環状の世界・19
―おい、やつらが持っとるのは、あれは……
―うん……多分、間違いない……
―成程、確かにこれはイレギュラーだな
「火急の事態である! 道を開けよ!」
「大臣様がお通りになる! 道を開けよ!」
広い廊下に、野太い声が響き渡る。
それを耳にし、その発生源を眼にした召使や兵たちは、大慌てで壁に張り付くようにして、空間に占める自身の体積をより小さくしようと努めた。
エッボはそんな健気な部下たちの横を、護衛の兵士たちに周囲を固められながら通り抜けていった。
否。
運ばれていった。
「戻ってきた連中の様子はどうなのだ? 何か異常は?」
地上四階の執務室から一切休憩を挟まず進んで来たエッボが、先頭を走る兵の1人に確認する。
すると、その兵は小走りのまま振り返り、大声で答えた。
「医務室に運びましたが、特に傷や怪我などはありませんでした。気を失ってはいますが、全員命に別状はないようです」
「……そうか。それはまあ、吉報ではあるな」
恐ろしい速度で進みながら、エッボがううむと唸り声をあげた。
胃痛もちで運動不足の老体が、ここまでの道程で息一つついていないというのは異常なことだ。それもその筈、なにせ彼は自力で走っていないのだ。
屈強な男たちに両脇をがっしりと支えられ、ほとんど空中から吊り下げられる形で、“輸送”されているのである。
大帝の僕の中でも最も威厳ある立場の彼が、かように締まらない姿を晒すのは業腹であったが、しかし自分の足では玄関口まで半日はかかりそうなのだ。帝国の威信を脅かす者どもが現れたこの状況で、そんな悠長なことはしていられない。
「奴らは全員で13人だったな。それだけの人数を、どうやってここまで運んできたのだ?」
「門兵の証言では、何の前触れもなく現れたと。恐らく、“ジャンプ機能”を使用しているものと思われます」
「そこは予想通りだが……。しかし、こちらの腕利きを全員、死傷させずに無力化させたというのは恐ろしいな」
護衛兵の報告に、エッボは焦燥感とともに眉根を寄せた。
約3週間前になるが、エッボが派遣した精鋭部隊は、隠密能力や暗殺術に長じた、帝国でも指折りの実力者集団だ。もちろん、とても“大帝に比肩しうるものではない”のだが、とはいえ生半な相手に後れを取ることもない。仮に仕損じた場合でも潔く撤退するか、あるいは自害するように固く命じられている。それなのに五体満足で返されたということは、まるで勝負にならず無力化されたということだ。
そんなとんでもない連中に、まだ門前とは言え大帝の居城に踏み込まれたというのには、背筋が寒くなってしまう。有り得ないこととは思うが、よもやあの若き大帝が下されるなどという事態になったとしたら。
―ええい、世迷いごとよ。儂は臣下として、大帝を信じるのみ
エッボは再び問いかけた。
「それで連中は、本当にただ謝意を示しに来たというのか? 取引などではなく?」
「はい、そうです! 『此度の一件の非は我らに有る』、と」
「命を狙われた筈であろうに、奇特なことよな。信じ難い程の善人なのか、あるいは圧倒的な強者としての余裕の表れか」
「そこまでは分かりかねますが。如何しますか、大帝への謁見となれば、相応の準備が……」
「馬鹿者、もしもの場合を考えろ! まずは私が見定める!」
真っ正面から真っ正直にやってきたとはいえ、相手は想像を絶する危険な集団なのだ。大帝が敗北することなどあり得ないにしても、その脅威度を理解していながらあえて謁見させるなど、できよう筈があるものか。
―ゆえに、儂が相手をせねばならんわけか。いよいよ胃袋に大穴が空きそうだわい
激しく身体をゆすられながら、エッボはそっと腹を抑えた。
そうしているうちに、一団は目的地へと到達した。
透明扉が開かれるのをもどかしい思いで待ちながら、はるか向こうの門の下の人だかりを凝視する。
