環状の世界・15
城に到着して早々。
休む暇もなく、ナインは報告のために会議室へと召喚されていた。
大きな室内のど真ん中に鎮座する、巨大な円卓。ほぼ1週間ぶりに腰を下ろした自分の椅子は、存外に心地よいものだった。まだまだこの城には『我が家』と呼べるほど住んではいないのだが、それでも精神的に大きな負担だった敵地における滞在から解放されたというのは大きい。
首を締め付けるネクタイを緩め、ほっと一息ついていると、眼前の卓上に湯気を立てる陶磁器のカップが置かれた。
「どうぞ、ナイン」
「ありがとうございます、姐さん」
傍らで給仕をするタムに礼を言い、ナインは即座にカップを手に取った。合成ではない豆から挽かれたコーヒーの香りが、鼻腔と脳髄を強くくすぐったのだ。付け合わせの砂糖やミルクには眼もくれず、そのまま一口含む。
舌と喉を焼く熱。
目の覚める様な苦み。
任務中のフィエルでは楽しめなかった、究極の嗜好の1つだ。
―悪魔の如き黒さと地獄の如き熱さ、だったか。これぞ本物ってやつだな
やはりタムの淹れてくれるコーヒーは、代用品などとは比べ物にならない。しばしナインはこの場にいる理由を忘れ、その味わいを堪能した。どす黒い液体で満たされていたカップは、瞬く間に空になっていく。
いけない、これではまったく満足できない。
「お疲れ様ぁ、ナイン」
お代わりを所望しようとしたところで、右隣の席から甘ったるい声がかかった。そちらを見ると、そこにはいつの間にかフィーアが座っている。
「大活躍だったみたいねぇ。スィスが感心してたわよぉ」
相も変わらずむせ返りそうな色気を振り撒き、妖艶な笑みを浮かべながら、フィーアが言う。
「大分意気込んでいたけど、失敗しなくて良かったわぁ」
「ありがとうよ。ま、無駄飯喰らいにならないように、これからも働かせてもらうさ」
「偉いわねぇ、お姉さんも期待してるわよぉ」
くすくすと蠱惑的に笑いながら、背中の黒い羽をわさわさと蠢かせるフィーア。
そういえば、てっきりこの姿はコスプレの一種だと思い込んでいたのだが、ノーリの魔法が実在しているのだから、この動く羽や頭の角もまた、彼女の身体の一部なのだろうか。
「……ところでぇ」
そんなことを考えていると、突然フィーアがナインから視線を逸らした。彼女から見てナインの後方。丁度ナインの左隣の席のあたりを見つめ、ぺろりと唇を舐めながら眼を細める。
「ひょっとしてぇ、一皮剥けちゃったぁ?」
「何のことだよ」
「とぼけちゃってぇ。“2人”の様子が変わったの、すぐ分かったわよぉ」
「俺は別に……」
「いいからいいからぁ。お姉さんに、話してみなさぁい」
言葉を濁すナインに、にじり寄ってくるフィーア。卓上に押し付けられる巨大な乳房がぐにゃりと潰れるのが見え、ナインは思わず仰け反った。
すぐに分かったと言われるほど態度を変えたつもりなどないのだが、“つい先刻”のことを言っているのだろうか?
