決戦・1
―赤毛のぉ! 飲んどるかぁ!?
―飲んでますぞぉ、ドス殿。ところで、着信音のようなものが聴こえますが? テレフォンですか?
―気のせいじゃぁ、気のせい! そらそら、もう1杯!
ナインが『“貪食”来襲』との急報を受けたのは、メアリの住居でのことだった。
最近は、森人との交渉の場に彼女を同席させる機会がめっきりと減っていたが、様子を見るという名目で毎朝顔を出すようにはしていたのだ。今回は、その習慣が幸いした。
「ど、ど、どういうことなんですか?」
「とにかく急いでくれ。1人で森人の里へ行くんだ」
「えぇ!? そ、そんなっ」
メアリは驚いたようにぶんぶんと首を振る。
全体、人付き合いが苦手な性分であるところを、無理をしながらナインに同伴してきたのだ。それなのに、単身で森人らのもとへ赴けと言われれば、強い心理的負担を感じざるを得ないだろう。
ナインとて本心では、この憐れな娘をあんな差別的な連中のもとへ行かせたくはない。だが“貪食”との戦闘が始まれば、そんなことも言っていられないのだ。
ノーリからの連絡によれば、すでに“貪食”の出現した位置を中心にして、封じ込め作業が行われているらしい。手筈では、スィスが使役しているという精霊だか何だかの力によって、山をすっぽりと覆う様な巨大なドームを形成するということになっていた。
それでもって、“貪食”の逃走と、戦闘による余波を防ぐということだったが……世界を喰らう化け物を相手に通用するかは甚だ疑問だ。念を入れて、非難させるに越したことは無い。
森人の里とて、距離的にはさほど山から離れてはいないが、それでも森人の術師による結界とやらで守られているぶん、多少はマシである。
ナインは少女の細い両肩に手を置き、諭すように、しかし強い口調で言った。
「里に着いたら、何が何でも頭領に取り次いでもらえ。それで、匿ってもらうんだ」
「で、で、でも、私だけでは、きっと……」
「大丈夫だ、話はついてるよ。ヤツなら、分かってくれるさ」
コンフュシャスには繰り返し警告はしてきた。結局、この森から退去させることは叶わなかったが、非常時にメアリを保護してもらうことだけは約束させている。きっと他の同族たちはいい顔をしないだろうが、何にしてもまずは命を守ることが先決だ。
本当なら、彼女のお師匠様とやらもセットにする筈だったのだが、朝から大切な用事があるとかで、町に出かけてしまっているらしい。こちらは、もうどうしようもない。ここから町へは、軽く20㎞以上。“貪食”の出現位置である山の頂上付近からは、30㎞近く離れている。巻き込まれないことを祈るしかない。
「で、で、でも、いったい、何故なんで、すか?」
「悪いが、説明してる時間は無いんだ」
「な、な、なにかっ、よくないことが?」
「……いいから、ほら。早く行けよ」
怯えたような表情になるメアリに、ナインはただそう返すしかなかった。
あの恐ろしい汚泥の化け物について正確に説明できる自信はないし、出来たとしても悪戯に恐怖心を煽るだけだ。
そうやって問答をしていると、スーツの内ポケットから軽い音が響いた。団員の証である、ペンダントから発せられたものだ。城からここに来るために使用した、“瞬間移動”機能のクールダウンが終了し、再使用が可能になったことを知らせてくれている。
ナインはメアリから手を離し、即座にペンダントを引っ張り出した。そして、行き先を会議室に設定する。城へととんぼ返りするにしても、悠長に玄関から入っていく訳にもいかない。いつだったかのように室内を荒らしてしまうかもしれないが、この際眼をつぶろう。
「俺も、もう行かなけりゃならん。いいな、メアリ。身一つでいいから、お前もすぐに動くんだ」
「……は、はい……」
なおも納得のいかない様子のメアリだったが、ナインの剣幕に圧されるように不承不承頷いた。
勘の良い彼女のことだ。きっと碌でもない事態が進行していることに、気が付いていることだろう。
不安そうに大弓を握りしめる森人の娘を見て、ナインはふと思いついたように言った。
「心配するな。全部済んだら、きっと“良いこと”があるさ」
「い、いいこと、ですか?」
「ああ。楽しみにしておきな」
キョトンとするメアリに、精一杯の笑顔を向けてやる。まったくガラでは無いし、全体、盲目の彼女には分かる筈も無いのだが……なんとなく、そうしてやりたくなったのだ。
ばしゅんっ!
