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名も無き世界・2

―突然現れた、不思議な人たち

―お師匠様とは違う“無能人”…


 トリーにとって“隠れる”ということは、指を鳴らしたり口笛を吹いたりするのと同程度の、実に容易い行為だ。

 一度本気になれば、“気”配を読むことに長けたドスも、洞察力に優れたスィスも、魔法的な感知技術に秀でたフィーアも、ピャーチの保有する無数のセンサ類でさえ、彼女を捉えることができなくなってしまう。

 即ちトリーとは、存在と非存在を使い分けることができる、さながら幽霊ゴーストのような少女なのだ。


 この隠密技術は、主に未踏査区域の調査や施設への潜入など、様々な場面でアラインと仲間たちの益になるものである。しかし卓絶しすぎたそれは、しばしば要らない事態を招くこともあった。


 今まさに起こっているのが、それである。


「ひっ! そ、そんな、どうしてっ!?」


 灰色がかった長い金髪の娘が、引きつった表情で尻もちをついた。両眼を大きく見開き、怯えながら、ずりずりと後ずさっていく。


 トリー本人としては、ちょっとナインに付き合って森の中を無造作に歩き回っていただけなのだが、

知らず知らずのうちに気配を遮断してしまっていたらしい。途中で遭遇したこの娘がナインの存在を不審がり、あわや矢を射かけようとしたところを止めてやったのだが……


 露骨に過ぎるその拒絶反応に、今度は逆にトリーの方が顔をしかめることとなった。


「そんなに……驚かなくても……」

「無茶言うんじゃねーよ、まったくよぉ」


 若干傷つくトリーに対し、ナインが呆れたように言った。そして両手を下げながら、こちらへ駆けて来る。

 一応、助けてやった立場にある筈なのだが、どうしてそんな非難めいた視線を向けてくるのだろうか。

 そんな風に考えながら首を傾げていると、ナインは大仰な仕草でため息をついて言った。


「完全に気配消して横から話しかけりゃぁ、ビビるに決まってんだろうが」

「……でも……声かけないと……気づいてもらえない……」

「やり方ってもんがあんだろ。そんなおどろおどろしい声をかけられてみろ、幽霊ゴーストが出たと思われるぜ」

「……むぅ」


 口元に巻いたマフラーの下で、トリーはこっそりと頬を膨らませた。


 トリーの隠密技術は、すでに無意識的に機能するという領域にまで到達している。

 足音を消すなど序の口なもので、長時間の呼吸停止、衣擦れを起こさない体運び、鼓動・発汗・体臭の制御。これらを、それと意図せずに日常生活でも行ってしまうのも度々だ。

 流石にドスたちのように心得のある者たちには通用しないが、未熟者のナインやこんな一般人の娘が相手では、トリーの方が意識しなければ、その存在を察してもらうことすらできないという有様である。


 そんな訳なので、ちょっと“気を抜く”と、こうして他人を驚かす結果になってしまう。別にトリーとしては、そんなつもりなど毛頭ないというのに。


「ったくお前はよぉ。……大丈夫か、お嬢さん?」


 無言で唸るトリーに、ナインは処置なしとばかりに首を振った。そして次に、震える娘に向かって手を差し伸べる。

 しかし娘の方は、その手を取ろうとはしなかった。大きな弓を抱きしめながら、さかんに首を振るばかりである。


―あー、そうか。……この娘は


 最初にナインに気づいたときの様子から、なんとなく違和感を覚えていたトリーは、ここにきて得心がいったように1人うなずいた。

 そして娘の背後へと回り込んで脇の下に両手を突っ込み、無理やりに持ち上げてやる。


「ひぅっ!」

「ごめん……でも、悪気なかった……信じて……」


 娘の身体を起こして尻についた砂埃を払ってやってから、トリーなりに誠意の込めた謝罪を行う。その抑揚のない声に、娘はしばしぱちくりと眼をしばたたかせていたが、やがてごくりと唾を飲み込んでから、話し始めた。


