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閑話・同位体1号


 “それ”は、とてもちっぽけな存在だった。

 

 高度に科学技術が発達し、全人類が“人工知能によって管理される”世界。そんなディストピアの一研究施設にて、ある単細胞生物の遺伝子を改編されて生み出された、全長が30マイクロメートルにも満たないアメーバ。それが、“それ”の最初の姿だった。

 己が何者なのかなど考えることもなく、ただ定期的に落ちてくる培養液を貪りながら、冷たく平たいガラスの地平でのたうつのみの、酷く矮小な存在。


 しかし“それ”には、大いなる希望が託されていた。

 生活ゴミに、プラスチック、有毒な化学薬品に、果ては放射性廃棄物に至るまで。ありとあらゆる廃棄物を代謝し、エネルギーへと変換する能力ちから。鉱石、ガス、土地や生物といった天然資源が枯渇しつつあった世界を救う、夢のような能力ちからを。


『小さな小さな子どもよ。どうか私たちの未来を照らしておくれ!』


 しかしそんな期待に反し、“それ”に芽吹いたのは、“有機的オーガニックな物”を消化吸収するという、限定的な能力。

 そして、強い強い食欲のみだった。

 

 ある日のこと。とてつもない事件が起こった。

 毎日決まった時刻に落ちてくる筈の培養液が、その日はなかったのだ。

 今となっては真相など知りようもないが、たまたま研究者が何かしらの事情で遅れてしまったのかもしれない。だがどんな理由があるにせよ、“それ”は困り果てた。


―私はとにかく、食わねばならない。

―なぜなら私の身の内の何かが、そう強く命じてくるのだから。


 当然、単細胞生物にそんな思考をするだけの自意識など宿るはずもないが、その時の“それ”の行動原理を明文化するならば、そんなところだっただろう。


 だからとにかく“それ”は、懸命に這いずった。

 未知なるフロンティアを求めるなどという高尚な精神に基づくものではなく、ただひたすらに、己の欲求に忠実に。冷たく孤独なシャーレの牢獄を脱出し、保管庫の蓋の隙間に潜り込んで。

 そうして長い距離を移動し、ようやく栄養源に辿り着いた。


 ほんのわずかに積もった埃。

 零れたインク。

 汚れたゴム手袋。

 お菓子の包み紙。


―足りない、足りない。

―まだまだ、もっとだ!

 

 “それ”は、さらに懸命に這いずった。

 自分がどんな願いを背負って創造されたのかなど露ほども考えず、ただひたすらに、己の欲求に忠実に。薬臭い机をまっしぐらに。金属のケージの隙間に滑り込んで。

 そして随分長い距離を移動し、さらに大きな栄養源に辿り着いた。


 チーズの欠片。

 排泄物の塊。

 白い体毛。

 尻尾。


 衝動のままに食べ続けていると、いつしか“それ”は、自分の身体が少しばかり大きくなっていることに気が付いた。そうなると困ったもので、もっともっと食べたくなってしまう。身体機能の維持のために余計にエネルギーが必要になってしまったからだ。


―このままでは駄目だ!

―もっと食わねば!

 

 だから“それ”は、さらにさらに懸命に這いずった。

 自身の創造主が何者なのかなどまったく知ることも無く、ただひたすらに、己の欲求に忠実に。ゴム長靴の底を食い破り、防護服を溶解させて。

 そしてとてもとても長い距離を移動し、さらにさらに大きな栄養源に辿り着いた。










 













    肉














           肉!












            肉     肉     肉   !!!









 その時、“それ”は本当の意味で目覚めた。

 自分が何のために生まれ、何をするべきなのかを。


―食べたい……

―食べさせて……!


 部屋を丸々1つ飲み込み、研究施設を丸々1つ飲み込み、街を丸々1つ飲み込み、島を丸々1つ飲み込み。肥大化していくにつれ、栄養源たちの拙い抵抗や逃亡も苦にならなくなり。無作為に触手を伸ばしては、有機的オーガニックな物を掴み取り、ただただ貪り食っていく。

 結局、“それ”が世界を喰らいつくすまで、さして時間はかからなかった。


 機械化された地上のほぼすべてを消化吸収し終えると、やがて“それ”は新たな捕食対象を求めて、別の世界へと渡っていった。そうして訪れた先でも、生まれ故郷でしたように、己の欲望に忠実に生きた。

 喰らっては次の世界を探し、また喰らっては次の世界を求める。

 そうして宇宙を這いずっているうちに、遂に“それ”は、人工的に造られた環状の世界にたどり着いたのだ。


 “それ”に、人のような確固たる自我があるのかどうか。それは、“それ”自体にも分からない。

 この環状の世界で、触手を人の形へと変異させ、それぞれに人格をもたせ、文化を築かせたことも。この世界に訪れるであろう知性体の油断を誘っていたのか、あるいは、単に捕食した栄養源の動きを模倣したに過ぎないのか。今後も、それらが明らかになることは無いだろう。


