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お花畑 - 移動手段切り替え編  作者: イカニスト
7/10

第七話「コジェヌ」

題名「お花畑」

最終章「移動手段切り替え編」

第七話「コジェヌ」



大衆はこの仮想世界での生活を望んでいる。

それは悪いことなのだろうか?

俺(ニカイー)は自分の中に、あれほど嫌っていたチャケンダを肯定する気持ちを発見する。

しかしイェトさんは、人類は新しい惑星に行くべきだと断言する。

楽園派代表のケチェと、始まりの化け物チャケンダが配信したライブ映像は、シシスカンの乱入により、大衆にお花畑の化け物の恐怖を思い出させる結果に終わった。

ケチェはシシスカンに浸食され、お花畑の化け物に変化してしまったのだ。

化け物となったケチェは、急激に認識を拡張された衝撃に耐えきれず、精神が暴走。暴れまわっている。

イマルス達の活躍で大衆の非難は無事終了。

あとは任せろ。

俺とイェトさんがケチェの世界に向かった。


ケチェの世界。

哀れケチェはお花畑の化け物になってしなった。

あせびの花が咲き乱れる虚無の空間。

そこで無慈悲なる苦痛に怒り狂う、巨大なオランウータン。

キリンほどの背丈がある。

煮えたぎった油に血肉を焼かれ続け、12本の剣に刺し貫かれたオランウータン。

その剣のうち二本は彼の手にあり、更に一本は向かって左の遠く世界の端に転がっている。

俺が袖搦(そでがらみ)で弾き飛ばした。

ケチェは苦しんでいる。

シシスカンは仮想世界の物理層でチャケンダに匹敵する存在。その浸食を受けたのだ。

さぞかし壮絶な苦痛を味わっているだろうと、不憫に思う。

早くROM化してやりたいのだが、このオランウータンがなかなかの剣の使い手。

ケチェという元の素材がよいせいだろうか、俺たち二人の攻撃を、右に左にいなし続ける。

それでも俺とイェトは単調な攻撃を続けた。

何故ならば、オランウータンの剣は、確実に減っているからだ。

チャンバラごっこはいずれ終わる。

このままで勝てる。

俺が袖搦で左に弾き飛ばせば、イェトさんも骨刻包丁(ほねきざみ)で右に弾き飛ばす。

で、とうとうオランウータンの剣は一本もなくなった。

さぁていよいよとどめだな。俺とイェトさんのアイコンタクト。

ところが…

「ガアアアアアアッ!!!!」

オランウータンが吠えた。

「「あー、うっさい、うっさい。」」

耳をふさぐ俺とイェトさん。

すると、その咆哮に呼応するかのように、周囲に散らばっていた剣が、オランウータンめがけて戻っていく。

そのうちの一本の通り道にいた俺は、右足を付け根からずっぱり切り落とされた。

イェトさんも剣の通り道にいたのだが、あの絶対回避娘に剣の奇襲なんか屁でもなく、かすりもしない。

後ろも振り返らずに、剣の気配だけで見切って全部かわしていた。

12本の剣は再びすべて、オランウータンの体に刺さった。

巨獣は鮮血を噴出して、その痛みに悲鳴をあげている。

「振り出しか。」

いや。オランウータンの背丈が倍になった。

「コラ!コラ!なにそのパワーアップシステム!!」

イェトさんは顎を撫でて渋い顔をしている。

「んー。やっぱり、地道に攻めたのがわたし達らしくなかったと思うの。」

「俺たちらしさって、なんだよ。」

彼女は「そこよ!」と顔に大きく書いて、俺の方にくわっと目を見開いた。

「な、なんだ?」

「ゴリ押し。」

「はい?」

「ゴリ押しこそ我が人生!」

イェトさんがこぶしを握りしめて力説。

「さぁ!強引に無理やり勢いに任せて、突貫するわよっ!!」

楽しそうだな。イェトさんはゴリ押しが大好きなんだな。お花畑の化け物になってから特に。

「…じゃあ、袖搦、ゴリ押しモード。」

そんな呪文は必要ないのだが、そこはイェトさんのノリに合わせて、俺は袖搦をハンマーの形に変形させた。

こらえ性の無いイェトさんは「早く、早く」と、ピョンピョン飛び跳ねている。

待ってろ。今、右足くっつけてるから。

「んじゃ、行くぞ。せぇのぉ!!」

俺は、全身のリミッターを外して、全力でハンマーを振り上げた。

確実に時速300kmを超えているハンマーの打撃面に、彼女はぴたりとタイミングを合わせて飛び乗った。流石はイェトさん。

俺はリミッターを外しているが故、彼女の軽さを感じながら、ハンマーをさらに加速させる。

「本当に全力出していいんだな?」

あんまり軽く感じるので、彼女のことが心配になった。

「わたしの心配なんか一兆年早いわよ。」

「そうか…じゃあ…らああっっ!!!!」

本当に全力で振りぬいてしまった。時速400km出たと思うのだが…。

なんて心配は全く不要であった。

彼女はハンマーを踏み台に、自身のジャンプ力も加え、時速600kmですっ飛ぶ。

「うーん。10枚でいいかしら?」

右拳に札を10枚重ね貼りし、スーパーマンやウルトラマンの様に突き出した。

イェトさんの速度は、敵オランウータンの動体視力を超えていたはずだ。防御する隙を与えず、腹部右斜め下に着弾。

化け物の肉体を札でダウンさせながら、オランウータンの内臓をぐちゃぐちゃにしながら、腹の中を突き進む。

そのまま背中を突き破って、一撃でノックダウン。

の筈なのだが…

イェトさんは背中側数センチを残して停止しそう。

「ぐぬぬ、あと1枚。たった1枚足りなかった様ねっ。」

悔しそうに低く唸る。

だが、それで諦めるようなら「ゴリ押し」なんて提案はしない。

破裂した内臓に囲まれて、こぶしを振りかぶる。

「ゴリ押し突貫の!マジ!!パンチ!!!」