「あ、あ、貴女たちは、その、“無能人”の町から来たんですか?」

「無能だぁ? ひでぇ言いようだな、お嬢さん。」


 途端にナインが、顔をしかめた。やや鋭い眼つきに凶悪な人相が加わり、まるでチンピラのような雰囲気になってしまう。

 すると慌てた娘は、ぎゅっと目をつぶってから何度も頭を下げだした。

 

「ひぇっ! ご、ご、ご、ごめんなさいっ!?」

「いや、別にそんな怒ってねぇから。そうおどおどしなさんなって」

「……あーあ。……ナイン、怖がらせた」

「お前も、いちいち混ぜっ返すんじゃねぇよ!」 

「最初に……腰を折ったのは……ナイン…」

「うぐっ」 

「価値観は……世界によって違う……いちいち、気にするべきじゃない……」


 無言で唸るナインの頭をぽんぽんと撫でてやりながら、トリーが言った。 

 

 分類カテゴライズを行うことは、世界の別なく、知性をもつ存在ならば誰でもやっていることだ。

 身体的な差異に基づく、民族という括り。

 作業内容や得られる報酬サラリーに基づく、職業というそれ。

 思想、宗教、学歴に政治。

 考え出したら枚挙に暇がない。おまけに程度の差こそあれ、そこに優劣を含めようとするのもまた常套手段だ。


 恐らくこの娘にとってのトリーたちもまた、そういう対象なのだろう。あくまでも旅人である自分たちは、そういう世界、そういう文化なのだと受け入れるしかない。嫌ならば、とっとと出て行けば良いだけなのだし。


 平身低頭する娘の“耳”を見つめながら、トリーはそんな風に考えた。


「す、す、すみません。私、その、それ以外の呼び方を知らなくて……」

「じゃあ……貴女は……エルフ?」


 トリーがずばり問いかけると、娘はギクリと身体をこわばらせた。そしてたっぷり30秒ほど経ってから、ようやく頷く。


「……はい。わたしは、森人エルフのメアリと言います」


 そう言って娘は。メアリは、ぺこりと頭を下げた。その拍子に、流れていく長髪から2つの尖った耳がぴょこんと姿を現す。

 トリーやナインのものとは大きく異なる形のそれと、整った顔立ち。いずれも“ここ数カ月”の調査によって知り得ていた、森林を生息域とする人種の特徴と一致していた。


 エルフ。

 森に生まれて森に死ぬ、自然の代弁者を自認する種族だ。

 普通の人間よりも成長が遅いが、その分寿命は長く、また身体能力も高い。

 トリーやナインたちと同じ人間種に対して差別的な意識をもっているようだが、恐らくはこの美貌と、そして“鋭敏だとされている五感”や長命さが、その裏付けとなっているのだろう。


 然るに、この娘は……


「私は……トリー……それで、こっちは……」

「ナインだ。改めて、驚かせちまって悪かったな」


 トリーとナインが名乗り返してから、軽く頭を下げた。するとメアリは、慌てて言う。


「そ、そ、そんな、気にしないでください。私が、ドジだっただけ、ですからっ」


 大弓を抱きしめながら、耳の先まで赤く染まった顔をせわしなく左右に振る。

 どうやらこの娘、酷く人見知りをするようだ。恐怖と驚きの感情が薄れた分、その本質が浮き出てきたのだろう。

 

「あの、それで、その。貴女たちは一体何故、こ、この森に?」

「あー、それはだな……」


 途端にナインが、言いにくそうに言葉を濁す。するとメアリの顔つきが、また不審がるようなそれへと変化していった。


「まさか密猟を? ひょ、ひょっとして、人攫いですかっ!?」

「いやいやいや、ちげーよ! ただちょっと、その、なぁ……」

「な、なんで言えないんですか? や、やっぱりそうなんですね!?」

「だから、そうじゃなくて。うーん」


 身をすくませるメアリに対し、ナインが頭を抱える。

 彼がこの森に来たのには勿論理由があるのだが、それはアラインの一員としての責務というより、ほぼ個人的かつ彼の沽券に関わる内容だ。おまけに、部外者の彼女にどこまで話していいものか、あるいは話したところでどこまで理解してもらえるかは分からない。

 はてさて、どうしたものだろうか。

 

