名も無き世界・16
―100キロ以上はいくじゃねぇーか! 無理に決まってんだろ!
―ひ弱ですねぇ。私なら、片手で“いなふ”ですよ
―……マジで?
森人の里との交渉が開始されてから、10日が経とうとする日の朝。団員らの集う道場は、うだる程ではないにしても蒸し暑く、気分の悪い環境となっていた。外ではごうごうと雨が降りしきり、時折遠方で光が瞬いている。酷い天気だ。そう言えば、何日か前もこんなことがあっただろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、ナインは荒い息をつく。汗のせいで身体に張り付いてくるワイシャツに、軽く舌打ち。今日もこれから外回りだというのに、これでは堪らない。早いところシャワーを浴びて、着替えてしまいたい。
そんな風に苛立っていると、“頭上”から少女の声がかかる。
「もう限界ですか? あと10回ですよ」
表情は見えないものの、例のドヤ顔を浮かべているのは容易に想像できる。そんな、少々の優越感を滲ませる声音。
“振り落し”てやりたい衝動を懸命に堪えつつ、ナインは「まだまだ」と短く答えた。そして歯を食いしばり、両腕に力を込めながら全身を深く沈み込ませる。
あと9回。だが背中に乗っかっているが重い。膝が笑っている。腹も痛い。なんの、いま少しの辛抱だ。
「ふん! そんな調子じゃぁ、使い物にはなりそうにないな!」
またもや頭上から声がかかる。やはり表情は見えないが、きっと先の人物と同じように、腹の立つようなドヤ顔を浮かべていることだろう。ナインは絞り出すように「うるせぇ」と応じ、腕を動かし続ける。あと8回、7回。
全体、今はナインの個人的な鍛錬の時間なのだ。コイツらに邪魔をされるいわれはない。
「まぁ、そう言うてやるな。素養はあるし、何より本人にやる気があるんじゃ。伸びる余地は十分にあるじゃろ」
ナインの胸中を代弁してくれるかのように、新たな声が上がった。重く、腹に響くそれは、師範であるドスのものだ。するとそれに続いて、また四方から次々と言葉が飛んでくる。
「……気長に……鍛える。……大器……晩成」
「こんな基礎的なことをしているようでは、いつまでかかるか分かったもんではありませんわよ」
「そうねぇ。チィちゃんの肩をもつワケじゃないけどぉ、こんなことやってて使い物になるのぉ?」
「手っ取り早く強くなるには、技術的なことよりもこっちの方がええのよ。俺の師匠も同じことを言うとったわ」
『ナインの場合、再生能力“だけ”は目を見張るものがありますから。この種のトレーニングは、丁度良いと愚考します』
「……“だけ”ってのは、余計だ……」
ナインを囲んで好き勝手なことを言う連中に向かって、なけなしの体力を振り絞りながら負け惜しみの言葉を吐く。……5回、4回。
実際、ナインとて今更“こんなこと”をするのは不本意である。だが、ドスの指導者としての知識には説得力があったのも確かだ。
ナインの不死性の象徴たる再生能力は、代謝能力を極端に高めた結果として起こる現象の1つだ。本来なら治癒に時間がかかるような傷であっても、体内に必要な栄養素があれば、たちどころに治癒してしまう力である。
ならばそれが筋肉の損傷に対して働く際には、筋肉増加を引き起こすメカニズムである、“超回復”として働いてくれるのではないか。
そんなドスの目論見から課せられたのが、この極シンプルな鍛錬。
“筋力トレーニング”である。
「……2回……1回っ! ぐおぁっ!」
既定の回数まで達したことにより、やせ細っていた気力の柱がぽきりと折れる。その拍子に、『腕立て伏せ』によって持ち上がっていたナインの身体が、重力の枷に捕らわれて床に墜落した。
ごどんっ!
