名も無き世界・10
「いやぁ~、駄目じゃ駄目じゃ! 全っ然っ駄目! 聞く耳もたず!」
会議室内に響く野太い声に、自席につくナインは顔をしかめていた。団員ナンバー2である武人のドスが、ビール瓶を片手に真っ赤な顔で喚き散らしているのだ。
「酒が好きな種族じゃと言うから、せっかく土産を持って行ってやったというのに! 『味に深みが無い』じゃと? あのクソ鉱人どもめ!」
そう言ってビールを喇叭飲みしてから、瓶を握りしめた大きな拳を円卓の上に振り下ろす。ドスンという腹に響く振動とともに、食器類がかちゃかちゃとぶつかり合った。
一応今は夕食の席であり、ドスのこのような狼藉は咎められるべきなのだが、しかしそれをしてくれるであろう仲間たちはこの場に居ない。それどころか、逆に同調する愚か者の姿があった。
「オッサンの方も駄目じゃったか! お互いに成果無しじゃのぉ!」
同じく顔を赤らめながら、ふらふらと巨漢に近寄っていく女性が1人。タムの身体を乗っ取ったジーグだ。こちらはワインのボトルを左手に持っている。
「応よ。あの連中、タムがこさえたワインをこき下ろしたばかりか、厭味ったらしく自分らの酒の自慢を始めたんじゃ! 悔しいことに、どれもこれもが美味くて美味くて……」
「まあ、そう気にすることはねぇぞ。なにせナインも、まったく成果なしじゃったからな!」
「そうかそうか、そっちも駄目じゃったか! まあ気にするなよナイン。人生てな、試練があってこそ面白いもんよ」
「うるせーよお前ら。他人をダシにして盛り上がるなっての……」
肩に手を置いて頷き合う2人を横目に、ナインが不機嫌さ全開で呟いた。そして、タム御手製のパンをちぎって、口の中に放り込む。初めて食した時と変わらず素晴らしい味わいなのだが、どうもしっくりこない。随分前から楽しみにしていた、この豆を使用した代用肉のハンバーグ・ステーキも、感動が半減だ。
―団に来てから、生きることの喜びってやつが分かってきてたのによぉ
現在、ナインにとっての生きる目標の1つには、タムの調理する美味い食事を喰うということがある。それが1日に3度も訪れるとなれば、幸福の絶頂だ。だからこそ、完全栄養食などという味付きゴムを貪っていた時とは違い、ゆっくり時間をかけて食事という行為に打ち込むようになってきたというのに。これでは、その幸福な時間が台無しではないか。
それでも、ジーグの方はまだいい。彼はこの半年間ほとんど毎晩のように、飲めや歌えやの1人大騒ぎを繰り広げてきたのだ。当然それに付き合わされてきたナインは、諦め半分に慣れ半分である。しかし今回はドスまでもがこの有様なので、相乗効果で鬱陶しさが限界を突破してしまっているのだ。
鋼の如きプロ意識でその場に佇むタムを除き、殆どの団員らがとっととこの会議室から退散してしまったのも、無理からぬことであろう。
「いける口じゃのぉ、ジーグよ! 女にしとくのがもったいないわい!」
「ぬははは! これでも中身は男じゃぞ! オッサンこそ、気持ちのいい飲みっぷりじゃねぇの」
「うははは! この程度じゃぁ飲んだ内に入らんわい! あと、オッサン言うな」
ナインの苦言などまったく耳に届いている様子も無く、2人の酔っぱらいがガハハと笑い合った。そうしてお互いのコップに酒を注ぐと、一気に飲み干す。絵面としては、年若い女性とオッサンという、何か背徳的な事情を深読みしたくなる組み合わせなのだが、本質的にはどちらも男だ。というより外見を除けば、口調から何からそっくりである。まるで気心の知れた兄弟のようで、手が付けられない。
半年前に最悪の出会いをしたはずだが、いつの間にこんなに仲良くなってしまったのだろうか。
「なぁ、オイ。報告会するんじゃなかったのか?」
「この調子じゃあ無理でしょう。ほんっと、勘弁して欲しいですよね……」
