環状の世界・26
―肉体を鍛え、精神を鍛え、たどり着いた境地
―機会あらば、試さずにいられようか?
奇妙な静けさだけがあった。
かたや20万を超える大軍勢。かたやたった1人の大男。
かたや弓、槍といった単純極まる武装から、“ホバー・タンク”や機動砲システムなどの兵器を取り揃えた戦闘集団。かたや、鍛えてはいるが身一つの個人。
お互いの本拠を背に向かい合う、まったく異なる両者。その対比的構図は、何か複雑な命題を抽象しているように見えなくもない。
ただ少なくとも、その一方であるドスにとっては、この場を支配する理は単純なものだった。
「さぁて、どう出るかな?」
そう呟いてドスは両腕を組み、沈黙した。笑みを浮かべながら、正面を見据える。
宣戦布告……もとい、会談の申し入れに伴ってドスがゲルム軍に対して仕掛けたのは、指向性をもった“気”の放出の一種。威圧や威嚇と呼ばれるものだ。
本来は人数差や体格差、場合によっては装備品などの財力差に物を言わせて相手を萎縮させるという、上位の立場の人間が用いる手段だ。だが、“気”をコントロールする力を会得した者にとっては、もっと直接的なそれとなる。
生命もつ者の体内に必ず流れている、大いなる力である、“気”。世界によって“生体エネルギー”、“理力”などと呼称されるそれを適切に練り上げ、ぶつけてやれば、相手の精神や心を乱して無力化させることができる。
そしてドスの如き達人ともなれば、相手がどれ程の数を揃えていたとしても、それこそ大軍勢だったとしても、こうして“気”力で圧倒的な差を押し返してしまうのだ。
「これで縮こまるようでは、拍子抜けだがのぉ」
動く様子の見えないゲルム軍を前に、ドスは期待を込めて言う。
今の“気”を利用した威圧は、ちょっとした試験だ。闘うに値しない者を振るい落とすための、前準備である。
闘いに臨む者にとって最も重要な要素とは、技術でも力でもなく、まず“気”のもちようだ。武人たるドスにとって、戦場とは即ち命を奪い合う空間に他ならない。故にそこで自分と相対しようというのならば、せめて死ぬ覚悟をもってもらわねばならないのだ。
そしてどうやら、ゲルムの兵たちは及第点であった。ドスの強力な気の流れに中てられても、誰一人として逃げ出す気配がない(気絶した者に関しては、度外視しているが)。
「では、肝心の腕っぷしの方は……っとぉ!」
殺気を感じ取り、ドスはその場から跳び退った。直後、今しがたまで立っていた地面が衝撃とともに破裂し、大量の土ぼこりを上げる。そして、遅れて聞こえてくる爆音。
「砲か。まずは様子見かね?」
言いながらドスは、滑るように平原を移動し始めた。独特の歩法によって動く巨体が、まるで陽炎のように揺らめく。
それを追うようにして周囲に砲弾や光が雨あられと降り注いだ。どうやら、ゲルム軍の戦車や野戦砲による砲撃のようだ。装甲貫徹弾に、対人爆雷、高出力の熱線。多種多様な攻撃が、次々に平原に大穴を穿ち、ガラス状のクレーターをこさえていく。
だが、一発として巨漢を捉えることはできない。段々と歩兵の持つ弓や銃から放たれた矢玉まで混じり始めるが、同じことだった。
足の踏み場どころか、人が1人すら立っていられない程に空間が制圧されているというのに、ドスはまったく無傷のまま飛び回っている。
「しょうもねぇ奴らめ、飛び道具ばかり使いおってからに」
目にもとまらぬ高速移動をしながら、ドスはやれやれとばかりに肩をすくめた。
恐らくゲルム帝国の軍は、旧時代の遺産を発掘してからというもの、ろくに戦争を経験してこなかったのだろう。本来時代的に隔絶しているはずの兵科が同時に運用されていることから、まともなドクトリンが構築されていないのは明らかだ。
全体、こちらの戦力がドスという個人である以上、20万という大軍勢でおいそれと白兵戦を選択する訳にはいかないのだろうが、 この調子では天頂のお日様が“隠れる”まで、光線銃やら矢やらを撃たれ続けることになってしまう。
そんな下らない戦争は、断じてドスの望む闘いではなかった。
「まったく。どれ、ひとつ見せてやろうかっ」
ドスは大仰にため息をついてから、ピタリと足を止めた。そしてその場でゆっくりと足を開き、どっしりと腰を落とす。
ずどんっ!
