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環状の世界・4


 転移してからおおよそ12時間後。

 外はすっかり暗くなっていた。

 太陽の位置が変化しないのに昼夜の別があるというのも妙な話だが、その理由はこの大地である“リング”と太陽との間に、数枚の遮光版が散在しているからだ。

 ピャーチの解説によれば、要は巨大な板が太陽光を段階的に遮ることで、朝、昼、夕、夜を再現しているというのだ。その周期はおよそ24時間であり、ナインの元いた世界のそれとぴったり一致する。

 その他にも重力や気圧、酸素濃度など、符合する部分は多い。ヒューマノイドであるナインらにとって過ごしやすい世界に調節していただいているようで、ここの創造主様には痛み入るばかりである。

 

 ひょっとすると彼らの姿かたちまでもが、ナインたちと瓜二つだったりするのかもしれない。


 


「記録終了、と……」 


 自室の机に向かっていたナインは“日誌”の編集作業を終えると、ほっと息をつき緊張を解いた。入団に伴い団長殿から命じられた、『日々の出来事の記録を取る』という日課が、たった今終了したのだ。

 自分で自分を撮影するなど初めてのことだし、おまけに声まで入れねばならないとなれば、気恥ずかしさも相まってガチガチになってしまう。おまけに、初日だというのに語るべきことが多すぎて、上手くまとめられたのか自信が無い。

 続けていく内に慣れるのだろうが、後年になって見返した際には、酷い出来に赤面することになりそうだ。


―つーか、突拍子もないことばっかり起き過ぎなんだよなぁ……


 前にいた世界もそれなり以上にスリリングだったが、『馬鹿なギャングが暴発させた銃弾が心臓に命中した』とか、『闇市での諍いに巻き込まれて運悪く刺された』だとか、どうにか常識的な範疇に留まる出来事ばかりだった。

 だのにこの世界ときたら、生命溢れる森に続いて、超巨大な壁だの塔だのが出現したと思ったら、実は超文明によってこさえられた規格外の箱庭の中でしたと、内容が濃すぎるのだ。記録する方の身にもなって欲しい。

 ほんの少し前まで変化の無い日常に鬱屈し、諦観に染まり切っていたのが嘘のようだ。


―いやはや、これから先も退屈しないで済みそうだな……


 まったく予測のつかない今後のことを考えながら、ナインはそっと笑みを浮かべる。そこにシニカルな色は一切ない。

 肉体も精神も余すところなく疲労感に包まれているが、それすら心地よく思えてしまいそうだ。それ程に今日という1日は充実していたし、続く明日が楽しみでならない。

 まるで、膨れ上がった期待を抑えきれない子どもの様な気分だった。


「よくできました、ナイン」


 ナインが胸を高鳴らせていると、横から妙に馴れ馴れしい声がかけられた。上から目線の物言いに、急に水を差されたような気分になってしまう。


「今後もしっかりと続けるんですよ。習慣化するのです」

「……分ぁってるよ、うるせぇな」


 ナインは瞬間的に顔から笑みを消すと、手に持っていた“記録メディア”を机上に置いた。

 それは、指先で摘まめるようなサイズの立方体キューブがついたネックレスだった。この小ささでありながら、数年分の映像を記録できるという恐るべき代物である。

 つい今しがた団長殿から授与されたので、試しに使用してみたのだ。


「しかしすげぇな。前の世界じゃあ最先端の機材を扱ってたが、ここまでハイテクなもんはなかったぜ」

「それは当然でしょう! 何せ我が団の技術力を結集して作り上げた、超“こんぱくと”にして超高性能な“でばいす”なのですから!」

「……分かったから、そのドヤ顔は止めろ」


 ナインはげんなりしながら、机のすぐ脇のベッドを眺めた。

 そこに腰掛けていたのは、得意げに鼻を鳴らすノーリ団長様だ。この城の最高権力者という立場を乱用し、他人様の寝床を占領しているのである。


 なぜこの娘がナインの部屋にいるのかと言えば、報告会と夕食の後、この娘の提案によって授与式ゴッコが執り行われる筈だったのだが、その会場がノーリの部屋から変更されてしまったからだ。

 あの魔窟に留まっていては、ペンダントなどそっちのけで掃除にふけってしまいそうだったので、ナインとしては好都合でもある。恐らくノーリも、そんな気配を察したからこそナインの部屋を指定したのであろう。

