名も無き世界・9
―こんな私でも
―落ちこぼれの私でも、誰かの役に立てると信じてみたけれど……
最初から上手くことが運ぶなどと、そんな虫の良いことを考えていた訳では無い。むしろ半年にわたる事前調査から、この森人らとの折衝には、かなりの労力を要するであろうということは、すでに団の共通認識となっていた。
「そこの無能人! 妙な動きはするなよ!」
「へぇへぇ」
戦闘員と思しき森人の一人から怒鳴られ、ナインはポケットに突っ込んであった両手を引き抜き、ゆっくりと上に掲げた。
喉元に突き付けられる槍と、遠くから眉間を狙ってくる矢尻。遠慮なしに注がれる、殺意と敵意のシャワーだ。こっちの立場を何度も説明しているのに、森人たちはまったく聞く耳をもってくれない様子だった。
「だから、別に土地を寄こせと言ってるんじゃぁないんだよ。ただちょっと、間借りしたいだけなんだ」
「町の無能人との協定により、我らは互いに不可侵を守っている。貴様らがこの森に踏み入ることは、許可できぬ」
「俺たちは町の住人じゃぁない。旅人だ。だから……」
「ならばなおのことだ。部外者に、この聖なる森を荒らさせることはできん。即刻立ち去るがよい」
ナインらの正面に並び立つ、森人の一団。その中でただ一人、鎧も武器も持たない男が、毅然と言い放った。
どうやらこのコンフュシャスと名乗る人物が、里のリーダーであるらしい。その軽装ぶりからは、およそ戦士階級のようには思えなかった。だが鋭い眼光と、上着の半袖から覗く引き締まった腕からは、かなり“使う”ということが推察できる。
―しかし、けったいな姿だな
部下を率いているにしては若く見えるその男を眺めながら、ナインはふと思った。
コンフュシャスの装いは地味そのものだったが、その中身の異様さに眼を引かれてならなかったのだ。というのも、顔と言わず手と言わず、全身に奇妙な模様の入れ墨が施されているのである。
何か宗教的な意味合いがあるのか、それとももっと別の目的があるのか。城へ戻ったら、これについても議題に上げておくべきかもしれない。
「頼むよ。あんた等の土地に、俺らに必要なものが埋まってるんだ。それが無けりゃ、身動きが取れなくなっちまう」
「そちらの都合は理解している。だが、我らがそれを酌んでやる理由はない」
「そこをどうにか頼む。勿論、ロハってことはない。きちんと礼はするから」
そう言ってナインが、相手を刺激しないようゆっくりと、上着の内ポケットから小箱を取り出す。挨拶がてらにと持ち込んでいた、宝石類だ。手土産の一つも用意した方がよいのではないか、とのナインの意見に、ノーリ様が寄こしてくださったのである。
しかしそれを一瞥したコンフュシャスは、いかにも小馬鹿にするような表情で鼻を鳴らした。
「ふん、金銀財宝か? いかにも無能人の考えそうなことよな」
「むっ……いや、気に障ったのなら、別の物を……」
「物質的な何かで我らの心を動かそうとする、その考えが浅ましいというのだ。この蛮人めが」
「あー……もう」
うんざりしてきたナインは、小箱をポケットにしまい込いこんだ。そしてやれやれと首を振り、両腕を組む。武器を突きつけられているが、もう大人しく従ってやる気にはならない。排他的な種族だとは知っていたが、ここまで話が通じない相手とは思わなかった。
「ぬははは! やぁ~っぱりこうなっちまったのぉ!」
その折、実に愉快そうな笑い声が隣から上がった。メイドのタムだ。否、タムに乗り移って好き勝手に振舞う、同位体のジーグである。
「……何でそんな楽しそうなんだよ、お前?」
「そりゃあ、お前さん。トントン拍子に上手い事いく方が詰まらんじゃろ? 人生ってもんは、波乱万丈が一番よ」
そう言って腰に両手を当ててふんぞり返り、大股を開いてガハハと笑い声をあげるジーグ。
まったく、この男を連れて来てしまったのは失敗だった。わざわざ同行を申し出てきたものだから、きっと森人との間を取り持ってくれるだろうと期待していたというのに、実際はこうして脇から茶々を入れてくるだけである。かえって邪魔だ。
これでも神として崇められる存在だというのだから、この世界の住人らのコモンセンスは、ナインのそれとは大きく隔絶しているようである。