ナインが隣の席に向かって語り掛けると、団長のノーリがとろんとした眼つきで答えた。
本来ならば、今日一日の団員らの成果と、それに基づく今後の方針を話し合う場だったのだが、実際はこの通りである。全体、“鉱人たちとの接触”に赴いたドスが、泥酔して戻ってきたときから、嫌な予感はしていたのだ。
「他の連中も、似たような結果だったんだって? フィーアとピャーチ、あとトリーとセーミのペアも」
「ええ、残念ながら。大陸中の様々な部族のもとに飛んでもらいましたが、反応は芳しくありません」
団の城が落着したのは、この世界でも最も大きい大陸の、ほぼ中央にそびえる山の天辺であった。麓の森には森人が、そして平野にはいわゆる無能人たちの町があったが、実は“山の中”にもう1つの人種の居住地が存在していたのである。
それが、鉱人と呼ばれる人種の都市だ。
今回ドスが赴いたのがそこだったのだが、当然この大陸の他の地域にも、同じように山や洞窟に住む鉱人たちの部族が存在している。他の団員たちも、手分けしてそれらとの接触を図ったのだが、結果は散々だったようだ。
「地質学や鉱物に詳しい彼らの協力が得られれば、件の森人の部族らとの交渉が頓挫しても、何とかなると思っていたのですが……見通しが甘かったですね」
そう言ってノーリは卓上に肘をつくと、大げさにため息をついた。彼女は今回、直接交渉の場に赴いたわけでは無いが、実質的にはこの交渉計画の立案者だ。自分の想定通りに事が運んでいないことに、歯がゆい思いを抱いているに違いない。
すると、それを目ざとく見つけたドスが、千鳥足で近寄ってきた。
「おうおう、ノーリよ。儂のせいで落ち込まんでくれ。すべては儂が不甲斐なかったせいなんじゃぁぁ」
そう言って巨漢が、ナインとは反対側にあるノーリの隣の席に、どっかと腰を下ろす。いつの間にか、その眼からは大粒の涙がぼろぼろと零れていた。
ドスがしゃくりあげながら、ぼそぼそと弁明めいたことを口走り始める。
「すまんのぉ、ノーリよ。前の世界でも、儂が暴走したばっかりにこんな事態になっちまったんじゃ。すべては儂の責任じゃぁぁぁ」
「ああもう、分かってますよドス。貴方は一生懸命頑張ってくれましたとも。分かってますから落ち着いて」
「うう、ありがとうな、ありがとうなノーリよ。儂はお前の様な娘をもって、果報者じゃぁあぁ」
「うわ、お酒臭い! ちょっと離れてください、離れてくださいよ!」
ノーリが嫌がるのにも構わず、その小柄な身体に向かってドスがぐったりとしな垂れかかった。どうやらこの男、泣き上戸の上に絡み酒のようだ。交渉から帰ったときからすでに泥酔状態だったので、嫌な予感はしていたのだが、酒を飲むととことん厄介な手合いであるようだ。
「よせよオッサン、大人気ねぇぞ」
見かねたナインが、やれやれとばかりに、2人の間に割って入ろうと腰を上げた。
故郷の世界で、浮浪者やギャングの酔っ払い共の仲裁をしていた頃を思い出してしまう。このドスという男は、何処ぞの世界で何千年も生きた仙人だったという話だが、これではスラムのチンピラ連中と変わらないではないか。
などと辟易していると、今度はジーグまでもが突っかかってきた。
「おうおう、我が友ナインよぉ。そんな暗い顔しとらんで、俺らと飲め!」
そう言ってジーグは、立ち上がりかけたナインの肩を掴み、無理やりに椅子に座らせた。そして、ノーリとは反対側の隣の席にどっかと腰を下ろす。
「何が友だよ。俺にはそんなつもりは毛頭ない」
昼間のこともあり、ナインはにべも無く突っぱねようとした。
しかしジーグは構わず、酒臭い息を吐きながらコップを突き出してくる。
「お前さんも、まあ、そこそこ頑張ったろ。労ってやるぞ!」
「遠慮しとくよ。飲まない質なんでね」
「なんじゃお前さん、下戸なのけ? そのナリで意外とガキじゃのぉ」
