“貪食”が忌み嫌っていた筈の炎の力を操ってみせたのと同じように。
今度は、天使たちの奇跡の力を真似てしまったのだ。
「やはりだ!」
タムたちに支えられて立ち上がりながら、スィスが叫んだ。その顔に、初めて強い表情が浮ぶ。それはこの惨事にはまったく似つかわしくない、笑顔だった。
その口の端を目一杯に釣り上げ、歯を剥き出しにした凶悪な笑みから、タムは今度こそ敬愛すべき主人の感情を読み取った。
彼は、歓喜しているのだ。
『“貪食”よ、今日こそお前を滅ぼしてやるぞ』、と。
―んおぉ……すんごい雷だぁ……
―アリシアさんがお怒りなのかなぁ? ……ヒック