敵オランウータンのだだっ広い背中は、イェトさんが飛び出してくる筈だった箇所のみならず、臀部まで広範囲に爆裂。

「きゃああっ!!」

自らの打撃の反動で、イェトさんは押し戻されて腹側から飛び出してきた。

「くそう!突貫出来なかったーーーっ!!!!」

背中側に貫通できなかったことがたいそう悔しいようで、虚無の地平面を殴りつけて歯噛みをしている。

悔しがっているイェトさんも、俺にとってはなかなかのごちそうです。

俺は悔しがっているイェトさんを目で追って録画しながら、オランウータンの方は全く見ずに、袖搦を投じた。

やかましい悲鳴が聞こえてきたので、袖搦は命中したようだ。

イェトさんが立ち上がって俺の方を見たので、俺は即時に目をそらして「よし!命中!」と、彼女を凝視し愛でていた事実を誤魔化した。

イェトさんはオランウータンの方を見て、も一回俺の方を見て、「早くとどめを刺してきなさいよ。苦しそうじゃない。」と催促をした。

「よーし。うん。そうだな。わかってる。」

不自然に誤魔化しを重ねつつ、俺はオランウータンの方へ行く。

袖搦は胸に刺さっていた。おお、見ないで感で投げたのに、いいところに刺さったな。

完全に手が届かないぜ。その場でジャンプしてみたけど、届かぬわい。

オランウータンの体に刺さっている剣を足場によじ登る。

ところがオランウータンが痛がって暴れるので、俺は剣の柄にしがみ付いているしかなく、なかなか上に行けない。

「うおあああっ!」

右に左に、ぶんぶんと振り回される。

すると、俺の横をトン、トン、トーンと剣を足場に駆け上がっていくイェトさんの姿。

え?なんで?どうしてこの不規則に動く狭い足場を、そんな軽快に??

「チェーストォーーッ!!」

彼女は最上段の剣をジャンプして、オランウータンの顎を蹴り上げる。

「ヒギイイッ!!!!」

悲鳴とともにオランウータンの動きが止まった。

「今よ!!」

「ほいきた!」

俺は剣をよじ登って、化け物の胸に刺さっている袖搦の柄を握りしめ、先端を斧の形に変形させ「ふんがあああっ!」と気合一発、胸から顎にかけて切り裂いた。

顎のあたりに居たイェトさんの真横を袖搦の切っ先が猛スピードでかすめてゆく。

ズダム!

オランウータンは尻もちをついて、表情を固めたまま動かなくなった。

離れた位置にぽけっと座っていたプライマリがちょこちょことやってきて、ケチェのROM化の手続きを始める。

イェトさんが俺の隣にやってきた。

「アンタはほんと、手間がかかる男ね。とどめくらい一人で刺しなさいよ。」

それは一つ貸しだぞってことか?たとえ恋人でも貸しが有るのは過ごし難いな。ちょっと貸し借りにならぬように表現を変えてみよう。

俺は何の他意もなく「お前だから甘えてるだけだよ。」と、軽い気持ちで言ってみた。

するとどうだ、イェトさんは顔を真っ赤にして照れているではないか。

だから何でお前はそんなにちょろいんだ。

俺と目があい、イェトさんは「ふん!」とそっぽを向いてしまう。

俺は彼女の顔を正面から見るために回り込んでやった。

紅潮した顔を見られぬよう抵抗するイェトさんの様子は、無論お気に入りフォルダに保存だ。

スーパー画質でな。

今日もご飯がおいしくいただけそうだ。いいおかずを、御馳走様でした。


翌日。

楽園派の人間によって、ROM化されたケチェの映像が配信された。

「ニカイーだ。」

「あの馬鹿が恐ろしい化け物を退治してくれた。」

「やはり、ニカイーは必要だ。」

「仮想世界での生活を守るにはチャケンダと組むしかない。しかし、化け物は恐ろしい。」

「ニカイーが居れば、我々は化け物を恐れることなく、チャケンダと対等に話ができる。」

「ニカイーは保全機能の手下だ。我々に賛同してくれるかな?」

この手前勝手にもほどがあるスレッドの書き込みを俺も読んだ。

チャケンダに乗っかって、俺のことを悪の権化くらいにみなして、やれとっちめろと追い回していたくせに、今度は「仲間にできぬか?」だとう?まことに図々しい話だ。

俺は匿名で「ニカイーが読んだら呆れそうだな。」と、書き込んでやった。

その俺の書き込みをディスる書き込みが多数寄せられて、思わず苦笑。

もっと書き込んで、スレッド丸ごと炎上させてやろうかとも思ったが、あんまり核心に迫ると俺本人だとばれてしまう可能性があるので、それ以上は控えることにした。

兎に角その書き込みを読む限り、大衆の総意は、俺(ニカイー)を参加させない限り、チャケンダ達お花畑の化け物と手を組むなんてあり得ない、と、いうところに落っこちた。

俺(ニカイー)を排除したいチャケンダは、当然これに難色を示す。

俺を抑え込む包囲網が、妙な所から瓦解した。

シシスカンはこれを狙って、ケチェを化け物にしたのだろうか?

もしそうなら恐ろしく有能な策士だ…と、それはないか。あいつは恐らく俺と同じバカだ。


チャケンダの隠れ家。

深く考えをめぐらせる青髪のハッカーに、ニューオンが「いかがなさいますか?」と、決断を促す。

彼はため息をついた。

「最善に思える方法はないな。」

「左様ですか。」

「ケチェを失ったのが一番の痛手だ。彼みたいな人を引っ張れる男が、大衆側にいないと、作戦は回らない。」

「はい。」

「彼の後釜探しは重要だが後回しだ。緊急で対処すべきは、ニカイーが必要などという最悪な条件だ。」

「計略は?」

「シシスカンをぼく達の手で倒し、従わせ、ニカイーがいなくても我々が抑止力になることを示す必要があるね。それにシシスカンは大当たりだ。敵を困らせる才能がある。敵にせず、味方に引き入れるのだ。手段を問わずね。」