途端に砲弾の1発が、ドスの身体を直撃した。間髪入れず、2発、3発、4発と、金属の塊が、光の矢が、鉛玉が、次々に命中していく。肉片すら残さないとばかりの、過剰攻撃。
しかしそんな執拗な攻撃の最中にあって、ドスはまったくの無傷だった。
降り注ぐ殺意を全身に浴びつつも、平然と笑っている。
これこそが、ドスのもつ不死性。“気”の運用の極致だ。
ドスは仙人としての頂きに到達する過程において、身体機能を尋常の埒外へと高める技を編み出した。今やその拳は大地を割り、その脚は山を跳び越え、その胸板は天より墜ちる星すら受け止める。
完成されたその肉体は、永遠に朽ちることのない金剛の如し。
正にドスは、不死身の武人なのである。
「かぁぁぁぁぁっ……」
ドスは腰を落とした姿勢のまま、深く呼吸を繰り返した。そして握りしめた右拳を引き絞り、そこに向かって“気”を集中させる。するとドスの体内で荒れ狂っていた生命力が、右手に向かって流れだした。それは瞬時に、結界寸前にまで膨れ上がっていく。
ドスは構えを取りながら、一向に止む気配のない砲撃の手に、胸中で少しばかりの賞賛の念を抱いた。
この用心深さと命中精度。戦争の経験はないようだが、可能な限りの訓練は積んで来たのだろう。だがこんな浅薄な手段で討ち取れるなどと思われているとしたら、それは甚だ侮辱である!
ドスは、一際高まった“気”を握りしめ、吠えた。
「手前ら、男だったら拳骨で来いやぁっ!!」
ずごおぉぉんっ!!
音よりも遥かに速い正拳突きが放たれた。
鋼鉄よりもなお固い右手が、何もない中空を撃ち抜く。
するとその瞬間。
大気と大地が大きく揺さぶられた。
ドスを起点として発生した強大な衝撃波が、扇状になって広がっていき、正面に展開しているゲルムの軍勢を、余さず飲み込んでいく。
びゅごぉぉぉぉっ!!
まるで天変地異か何かが発生したかのようだった。
拳圧によって大地が耕され、その上にちらほらと大小形が様々な人、物が散らばっていく。
歩兵たちが、あるいは吹き飛ばされ、あるいは泡を吹いて昏倒し。
ホバータンクが砲塔を地面に突き刺すようにして倒れ、装甲車がひっくり返ったままタイヤを空転させる。
決定的な破壊の跡地を前に、ドスが悠々と腰を上げて言った。
「もう終いか? 情けないのぅ」
「……なんだこりゃ、何が起こってんだ?」
会議室の自席で、ナインは呆けたように呟いた。
1人で死地へと赴いたドスの様子を中継映像を介してつぶさに見ていたのだが、ゲルム軍による砲撃からこっち、状況は予想外の方へと推移しつつある。否、転げ落ちつつある、と表現した方が正しい。
あの浮浪者のようなオッサンが、APFSDSだの熱線砲だのの斉射を平然と受け止めるだけでもイカレた事態なのに、パンチ一発で20万からなる大軍をノックアウトしてのけたのだ。
果たしてこれは現実の出来事なのか、はたまた団員らが新入りを脅かそうと仕組んだ、出来の悪いジョークなのか。
答えを求めるように隣へと顔を向けるが、団長であるノーリは、頭を抱えながら卓上に突っ伏していた。
「ああ、やっちゃった。完全に過剰攻撃ですよ、これは」
絶望的な感情が籠った呟きに、同じく観戦モードを決め込んでいたトリーたちが応じる。
「私たちに……喧嘩を売ったのが……悪い……」
「そうですわ! これぐらいの仕置きは受けて当然です!」
「うう、戦闘許可なんて出すんじゃなかった」
「今更言っても仕方ないわよぉ。それに、誰も死んでないみたいじゃなぁい」
「えぇっ!? あれで1人も殺してないってのか!?」
ナインが驚きの声を上げ、中継映像を見やる。
地に伏し蠢く兵たちと兵器群。人一人が引き起こしたとは信じられない、まるで絨毯爆撃を受けたかのような惨状だ。あれで死人が出ていないというのだろうか?
すると、相も変わらずクルクルと回転を続けていたピャーチが、口を挟んできた。
「城の観測機器と、現地の“タムたち”からの報告を総合すれば、現時点におけるゲルム軍の損耗率は78%を越えています。ですが、死者は確認できません」
「ドスは、あれでもそれなりの常識をもった人ですから。一応手心は加えているのでしょう」
「マジかよ……。ってかお前ら、あんまり驚いていないな」
ナインは、団員らの態度にこそ驚いてしまった。ノーリたちはドスの行いに様々な感想を述べてはいるが、意外性を感じている様子は微塵もない。つまりこの事態はまごうことなき現実のできごとであり、同時に彼女らにとっては見慣れた光景でもある訳だ。
―マジでバケモンの集団なんだな、ここは……
ナインは会議室の中を見回し、背筋を震わせた。
恐らくドスだけではあるまい。
トリーも、フィーアも、ピャーチも、スィスも、セーミも、そして麗しのタムも。この団に属する者たちは、人としての道理を大きく逸脱した存在。化け物なのだ。
そんな連中と同じ空間にいるという事実に、今更ながら恐怖が芽生えてくる。
「さて」
不意に義体少年のピャーチが、不思議な踊りを停止した。そしてノーリに向かって言う。
「そろそろ僕も、出ようと思います。例の遺跡へ」
するとノーリは顔を上げ、眼をひん剥きながら言った。
「ピャーチ! 貴方まで危険なことをしてはいけませんよ、絶対です!」
「無論です、ノーリ様。僕はただ、この世界の智慧に触れたいだけなのですから」
「この世界を壊すようなことは、断じてしてはなりませんからね!」
「理解しております。部外者として、節度をもった行動を取る所存です」
ノーリからの忠告にぎこちない笑みで応じると、ピャーチはさっさと会議室を出て行ってしまった。これから報告にあった、この環状の世界の起源に繋がると推測される電子頭脳のもとへと赴き、思うさま調査をするのだろう。
確かにこの人工の環境を管理している可能性のある装置に触れるとなれば、細心の注意を払わねばならないが、『世界を壊すな』というのはいささか大げさではないだろうか。
―いや、きっとあの小僧にならできるんだろうな
先の大惨事を思い起こし、ナインは即座に考えを改めた。ノーリの警告には、しゃれっ気がなかった。本気で心配していたのだ。つまりそれは、ピャーチにならば、この世界を壊すだけの力があるということに他ならない。
そしてそれは、ひょっとするとこの場にいる全員がそうなのではないだろうか?
