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環状の世界・8


 帝国首都フィエルの市場は、本日も大変な盛況であった。

 道行く人々の足取りは軽く、店番は活気に溢れた呼び声を上げ、警邏の兵たちですら上機嫌。温かい陽光の下、全ての人々の顔に笑顔が浮かぶその様相は、まるで地上に顕現した楽園そのものだ。

 かつての古の者たちの御世もまた、かように幸福に満ち満ちていたのであろう。


―ああ、これも偉大なる大帝の治世のおかげ!


 大通りに軒を連ねる商店。その内の1つで野菜売りを営む女店主は、胸中で若き大帝への感謝を述べた。


 それは女店主が日常的に行う商売繁盛への奉謝なのだが、今日はいつもより2時間ほど早い。その理由は実に簡単だった。

 まだ店を開けたばかりだというのに、大玉の西瓜が6個と赤茄子8個、甘唐辛子が5個に、玉蜀黍が10本も売れてしまったのだ。お日様が“現れて”から小一時間の売り上げとしては、上々と言えるだろう。


「よぉ、景気がよさそうだなぁ」

「お蔭さまでね。うれしいんだけど、どうしたことだか」

「まあまあ、客が来てくれる分にはいいことじゃないか。ほら、これとこれをおくれ」

「ええ、毎度どうも!」


 顔なじみの客と軽口を叩き合うが、しかし女店主は内心で首をひねっていた。

 若き大帝が即位してからというもの、フィエルはもとより帝国中が好景気だが、今日は一段と客足が伸びているようだ。しかもそれは、この店に限った話ではない。

 隣の衣服屋は大勢の若者たちでぎゅう詰め状態だし、そのまた隣の飯屋には行列が並んでいる。向かいの書店も、はす向かいの雑貨屋も、同じように朝から賑々しい。祭りだの式典だのが行われるわけでもないのに、珍しいことだった。


―まあ、悪いことの前触れってわけでもあるまいね


 女店主はそう考え、1人頷く。

 実際のところ、お客が来てくれることに悪い点などありはしない。むしろこの好調ぶりは、吉兆に他ならないだろう。悪いことは続くものだが、逆もまた然り。このまま忙しくも、充実した1日になって欲しいものである。

 女店主は、遥か遠くにおわすであろう古の者に祈りつつ、商売に勤しんだ。


 そうして彼女が、10人目の客を見送った頃。

  

「毎度どうも~。……おや」 


 入れ違いに店に入ってきた男に、女店主は目を丸くした。その姿が、少しばかり奇妙だったからだ。

 綺麗に刈り上げた短髪に、印象的なやや切れ長の目。しかしもっとも異様なのは、全身をすっぽりと覆い隠すように着込んだ外套だ。衛兵もかくやという背の高さもあり、悪い意味で目を引かれてしまう。


―ははあ、さては……


 女店主は、即座にあたりをつけた。 

 彼女がこの店を先代から受け継いでから、今年でもう20年を数えることなる。その間ずっと地域に根差した商売をしているので、このあたりに住まう買い物客とはほとんど知った仲だ。しかしこの青年の顔は、女店主の記憶には存在していない。

 それに加えて、装いが不自然である。この大陸は通年で温暖な気候であり、滅多なことでは防寒具を使用しない。おまけに首都近郊の一帯は、最近ずっと晴れ続きだ。それなのにわざわざ外套を羽織るというのは、それなりの理由があってのことだろう。


「いらっしゃい。見ない顔だけど、外から来たの?」

「ん、ああ。昨日着いたばかりだ」


 女店主が問いかけると、青年はきょろきょろと店内を見回しながら答えた。

 落ち着きのないその態度。目に入る全てが、物珍しくて仕方が無いのだろう。やはり推測は正しかったようだ。 


「あんた、よっぽど遠くの田舎から来たんだろ」

「な、なんでそう思うんだ?」

「そりゃそうさ。この陽気なのに外套を着るなんて、野暮ったい服を隠すためだろ? すぐに分かったよ」

「む……そうか」


 ずばり問いただしてみると、思った通り。青年は後ろ頭を掻きながら、少し焦ったような表情になってしまった。お上りさんであることを見抜かれ、照れているのだろう。


 このフィエルは帝国の中心であり、すなわち大陸の中心である。生き物に例えれば、心臓そのものだ。すべてのものはこのフィエルに集まり、それからようやく大陸の隅々に行き渡る。