 ちなみに他の団員らは、興味が無いということで不参加であった。


「ピャーチのもつ科学技術と、スィスやフィーアのもつ魔法技術の“はいぶりっど”です。宇宙広しと言えど、これ程の逸品はなかなか存在しませんよ」

「良く分からんが、まあ凄いのは分かるよ。扱いやすいしな」

「……いえ、凄いのはそうでしょうが。しかしそんなに簡単じゃないでしょう。もっとこう、色々と。複雑な手順を踏んだでしょう?」


 素直に賞賛してやったのだが、急にノーリが奇妙なことを言いだした。若干引きつった顔で両手をくねくねとさせ、意味不明なことを訴える。

 恐らく、ナインがこのネックレスの機能を解放するにあたり、初期設定をしたことを言っているのだろう。あの会議室の資料提示の時と同じく、三次元投影された画面上の選択肢を順繰りに指でなぞるだけだったので、特に苦はなかったのだが。

 表示も、ナインの世界で一般的に使用されている文字ばかりだったことだし。


「そうかぁ? かなり直感的に使えたぞ。軍用の端末みたいに」

「さ、さいですか。まぁ、使いこなせるのならば結構です。今後も精進するように」

「なんか引っかかる物言いだな。まあ、記録は続けるがよ」


 そう言いながらナインは、机上のペンダントを軽くつつく。

 実のところ、このペンダントの記録メディアとしての機能はおまけ程度のものらしく、本来は団員の証としての装飾品らしい。他の団員達はもちろん、ノーリも日常的に首から下げているのだ。


「別に、そのペンダントを使わなければならないということではないんですよ。現に私は、日記帳を使ってますから」

「まさか紙媒体の? 面倒なことを……」

「手段は問題ではありません。重要なのは、自分が何を見て、何を感じ、何を経験したのか。それを振り返ることができればよいのです」

「それでわざわざ手書きするのか? 時間をかけて?」

「ええ。それもまた、1つの退屈しのぎですから」


 ノーリがニコリと笑いながら言った。


 ナインと同じく不死の存在であるノーリ。そして他の団員らが最も恐れることは、“生きることへの倦怠”だそうだ。

 “死”という、生きとし生けるものがいつか直面することになる結末。そこから脱した者たちが次に相対することになるのは、“退屈な日常”だ。例え広い世界の中であっても、永遠に生き続けていれば、いずれはそのすべて味わいつくしてしまう。そうなれば、待っているのは同じことの繰り返しだ。


 それは、無限に続く虚無の中を漂うことと同じ。そうなってしまえば、死ねないことの方が苦痛となるだろう。ナインはまだ、生を受けてから“それほど”年を経ていないため、その域を想像することしかできないが。


「ところでナイン。今更なんですが……」


 突然ノーリが、声のトーンを落とした。肩と背中を丸め、俯き加減に視線をそらすというしおらしさ。他人事なのに自慢げだったあの態度は何処へやらだ。

 しかし、その急激な変貌ぶりに慣れつつあるナインは、特に気にした風もなく問い返す。

 

「何だよ、あらたまって」

「いえ、その。思い返してみますと、どうにも勢いに任せて魔法を使ってしまったようで……つまり……」

 

 モジモジと人差し指を付き合わせ、二の句を告げずにいるノーリ。恐らくペンダントの授与というのは口実で、今まさに語ろうとしていることこそが本題だったのだろう。部屋に乗り込んできながら未だに踏ん切りがつけられないところは、本当に子どもっぽい。 

 だがナインは急かそうとはせず、辛抱強く次の言葉を待ってやった。ここでプレッシャーをかけては、余計に話しにくくなることは自明だ。


 やがてノーリは覚悟を決めたように、こちらを見据えて口を開いた。


「元の世界に、その、未練があったりはしますか!?」


 ナインはその問いを、身じろぎもせずに受け止めた。

 しかし、即答することもできなかった。


 元の世界では、軍人時代の仲間は誰1人として生きてはいないだろう。今でも心の領域の大部分を占有している“彼女”もだ。それについては、もう思い出でしかないと割り切っている。

 だがスラムに流れ着いてからは、新しい人間関係を構築することができたのも事実だ。

 世話をしてやった大勢の浮浪者たち。

 用心棒の契約相手だったギャング連中。

 彼らが今どうなっているのか気にせずにいられる程、ナインはドライになれない。どうしようもない欠点である。

 

 しかしフィーアの言葉を信じれば、軍警察にスラム襲撃を唆したスィスは、捕らわれた住人らを保護管理させるために、上層部に働きかけてくれたらしい。自由とは程遠いが、今日の糧を得るために命を奪い合うよりは、遥かにマシな状況にあると信じる他にはない。