 はっきりとしていることは、ただ1つだけ。

 “それ”がもはや、生物としての域を超えた、宇宙規模の恐怖であるということだけだ。

 

 故にアラインにおいて“それ”は、最高戦力と同格の力をもつことから、“同位体1号”と。

 あるいは、そのあまりに強すぎる喰らうという行為への欲求と、決して満たされることのない飢餓から、不死人の長により次のように命名されている。





 “貪食どんしょく”と。















 会議室の中に、耳障りなブザーが鳴り響いていた。円卓上に投影された外界の映像の上に、次から次へと警告アラートの文字が浮かび上がる。


 “百数十人”の団員の反応が消失。

 巨大な敵性体の出現。

 周囲からの断続的な攻撃を感知。

 障壁へのエネルギー供給に障害が発生中。


 要は、現在のアラインがおかれた危機的な状況を、懇切丁寧に解説してくれている訳である。


―んなこたぁ、“アレ”を見りゃ分かるっての


 ただただ黒く巨大な波が広がっていくばかりの映像を見つめながら、ナインが胸中で独り言ちる。


 平野に展開していたゲルムの兵たちも、ドスとの一騎打ちをしていた総大将も。それどころか、草や木も。心震えた美しい緑の森も。恐るべき暗殺者たちも。豊かな街並みも。

 この大陸で息づいていたすべては、紛い物だったのだ。


 否、それどころではない。

 今やこの世界を構成していたすべてが、その正体を現しつつある。超構造体メガ・ストラクチャーたるリング。その内側の風景が、まるでカビに侵食されるかのように、どす黒く染まっていく。

 ドスを飲み込んだ、あの醜悪な汚泥。あれこそが、この世界の本質だったのだ。


「うぁっ……あぁっ……」


 突如、脇に控えていたメイドが苦悶の声を上げた。両手で頭を抱え、悶えながら床にくずおれてしまう。それを見たナインは、慌てて駆け寄り手を差し伸べた。


「姐さん、どうしたんだ!?」


 血相を変えて呼び掛けると、タムは息も絶え絶えに言った。


「外の私が……ほとんど、“喰われ”ました……!」


 それきり身体から力が抜け、がくりとナインの方に倒れ込んでくる。ナインはそれをどうにか支えながら、必死に呼びかけた。


「姐さん、姐さん!!」


 身体を揺するが、反応はない。息はしているが、その表情は苦し気だった。


「案ずるな、ナインよ」


 狼狽するナインに向かって、スィスが諭すように言った。

 その声音に、どこか怒りのような感情が含まれていることを感じ取り、ナインはぎょっとしながらそちらを振り向く。すると、にわかに殺気めいた気配をその身に帯び始めた老人が、中継映像をじっとりと眺めていた。

 

「恐らく、彼女の分身体が捕食されたのであろう。だがここにいるタムが残っている限り、彼女が死ぬことはない」


 こちらに眼を向けもせず、つらつらと述べるスィス。同じ団員であるタムが苦しんでいるというのに、実に冷淡な態度だ。だがそんな老人の中に確かな激情を感じ取り、ナインは思わず尻込みをしてしまう。


「そ、そうか。しかし、いったいどうしたんだ? 気絶するなんて……」

「すべてのタムが、意識や感覚を共有しているからだ。偵察に出ていた彼女らが感じた苦痛が、すべてこの場のタムにフィードバックしてしまったのだろう」

「じゃあつまり、喰われたってのは」

「そうです。あの“同位体1号”に、捕食されたのでしょう」


 円卓の席についていたノーリが、脇から答えた。彼女もまた、いつになく固く、緊張感に満ちた表情だった。

 否。見渡せば、この場のほぼ全員が似たような顔つきになっている。先刻までの緩んだ雰囲気など、もはや微塵もない。それは、この状況がいかにひっ迫しているかを示しているようだった。


「スィス、セーミ。ドスの救出をお願いします」

「うむ」

「分かりましたわ!」


 ノーリの言葉を受け、老人と顔色の悪い少女が頷き、席を立った。

 ドスの救出。それはつまり、あの恐るべき汚泥の中に飛び込めということだ。そんな正気と人情を疑うような命令に対して不服を述べることもなく、1人は荘厳な杖を掲げ、1人は歪で巨大な杖を掲げる。そうしてナインが見つめるなか、2人は“瞬間移動テレポート”を行い、会議室から消え去った。

 続けて、ノーリが言う。

  

「フィーアとトリーは、ピャーチを連れ戻してください。城の防衛機構を機能させるには、彼の力が必要ですから」

「分かったわぁ」

「……了解」


 新たに命じられた2人もまた、直ちに席を立った。先刻までの緩んだ空気など微塵も感じさせない、真剣そのものな顔つきで頷く。フィーアが背中の翼を大きく広げ、トリーを包み込んだ。直後、2人の姿が掻き消える。