「おい、よしてくれよ。またぞろアイツが……」
嫌な予感がしたナインは、背後を振り向いた。“このような”状況になると、火が付いたように怒り出す人物がすぐそこにいるからだ。以前もこのけったいな女に奇妙な術で誘惑されかかり、その際に手酷く打擲されている。
もうすぐ会議が始まるし、森の中を歩いてきたのでクタクタなのだ。こんな状態であの一撃をもらったら、今度こそ昇天しかねない。
しかし。
懸念される様な事態は、終ぞ起こることはなかった。
ナインの左隣に座る件の人物が、この状況にさしたる反応を示さなかったのである。
「別に、大して変わってはいませんよ」
こちらを一瞥すらせずにそう言ったのは、先程ナインと共に会議室に入ったノーリだった。椅子の上で優雅に足を組み、澄ました顔で紅茶の入ったカップを傾けている。
「ノーリちゃぁん、私にだけ何があったか教えてよぉ」
「何もありませんよ。ただ、あるべき形になっただけです」
ナインを通り越して直接訊ねてきたフィーアに対し、にべもなく言い放つ。
ノーリらしからぬその様子に、ナインは眉根を寄せた。こういうときには真っ先に反応する筈の娘だというのに、妙に静かだ。ぎゃあぎゃあと喚き散らさないのは大変に結構だが、拍子抜けである。
ナインの背後で眺めていたフィーアは、軽く鼻を鳴らすと、それ以上の追及を止めた。
「ま、いいけどねぇ。これからも末永いお付き合いになるんだからぁ、精々仲良くしなさぁい」
それきり興味を失ったように、自分の手元のお茶請けに手を伸ばすフィーア。ナインを出汁にしてノーリを揶揄おうとしたが、当てが外れてしまったのだろう。今度はタムに向かって「教えてよぉ」などと粉をかけるが、にこやかに拒絶されていた。
ナインは椅子に座りなおすと、そっとノーリの方を盗み見た。
つい1週間前までは何かとナインを構おうとしていたのが、嘘のように落ち着き払っている。ほんの少し前にも涙目で謝意を示してきたというのに、今の彼女の横顔にその跡は微塵も見えない。哀しみも、怒りも、憂いもない純白そのもの。
初めて会った時からずっと幼い外見に相応しい振舞をしていたが、今現在のこれこそが、彼女の本質なのだろうか。
「なんです?」
「い、いや」
ナインの視線を感じたのだろうか。ふとこちらを見たノーリとばっちり眼が合ってしまい、ナインは慌ててとりなした。するとノーリは軽く頷き、また黙って正面を見る。
まるでナインの存在を意に介していないかのような様子に、ナインは憮然としてしまった。
その落ち着き払った、ともすれば冷たいともとれる態度は、彼女の精神が肉体年齢を遥かに超越していること暗に示しているかのようである。不死者として永い年月を生きてきた結果と考えればさもありなんだが、ここまで変わり身が早いと戸惑う他ない。
というよりも、これではまるでナインの方が純情な餓鬼のようではないか。
―いや、本来こうあるべきだろうが。何をショックを受けてんだ俺ぁ……
そうしているうちに、会議室にはどんどん団員達が集まっていった。
トリー、セーミ、ドス。相変わらず統一感がない顔ぶれが、入ってくるなりやいのやいのと騒がしく世間話を始める。やれ「昨日の魚のソテーは絶品だった」とか、「以前に読んだ本の内容が結末が酷かった」だとか、取り留めもない内容だ。その会話自体はごく自然なものだが、改めて見るとやはり濃い面子だ。自分が言うのも何ではあるが、とても堅気の集団には思えない。
その元締め。もとい議長たるスィスが最後に入室すると、息を弾ませながら円卓の前に立った。
「皆、遅れてすまん。これより会議を始める」
ぐるりと室内を見回しながら開会を宣言。しかし、メンバーが足りていない。
「まだピャーチの奴がいないみたいだが?」
「ああ……その理由については、この話の中で説明しよう」
ナインが問いかけると、スィスが微妙に顔をしかめながら言った。
どうやらここに来る前に、あの全身義体男と何か悶着があったらしい。ナインを召喚した本人がこの場に遅れたのも、そのあたりに理由がありそうだ。
スィスは咳ばらいを1つすると、話し始める。
「この1週間における調査活動によって、我々はこの環状の世界の。少なくとも、この大陸の全容を掴みつつある」
さっと腕を一振りし、円卓の三次元投影装置を起動。
照明が落とされた部屋の中空に、今までに集積された情報が映し出されていく。
「ナインが得た情報によって裏打ちされた通り、帝国の文明レベルは極めて低く、この環状の世界を創り上げた存在とは完全に別種の集団であることは間違いない。戦闘力も低く、“同位体”の存在も確認されていない。よって団長が下した結論は……」
言いながら、ちらりとその団長に眼をやるスィス。