「分かりました。」

「先だっての報告で、ブラックリストシステムはパワーオフになったと聞いた。マオカルもこれで自由に動けるだろう。」

「では、早速。」

ニューオンはチャンネルを切り替える手続きを開始した。

マオカルと二人でシシスカンの行方を追うのだ。

チャケンダはレモンスカッシュをつくりはじめ、ふと手を止めて自分の世界にチャンネルを切り替えた。

一見何もない、誰もいない椿の花が咲き乱れる虚無の空間。

どの世界よりも圧倒的に広大な彼の世界に見えるのは、椿の花ばかり。

しかしそれは視覚的な小細工だ。

広大な敷地の一部のエーテルの密度を操作して、そこだけ人の目に映らなくしているのだ。

あるものを隠すために。

いや、ある者達を守るために。

チャケンダが虚無を成すエーテルの密度を正常な値に戻してやると、12人の怯える者たちが現れた。

彼らは人間の姿を保っているが、みな、お花畑の化け物だ。

俺(ニカイー)を恐れて、肩を寄せ合い、小さくまとまって震えている。

彼らは大衆が俺を求めだしたのを知って居る。

居場所が俺に知れたら、あの恐ろしい袖搦で串刺しにされると脅えているのだ。

俺みたいな人畜無害のバカを捕まえて失敬な。まぁ、串刺しにはするけれども。

袖搦が化け物に苦痛を与えるってことは知って居る。だけどちょっとの間だけではないか。

お前ら溶岩に突っ込んだことあるのか?熱いんだぞ。

幾度も体をミンチにされた俺は、お前らより確実に痛い思いをしている。

俺は苦労人なんだ。恐れるな。むしろいたわれ。

そんな文句言いは栓無きこと。お花畑の化け物は、基本的にか弱い存在なのだ。俺やイェトさん目線で言えばだが。

彼らの起点。始まりの化け物は柔らかに微笑む。

「大丈夫。君たちはぼくが守る。まだ、ROM化されている者も含めてね。」

チャケンダがルービックキューブの様な立方体を3つ取り出し、放り投げると、それはガチャガチャと変形して、三体の黒羊になった。

青髪のハッカーはその装甲をコンコンと叩く。

「ニカイーが来ても、この三体が時間稼ぎをしてくれる。君たちがほかの世界に逃げる時間は十分にあるよ。勿論。ぼくも助けに来る。」

彼は再びエーテルの密度を操作して、12人の化け物を人目から隠した。


隠れ家に戻ったチャケンダは作りかけだったレモンスカッシュをキッチンに探した。

だが、どこにもない。

彼はニューオンが片付けてしまったのかと考えて、戸棚から新しいグラスを取り出そうとした。

コトン。

テーブルにグラスが置かれる音。

グラスはレモンスカッシュで満たされている。

「たまには、プロが作ったやつを試してはどうだ?」

声の主は俺(ニカイー)。

チャケンダにとっては、招かれざる客だ。

彼は、俺が作ったレモンスカッシュを手にとり、しげしげと眺めている。

「毒なんか入ってねーよ。」

「そんなことは疑ってないよ。感心していただけさ。さすがプロ。見た目が洒落ている。」

一口飲む。

「味も洗練されている。」

チャケンダの目は、イェトとプライマリを探している。

「あの二人なら置いて来た。戦闘になっちまうからな。」

「ぼくを倒しに来たわけではないと?」

「ああ。」

チャケンダの居場所は知れていた。

奴が革命の象徴に祭り上げられて以降、逃げ回っているのは俺の方だったが、ケチェをROM化してからは立場が逆転。マァクの手の者に、チャケンダの情報が集まるようになった。俺は回帰派で、マァクは回帰派の副代表。俺にチャケンダの居場所を知らせたいなら、マァクにってことだ。

するとイェトさんが「早く倒しに行こう」とせっつき始め、奴に思うところがあった俺は、彼女が突っ走る前に、一人でこっそり奴と話をしに来た。

そういう訳だ。

「いい情報を教えよう。」

奴は思わせぶりに人差し指を立てて、ひょいひょいと振る。

「なんだ?」

「ニューオンもマオカルも出払っている。今ならぼく一人だ。たやすく倒せるかも。」

奴はそう言って両手を広げた。

俺のため息。俺の気持ちを分かってくれるやつはいないのか?

「あの二人がいないってぇのは、確かにいい情報だ。お前とサシで話がしたかったからな。」

「ふむ。ところで、よくぼくの隠れ家が分かったね。」

「タレこみがあったのさ。気をつけろ。お前は再び恐怖の大王だ。」

奴は余裕ぶって首をすくめている。

感情丸出しの俺と違って、表情を読ませない奴だ。

コイツはニューオンに対してさえ、この調子なのだろうか?

「御忠告ありがとう。君の要件を聞こうかな。二人きりが話しやすいんだったね。」

いざ話となると、どこから切り出したものか。

なにせ奴は俺を敵視している。

俺の頭のてっぺんからつま先まで、徹底的に全否定している。

そのような相手に俺の言葉がまっすぐ伝わるものなのだろうか?

そういう俺も、ついこの間まで奴をそういう目で見ていた。

だから奴の気持ちは分かるし、不安にも思うのだ。

もう、誤解とかすれ違いはうんざりなんだ。

俺と奴は折り合いをつけられる。今は、そう信じている。

「俺は、お前と戦うことに、意味を見出せなくなってしまったんだ。イェトは新しい惑星に行くべきだって言っているが、2310名のほとんどがこの仮想世界での生活を望むなら、お前の義理を欠く言い分にも一握の理がある気がするんだ。」

チャケンダは「分かっていない」と首を振る。

「はっきり言っておこうかな。ぼくは悪だよ、正義の味方さん。保全機能は正しく、一切の非はない。ぼくは欲に溺れた反乱分子さ。そして、君の戦意の有無に関わらず、ぼくは君を打倒(うちたお)す。君はいつ爆発するかわからない、この仮想世界を消滅させる爆弾だ。そんなものを放置したまま、枕を高くして眠れるかい?」

気に入らない反論だ。

俺は奴に「ぼくは正義の道を進んでいる。君も乗らないか?」と言って欲しかったんだ。

その言い方なら、お互いに歩み寄れる。

話し合いで解決する。

だがなぁ。「ぼくは悪だ」だと?それじゃあ、取り付く島もないんだよ。

なぜ、そんな言い方しかしてくれないんだよ。

俺はチャケンダに迫って壁まで追いつめ。

奴の頭の横の壁に、ドンと拳から肘までを打ち付けて、額が触れるほどの距離に迫った。

「お前は頭がいい。だから、馬鹿の俺の代わりに考えてくれ。2310名みんなが幸せになれる道はないのか?」

「それなら、ぼくが知っているよ。」

知らぬ声で、そんなセリフが横から聞こえてきた。

ぎくりとした。

俺は戦場に永く居たから、人の気配にはそこそこ敏感なつもりだ。

それなのに、真横に接近されるまで気づけなかった。

いつの間にか、傍らにぼさっとして少年が立っていた。

チャケンダは。奴はなぜ平然と構えているのだ?

