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環状の世界・14


「それで、よろしいではありませんか」


 いつものように、見る者の心を温かくするような笑みを浮かべて言うタムを、ナインはぽかんとしながら眺めていた。

 彼女の表情に一切の邪気はなく、ナインを揶揄したり混乱させたりする意図は見えない。純粋そのものであったが、しかしナインの心の荒みを取り払うことはできなかった。


「よろしいって……それはないでしょう……?」

「そうですか? 課題が明らかになったのならば、後は改善すればよいだけでしょう」

「そんな簡単なことじゃぁないんですよ……」


 哀しみとも怒りともつかない感情に顔を歪ませながら、ナインは消え去りそうな声で呟く。

 自分とノーリとの関係性。そこに秘められた歪さへの恐怖を、勇気を出して告白したというのに。それを聞いたメイド様の反応ときたら、予想外にも程があった。


「俺は遺伝子をこねくり回して造られた道具だ。まともな人間じゃぁない。だがそれでも、心は人並みだと思ってる」

「ええ、存じています。貴方がどれだけ素っ気なくしていても、ノーリ様のことを大切に想う程度には心優しいということを」

「……例えそうだとしても、そんなのは空回りもいいところじゃないですか」


 温かくも真っすぐな視線に射貫かれ、さらには心中を看破されて。いたたまれなくなったナインはタムから顔を逸らし、再び俯いた。

 しかし腹の内に渦巻く不快なものに我慢できず、溜まった反吐をぶちまけるように語り続ける。


「ノーリに誘われたとき、俺は本当に嬉しかった。心の底から嬉しかったんです。あのままあの世界に留まったところで、何の希望ももてやしなかっただろうから」


 言いながら、空っぽのカップを強く握りしめる。白くなった指先が、少しだけ震えた。

 

 自分を必要としてくれる者たちは、誰一人としてナインそのものに価値を見出さない。本当に欲しかった何者かの代わりとしてしか、ナインを求めない。


 創造主たる大陸連盟の権力者たち。

 戦友にして上官の娘。

 スラムのギャングたち。

 そのいずれも、敵対する勢力に抗するための手段か、あるいは喪失感を埋め合わせる為の捌け口としてナインの存在を欲したに過ぎない。決して、ナインそのものが必要だった訳では無いのだ。


「だから俺は、アイツのためにできることを何でもやろうと思った。そうすることで、少しでも恩を返せるから。でも、ノーリが俺を入団させてくれた理由が、俺を救うためじゃあなくて、自分を慰めるためだったとしたら……」

 

 沈黙を守るタムに対し、グダグダと八つ当たり気味に心情を吐露するナイン。センチメンタルな部分が狂乱する中、わずかに残った冷静な部分が、『心底ダセェな』と自身を評価する。

 その姿は正に、かつてメトロポリスのスラム街で何度も目にした、安い密造酒で泥酔した労働者そのもの。ナインが最も忌み嫌う、軽蔑するような情けない男の姿だ。


 しかしながら、それが分かっていても感情をコントロールしきれないのがナインという男である。

 創り上げられた人格や与えられた記憶は成人のそれであっても、彼自身の人生経験はたったの10年程度だ。その完成された肉体とは裏腹の未熟な精神では、このように大きなわだかまりを御せる筈もなかった。


 恥辱。

 苦痛。

 憤怒。

 憎悪。

 

 まるでマグマのように吹き上がる負の感情の数々が、ナインの胸中で暗く汚いマーブリング模様を形作っていく。その波に耐え切れなくなったナインの眼に、遂に大粒の涙が浮かび上がった。


 しかし、その瞬間。


「大丈夫ですよ」


 ふと、耳元でタムの囁き声が聞こえた。

 優しいその口調に思わず顔を上げると、その拍子にナインのカップを持つ右手がふんわりと温かい感触に包まれた。

 タムの手だ。ナインのそれより小さく細いのに、ずっとずっと温かい。


「貴方は決して、誰かの代わりなどではありません。貴方は私と同じように、れっきとしたアライン構成員メンバーなのです」


 言いながら、ナインの手を握るそれに力を込めるタム。指先から手首、腕から心臓へと、じんわり熱が伝わってくるようだった。


「少なくとも、私にとっての貴方はナインその人です。いつも私の料理を美味しいと喜んでくれて、お皿洗いや床磨きを手伝ってくれる優しい人。期待の新人にして、私の初めての後輩なんです」