「違ぇよ! アルコールを摂取すると、再生能力が落ちるんだ。だから飲めないの!」
絡んでくるジーグの手を払いのけながら、ナインは少しだけ語気を荒げた。
不死者としての力が弱まるのもそうだが、ただでさえ今のナインは、森人の森での出来事―メアリのことやジーグとのいざこざ―で鬱憤が溜まっている。こんな時に酒などを飲んでしまったら、酔っ払った勢いのまま、この場でいらないことをぶちまけてしまいそうである。
別にハードボイルドを気取るわけでは無いが、人前で醜態を晒すのは御免だった。
「ほらお嬢さん、行くぞ」
「うわぅっ」
ナインは立ち上がると、ノーリの腕を引っ張った。そしてそそくさと扉の方へ早歩きで移動する。取っ手に手をかけたところで、背後から野次が飛んで来た。
「おぉっ! なんじゃぁお主等、逢引きかぁ!?」
「お熱いのぉ! 羨ましいぞぉ!」
「僻むなよ。後はお二人で仲良くやってくれや」
振り向きざまに捨て台詞を吐いてから、ちらりと会議室の隅へと視線を流す。すると、夕食の前からずっと立ちっぱなしのタムと眼があった。
「……」
どことなく虚ろで、それでいて救いを求めるような眼つきだ。だが残念な事に、今は彼らの相手をしてやれるだけの心の余裕がない。
ナインは申し訳ない思いを抱きつつ、せめてもとメイド様に一礼をしてから、すたこらと扉の向こうへと退散した。
「それで、これからどうするんですか?」
「あー、そうだなぁ」
会議室を出た途端にノーリが問われ、ナインは答えに窮した。
勢いで逃げ出してきたのはいいが、明確な目的があった訳では無い。ただただ苦痛から逃れたかったのと、ついでにノーリを助けてやりたかっただけだ。守護女神のチィが“用事”で城を離れている今、同位体であるジーグとノーリを、同じ空間に置いておきたくなかったのである。
「どこか、静かで落ち着ける場所に行くかな。頭を冷やしたいし」
そう言ってはみたものの、ナインは未だにこの城の全容を知り尽くしてはいなかった。リラクゼーションを求めてテキトーにブラつくのも良いかもしれないが、迷子などという格好悪いことになるのは嫌だし、間違えて立ち入り禁止区域に入り込むのも不味い。
今後のことについてノーリと相談したくもあるし、さてどうしたものだろうか。
そうやってナインが首をひねっていると、ノーリが良いことを思いついたとばかりに目を輝かせた。
「じゃあ、私の部屋に来ますか? “お家でぇと”ってやつです。なんならナインの部屋でもいいですよ」
そう言って、満面の笑みを浮かべるノーリ嬢。その頬が、少しだけ朱く染まっている。どうやら、先の酔っぱらい共とナインとの他愛ない会話を、本気にしてしまったらしい。
ナインは慌てて、その意見を否定した。
「は? いや、あれはだな。連中の冗談に乗っかっただけで……」
「なんだ、冗談だったんですか? 残念」
「へっ? い、いや、それはだな」
突然、眼の前の少女が哀し気な表情で項垂れてしまい、ナインは滑稽な程に狼狽えた。
いやはやまさか、この娘が自分に対して懸想していたとは思わなかった。それはまあ、この娘の窮地を何度も救ってやってはいたし、動機としては充分なのだろうが、しかしこちらにはまったくそんな気はない。全体、小うるさい女というのはどうにも苦手だし、身体つきももう少々しっかりしているほうが好みなのだが。……否、今はとにかく、傷心のノーリをいかにして慰めてやるかを考えねばなるまい。
先程までの不機嫌を彼方へと吹き飛ばし、必死になって対応策を脳内で練り上げるナイン。
しかし数秒後、ノーリは何事も無かったかのように顔を上げると、悪戯っぽく笑った。
「冗談ですよ。本気にしました?」
「……お前、なかなかいい性格してるな」
ナインが再びしかめっ面になるが、ノーリはそれには構わず、逆にナインの手を引いて歩き出した。
「頭を冷やすなら、良いところがありますよ」