 

 そうして会議室には、ナインとノーリ、そしてタムを残すばかりとなった。ノーリはそれ以上、何かを命じようとはせず、黙って中継映像を見つめる。

 不安に駆られたナインは、タムを抱きかかえたまま問いかけた。


「……で、これからどうする積もりなんだ?」


 するとノーリは、考える素振りすら見せずに即答した。


「全員が戻り次第、“世界渡り”を行います。今は、1号と闘うことはできません」

「そうかい。んで、俺はどうすればいい?」

「この場で私とタムを守ってください。いよいよとなれば、身を挺してでも」

「……了解だ」


 ナインはタムの身体を、まるで壊れ物を扱うように丁寧に床へ横たえた。そして懐から愛用の熱線銃レーザー・ガンを取り出し、安全装置を外すと、ノーリを背中に庇うようにして立つ。


 気絶中のタムを除けば、この場でノーリを守れるのはナインただ1人。なかなか燃えるシチュエーションだと、奮起したくなるところだ。

 こんな状況でなければ。


―頼りないボディガードもあったもんだな


 背後にノーリを感じながら、ナインはそんな投げやりなことを考える。ナインがこの場に残されたのは、ナインが切り札となり得る存在だからではない。単に、この差し迫った状況では使い道がないだけなのだ。

 いよいよという事態に陥るということは、ナインとノーリ以外の団員らが残らず戦闘不能になる、つまりあの化け物に喰われるということに他ならない。そこまでいったらナインにできることは、この娘を安楽死させてやることぐらいだろう。

 もっとも、不死の身なれば、死という最後の逃げ道すら選択しえないが。


 ふと、手の中の熱線銃レーザー・ガンを見る。かつての想い人の形見であり、今まで何度も窮地を救ってくれた愛用の品。だというのに、今日ほどコイツが心もとなく思えたことはない。

 あの醜悪な化け物を殺し切る力などある筈も無く、自害するにも不足。こうして手に握っていても、精神安定の助けにすらならない。


―ああ、チクショウ! 怖え! 怖えよ!!


 そのときナインは、自分が人生で最大級の恐怖に襲われていることに、ようやく気が付いた。眼の前に迫る危機の規模があまりにも大きく、それに対する感情があまりにも強すぎて、自分で把握しきれなかったのだ。


 再び視線を、中空の映像へと移す。外では黒い触手の様な塊が幾本も持ち上がり、今しも城を飲み込もうとしているようだ。もしも団員たちの合流とノーリの“世界渡り”が間に合わなければ、全員が残らずあの化け物に捕らわれ……喰らわれるだろう。

 あの薄汚い粘液に飲み込まれ、想像を絶するような、死すら死せるような苦痛を、永遠に味わい続けることになるのだ。


―嫌だ。あんな化け物に喰われるなんて、“死んでも”御免だ!!


 数えきれない程の死を体験し、常人が想像しうるあらゆる苦痛を味わってきたナインの心が、今はっきりと拒絶反応を示していた。


 無駄なことだとは分かっていても、今すぐにこの熱線銃レーザー・ガンで、自分の頭を撃ち抜きたい衝動に駆られる。

 否、いっそそれは妙案かもしれない。脳を完全に破壊することが出来れば、自分が苦痛を感じていることにすら気付くことは無いだろう。例え永遠に喰われ続けるとて、その苦しみから逃れられるのならば……

 

「いけませんよ、ナイン」


 粟立つ心の中を吹き抜けていくような、静かな声が背後から響いた。ノーリだ。

 我に返ったナインの背中に向けて、語り掛けてくる。


「自棄になってはいけません。希望はあります」

「……この世界を丸ごと飲み込むような化け物が相手なのに、か?」

「そうですとも。最後の瞬間まであきらめない者にこそ、“勝利の女神”は微笑むんですよ」


 その陳腐な物言いに、ナインはそれ以上の返答をしなかった。

 だが、少しだけ。ほんの少しだけ、恐怖が薄らいでいくのを感じていた。


 なにせ今しがたのノーリの声が、酷く震えていたからだ。

 

 まったくこのお嬢さんときたら、お節介が過ぎて涙が出そうになる。自分だって恐ろしくて堪らないだろうに、それでも強がってナインを鼓舞してくれたのだ。

 ならばこれ以上、縮こまってはいられない。全体、護衛対象に元気づけられるボディガードなど、ナインの信じずるところの漢として、あるべき姿ではないではないか。

 

―命ある限り、希望はある。だったか……


 ナインは大きく深呼吸をすると、空いている方の左手で大きく自分の頬を張った。

 それから精一杯の虚勢を込めて、背中越しに言った。


「分ぁったよ。最後の瞬間まで、護ってやらぁ」

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