 それきり沈黙するタム。しかしその手は、ナインのそれから離れることはなかった。

 同じく黙りこくっていたナインであったが、やがて胸中で沸々と湧き上がってくるものを覚えていた。


 先ほどまでとはまったく別種の感情の渦が巻き起こり、目頭がカッと熱くなる。

 堆積する不安を押し流すにはとても勢いが足りなかったが、それでも少しだけ。

 少しだけ、心が晴れた様な気がした。


 ここまではっきりと肯定してもらったら、もうガキみたく振舞う訳にはいかない。

 団の一員として、ナインという1人の男として認めて貰っているのならば、それにふさわしくあるべきだ。


 メイドの胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られ、それをグッと抑えながら、ナインは言った。


「……すみません。俺、ちょっとナーバスになっちまったみたいで」 

「それもまた、よろしいのではないですか。感情が枯れていないということは、人であることの証ですから」

「それでも、限度ってもんがありますよ。ああ、まったく最悪だ……」


 カップを持っていない方の左手でこめかみを抑えながら、情けない声を上げるナイン。

 別にハードボイルドを気取っている訳では無いが、それでも他人に弱みをさらけ出すというのは酷く惨めな気分になるものだ。ことにタムのような魅力的な女性に対してともなれば、尚更である。

 おまけに、問題の根幹はまったく解決されていないのだ。タムの反応を見るに、ナインのノーリに対する懸念は的を射ている可能性が高い。このまま城に帰ったとて、今まで通りに彼女と接することができるだろうか。


 ああ、まったく最悪極まる……


「いいえ。その程度のこと、最悪とはとても言えませんわ」


 タムがやさしい口調で、しかし頑として言う。


「最悪というのは、四方どころか天地までもを囲まれ、完全に窮まった状態を指すのです。わずかでも改善の余地あらば、それは希望の光に満ちていると言えるでしょう」

「改善って……何をどう改善できるって言うんですか?」

「確かにノーリ様は貴方に、もういない誰かの陰を重ねていたのかもしれません。でも、今ノーリ様の前に立っているのは他ならぬナイン、貴方なんです」


 タムは立ち上がりながら、ナインの手から自分のそれを離した。ナインは名残惜し気にその繊細な指先を目で追うが、タムはそれを気にした風もなくスカートの皺を直し、姿勢を正す。


「だから、ナイン。貴方は名前も知らない誰か以上の存在になってしまえばいいんです。どれだけ時間がかかってもいい。ノーリ様がその誰かと築いた以上の思い出や関係を築ければ、ノーリ様にとっての貴方は代りではなくなるでしょう?」

「そりゃあまあ、そうですがね……」


 言われてナインは、やや呆れながらも同意した。

 確かに、不死者にとっての時間は無限だ。今はまだ、ノーリはナインの中に別の誰かを追うばかりだとしても、共に過ごすうちにその印象は崩れていくことだろう。


―生きている犬の方が死んだライオンよりもマシ、だったかな……

 

 元の世界の諺を思い浮かべながら、少しばかり卑屈な表情になるナイン。

 まるでその誰かからノーリを寝取るような気分になってしまうが、しかしすでに似たようなこと過去に一度やらかしているのだ。全体、ノーリには一個人のナインとして見て欲しいだけなのであって、ねんごろになりたいと思っているわけではない。さして問題はないだろう。


「それに、きっと今頃ノーリ様は、貴方に対する態度の愚かしさを悟り、恥ずかしさのあまりに枕を濡らしていますよ。ベッドの上で悶え転がって、お気に入りのとんがり帽子を弾き飛ばしながら」