この小僧は奴の仲間なのか?

奴は「二人きり」と言ったが、俺を油断させるための嘘だったのか?

グルグルと思いが巡っている俺の頭の中なんててんで構わずに、少年コジェヌは話を続ける。

「死さ。簡単だろう?それで皆幸せになれるのさ。」

話の内容から、小僧はチャケンダと無縁だと知れた。思想が違いすぎる。

死って、2310人全員殺すつもりか?

けがれない瞳でそれを話す異常さと、なんの気配もなく俺の隣にいた異常さ。

こいつ、不気味だ。

そう思うとこの少年の姿が妖怪めいて歪んで見える。

「なんだぁ?死とかてめぇ。イカレてんのか?」

ちょっと言葉でつつけば人らしさが垣間見えるかと思ったがさにあらず。

いたって飄々と平常運転を決め込み、不気味さが一層増す。

「既成概念を捨てて冷静に考えて。ほら、死ほど平等で幸せな永遠はないだろう?」

今まで俺は生理的に受け付けない奴といえばチャケンダだった。

そのチャケンダとは歩み寄る気持ちになって、奴の隠れ家に来ている。

奴と快い握手ができたら、俺は2310名全員の幸せを祈ることができるだろう。

それがどうだ?新たな「生理的に受け付けない奴」が誕生しようとしている。

この妖怪小僧に、ちょっと反論してやりたくなった。

「じゃあ質問をするが、死者が幸せを感じられるのか?死んでるのに?」

コジェヌは俺のバカを憐れむような表情を見せて、切々とうったえる。

「君は馬鹿だなぁ。永遠に幸せを感じ続けたら、感覚が麻痺して、人間なんか何をしでかすか分からないよ。」

俺が「おかしなことを言う馬鹿」みたいな空気を醸し出すのをやめろ。逆だから。おかしいのお前だから。キモイんだが。

「俺はお前みたいなとんでもないこと言うやつが、何をしでかすか分からないよ。」

「ぼくが何をするのか知りたいのかい?」

別段知りたくはなかったが「ああ知りたいね。」と、俺は答えていた。

雄をたいらげた雌カマキリのような薄気味悪い顔が俺の方を向いている。

「それなら、これからすぐに分かる。」

少年はズボンの後ろに手を回し、何かを取り出す様子。

「お、おう?なんだ?やる気か?」

すっかり戦場脳な俺は、銃か何かが出てくると決めつけ、とっさに身構えた。

コジェヌの手にはリモコンがにぎられている。

見た瞬間は、俺はそれが何であるか分かっていない。

目に映った画像を検索エンジンにかけて、それが赤外線リモコンという、俺が生きていた時代には絶滅していた太古の化石であることが分かった。

「そんな骨董品をどこで手に入れた?」

「骨董品マニアのサイトを検索して、図面をダウンロード。3Dプリンターでパーツを作ったんだ。SIN(シン)向けプログラムもダウンロードしてほとんどそのまま使ったよ。」

SIN。

俺たちの時代では、スイッチやLEDなどの小さなパーツそれぞれがネットワーク機能と個別のIPアドレスを持っている。

だから、基板の設計はすこぶる簡単で、基本的に電源から先は全パーツバス接続でいける。

その機器個別のエンクロージャー内の特別なセキュリティーで保護されたネットワークを、WANやLANに対しSIN(ソルダラブル・インテリア・ネットワーク)と呼称するのだ。

ブレッドボードが進化した、プログラマブルな「オットーネ」と云う基盤が現れ、あんまり半田付けしないから、ソルダラブルの「S」は、今や盲腸文字だがな。

コジェヌは語る。

「2310名全員の死が究極の幸せなんだけど。この仮想世界に居る限り、全員が不老不死だ。本当に困ったよ。」

首をすくめてリモコンを俺に向ける。

「ああ、このリモコン。ヒエレの能力が人類を平和な死に誘(いざな)ってくれる。」

ヒエレのリモコン?前にマァクが俺達に情報をシェアしてくれたあれか。

一定の条件の元、相手を自在に操れるというあれか。

じゃあ、やべーじゃん。

俺ってば、なまら物騒な物を向けられて居る訳じゃん。

作るならデザインもヒエレのリモコンくりそつにしろや。画像検索で『ヒエレの』って修飾されないから、気が付かなかったわい。

トトはそういう所、融通利かないんだから。

取り敢えずボタンを押される前に、小僧が自分の口上に酔っている隙に、ぶん殴ってしまえ。

前のめりになった俺を、グラスをテーブルに置いたチャケンダが手で制した。

「何をしやがる!」

「そう、慌てるものではないよ。」

いや、慌てるよ。自分がリモコンでいいように操られようとしているのだ。慌ててしかるべきだろうが。

青髪のハッカーは、少年がリモコンのボタンを押した後に「初めまして”レモンさん”です。」と、名乗った。

俺には何の事だかさっぱりだが、イカレた少年には大いに心当たりがあるようで、はっと目を見開いていた。

自分がQAサイトで頼っていた「レモンさん」は、始まりの化け物ことチャケンダだったのだ。

これは嫌なフラグが立った。

はたしてリモコンは金色(こんじき)の聖母の像に変形してゆく。

「え?え?」

戸惑うコジェヌ。

チャケンダは告げる。

「君がハッキングした能力はヒエレのものではないよ。」

異変に戸惑うコジェヌに、奴の言葉は聞こえていない。

「熱っ!」

金色の聖母は怒りに震え、熱を帯びた。

「マァクの呪いの能力さ。」

チャケンダはくすくすと笑っている。

この時、隠れ家に潜伏していたマァクは、はっと目を見開いた。

彼女は自分の能力の異変に気付いたのだ。

危険な彼女の呪いのただならぬ事態に。

「だめ!呪いが暴走してしまう!!」

だが呪いとの縁が切れた今、彼女にはどうすることも出来ない。

コジェヌの手にある金色の聖母は憤怒が限度を超え、死神の面になってしまった。

チャケンダは続ける。

「その能力は強力なだけに、人を選ぶんだ。己にゆるぎない絶対を課している完璧以外は激しく拒絶する。ぼくでもダメ。マァクだけなのさ。」

死神の面は大きく口を開けて、コジェヌを頭からばくばくと食い始めた。

「厄介なマァクの能力を消し去るには、どうしても生贄が必要だった。すまないね。」

俺は小僧を助けるために走ったのだが、チャケンダが俺の手を引っ張ったので、それを振り払うのに手間を食った。

コジェヌは足の先まで死神の面に食い切られてしまった。

死神の面は元の白いプラスチックのリモコンに戻って、コーンと床に落ちた。

俺は小僧を直ちに追うことを考えた。生理的に受け付けないイカレ小僧だが、放っては置けない。

俺も死神に食われれば小僧のところに行けるかもしれない。そう思ってリモコンのボタンを片っ端から推したが、死神は出てこない。

イェトさん…には黙ってきたから話しにくいな。マァクにしておこう。いや、彼女の能力の件だから、どうしてもマァクだな。落ち着け、俺!