―まあいい。今回のところは、こんなもんでいいさ
ナインは早々に見切りをつけると、鼻を鳴らしながら腕組みを解いた。
元よりこの接触の主目的は、今後のより中身のある話し合いにつなげるための、いわば顔見せだ。まどろっこしいことだが、こういう偏屈な連中が相手となれば、長い時間を重ねてギリギリの妥協点を探っていくしかない。互いに譲れない一線がある交渉事というのは、往々にしてそのようなものだろう。
「分かったよ。取り合えず、今日はこれで帰らせてもらう。いくぞ、ジーグ」
「応。ではまた、後日にな!」
ナインが森人たちに向かって慇懃に一礼する横で、ジーグが大雑把に手を振った。相変わらず軽薄な男だ。すでに森人たちですら、この図太い態度に呆れ顔である。
しかも、どうやらこの口ぶりから、また首を突っ込んでくる積もりらしい。これ以上邪魔立てされては面倒だし、城に戻ったらきつく言い含めておこう。
そんなことを考えながら、ナインは踵を返した。
「ま、ま、待ってください!」
その時、ジーグとは丁度反対側から上がった叫び声に、ナインは思わず身を硬くした。驚いたからではない。実のところ、この会合をさっさと終わらせたかったのには、別の理由があったのだ。
その理由こそが、この娘。
メアリである。
「ど、ど、どうか、お願いします。か、彼らの話を、き、き、聞いて上げて下さい……」
「ちっ……」
会合の最中、じっと沈黙を保っていたメアリが一歩前に進み出る。するとコンフュシャスが、あからさまに不機嫌そうに顔を歪めた。
「どういう積もりだ、メアリよ。追放された身で里に近づいたのみならず、無能人共を招き入れるとは」
「こ、こ、この人たち、と、とても、困ってます。だから、だから……」
「いい加減にしろ、愚か者め。我ら森人と無能人は、関りをもってはならんのだ」
「で、でも、でも。この人たちは、普通の無能人らとは、ち、違います。どうか、お話だけでも……」
「くどいぞ! ならんと言ったらならんのだ!」
厳めしくも落ち着いていたコンフュシャスが、徐々に口調を荒げだした。正面に立つメアリに向けて、入れ墨だらけの指を突きつける。
だが対するメアリも、実に気丈な態度だった。大弓に縋り付く腕は震え、顔面は蒼白になっている。だがそれでも、絶対に譲らないとばかりにその場を動こうとしない。
―不味いな、これは
周囲に構わず口論を始めた二人に、ナインは嫌な予感を覚えていた。
メアリもまた森人だ。ならば森人の里との交渉には、良い仲介人になってくれるだろう。半ば強引なジーグの推薦は、確かにその通りだと頷けた。
だが果たして、彼女をこの交渉の場に連れて来てよかったのか。城を出てから常に、その疑問がナインの脳裏にこびり付いていたのだ。
どもり。首を振る妙な仕草。おまけに、人前での慌てぶり。
これだけ取っても、話し合いには不向きである。だがナインの不安心を掻き立てていたのは、そういった表面的なものではない。
推測される、それらの“原因”の方だった。
今もそうだ。2人の会話から漏れ聞こえてくる単語により、脳内で出来上がりつつあったメアリのプロファイリング・データが、どんどん補強されていく。
“追放”。
メアリが森人たちから離れて生きていた理由。
テーブルの上に置かれた“書置き”。
大弓を杖の様に使う所作。
人を恐れるかの如き言動と、卑屈さ。
パズルのピースが組み上がり、おぼろげだった像が1つの絵として完成する。
―やはり、メアリは……
ナインが結論を下す、まさにその時だった。
しつこく食い下がるメアリに対し、業を煮やしたコンフュシャスが、大きく叫んだ。
「いい加減にせよ、この“盲目”め! 森人になりきれぬ不具めが!」
その瞬間、メアリの顔から一切の感情の色が失せたのが見えた。
身体の震えが止まり、置物の様に、ただその場に立ち尽くす。
ほんの一時、その場を静寂が支配した。
森人の戦士たちが顔を見合わせる中、我に返ったコンフュシャスが気まずげに、それでもはっきりと言う。
「……去れ。“お前たち”と我らは、住む世界が違うのだ」