しかし桃色髪の娘は、黙って投影された情報を見つめるばかりだ。
老紳士は上品な仕草で口髭を撫でると、軽く頷いてから述べた。
「……我々から能動的に帝国に対して攻撃を仕掛けることはない、ということになった」
会議室から、様々な感情が内包された溜息や唸り声が上がる。不服なのか、無関心なのか。ナインとしては、複雑なところであった。
いくら文明レベルが低いとはいえ、相手は紛れもない一国家だ。いたずらにちょっかいを出すのは勿論避けるべきだろう。
しかしながら、不本意とはいえ彼らとはすでに一戦を交えたという過去がある。この微妙な状況をただ維持し続けるというのは、政治に関するセンスが皆無のナインでも不味いように思われた。
加えて引っかかるのは、戦闘力が低いというその物言いだ。果たしてそれは、暗殺者集団やナインの報告を総合的に判断した上でのものなのだろうか。
「んで、捕虜たちの扱いはどうするんじゃ?」
この決定にいかにも不満といった様子のドスが、行儀悪く卓上で頬杖を突きながら問う。
「彼らからは、すでに得られるだけの情報を得た。もはや拘禁する必要はないだろうな」
「……なら……どうするの……?」
「一応記憶を消去して眠らせてあるからぁ、どうとでもできるわよぉ」
「それならとっとと放り出せばいいんですわ。アイツらにタムの料理を与えるなんて勿体ない!」
途端にやいのやいのと言い出す団員たち。彼らは全員無傷だったが、それでもほとんど問答無用のままに襲われたので、少なからず腹が立っているのだろう。首を直にへし折られたナインとしても、その実行犯がこの城でのうのうと過ごしているのは確かにいい気分はしない。
しかしその扱いは、慎重に考えねばならないだろう。
魔法か何かによってこの団に関する記憶を消したにしても、わずかな痕跡からこちらの何かしらの素性が読み取られてしまうかもしれない。調べた限りでは向こうにそんな技術はなさそうだが、100パーセントそうだとは断言できないのだ。
放り出すにしても、何処でそうするかが考えものだ。人の眼がある場所では不味いし、かと言って危険地帯に置き去りにして野垂れ死にされては、解放する意味がない。下手に城から離れた地を選んでも、こちらの移動能力についての判断材料を与えることになるだろう。
最も安全なのは完全に“処理”してしまうことだが……しかしこれは口にするのも考えるのもはばかられた。
―意外と面倒な案件だな……
ナインの脳内と同じく、会議室も紛糾していた。おおよそナインの思考と同じ案が当たり障りない程度に挙がるのだが、一部の団員が過激な意見を放って論議をかき乱すのだ。その筆頭がドスだった。
どうもこの巨漢は、こっちの世界に来てから活躍の場がないことにフラストレーションが溜まっているらしい。「命を狙ってきた奴らに容赦など不要」、「やられっぱなしでは沽券に関わる」という勇ましい言葉ばかりか、「逆さ貼り付けにしてフィエルの市場に吊るそう」などという過激な意見まで言い出す始末だ。
そこにセーミが無邪気に追随するものだから、余計に手に負えない。
「ちょっとドスぅ、品が無いわよぉ」
「暗殺などという卑怯な手段をとる連中の方が、余程品が無いじゃろうが。躾じゃ躾!」
「そうですわ! 悪いことをしたら拳骨と、相場は決まっているでしょう!」
「落ち着けよオッサン。本当に国と事を構えることになったら不味いだろうが。十数人の暗殺者集団どころか、軍団との戦闘になるんだぞ」
「まったく構わんわい。あの程度の奴らが万だの億だの来ようが、儂には物の数ではない。それと小僧! オッサン言うな!」
「そうですわそうですわ! 私だって手伝いますもの!」
「……これだから……脳筋は……」
ナインも必死に食い下がるが、巨漢の覇気の前には微風にもならなかった。加えて他の団員達も、ドスの過激さを窘めはするものの、帝国へのアクション事態は強く否定しない。つまりこの団員たちは、そろいもそろって帝国を過小評価しているのだ。
もし本格的に衝突することになっても、まったく問題はない、と。
その恐ろしいまでの楽観的な雰囲気の中で、真に状況を危惧しているのはナインだけのようだった。このままでは、議論が危険な方向へと決着してしまいそうである。
その時だった。
「お待ちなさい」
突然、ガタンと誰かが椅子を蹴立てて立ち上がった。
そちらを見ると、会議の間ずっと沈黙を保っていた人物が、腰に手を当てて仁王立ちをしているではないか。
会議室が水を打ったように静まりかえり、全ての視線がその人物へと集中する。
そんな中、純白の肌をほんのり朱色に染め、桃色の癖毛を揺らすその娘は、凛として言い放った。
「彼らの身柄はきちんと大帝殿に、“直接”お返しします」