転移は滞りなく、一瞬で完了した。目的地である会議室に到着した途端、ナインは軽い眩暈を覚えて床に膝をついた。
このペンダントの“瞬間移動”機能は非常に有用だが、使用直後の環境の変化に身体が対応しきれないことがある。今のように、高地に移動したことで低酸素状態に陥ってしまうのがそうだ。
軽い頭痛に眉をしかめていると、頭上から声がかかる。
「遅いですよ、ナイン! この緊急事態に!」
見上げれば、仁王立ちをしながらこちらを睨みつける団長様の姿があった。ナインが連絡を受けてから5分と経過していないが、だいぶ苛立っている様子だ。
「……スマンね。ちょいと、野暮用がありまして」
ナインは形ばかりの謝罪を返し、よっこらせと立ち上がった。室内を見回してみると、そこにはノーリ以外の気配がない。巨大な円卓の上には、まだ朝食で使った食器類が残されたままであった。
「他の連中は?」
「もうとっくに現場に向かっています。ドスだけは、何やら立て込んでいるようで、少し遅れそうなんですが……」
「はぁ。ってか、姐さんたちまで行っちまったのか? 全員?」
「ええ。今回は余裕がありませんので、彼女にも無理をさせることになってしまいます」
アラインのナンバー8であるタムは、複数の分身体を形成できるというその異能を生かし、常に団長のノーリに張り付いている。その護衛のための人員すら投入するとは、かなり切羽詰まった感じだ。
「まだ準備も半ばってところだったからな。出し惜しみはしないってとこか」
「ええ。そういう訳ですので、“私たち”も闘いますよ」
「闘うって……、お前が前線に出張ったら不味いだろ?」
ナインは仰天したように言った。
確かにノーリの戦闘能力は、軍人として鍛えたナインをすら凌ぐものである。だが、この団においては戦力に数えることすらおこがましいレベルのそれだ。使える魔法とやらだって“世界渡り”だけなのだし、役立たずのナインと一緒に城の奥に引きこもっている方が良いのではないか。
否、他の団員らへの負担を考えれば、むしろその方が最善だ。ナイン自身、ものすごく虚しい気分になってしまうが。
しかしノーリは、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「違いますよ! 屋上の“アレ”を使うんです!」
「“アレ”を? しかし、まだ未完成の筈だろ?」
「ええ、確かに未完成です。だからこそ、私たちの力が必要なんです」
「どういうことだよ?」
するとその折、またペンダントが鳴動した。今度は通信機能の方だ。ナインとノーリが同時にその機能をオンにすると、声が響いてくる。スィスのものだった。
『その通りだ。そしてそれ故に、貴様たちの働きが必要となってくる』
「爺さんか? しかしアレは、ピャーチの領分だろ。なんで俺やノーリが……」
『詳しくはピャーチに聞け。もう準備をしている筈だ』
「あ、ああ。分かったよ」
『屋上へ行け。10分以内だ』
それきり、通信は切れてしまう。口調こそいつもの通りだったが、何処かあの老人らしくない、妙な圧力を言葉の裏に感じ取れた気がした。彼はあの同位体1号に対し、思うところがあるようなので、そのためだろうか。
「とにかく、急ぎましょう」
「あ、ああ。そうだな」
訝りながらも、ナインとノーリは小走りに会議室を跳び出した。そして長い廊下を進んでいき、突き当りにあるエレベーターに跳び込む。向かう先は、勿論屋上だ。
扉が閉じ、エレベーターが上階に向かって動き出したところで、ナインは口を開いた。
「俺らが何の力になるってんだ? 情けねぇが、俺らじゃぁ足手まといがいいとこだぜ」
「私にもさっぱりで……ピャーチが言うには、あの“切札”の力を発揮するには、私たちが必要なんだそうです」
「分からねぇな」
未だに防衛兵器の残骸で溢れかえっている屋上では、ピャーチがあるものを建設中なのだが、それはまだ完成には程遠い状態だ。だが、あの義体野郎が必要だと言うからには、ナインとノーリが直接行かねばならないのだろう。
となると……
「なぁ、ノーリよ」
「何です?」
「確かめておきたいことがあるんだ。例の、神サマからのご褒美の件」
降って湧いた幸運だった。