ナイン一人の体重ではとても出せないような、重く鈍い音が道場に響き渡る。それもその筈、ナインの背中には、二人の少女が腰を下ろしていたのだ。
「やれやれ、やっと終わりましたか」
「この程度でくたばってるようじゃ、やっぱりノーリの護衛なんて無理だな!」
「無茶苦茶言いやがって……」
少女とは言え、自重に2人を加えてのウェイト・リフティングを敢行したというのに、散々なお言葉である。
重みが消えたのを確認すると、ナインはごろりと仰向けになった。するとナインの両脇に立って見下ろしてくる、そっくり同じ顔が2つ。団長たるノーリと、その守護女神であるチィだ。そしてその周囲には、他の団員たちとジーグまでもが勢ぞろいしていた。
ナインがドスの指導の下でいくつかの筋力トレーニングに勤しんでいると、何のつもりか1人、2人と見物しにやってきて、結局全員が集合してしまったのだ。
「何でここに集まるんだよ。お前ら暇なのか?」
「暇なのよぉ、実際ねぇ」
ナインの皮肉に対し、フィーアが肩をすくめて事も無げに言う。
「鉱人たちとの交渉は完全に頓挫したしぃ、遊びに行くにも“神サマ”が怖いしねぇ?」
「うむ。何度か接触してはみたが、結局信用を勝ち得ることはできなかった。残念なことにな」
と、さして気落ちした様子も無くスィスが言う。彼はここ数日、護衛のチィを伴って天上におわす偉大なる神々、すなわち同位体であるアリシアやルインとの接見を行っていた。半壊した城の防衛設備を修復するために必要な資材の調達、そのための助力を乞うたのだが、結果は彼が言うように芳しくなかった。
「件の森人の里にあるという希少金属の情報で、あの初接触での“粗相”に対するエクスキューズとするつもりらしい。更なる恩寵を期待することはできんな」
「まったくもう! 神様とは思えませんわね!」
セーミが子どもっぽく頬を膨らませる。すると、それを聞いていたタムが。否、タムに乗り移っている神々の1人であるジーグが、申し訳なさそうに言った。
「そう先輩方を責めんでやってくれや。あの方々も、なかなか苦労されておられるんでな」
「でもねぇ。過去に何があったかは知らないけど、あたられる私たちは堪ったもんじゃぁないわぁ」
「……いい……迷惑……」
「いや、本当に申し訳ない。先輩方に代わって謝らせてもらう。これ、この通りに」
ツッコミを入れられ、哀れっぽい表情で頭を下げるジーグ。どうやらエクスキューズを求めているらしいが、実に俗っぽい。日頃の行いもそうだが、やはりこの男も偉大な神の一柱とは思えない存在であった。
「まあそんな訳でして。皆して暇を持て余しているんですよ」
「だからって俺のところに来るかぁ?」
そばに控えていたタムたちからタオルやらドリンクやらを受け取りながら、ナインが口を尖らせる。
暇だなんだと言うノーリたちではあるが、しかしあの同位体たちから完全に外出を禁じられている訳では無い。現にナインや他の数人は、現地人であるメアリと共に森人の里へ何度か足を運んでいるのだ。それに聞くところによればスィス老人も、とある女性のもとへ足しげく通っているそうではないか。
要は、あの天使様の逆鱗に触れるようなことをせず、節度をもって行動していれば何の問題もないのだ。だのにわざわざナインの鍛錬の場に訪れるというのは、解せないことであった。
「そう言えば、こないだもそうだったよな。ノーリと組手をさせられたときもぞろぞろと……」
「そりゃあ勿論。ねぇ?」
「……うん……」
「まあなぁ」
「ふむ」
過半数の団員たちが、一斉に意味深な目配せをし出した。ぽかんとしているピャーチ、セーミ、ノーリを除き、うんうんと頷き合う。何故か彼らは、ナインとノーリを交互に見やっては薄ら笑いを浮かべている。
「ち、チィは認めないぞっ!」
訳が分からないでいるナインと他数名を尻目に、突然チィが激昂した。そしてノーリよりもさらに真っ白な指を突きつけながら、ナインを罵り出す。
「こんな役立たずになんか、ノーリを任せておけるもんか! ノーリより弱っちくて、ノーリより根性無しのくせにっ」
「んがっ……」