「いやに具体的ですね。まるで見て来たみたいだ」

「当然です。だって私は、メイドですから」

「理由になってませんよ……」


 確かにあの娘ならばそんな子どもっぽいことをしそうだが、何故断言できるのかは不思議である。きっと付き合いからの予測というよりも、こちらの気分をほぐそうという計らいなのだろう。それならば、いい加減にウジウジするのは止めにしなければならない。


 叱咤激励を受けて心に火が点ったように感じたナインは、両手で自分の頬をバシバシと叩いて気合を入れると、重い腰を上げた。


「覚悟ができたようですね?」

「……ええ。もう一度、ノーリとよく話し合ってみますよ」

「では、1つアドバイスを差し上げましょう」

「アドバイス?」

「ノーリ様と対等な関係でいたいと思われるなら、あの方を子ども扱いするのは厳禁です。上から目線で保護されるなんて、貴方だって嫌でしょう?」

「う……そうですね」


 言われてみれば、思い当たる節があった。

 初めて出会った時の庇護欲を掻き立てられるような印象から、ナインはずっとあの娘のことを護るべき対象として見てきた。それもまた、ノーリにとっては耐え難いことだったのかもしれない。

 なればこそ、改めるべきだろう。


「分かりました。ノーリとは対等に接するようにしますよ。俺だって、アイツにガキ扱いされるのは御免だし」

「ええ。……では、ナイン。そろそろ参りましょうか」

「そうですね。体力も回復できたし、出発しましょう」

 

 タムの提案に応じながら、ナインは城のある方角を見つめた。

 今しも自分たちの帰りを待っているであろうノーリに、まず何と言葉をかけるべきか。

 

 過去の境遇。

 積み重なった思い。

 関係性。


 話し合うべきことと、触れるべきでないデリケートな部分が密接に絡み合っている。ノーリ次第ではあるが、対話による問題の解決には時間がかかりそうだ。取っ掛かりすら掴めていない現状ではあるが、何せ城まではまだまだ距離があるのだ。歩いていくうちに、良い考えの1つや2つは浮かんでくるだろう。


 そう思って歩き出そうとするナインだったが、数歩も歩かないうちにタムに制止されてしまった。

 訝し気にそちらを見ると、タムが例の笑顔で言う。


「丁度いいタイミングですね、“瞬間移動テレポート”機能のクールダウンが終了しました。すぐに城へと帰還できますよ」

「……え?」


 やにわにペンダントを突き出され、ナインは間の抜けた声を上げた。

 そう言えば、2人して座って語らっていたのは、次のテレポートを待ちがてらの休息時間だったのだ。大分白熱してしまったが、気付かぬうちにかなりの時間が過ぎていたらしい。それだけナインの愚痴が長かったのだろうが、しかしこれは少々不味い事態だった。