見えた。
衛兵らに取り囲まれている、奇怪な姿の男女が2人。こいつらが、異邦人に違いない。
男の方は紺色の長袖の上下で、女の方は異様に長い腰の帯をまとっている。顔付きや体格は普通だが、ゲルムの民ならばこの陽気の中でそんな出で立ちでいる筈がない。
大臣は兵に命じて降ろしてもらうと、まず息を整えた。そして透明扉が開き切ったのを見計らって、悠然と歩き出す。先ほどまでの慌てぶりとは正反対の余裕ぶった振舞だが、これもまた仕方の無いことだ。
相手方が何者であるのかまったくつかめていないが、使者を名乗っている以上はそのように扱わねばならない。当然警戒を解くことも、突きつけた武器を下げることもしないが、威厳をもって接しなければならないのだ。
何せエッボは、これからゲルム帝国の代表として使者と言葉を交わすのである。その一挙手一投足が、帝国の名に恥じないものでなければならない。
エッボは可能な限り腹を揺らさないように気を付けながら、門に向かって歩いた。すると向こうも、こちらに気が付いたらしい。エッボに向かって、値踏みをするような視線を送ってくる。
エッボはそれを堂々と受け止めつつ、人だかりから離れた安全な位置で立ち止まった。
同時に、護衛の兵らがエッボを庇う様にして前面に展開し、手に手に武器を構えて異邦人2人に“狙いをつける”。それに伴い、異邦人たちを取り囲んでいた門兵らも、槍を構えたままゆっくりと距離をとった。
人垣の中にぽっかりとあいた空間に、2つの異物が取り残されたような形になる。
どちらも只人にしか見えない。しかしたった2人でここにやってきた以上、この状況を切り抜ける自信がある筈だ。
さて、どうやって相手をしてやるべきか……
途端に急激なストレスを感じ取り、再びエッボの胃袋が悲鳴を上げだす。しかしエッボは必死にそれに耐えると、大きく息を吸い込んだ。そして、述べる。
「私はゲルム帝国最高位官、エッボ大臣である! 貴様らは何者か!? 何故大帝の居城を侵した!?」
叫んでしまってから、エッボは大きく鼻で息をついた。
玄関口どころか、城中に響き渡るのではないかと思える程の大声。よくもこんな細い身体からここまで無理ができるものだと、我ながら呆れてしまう程だった。
だが、それなのに。
異邦人たちは、無反応だった。
ナインは、硬直していた。
元より槍を突きつけられて身動きが取れない状況だったというのもあるが、新たに城の方から駆けて来た一団に、驚愕していたのだ。
正確には“大臣”と名乗る初老の痩せ男の周囲を固めている、護衛と思しき兵たち。彼らが手にしているある物に、である。
「姐さん、あれはまさか……」
「ええ。私も、いくつかの世界で似た物を見ております」
背中越しにそう言うタムの声は、少し強張っていた。彼女もまた、異常な事態を感じ取ったようである。
大臣の前に横一列に並んだ鎧武者たち。彼らの手には、とても奇妙な物品が抱えられていた。
複数の筒と管が絡まり合った、吹奏楽器によく似た不思議な器具。しかしそれを構える者どもが放つ殺気は、その器具が決してトランペットやそれに類するものでないことを如実に示している。
温い環境で過ごすうちに忘れかけていた、ナインの兵士として鍛えられた直感が裏打ちしてくれている。
あれは、恐らく。
否、間違いない。
「銃火器、だよな、あれは……」
ナインの知識の中にある、如何なる銃火器とも合致しない流線型のフォルム。表面にびっしりと施されている、文字だか模様だか判別のつかない刻印。機能性よりも見た目を重視したデザインなのではないかと疑ってしまうそれらは、団の城に飾られている古代の武具と似た雰囲気をまとっていた。
だがあの兵たちは、装飾器具を突きつけているつもりなどないだろう。
―クソが、しくった! あんなとんでもないものを見逃していたとは!