マァクにテキストメッセージを投げて状況を説明しつつ、チャケンダに詰め寄る。

「おいクソ野郎!小僧はどこへ行った!」

奴は何も起こってなんかいないように平然としていて、すっとテーブル上のグラスを手に取った。

「論理層さ。マァクの呪いに消化されている。」

マァクからメッセージが飛んできた。

『チャケンダを脅して論理層に行って。私も自身の呪いの能力については知らないことが多いの。でも、必ず厄災が起こるわ。そういう、たちが悪い能力なの。』

俺は袖搦を取り出して、チャケンダの心臓を串刺しにし、壁に固定した。

何の前触れも予告もなくいきなりぶっ刺したので、油断しきっていた奴はなすすべもない。

グラスが床に落ちて割れる。

チャケンダ用だとプライマリに渡された特別な袖搦だ。チャケンダに与える苦痛は通常の袖搦の比ではないはずだ。

「っっ!!今日は話し合いに来たのでは?」

「ああ。だが、その前にちょっと論理層に付き合え。」

「もし断ったら?」

「予定変更だ。接点を呼んで、お前をROM化する。」

「へぇ、君も脅し方が上手くなったね。選択の余地はないかな?いいよ、論理層に行こう。」

俺とチャケンダはチャケンダが書いたスクリプトで論理層に遷移した。

相変わらずこんの青髪のクソッタレは、論理層では糸屑に見える。

糸屑は俺が焦っている理由を解せず尋ねてくる。

「ホトプテンの三歩後ろを歩いていた昔と違い、今のマァクにはイマルス達がいる。呪いなんて忌わしい業(ごう)が無くなって、彼女は困るどころか清々している筈さ。」

「かもな。」

「放っておけば、彼女の呪いは論理層で眠り続ける。永遠にね。何がまずいんだ?」

「犠牲者が出る。」

「犠牲者ってコジェヌかい?」

「あの小僧はコジェヌというのか?」

「彼はずっと前から、ぼくたちの後ろに潜んでいた。そして、すべてを見ていた。」

「はぁ?あんな小僧初めて見たぞ。」

「ラインランドに潜んでいたからね。君は一次元の世界を認識できない。あの子はぼくも一次元の世界を認識できないと誤解をしていたようだ。」

「で、それがどうした?」

「彼はマァクに利用されていた。論理層に行く手段を手に入れるためにね。」

「マァクが?何故?」

「君は物理層でぼくを倒した後、どうするつもりだったんだい?ぼくとコンスースはROM化しても、自力で脱してしまうんだよ。」

「それは…その…なんだ。接点がうまい方法を持っているのさ。より強力なROM化をするのさ。でなければ、合理的な接点がお前を倒そうなんて言わぬわ。」

俺は、手の内を明かしてもいいモノかどうか迷いながら話した。

「マァクはそれを知らないはずだね?故に彼女は論理層での決め手を欲していた。詰まる所、結論はこうさ。彼はマァクに利用される立場から、ぼくに利用される立場にかわった。それだけなんだよ。」

「ご説明ありがとう。もう一回、お前を嫌いになれそうだ。」

論理層でマァクの呪いの能力は、強烈な光を放つ一粒の点であった。

とても直視できない。

「あれをどうすればいい?」

「倒すのさ。ぼくには無理だけど、論理層の化け物である君ならそれができるかもしれない。」

よくわからぬが、ぶん殴ればいいのか?

点に近づくと、その距離に応じて、俺という存在が薄れてゆくのが分かった。

試しに拳を突き出してみると、点に到着する前に俺の手が消滅してしまう。

俺はチャケンダに視線を送り、作戦をよこせと請求した。

糸屑は「化け物に作戦なんかいらないよ。完璧であれば君は消されない。」と言う。

「完璧だと?」

「何か揺らがぬ思いはないのかい?それを足掛かりに、君の化け物の力でマァクの呪いを粉砕できる。」

俺はしばし考えた後「なんでもいいのか?」と念を押した。

「ああ。」

俺はマァクに「これからお前の能力を粉砕するが、かまわないか?」とメッセージを送った。

すぐに『構いません。』と返事が返ってきた。

本当にいいのかな?こんなとびぬけて強力な能力を破壊してしまって?

俺は迷いつつも、脳内のお気に入りフォルダを開いた。

俺の完璧──それは無論、イェトさんのNGシーンに対する執着だ。

俺は、悔しがっているイェトさんの姿が好きだ。

俺は、恥ずかしがっているイェトさんの姿が好きだ。

俺は、顔を真っ赤にして照れているデレデレのイェトさんの姿が好きだ。

俺は、困り果て途方に暮れているイェトさんの姿が大好きだ。

お気に入りフォルダ内のお宝動画が俺の魂を研ぎ澄まし、俺を絶対の一に成してくれる。

完璧な賢者状態になった俺は、姿も巨人となり、まばゆい光を放つ点に手を伸ばした。

「くっ!」

前よりは格段に光の中で存在を保てるようになったが、まだ点には届かない。

何が足りないのだ?まだ完璧には遠いというのか?

心が迷うと、すぐさま光に腕丸ごと存在を消されてしまう。

「くっ!仕方がない。」

俺はお気に入りフォルダの下の階層の、”俺得”隠しフォルダを開いた。

そこに保存されている動画はただ一つ。それを再生する。

店仕舞いをした後。カウンターで腕枕をしてイェトさんが寝ている。

起こして2階の部屋に連れて行こうとするわけだが、寝言を言いだしたので手を止めた。

どうやら、知人に俺のどこが好きなのかと聞かれている夢を見ているらしい。

寝言でうそをつく奴なんかいない。

これは紛れもない、俺に対する愛の告白だ。

聞くしかない!録画するしかない!