首尾よく“貪食”を滅ぼすことができたのならば、この世界の守護者である同位体14号アリシアから、『願いを1つ叶える』という話がついている。結局その内容については未だに結論が出ていないが、団員すべての願いをあまねく叶えられない以上、必然的に権利者が選定されることになる。
ならばこの場合、その手段としてもっとも相応しいものがあるではないか。
「当然、今回の作戦で活躍した奴の願いが優先されるべきだよな?」
「それは……まぁ、そうかもしれませんね」
ノーリは、まるきり関心の埒外のことのように言った。まるで、今の今まで完全に忘れていたとばかりの態度だ。否、実際にそうだったのだろう。
―妙だな。てっきりコイツなら、叶えて欲しい願いがあると……
ただ、それならそれで構わない。競争相手が減って、むしろ好都合だ。
そんなことを考えていると、ノーリが前を向いたまま、聞き返してくる。
「それならば、ナイン。貴方には」
「何だよ?」
「貴方にはあるんですか? その、叶えたい願いが」
「ああ、あるよ。……まぁ、自分のためってわけじゃあないがな」
「えぇ? それじゃあ、誰の為です?」
ノーリが、驚いたようにナインの方を向いた。そしてそのまま、じっと見つめてくる。特に邪な感情が籠っているようには見えない。純粋な疑問から訊ねてきているようだ。
ナインは少し逡巡してから、答えることにした。
「……死ぬほど頑張ってる奴はさ。報われるべきだと思うんだ」
そう。
だからこそナインは、あの偉そうな神々に叶えさせたい願いがある。救われるべき者を救わせるために。報われるべき者に報わせるために。
すると何を勘違いしたのか、ノーリが慌てだした。
「え? え? そ、それじゃあ、まさか、その」
「あぁ? 今度は何だよ」
「いえ、その。お気持ちは嬉しいんですがね。私は、自分で努力して勝ち取りたいと……」
「何の話をしてるんだ?」
「え? だってナインは、私のために願ってくれると言うんでしょう?」
「……何を言ってんだ、お前」
顔の前で両手を合わせてモジモジとしだした少女を眺めながら、ナインは深いため息をついた。
いったい何を勘違いしているのか。何故ナインが、この我がまま女のために、貴重な神サマのご褒美を使ってやるなどと思うのか。自意識過剰にも程がある。
するとノーリは、頬を膨らませ、眼を釣り上げた。
「んなっ!? だったら誰の為だって言うんですか!?」
「そりゃ……」
「誰です!? 早くおっしゃい! さぁさぁさぁ!!」
そう言いながらノーリが、鼻息も荒く詰め寄ってくる。この状況で、なんとまあ緊張感のない娘だろうか。無視してやりたいところだが、しかしこのまま“貪食”との決戦に臨むわけにもいかない。
悩んだ挙句、ナインは恥ずかし気に言った。
「……メアリのためだ」
「メアリ……って、あの森人の娘ですか?」
「ああ。あの娘に、な」
「……随分と気にしてるようですが。ひょっとして、惚れましたか?」
ノーリが、何故か唇を尖らせながら言う。
「違う。ただ……」
「ただ?」
「その……あんまり不憫でな」
メアリは、先天的な全盲だという。生まれながらに、大きなハンディキャップを背負ってきたということだ。お師匠様とやらの助けがあったにしても、彼女が人生の半分も生きない内に味わってきた苦労や苦悩、そして苦痛は、想像を絶するものだろう。
歩くこと。
食事をすること。
着替えをすること。
文字を読んだり書いたりすること。
弓を射ること。
そのどれ1つを習得するのにも、この世界における一般的な森人より、多大な労力と時間を要したに違いない。ときにはきっと神を恨み、肉親を呪い、そして死を願うことすらあっただろう。
別に正義感を気取るわけではないが、苦しんできたであろうメアリは、救われて然るべきだし、報われて然るべきだと思えてならないのだ。
「ナイン……でも、それは……」
「何だよ? 何か問題でもあるのか?」
妙に突っかかってくるノーリに対し、軽い憤りを覚えながら睨みつけてやる。ノーリはなおも何か言いたげな様子で口をもごもごとさせていたが、やがて諦めたようにエレベーターの扉を見据えた。
ただ一言だけ、こぼすように言う。
「それは本当に、彼女にとって必要なことなんでしょうかね?」
―んぉぉ? 何じゃ、仲間からの連絡じゃぁ。スマンのぉ、赤毛の。ちぃと野暮用じゃぁ……
―おお、行ってきなされ。私はここで待っていますゆえ……