ここフィエルでの1週間にわたる調査では、あのような武装に関する情報など一切手に入れることはできなかった。強固な警備の前に断念してしまっていた帝城内部の調査だったが、それがあだとなってしまったようだ。
これは確実に、ナインの落ち度だ。
このままではナインどころか、タムまでも敵の手に落ちるという最悪の事態に……
「ナイン、落ち着いてください」
タムがこちらにだけ聞こえるような小声で、囁いた。自責の波に飲まれかけた意識が、即座に現実に引き戻される。
「私はあまり詳しくないのですが、あれは火薬によって弾丸を打ち出す種類のものでしょうか?」
「……その可能性もありますが、断定はできませんね。俺の世界にあったものとは違い過ぎるんで」
「今はとにかく、最大限の注意を払ってください。もしもの場合は、隙を見て逃げます」
「はい……分かりました」
同じく小声で応じながら、ナインは頭を切り替えた。
緊張感が、一気に全身を包み込んでいく。懐かしい感覚。こういった修羅場でこそ、ナインの経験が活きてくるというものだ。
―とは言え、不味い状況だぞ、これは……
じりじりと手を下げながら、つばを飲み込む。だが、懐に手を突っ込むことはしない。“抜い”たら最後、奴らは躊躇なく撃つだろう。
火薬式ならば、当たり所によっては対処が可能。
電撃ならば、筋肉が硬直してしばらく身動きがとれなくなる。
高出力の熱線ならば、打つ手はない。
どれが当たるのか、試す気にはなれない。
大臣と名乗った男が、眼を細めているのが見えた。
ナインたちが、兵たちの構えている武器の正体に勘付いたという事実に、勘付いたのだろう。
「もう一度聞く! 貴様らは何者で、何の目的でやってきた!?」
こめかみに青筋を走らせながら、老人が怒鳴る。あの痩せた身体で、大した声量だ。かなり焦れているのだろう。このまま黙っていては、本当に撃たれかねない。
「姐さん、ここは……」
「ええ、仕方がありませんね」
観念したように、タムが呟く。
ここは大臣との対話に応じ、隙を見て逃げるしかない。幸いなことに、こちらにはペンダントの“瞬間移動”機能がある。胸元にあるそれをどうにかして取り出すことができれば、即座に城へと帰還できる筈だ。
タムが一歩進み出ると、ゆっくりと語りだした。
「私たちは……」
その瞬間。
ビッ!!
突然、ナインの視界に閃光が走った。
とても強い光が一瞬、タムの身体を挟んだ向こう側で。
「なっ……」
タムの身体がくずおれるのは、「何が起こったんだ」と呟くよりも早かった。
しかし彼女を抱きとめるのは、それよりもさらに早かった。
固い地面と華奢なメイドの間に、自分の身体を滑り込ませる。寸でのところで間に合ったが、しかしタムはぐったりとしたまま動かない。
その胸元からは、ぶすぶすと焦げ臭い匂いが立ち上っていた。
「馬鹿者っ! 何故撃った!?」
大臣と名乗った男が怒鳴る。
そちらを向くと、銃を構えていた兵の1人が眼に入った。
眼の焦点が合っていない、ぼんやりとした表情。自分が何をやっているのか、何をやってしまったのかが理解できていない、呆然自失としたその顔。
再び視線を落とすと、今度は苦悶に喘ぐタムの顔がそこにあった。
あの温かい笑みと、血の気と、熱が。急速に失われていくのが見て取れる。
撃たれた 姐さんの身体、柔らかいな ピカって
胸に穴が開いてる 逃げないと、不味いな
なんで撃ちやがったんだボケ 今の、熱線だったか?
クソが、ぶち殺してやる
死んじゃ駄目だ、タム!!
ほんの数秒の間に、ナインの脳内で激情めいた思考が渦を巻く。
そんな中でも“訓練した”通りに身体が動いたのは、やはり彼が軍人としてそれなりの地獄を潜り抜けて来たからだろう。
ナインは無言のまま胸元に手を突っ込むと、首から下げていたペンダントを掴み取った。
するとそれを見た大臣が、血相を変えて叫ぶ。
「いかん、逃げるつもりだ! 止めろ!!」
仲間の暴挙に唖然としていた兵たちが、命令を受けてにわかに動き出す。
だが、タッチの差でナインの動きの方が速かった。
ペンダントを握りしめ、即座に機能を解放。
次の瞬間、ナインとタムの姿は、帝城の門前から消え失せていた。
―撃たれた!? どうして、なんでですの!?
―そんな、タム……