彼女の惚気寝言(のろけねごと)は延々と3分間続く。

正直、俺自身、照れくさすぎて聞いていられない。

うおおおぉぉっっ!!極まるっ!!

俺は、より完璧になるために、それをすべて聞き切った。

完璧な俺は、純白の衣を羽織った聖者の姿をなしていた。

「てい!!」

俺が拳を突き出すと、今度は光を放つ点に届いた。

そして、俺の拳は金色の聖母に抱かれ、聖母は再び点となって無に返った。

点があった場所に、ガラスの破片が残っている。これがコジェヌのようだ。

近づいてコジェヌを見る俺とチャケンダ。

糸屑は言う、「ああ、遅かったみたいだね。」

コジェヌは論理的に死んでいた。

「チャケンダ。どうにかならぬのか?コンスースが論理的に死んだ時は生き返ったよな?」

「あの時はマァクの呪いの能力があったからね。もう、君が壊してしまっただろう?」

「何か考えろ。さもなければ袖搦はお前の心臓に刺さったままだぞ。ROM化すっぞコラ!」

「実態層に行けば、何か策が見つかるかもしれない…かな?」

「実態層だと?」

「ぼくたちの本体。体が保全されている場所さ。ぼくもまだ行ったことがない。」

「行き方は?」

「保全機能とやり合おうって言うのだから、方法は知っているさ。」

「ならば早くしろ。」

「行くのかい?」

「そう言っている。」

「何が起こるかわからないよ。」

「くどい!」

俺とチャケンダは、チャケンダのスクリプトで実態層へ遷移した。

一日中眠りこけて、やっとうっつらうっつら目を覚ました。まだ半分夢の中。そんな感覚だ。

「う…くう、」

体が重い。初めて論理層に行ったときも体が重くなったので、今回もその類かと思ったら、寝ている俺の上に、緑色のスライムがどっしりとのしかかっていた。

「うおおおっ!なんじゃこりゃあっ!」

驚いてスライムを跳ね飛ばした。

俺は正多角形の光を複雑に組み合わせて作られたベッドに寝ていた。

体は紙が燃えて出来た灰の様な薄っぺらくて黒い膜で覆われている。

手ですぐに破けてしまいそうに見えるが、引っ張るとびょーんと長く伸びて、簡単に切れてしまう感じはしない。

俺達は光と闇の多角形で出来た構造体の中に居た。

暑くもないし寒くもない。

風も吹いてはいない。

進行方向に光の泉のような塊があり、構造体の外壁に沿って、光の点が走り抜けて行く。後方には底なし沼のような闇があって、光の点を吸い込んでいく。

「俺、本当に生きているんだな。」

みんなもそうだが、俺は地球でひどい死に方をしたので、”本体は生きている”などと言われても、にわかには信じられなかった。

右横を見ると、マァクが横たわっていた。

「マァクと隣同士だったんかい!」

薄い幕に覆われただけのマァク。

え、えろいな。

今見えている映像は貴重だ。

取り敢えず動画はとった。それをお気に入りフォルダに保存するか否か大いに悩む俺。

NGイェトさんに対する裏切り行為にはなるまいか?

うーむ。

イェト、マァク、イェト、マァク、イェト、…

「おーい!ニカイー!」

組み上げられた光の正多角形の2段上あたりから、くそ野郎の声がする。

「なんだ、くそハッカー。」

「悪いが、手を貸してくれないか。論理層に押し戻されてしまう。」

俺は結局、マァクの動画をお気に入りフォルダに保存し、チャケンダの所に向かった。

違うんだ。イェトを裏切ったわけではない。マァクの動画をお気に入りフォルダに保存したのは、チャケンダのせいなんだ。奴が急に声をかけるから、びっくりしてさ…な?

奴には3体のスライムが取り付いており、どうにも身動きが取れないようだ。

俺は重たいスライムを一体ずつ引っぺがしながら「俺たちの本体、仮想世界の姿と同じだな。」と、腐れハッカーに問うた。

俺は、地球で生きていた時と同じ姿と年齢を選んだが、他の者、とりわけ女性は、仮想世界では自分が理想とする姿と年齢を選んでいたはずだ。

つまり、本体が同じ姿をしているのは極めて不自然なのだ。その最たる存在が俺の横に保全されていたマァクで、あのような完璧な美人が、クレオパトラの後一万年以内に自然分娩で生まれたらびっくりする。

「地球の生命が絶滅してから、人類を助けても遅いだろ?」チャケンダはいつものように、何でも知っているという面(つら)でクスクスと笑う。

「保全機能は予め、保全する2310名を確保していたのさ。秘密の貯蔵庫にね。そして、彼らが予測した通り、人類は滅亡した。」

思い出せば、以前プライマリが言っていた。

『──この時に君たちが滅びるという確信を得た。そして、君たちを救済する具体的な計画を立てた。』

「ある意味、俺たち2310名以外は、保全機能に見捨てられたのかもな。」

俺の嘆息に、青髪のハッカーは大笑い。

「何がおかしい?」

「いや、すまない。君は何も知らないからね。やむないよ。」

「何が言いたい?」

「保全機能は途方もなく気が長く、天文学的規模の犠牲を気にしないということさ。哀れな未来の犠牲を救うためにも、ぼく達は最短距離で進化しなければならないんだ。保全機能に逆らってもね。」

うむ。馬鹿の俺にはさっぱり理解できぬ。

俺たちはコジェヌを探し始めた。

チャケンダが「きっとあそこだ。」と指さす。

複雑に組み立てられている光の正多角形。そのぱっと見20mほど上の方。一人にスライムが10匹ほど群がっている。

俺たちは光の正多角形をよじ登り始めた。

その道すがら、チャケンダが俺に話しかける。

「たしか、話は途中だったね。」

「あーん?」

「ぼくたちの本体の外観についてさ。」

「ああ。」

「ぼくたちは新しい惑星に向かっている。」

「知ってる。」

「そこが本当に、地球と同じ環境だと思うかい?」

「え!?違うのか?」

「地球と酷似しているけれど、人類が住む条件を完全には満たしていないんだよ。」

「おいおい!」

「だから、その惑星で生活ができるように、人類の肉体を調整する必要があったのさ。時間をかけてね。生きている人間を改造はできないだろう?そういったもろもろの理由で、条件に合った死者が選ばれたのさ。特に損傷が酷い死体ならば、身代わりの肉塊とすげ変えても怪しまれ難い。つまり…ぼくたちは保全機能にとって、極めて都合が良かったんだ。」

20mの壁登りは誠に難儀だ。

俺もクソハッカーもヒィヒィ息を切らせて、指の感覚がなくなってゆくのを感じる。

光の点が横に走っていく景色が疲労と相まって、平衡感覚に違和感を覚える。

スライムが俺の横を通り過ぎて行く。

なんであいつらは、あの重い体でひょいひょいと登れるのだ?