 そんなすべてにおいて最先端を行く都市の光景は、田舎者には刺激が強すぎる。同時に、垢抜けていない自分を恥じてしまうのも当然の成り行きだ。

 そう判断した女店主は、都暮らし特有の優越感を含ませながら、にっこりと笑いかけてやった。


「フィエルへようこそ。観光かい? それとも出稼ぎ?」

「両方かな。働き口があればいいんだがね」

「あんたは立派な身体だから、どこでもやっていけるよ。なんたってここは、大帝様のお膝元だからね。力仕事は山ほどあるさ」

「そいつはよかった。それじゃあ、これとこれを貰おうかな」


 青年がぎこちなく笑いながら、陳列されていた果物を2つ手に取る。そして空いた手で、懐から硬貨を取り出した。

 

「ありがとうさん。合わせて5マークだよ」

「ああ……これでいいかな?」


 青年はぴかぴかの銅貨をきっちり5枚、女店主の手に乗せた。そして残りの硬貨と果物を懐にしまい込むと、そそくさと店から立ち去ろうと踵を返す。その落ち着きのない様子に、女店主は呆れたように溜息をついた。


 まるで猫に追い立てられた鼠のようだ。大都会に緊張しているのだろうが、このままでは行く先で手酷い失敗をやらかして、大恥をかく羽目になるだろう。人生で初めてのフィエル旅行だろうに、人生で最悪の思い出になってしまうのは可哀相ではないか。

 

 見ていられなくなった女店主は、青年の背中に向かって叫んだ。


「ちょいと、兄さん!」

「な、なんだい?」


 青年が大きな体をびくりと揺らし、ぎこちなくこちらを振り返る。女店主は、再び顔に笑みを浮かべた。今度は田舎者を下に見るのではなく、安心させるような優しさをいっぱいに込めて。


「ここはいいところだよ。肩の力を抜いて、楽しんで行きな」

 

 青年はしばしきょとんとしていたが、やがて何度か頷くと、礼を言って店から出ていった。

 






 店を出た青年は、深呼吸をしてから歩き出した。気持ちを落ち着け、不自然にならない程度の速度で大通りを進んでいく。道の両側には所狭しと様々な店舗が並び立っており、従って大勢の人々とすれ違うことになる。


―大丈夫かな? 目立ってないか?


 視線を感じるたびに不安が湧き上がりそうになり、青年はそれを必死に抑えた。しかしそれは杞憂だった。道行く人々は青年の姿に一瞥をくれるが、ただそれだけなのだ。すぐに興味を失くしたように、目をそらしてしまう。


 おおかた、自分の様な“田舎者”など、見飽きているのだろう。ならばこちらも、必要以上に気を張ることはない。それに注意してみれば、自分と同じようなマント姿の者も散見されるではないか。決して自分は、変ではないぞ。

 

 青年はそう自分を鼓舞し、足に力を入れる。


『大丈夫ですか?』

「うぉっ!」


 突如響いてきた声に、青年は跳び上がった。その拍子に落っことしそうになった果物を、寸でのところでキャッチし、マントの内側の“スーツ”のポケットに押し込む。


『何を慌ててるんですか、ナイン。怪しまれますよ』

「うっせ! ……いや、失礼」


 怒鳴りかけた青年は。ナインは、慌てて声を抑えた。怪訝な表情でこちらを見る市民に向かってぎこちない笑みを返しながら、ほとんど小走りに前に進む。

 そして胸元を手で押さえながら、押し殺した声で呟いた。


「お前な、人目があるんだから話しかけるなよな」


 すると押さえた胸元から、ナインの耳にだけ届くような絶妙な音量の声が聴こえてきた。


『いいじゃないですか、これくらい。堂々としていれば、誰も気になんてしませんよ』

「ここは一応敵地なんだぞ。しかもど真ん中のど真ん中だ。もしものことを考えろ」

『でも、貴方が望んだことでしょう? わざわざ敵地のど真ん中に飛び込もうって』

「そりゃそうなんですがね……」


 能天気に語り掛けてくるお嬢様に対し、ナインは不安とは別に湧き上がってくる苛立ちを必死に抑えねばならなかった。


 お嬢様ことノーリの言う通り、ナインは現在、ある重大な任を帯びてゲルム帝国の中枢に侵入していた。

 その任とは、市民の生活形態や社会情勢、物流やちょっとした流行、それらのすべてをつぶさに観察すること。ありていに言えば、スパイ行為である。

 