「おまけにノーリみたいにお肉を食べられないし、ノーリみたいに可愛くないし、汗でべとべとだし!」
「……」
ナインは黙って眼を釣り上げた。若干、というかかなりピントがずれてはいたものの、気にしている部分を指摘されて頭の奥が熱くなる。未だ超回復中の身体に鞭打ち、ゆらりと立ち上がってから思い切り顎をしゃくり上げると、ノーリのそっくりさんを見下ろしてやる。
「団への貢献ってのは、何も戦闘力だけのハナシじゃぁねーだろ? 確かに俺ぁ弱いかもしれないが、お前と違って闘う以外のこともできるんだぜ?」
団員たちが『また始まった……』とでも言いたげな顔をするなか、全身全霊で挑発をし返すナイン。そう言えば、この娘と初めて会ったときのいざこざも、この世界の同位体との遭遇で雲散霧消していた。ここいらでひとつ、ナインの団における存在意義というやつを教え込んでやらねばならない。
「ふん。ひょっとしてお前、チィには闘うことしかできないって思ってないか?」
「違うってのかよ?」
「違うな、全然違う。チィはこの城を支えている。この城は、チィのおかげで動いてるんだ。文字通りにな」
「ほほぉ、皿洗いのバイトでもできるってのか?」
あの同位体1号に続き、天使と拮抗したその力は確かに見事だ。だが、いかにも幼い言動から、知的な活動は不得手と見える。つまり、ナインのようにオツムを使う仕事はできないに違いない。できたとしても、荷物運びが精々だろう。
などと思っていると、ピャーチが突然割り込んできた。
『彼女の言ってることは本当ですよ、ナイン。この城が機能しているのは、彼女のおかげです』
「どういうことだよ?」
『チィ様は、この城にエネルギーを供給しておられるのです。一応、緊急時のためにサブの動力源も備えておりますが、メインは彼女です』
「……はい?」
斜め上かつ意味不明な解説をされ、ナインは間の抜けた表情になった。
「いや、言葉の意味が分からん。何をどうやってコイツが城のエネルギーを賄ってんだ。走って発電機でも回してるのか?」
『具体的に申し上げますと、今この場におられるチィ様は化身でして。本体は、城内中枢の縮退炉の中で、疑似ブラックホールに化けておられるのです』
「すまん、ますます分からん」
『では、さらに詳細に。……マイクロブラックホールの周囲に降着円盤を成型し、投入した質量からエネルギーを抽出、その後に重力制御に必要な分を差し引いた余剰電力でもって……』
「いや、もういいから。凄いことだけは分かったから」
不穏かつ専門的な用語を羅列され、ナインはピャーチの機械仕掛けの口を塞いだ。
ふと視線を正面に戻せば、眼の前では真っ白けの少女が腰に手を当ててふんぞり返っているではないか。無性にそのほっぺをつねり上げてやりたい衝動に駆られるが、返り討ちに遭うのが関の山なのでぐっとこらえる。
―クソが。戦闘以外の分野でも負けてるのかよ……
頭脳労働かどうかは分からないが、城のライフラインを支える程に重要な働きをしているとなれば、ナイン如きでは到底太刀打ちできない。だがそれにしても、ブラックホールに化けるだのというのは、さすがに色々と問題があるのではなかろうか。
世界を渡る超魔法を行使するノーリもそうだが、つくづくこの団には無茶苦茶な存在がそろっているらしい。
「はははは! どうだっ、思い知ったか!」
「クソがあぁぁ……」
もはや比較することすらおこがましくなってしまい、なすすべも無くくずおれるナイン。嘲笑と憐みの視線を浴びながら、がっくりと肩を落とす。すると、見かねたようにノーリが声をかけてきた。
「そんなに気にしないでくださいよ、ナイン。彼女だって、最初から大活躍をしていた訳では無いんです」
「……え、そうなの?」
ノーリがこそこそと近寄ってくると、ナインの耳に手を当て、ぼそりと呟く。
「私たちがこの世界でこの城を見つけたときには、ただの廃墟だったんですもの」
―僕はスペック上、約300キロまでリフトすることが可能です
―頑張れば、ピャーチよりももっと持てますわ!
―内緒よぉ。うふふふ……
―儂はまぁ、通常時では5トンってところかのぉ
―チィはね、チィはね……
―いや、もう分かったから。勘弁してください