別なスライムが俺の足に絡みついてきたので蹴っ飛ばす。

横を見ると運動不足のハッカーは腕が限界に近い。

毎日パン生地をこねていて、奴よりは腕が太い俺が先に上り切り、奴に手を差し出す。

「とっとと、つかまれ。」

力尽きかけている奴を引き上げて、やっとコジェヌの処に到着した。

チャケンダが彼の状態を調べるために、ハッキングを始めた。彼の脳は保全機能のシステムと繋がっている。

そして凄腕のハッカーは「すまない。」と力なくつぶやいた。

その表情からは深い後悔の念が読み取れる。

「マァクの呪いがこれほどたちが悪いものだったとは…ぼくが甘かったよ。」

おおむね察しはつく。

取り返しのつかないことをしやがったくそハッカーに対して、ふつふつと怒りが混みあがってくる。

俺は、その怒りを爆発させるために、奴の明確な言葉を必要としていた。

「なんだ。はっきりと教えろ。」

「コジェヌの脳は、マァクの呪いで全機能を失っている。」

「なんだって!?」

「記憶もなければ、生まれ持った本能もない。何も感じないし、何も考えない。彼はただ、心臓が動いているだけだ。保全機能にも、彼を救うことはできないだろう。」

俺は怒りを爆発させて、チャケンダをぶん殴った。

くそハッカーは、尻もちをついて膝を抱え、「彼には悪いことをした。すまない。」と顔を伏せた。

「論理的に死んでも、本体はまだ生きている。ぼくが保全機能のシステムを手中に収めた後、彼を蘇らせてあげるつもりだったんだ。」

「俺たちにできることはないのか?」

「無い…」

辛そうに頷くチャケンダ。

俺は数秒間目をつむり、現実を受け入れ、そしてため息をついた。

「帰るぞ。ここは落ち着かない。俺たちの居場所じゃないんだ。」

俺たちは、元居た正多角形の台に戻った。

「そのまま待つんだ。あの緑色のスライムが、ぼくたちの脳の入出力を論理層のポートにルーティングしてくれる。」

「脳の…はぁ?人類の言葉で頼む。」

「論理層まで戻れる。」

論理層からは、チャケンダのスクリプトで帰る。

物理層のチャケンダの隠れ家に戻って、俺はチャケンダの心臓から、袖搦を引き抜いた。

「話はまた今度だ。」

今日は、もう、そんな気分ではない。

この仮想世界が始まって、初めての死者が出たのだ。

出るはずのない死者が。

殺したのはチャケンダ。この仮想世界で唯一の殺人犯だ。

俺もチャケンダもショックを受けている。

くそ野郎が肩を落としている姿を見て、奴も奴なりに人類の未来を考えているのだと確信できた。

「おい。くそハッカー。」

「…なんだい。」

「また会おう。俺、お前のことが、だんだん分かってきたよ。」

始まりの化け物は、じっと、床の一点を見ている。

心を読ませない詐欺師も、今日ばかりはさすがに、奴の顔に心のうちが書いてある。

俺は、誰もいない世界を探して、チャンネルを切り替えた。

俺は、一人になりたかった。

マァクにだけは、一通りを伝えた。彼女にさえ話を通しておけば、後は心配ないからだ。


俺がマァクの呪いの能力を破壊した直後。マァクは異変を察して、彼女のデリンジャーを取り出した。

「マァク様。どうされましたか?」

デリンジャーは手の込んだ装飾がなされた銃身に、怪しい輝きをまとっている。

「力が…戻ってきている?いいえ。これは──新しく生まれつつある?」

「おお、真ですか。」

嬉しそうなイマルスとは対照的に、マァクの表情は暗く沈んでいる。

「私の能力は、正に呪いね。私自身にかけられた呪い。時間が経って、力が戻ったら、私は再び呪いの魔女になるのね。」

挿絵(By みてみん)

<※マァクです>

「マァク様…」

イマルスは敬愛する主人に、かける言葉を持たない。


イマルスとナイアラはマァクの命で、シシスカンを迎えに出た。

マァクのカードの一枚であったコジェヌは、チャケンダにしてやられ、しかも、最悪な結末に至ってしまった。

マァクのもう一枚のカード、シシスカンをそのような目に合わせてはならない。

マァクの信者からシシスカンの目撃情報があり、彼女を保護するため一も二もなく飛び出したと云う訳だ。

その道すがら、大衆の会話が二人の耳に入ってくる。

「チャケンダの居場所は教えたのだろう?」

「ああ。それなのに何故ニカイーは姿を現さないんだ?」

「奴めは、俺たちを化け物から守るのが仕事ではないのか?」

これをイマルスに聞かれたのはまずかった。

イマルスは身勝手な話をしていた二人のところへ行き、「ニカイーの仕事はパン屋だ。」と凄んだ。

二人は「何もイマルスさんが出てこなくても…」と何か言いかけたが、彼女の迫力に気圧され、そそくさと裏道に逃げていった。

彼女は許せなかったのだ。以前の彼女も俺(ニカイー)に身勝手に責任を負わせていた。彼女は、身勝手な物言いの二人というよりはむしろ、自分が許せなかったのだ。

「もっとじぶんにやさしくなって。」

ナイアラが彼女に寄り添う。

「私はマァク様の側近で、一束の雑草だ。」

ナイアラが彼女の手を握る。

「また、いまるすのかわいいはりがねざいくがみたい。」

手を握るぬくもりに乗せて、思いは伝わったであろうか?