 転移して初っ端の、暗殺者たちとの戦闘。あれはほとんど偶発的なものだったが、そのせいで帝国との関係が悪化したのは間違いない。このままでは、なし崩し的に全面的な衝突へと進んでしまうだろう。だが、それに備えるにしても、それを回避するにしても、まだまだ判断材料となる情報は不足していた。

 そこで、『自分が敵情視察をしてくる』と、ナインがぶち上げたのだ。


 スィスやフィーアが捕虜たちから聞き取った話によれば、首都フィエルは、ゲルム帝国の政治と経済の中枢である。つまりここに潜り込めば、さらに詳しい情報が手に入る筈だ、と。

 

 慎重なナインにしてはなかなか大胆な意見だったが、別に自棄を起こしたわけでも、前回の大ポカの埋め合わせを目論んでいたわけでもない。純粋に、自分に適した役割だと考えられたからである。

 なにせナインは、一端の軍人として大戦を潜り抜けてきたのだ。潜入工作はもとより、暗殺や機密文書の奪取に従事した経験もある。しかもその舞台は、完全武装した敵兵で溢れた前線基地だった。

 今回のように、大帝とやらが住まう城に入り込むのでもなく、非戦闘員の生活圏である都市を歩き回るだけならば、難易度はぐんと低くなる。

 

 そう高をくくっていたのだが……


『ナイン。 もっと背筋を伸ばして歩かないと、不審がられますよ』

「いや、しかしだな。こうも白昼堂々と、まっとうなところを歩くというのはね」

『何を言ってるんですか。それでは何か、後ろめたいことがあるようではないですか』

「実際、後ろめたいことをしてるんだがね」


 言いながらナインは、胸元をまさぐる。そこにあるのは、団員の証のペンダントだ。

 映像記録装置として使っていたのだが、こうして通信もできるのだ。ノーリと会話をしているのも、その機能のおかげである。便利なことだが、使用するにはどうしても喋らなくてはならないため、人混みの中にいるナインとしては気が気ではなかったが。

 ちなみに、異世界だというのに言葉が通じるのも、このペンダントの機能のおかげであるらしい。最早何でもありという具合である。


『どうしたんですか、ナイン。挙動不審ですよ』

「いや、前の世界では不法滞在者だったからな。こういう明るい雰囲気ってのは、どうにも落ち着かなくて」

『難儀な性格ですね。こっちの世界では、別に悪いことなんかしてないでしょうに』

「いや、こっちの世界でも絶賛不法滞在中なんスけど」


 言いながらナインは、そっと周囲を見回す。

 帝国首都、フィエルの朝市。ほとんど毎日開かれているというそれは、城壁の外の通りを埋め尽くす程の人でにぎわっている。前もって聞いてはいたが、実際に目にすると圧巻であった。


 これ程の規模の人の集まりとなれば、ナインの記憶から比較対象として思い起こされるのは、前の世界の闇市に他ならない。だが、確かに大勢の人で活気づいているという点は同じだが、まったく異なる点もある。それこそ、場の空気感とか雰囲気ムードとかいうやつだ。

 


 闇市では、そこを訪れるような客も、迎える商売人も、それを取り仕切るギャングたちも。その誰もが、何か後ろ暗さを感じさせる表情をしていた。このフィエルの市に集う人々がまとうような、爛漫な雰囲気とは真逆だったのだ。悲しい気分になるが、その雰囲気ムードを醸し出す人の気質と、生きている環境がまったく違うのだから、当たり前のことだろう。


 そのように納得することができても、このように清廉なムードの中では、脛の傷が疼くようで酷くきまりが悪かったが。


「でも、ま。これが本来あるべき市場の姿なんだろうなぁ」


 すでに彼方の記憶になりつつある、スラムという掃き溜め。

 あのどうしようもなく“クソったれ”な故郷が、懐かしく思えてしまう。

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