 あまりいい気はしないが。


「ナイン……」


 考え込んでいると、堪りかねたノーリが消え入りそうな声で呟いた。

 沈黙を肯定のサインと受け取ってしまったのか、眼に涙を浮かべ、怯えたように縮こまっている。外見年齢相応の、傷ついた乙女そのものだ。


 ナインはその姿に、かつて愛した女性の姿を重ねずにはいられなかった。

 顔も性格もまったく違う。それどころか、似ている部分などまったくない。それなのに、いったいどうしてだろうか。


 否、そんなことはどうでもいい。

 

 子どもが不安に溺れかけているのならば、大人の男は黙ってそれを救い上げてやるだけだ。

  

 ナインは苦笑しながら手を伸ばすと、桃色のくせっ毛をわしゃわしゃと撫でまわしてやった。だが、胸を貸してはやらない。その領域への侵入を許している相手は、ただ1人だけだ。

 代りに、全身を硬直させているノーリに向かって、できるだけ優しい口調で語り掛けてやる。


「気にすんなよ。むしろお前には、拾ってもらった礼を言いたいくらいなんだ」

「でもでも。私のせいで、貴方の生活は滅茶苦茶になりました」

「別に、好きであんな“生き方”をしてたわけじゃねぇよ」

 

 ノーリとの出会いはまったくの偶然であり、この城へ訪れたのも成り行きからだ。いきなり魔法の力で別の世界に飛ばされるというのは完全に予想外の出来事だったが、それでも入団を望んだのは紛れもなくナイン自身の意志によるものだ。

 今更とやかく言うことなどできないし、全体、言う気もない。

 

 それに、彼女に対してかけるべき言葉はそういった類のものではない。


 ナインはノーリの頭から手を離し、椅子に座りなおした。やや切れ長の目を引き締め、口をへの字に結ぶ。

 すると、場の空気が引き締まったことを感じたのか、ノーリもまた目元を拭い、姿勢を正した。あくまでもベッドの上から退こうとはしなかったが。


 ナインは大きく深呼吸をすると、恥じる気持ちを必死に抑え込みながら、告げた。


「お前のおかげで、俺も人並みに“生きる”ことができるかもしれない。だから……」


 一呼吸を置いて、正面を見つめる。 

 そこに居るのは、固唾を飲んで次の言葉を待つノーリだ。曇った顔に、青ざめた唇。そんな、ちょっとつつけば破裂してしまいそうな危うい表情で、ナインを見つめ返してくる。


 こんな幼気いたいけな娘を泣かせるのは、ナインの信じる男としての振舞ではない。


 だからこそ、彼女にかけるべき言葉は、ただ1つだ。















「ありがとう、ノーリ。俺はこれからも、この団で“生きて”みたい」







 その瞬間。


 団長殿の顔が、その髪と同じく桃色に染まった。










 森の中の一画が、奇妙な空気に包まれていた。

 風にあおられる木々のざわめきも、夜行性の動物の跳梁もない。

 静かで、沈黙に満ちている。それなのに、どこか重苦しい。


 強い殺意と敵意が渦巻いているのだ。

 

「あれか?」

「そうだ」

「大きいな」

「何人いるのか……」


 闇の中、影たちが語り合っている。

 もぞりもぞり、かしゃりかしゃりと蠢き、前方で淡い光を放つ“城”を眺めている。

 

「“墓所”への侵入は、断固として阻止せねばならない」

「応とも。この聖域を血で穢すことになろうとも、絶対に」


 影たちの眼が怪しく光る。

 度し難き無法者たちへの怒りの炎が燃え盛り、奥歯がギチギチと噛み締められている。

 今にもその冒涜的な城へと飛んで行き、力の限りに死と破壊を振りまいていしまいそうだ。


 すると一等大きな影が、その場を制するように囁いた。


「しかし大臣は、こうも仰られた。『あるいは、古の者がご帰還されたのかもしれぬ』、と」


 おお、と影たちがどよめく。

 この地が聖域と呼ばれる所以とは、つまり偉大なる古の者たちの英知が、遺産が眠る地であるからに他ならない。その正当な所有者が帰還したとなれば、度し難いのはこちらの方だ。


「故にまずは見定め、問わねばならない。あの城の住人の正体を、曝さねばならない」

「異なれば?」

「語るべくもなし」


 影たちは頷き合った。

 そして地を這うように、滑るように闇に溶けていく。

 それは次第に、城を包むように広がっていった。

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