二人で丘を登ると、草原の真ん中で大の字になって寝ている大女が見えた。

歩み寄りながら、イマルスがナイアラに耳打ち。

「起こしてやれ。」

頷いたナイアラがスリングショットを構えて、のほほんとした視線にナイフのごとき殺気を乗せると、その大女は跳ね起きてバッテリードライバーのビットをナイアラの首筋にあてがった。

何たる野生の本能か。

イマルスとナイアラは顔を見合わせて苦笑い。

「起こしてすまないな。シシスカン。」

「確か…マァクの手のものだな。私は誰とも手を組まぬぞ。」

有無を言わさずケンカ腰。これは想定の範囲内だ。

「勘違いをするな。私たちはお前を保護しに来たのだ。」

「物理層最強の私を保護だと?」

「ああ。コジェヌという少年がチャケンダに利用され、命を落とした。」

「ばかな!この仮想世界では、2310名全員が不老不死の筈だ!」

「声がでかいな。詳しくをここでは話せん。いいからついて来い。仲間になれとは言っていない。話がしたいだけだ。」

シシスカンはじっとりとナイアラを睨んだまま動こうとはしない。

大女の話し相手はイマルスだが、彼女が警戒したのは伸びきったゴムの様に緩い気性のナイアラであった。

何故ぼっさりとつっ立っているだけのナイアラごときが気になるのか?彼女自身不思議でならない。

その理由に心当たりのあるイマルスは話を続ける。

「お前は物理層と論理層しか知らない。ついてくればもう一つ、この仮想世界の最後のレイヤーの情報が手に入る。」

情報か…それは喉から手が出るほど欲しい。

彼女の最強は物理層にとどまっている。論理層の最強も欲しい。

「この仮想世界で、初めての死者が出た。」

「なに!?」

チャケンダを打ち滅ぼせる可能性に大女は色めき立つ。

「コジェヌと云う少年だ。興味は?」

少年の不幸に不謹慎だが、彼女を釣る餌に使わせてもらった。

大女は舌打ちをしながらも「判った。」とイマルスの背中に続いた。


マァクの隠れ家。

イマルスがドアを開け「先にどうぞ。今日は客人だ。」と、シシスカンに道を譲る。

シシスカンは腹の中で、そんなに神経質に前後を固めなくても逃げはせぬと、少々不愉快に思っていた。

隠れ家に来るまで、前にイマルス、後ろにナイアラ。

野獣のごとき感性を持つ大女は、背後をぼーっとついて来るナイアラが恐竜の爪を隠し持っていることに、とうとう感づいた。

さすれば物言わずとも迫ってくる、ナイアラの威圧感。

ナイアラに無防備な背をさらすのは、この上なく不快なことであった。

隠れ家の奥。火の入っていない暖炉の前に、マァクは座っている。

「マァク!来てやったぞ!」相変わらずの俺様主義。

「口を慎め!!戯けがっ!!!!」

シシスカンの気の強さは本物で、たいていの脅しには眉一つ動かさない。

突っ張り合いで引きはしないし、彼女にはったりは効かない。

彼女に効き目があるとすれば、それは純粋な信仰だ。

イマルスはマァクの純粋な信者であった。

物理層最強を名乗る彼女が、際立って強いとは言えない女の子の気迫に思わず首をすくめたのだ。

それはライオンが犬に吠えられて怯えたようなもの。

主の名誉のため獅子にも臆さず噛みつく飼い犬。

大女はマァクがこの二人を、特に自らのそばに置いていることに、得心がいった。

それにつけても首をすくめてびびりあがったのはよろしくなかった。

そうなってはシシスカンも格好がつかない。

だがマァクはイマルスに期待するが故、あえて彼女の方ををたしなめた。

「イマルス。落ち着きなさい。彼女の気性は心得ているはずです。みっともないですよ。」

イマルスはしゅんと小さくなって後ろに下がった。

「さて、シシスカン。貴方は心得ておくべき最低限の情報すら知ろうともせずに、闇雲に先を急いているようです。あなたが知っておくべき情報を教えましょう。」

「余計なおせっかいだな。」

のこのこついて来ておいてそれは無い訳だが、そう言ってしまうのがシシスカンだ。

「そうでしょうか?貴方が誰とも手を組まないのは勝手ですが、チャケンダに利用されて、我々の敵になる危険があるならば、はっきり言って迷惑です。」

「私がチャケンダなどに負けるとぬかすか!?」

「どうやって勝つつもりですか?あなたはこの仮想世界について、知らないことの方がむしろ多い。」

「ぬう。」

ここまで言われては、威勢のいい大女もぐうの音も出ない。

「お聞きなさい。先ず、貴方は近いうちに、普通の人間に戻れますよ。ジェジーの研究によってね。」

「そ、そうか。」

彼女は望まずしてお花畑の化け物になった。そして二度と普通の人間には戻れないと悲観していた。

彼女がROM化されていた30年の間に、事情は大きく変わっていたのだ。彼女にとっていい方向に。

大女ははしゃぎたい気持ちを抑えて、軽く咳ばらいをした。

「それよりも、コジェヌの話をしてくれ。」

「この仮想世界での初めての死者のお話ですか?」

「そうだ。私が普通の人間に戻るのはチャケンダを倒した後だ。どうやったら不老不死の人間を殺せるのか?それを知りたい。」

マァクの深いため息。

「呆れた人ですね。コジェヌを哀れに思わないのですか?」

「私だって人の子だ。哀れには思う。だが、チャケンダとの決戦を前に緊張高まる今、感傷に浸っている時間はあるのか?後手に回ってはならぬ。」

「そこまで切羽詰まった物言いをするなら話しましょう。」

ここでマァクは一呼吸置いた。

「彼は、私の呪いの能力の逆鱗に触れて、脳の機能をすべて失った。ニカイーからはそう聞いています。」

「マァク。お前がコジェヌを殺したのか?」

「いいえ。私の呪いの能力はハッキングをされたのです。全てチャケンダの仕業です。」

「おのれチャケンダ。とうとう人を殺めたか。奴の人でなしは、ますます許しがたい。」

ここでマァクはシシスカンの心のありかを量る。もう判断に十分な材料を彼女は並べたはずだ。

つまり、チャケンダと対決するのに…「いいでしょう。十分です。」

イマルスとナイアラを呼び寄せる。

「コンスースたちをここへ。いよいよ彼らの出番です。」

イマルスとナイアラは、コンスースたち三人が閉じ込められている電波暗室に向かった。

マァクはシシスカンに一杯の紅茶を勧める。

「あなたが知るべき残りの情報は、専門知識です。専門家の到着をお待ちなさい。」

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