そう言ってこちらに背を向けると、森の中へと歩き出してしまう。後に残された戦士たちも、ややあってからめいめいの武器をおさめ、こちらに警戒の眼差しを送りながら去っていった。
「……も、申し訳、ありませんでした」
どれくらいたった頃だろうか。黙りこくっていたメアリが、ようやく口を開いた。こちらに顔を向けることなく、とつとつと語り出す。
「わ、わ、私、お役に立てませんで、した。や、やっぱり、私、駄目なお、んなです」
「いや、そんなことはねぇよ。精一杯やってくれてたじゃねぇか」
嗚咽が混じる少女の言葉に被せる様に、ナインは精一杯の労いを返す。しかしそれは、ナイン自身にもはっきりと分かるような、その場を取り繕うことだけが目的の安っぽい台詞であった。
メアリはぐるりと身体の向きを変えると、こちらには“眼もくれず”に歩き出した。携えた大弓を、地面につきながら。
「私っ! きょ、今日は、失礼します!」
「一人で大丈夫かよ? 送って……」
「平気です!」
慌てて追いすがろうとするナインに、背中越しに明確な拒絶が投げつけられる。
「これでも、ひゃ、140年間、この森で生きてきたんです。一人で、か、帰れます」
そう言って大股で歩いて行くメアリに、もはやナインは言葉を返すことが出来なかった。というよりも、何をしてやればいいのかが分からなかった。
無理をしてでもついていくべきなのか。
済まなかったとでも言うべきなのか。
あるいは引き留めるべきなのか。
「まっこと、女子の扱いちゅうんは難しいもんじゃのぉ」
「……手前ぇ!」
メアリの背中が遠く木々の陰に隠れ、森人の鋭敏な聴力の範囲外に出たあたりで。ジーグが何処までも他人事といった風に語り掛けてきたものだから、ナインはとうとう激昂した。
タムの身体だということも忘れ、真っ白なエプロンごと服の襟を引っ掴み、力任せに引き寄せる。意外にもジーグは抵抗をせず、ナインの為すがままにガクガクと身体をゆすられながら、ただ問いかけてきた。
「どうしたぃ、ナインよ」
「ふざけろよ、手前ぇ。元はと言えば……」
「なんじゃ、俺のせいだってか?」
「ああ、そうだ! 手前ぇがメアリを唆したりしなけりゃ!」
そう。メアリは当初、団と森人の里の仲立ちをすることに、難色を示していた。
『私なんかでは、無理です』、『お役に立てる筈がありません』。そんな卑屈なことばかりを言って、あの会議室の隅で震えていたのだ。
しかしいざ森へ送り返そうとしたところで、急にその態度をひるがえした。『是非私に、やらせてください』、『善は急げです』。そう言って、大した段取りも決め無いうちから、交渉に向かうことを主張したのだ。
すでに他の団員らも、メアリが抱えているものをおおよそ察している様子だった。わざわざ彼女を説得するなど考えにくい。ならば彼女の心変わりの原因は、一つしかないではないか。
「確かに誘いはした。だが、それだけじゃぞ」
ジーグは、悪びれもせずに言った。
「『この経験は、お前さんの為になる』とな。まあ、そんなところじゃ」
「馬鹿野郎。あれだけ嫌がってたってのに、矢面に立たせるようなことをしやがって!」
「お前さん方の助けになると思うたのよ。悪気はなかったぞ、本当で」
「手前ぇ! それでも神……」
激情に駆られたナインは、そのままジーグを。否、タムの身体を宙に持ち上げようとした。しかしその瞬間、ふっと天地が裏返る。身体が上に向かって強く引き寄せられ、直後に衝撃によって後頭部を貫かれ、頭の中に激しい火花が飛び散る。
その結果としてナインは、自分が草原に投げ出されたことに気付くのに、たっぷり10秒以上かけることになってしまった。
「ナインよ。お前さん、何か勘違いしとらんか?」
視界いっぱいに降り注ぐ陽光を遮るようにして、ジーグがこちらを覗き込んでくる。いつもの軽薄な笑みは彼方へと消え去り、代わりに無機質な、まるで彫像か何かのような冷たい表情が浮かんでくる。その瞳の中にわずかに見える悲哀に、ナインは息を呑んだ。
「神ってもんはな。いつでもどこでも、誰もかれもを救ってくれるような、そんな都合のいい存在じゃぁねぇんだぞ」
―やっぱり私は、駄目なヤツです
―とてもお師様には、顔向けできない……