「ね、姐さん。今すぐ帰ることもないんじゃないですかね?」

「いえいえ、思い立ったが吉日です。その勢いに乗って、想いを告げてしまいましょう」

「でも、ノーリの奴は泣いているかも知れないんでしょ? だったらもう少し時間を置いた方が……」

「何を弱気なことを。女性を墜とすには、心理的に弱っている瞬間こそが最も狙い目なんですよ」

「いや、もう白状します。俺の心の準備ができとらんのです。後生ですから今しばらく!」

「ならば尚更聞けません。覚悟が鈍る前に、ノーリ様のお部屋へ直行しいたします」

「ちょ、まっ……」


 せめて5分だけでも考える時間を、と慈悲を乞おうとするナイン。

 しかしながら、待てと言われて待つ人間がいる筈もなく。


 タムは無慈悲にも、ペンダントの機能を解放した。








 突如目の前に光が溢れた。次いで室内に衝撃波が走り、書籍や観測機器、それに大量の塵屑が撒き散らされる。


「うわっぷ!」


 吹き荒れる突風にあおられ、悲鳴を上げながらベッドの上を無様に転がるノーリ。乱れた桃色の髪を抑えながら即座に身体を起こし、状況を把握しようとすると。


「ナイン……っ」

「ん……おう、お嬢……ノーリ」


 何と眼の前に立っていたのは、ナインであった。

 数日ぶりの再会だというのに、それを喜ぶ様子は微塵もない。まるでノーリを恐れるかのように、立ったまま大きく身体を仰け反らせている。

 もっとも、ノーリ自身もそんな心情ではあったが。


「ただいま帰還いたしました。ノーリ様」


 ナインのすぐ脇で、タムが恭しく礼をする。

 どうやらペンダントの機能を使用して、“瞬間移動テレポート”をしてきたようだ。無事に帰ってきてくれたのは何よりだが、しかし何故直接ノーリの部屋に乗り込んできたのだろうか?


 ノーリがそう訊ねようとすると、タムはまるでそれを察したかのように、すっと大きく一歩下がった。そして一言。


「それでは私は、仕事がありますので。これにて失礼させていただきます」


 今一度恭しく礼をし、温かい笑みを浮かべたままさっと踵を返すと、タムは一直線に出口へと向かった。そして扉を開きながら、「ごゆっくりどうぞ」と捨て台詞を残して出て行ってしまう。まるで風の様な素早さだった。


 後に残されたノーリとナインは、気まず気に眼を逸らし合ったまま沈黙する。


―さて、どうしたものか


 そんな自問など、する必要もない。やるべきことはたった1つ。

 “タムが部屋を去ってから”ずっと考えていたのは、それだけだったのだから。


 覚悟を決めたノーリは、“しばし”の時を経て開口する。

 

「あのっ、ナインっ!!」

「な、なんだよ」

「私、貴方に謝らなければならないんです! 私は今まで、貴方のことをっ……」


 緊張のあまり、言葉を詰まらせるノーリ。一旦深呼吸をしてから、ごくりと唾を飲む。幸いにも

口にしかけた言葉まで飲み込むことはなかった。


「私、貴方に対してとても無礼なことをしてしまいました。それは……」


 その瞬間、脳裏に再び過去のトラウマがよぎった。


 大いなる夢。

 魔法。

 弟。

 己が抱え込んだコンプレックスの数々。

 

 これから自分は、それを余さずナインに告げねばならない。それは想像を絶する苦痛を伴うだろう。


 だが、それが何だというのか。

 己の欲求のためにナインを利用したことを考えれば、その程度のことなど……

 

「言わなくていいよ、ノーリ」


 突如ナインが、すっと手をかざした。そして、ノーリに向かって深々と頭を下げる。


「俺の方こそ、謝らなきゃならねぇ。初めて会った時からずっと、俺はお前に無礼を働いてきたからな」

「そんな、それだったら私だって……!」

「だから、さ」


 仰天するノーリの言葉を遮りながら、ナインが柔らかい口調で言う。


「これで“お相子”だ」

「おあいこ?」

「ああ。これで恨みっこなし。どうだい?」


 キョトンとしているノーリに向かって、ナインが笑みを浮かべる。

 眼尻が下がったそれは、いつもの皮肉っぽい笑みよりも随分と優しいものであった。

 

 お相子。成程、そう言うことか。


 ノーリは、ナインの真意を理解した。


 恐らくナインは、何処かで気が付いていたのだ。ノーリの彼に対する態度が、過去の何かに起因するものだと。

 そしてノーリがそれについての謝罪をしようとすれば、どうしようもない過去の汚辱を暴露することに他ならない。自らの恐るべき過ちを謝罪するだけでも大変なことなのに、それではまたもや精神に傷を負うことになってしまう。

 そしてそれを聞いたからには、ナインもまた自分の過去について語ろうとするだろう。あんな地獄のような世界で育った彼が、どのような悲惨な体験をしてきたのか。あまり考えたくもない。

 

 だから、お互いの無礼は詫び合う。だが過去のことには触れない。それで手打ちにしよう。

 そのように、この場をおさめようとしてくれているのだろう。

 

 信頼できないから語らないのではない。お互いを思いやる関係だからこそ、伝えるべきでないこともあるのだ。


「……ええ、そうですね。私たちは、“対等”ですから!」


 

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