 トリーが首をひねっていると。


「あ…」


 ふと、トリーの感覚に引っかかるものがあった。何者かが、こちらに近づいてくる。

 風上から届くわずかな音、匂い。そこから、その何者かの衣服や体格が瞬時に判明する。


 団員だ。

 だが、トリーのよく知るその人物とは、若干動きが違う。精細さとは真逆の、力任せで粗野な足運びに、息遣い。


―アイツか……


 トリーが、その正体を看破した直後。


「おぅ、お前ら! ここにおったか!」


 森中に響き渡るような、大きな声が響いた。豪快な口調ではあるが、声質は可憐な女性そのものである。その不一致ぶりに、ナインも気が付いたようだ。


「ひっ! ま、またっ!?」

「大丈夫だよ、お嬢さん。少なくとも、アンタには悪さはしない筈だ。」


 恐怖するメアリをたしなめるナインが、苦虫を噛み潰したような表情をつくる。


「ナイン……気持ちは、分かるけど……」

「ああ。無茶はしねぇよ」


 トリーのその忠告に、スーツの懐に伸びかけていたナインの右手が、ゆっくりと戻っていく。

 その折、黒い影が3人の眼の前に降り立った。


 ずたんっ!


 木々の間を縫い、現れたのは……メイド服をまとった女性。


 団員ナンバー8の、タムであった。


「テメェ、何しに来やがったんだ?」


 ナインが露骨に不機嫌そうな顔つきで、吐き捨てるように言う。しかしタムの方は、どこ吹く風といった様子でそれを受け流し、カラカラと笑った。


「そりゃあ、お前さんらが通信にでないからじゃ。ほれ!」


 タムがメイド服の胸元を大きく開き、団員の証であるペンダントを引っ張り出す。その拍子に形の良い乳房が露になり、横にいたナインが顔を赤くしながら眼を逸らした。

 

「ずっとコイツで呼びかけていたのに、まったく返事がないからのぅ。仕方がねぇから、“俺”が直々に来てやったという訳じゃ」

「チッ…」

「そもそもお前ら、何をしとったんじゃ? まっさか、そこな娘をかどわかそうとしとったのか?」

「えぇっ!? やっぱり!?」


 またもメアリが、顔を引きつらせた。ナインもまた、勘弁してくれとばかりにげんなりした表情になる。

 見かねたトリーは、その場をとりなしてやることにした。

















アラインの古参メンバーたるチィとの邂逅、及び彼女からの適切かつ痛恨の評価を受け、自身の地位ステイタスに危機感を抱いたナインが、急遽隠密技能の習得のために私を頼ってきた。ちなみに後程、ドスから体術の指南も受ける予定。ノーリとアラインのために貢献しようとする、健気なナインであった……まる」









 

 一気に言い切ってから、フンスと鼻息を突く。

 他の3名は、呆気にとられたようにトリーの顔を見つめていたが、ややあってから、まずナインがいきり立った。


「バッカ……オメー何言ってんだよ!?」

「だって……口調が……おどろおどろしいって……」

「そっちじゃねぇよ!?」

「…訳わからん……」


 掴みかかってくるナインの手をするりするりと躱しながら、トリーが呟く。

 “この男”が相手では隠し事など無意味だし、しかしナイン本人は口にするのも業腹だろうからと、慮ってやったというのに。

 何故、恩人であるトリーに対してそのような態度をとるのだろうか。


 するとその様子を目を丸くして見ていたタムが、豪快に笑い始めた。


「ぬははは! 何じゃお前、中々見どころがあるじゃねぇか!」


 タムはのしのしと大股でナインに近寄ると、その背中をばしんと引っぱたいた。


「痛ぇっ! テメェっ何しやがんだ!?」

「お前さんの、その反骨心が気に入ってな!」

「うるせぇ! お前に気に入られたって、嬉しかねぇよ!」

「ぬははは! そういう媚びへつらわんところも好きじゃぞ!」

「ああああっ! このっ!」


 とうとう我慢が限界に達したらしい。

 絡みついてい来るタムを引きはがし、ナインが叫んだ。







「お前! いい加減に姐さんの身体から出てけよ、ジーグ!!」

―お師匠様が言っていました

―出会いそのものに意味はない。意味をもたせるのだ、と

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