ナインは静かに席を立った。そして中継映像にヤジを飛ばす女性陣から離れたところに座っているスィスへと、ゆっくりと近づく。あまりいい気はしないが、比較的まともに話が出来そうな相手は、この老人しかいない。
「何かな?」
優雅に食後の紅茶を飲んでいたスィスが、横目でナインを見る。何の感情も籠っていなさそうなその眼光に射貫かれ、萎縮しそうになるが、ナインは勇気を振り絞って問いかけた。
「前から思ってたんだが、アンタらは何故ノーリに従うんだ?」
「出し抜けに何だね、いったい」
「どうやらアンタらは皆、とんでもない力をもっているようだ。それについては、もう疑うのを止めたよ。だとしたら、どうしてノーリを団長の座に据えるんだ? 言っちゃなんだが、あの娘は……」
「長としての器ではない、か?」
「有体に言えばな。で、どうなんだい。恐らく能力的には、爺さんの方がよっぽど適していると思うんだがね」
「うむ、そうだな……」
スィスが若干言いにくそうに口籠った。いつも冷徹で、人を食ったような態度ばかりの老人らしからぬその反応に、ナインは鼻白んでしまう。
「それは、な。あの娘が、我らにとっての導だからだ」
「導?」
「うむ」
ナインの不審がる視線に気づいたのか、スィスが誤魔化すように咳ばらいを1つした。
「……我らは皆、人としての道理を外れた不死の集団だ。只人とは生き方が違う」
「そりゃまあ当然だな。俺もそうだが、ここの団員は普通の人間よりも“長”生きなんだから。それにアンタらは、スーパーパワーをおもちのようだし」
「左様。“永く”生き、そして力をもち過ぎると、段々と歪んでしまうのだ。ものの見方や考え方、感じ方、価値観がな。そうしてそれを拗らせると、遂には醜悪な存在になってしまう」
「醜悪な存在だぁ? そりゃあ、“化け物”にでもなるってのかい」
「いかにも。すべては自分を中心に回っていると勘違いし、考えもなく力を振るい、世界を喰らい、腐らせ、滅ぼしてしまう。それはまさに“化け物”であろうよ」
ナインは呆れながら中継映像を指さした。
「あのオッサンは違うってのかよ。あれだけのことをやらかしておいて」
「あれでも大分抑えている方だ。本気なら、ゲルムの軍勢は皆殺しだったぞ」
言いながら老紳士が、ふとノーリを見やった。細めた眼の中に一瞬だけ、深い感情の入り混じった色が見え隠れする。それは羨望のような、憧憬のような。いずれにしろ、やはりこの老人には似つかわしくないものだ。
「ノーリはな。我らが人としての道を外れぬよう、化け物にならぬようにと正道を示してくれるのだ。規範そのものと言っても良い」
「規範って、アイツがかぁ?」
つられてナインもノーリを見た。
だらしなく背中を丸め、卓上に肘をつきながら団員達とくっちゃべり、ストロー越しにコップのジュースをズコズコとすする。まともな生き方をしてこなかったナインですら、こんな行儀の悪い振る舞いはしない。全体、このお嬢様からは種々の無体な扱いを受けた記憶ばかりではないか。
彼女が団の規範などとは、同意しかねる論説だ。
しかしそれよりも、気になることがあった。
ナインはスィスに向き直り、再び問いかける。
「爺さんよ。ひょっとしてアンタ、“化け物”を知ってるのか?」
「……どうしてそう思う?」
「いやに実感の籠った物言いだったんでね。まさかアンタがその化け物になりかかっていたところを、ノーリに救ってもらったとかかい」
「ふむ……」
老紳士は即答せず、中空に投影された戦場の映像の方を指さした。
ドスの一撃によって壊滅状態に陥ったゲルム軍。その真ん中あたりで、動きがあったようだ。本陣の中から1人、歩き出す者がいる。
「あるいはひょっとすると、見られるかもしれんぞ」
「あぁ?」
「“化け物”を、だ」
―環状の世界の住人よ、ゲルムの民よ
―願わくば、久遠を生きる儂に刹那の喜びを!




