第一話「配置された駒」
題名「お花畑」
最終章「移動手段切り替え編」
第一話「配置された駒」
頭のすぐ上低くから睨み下ろす太陽が、メラメラと命を焼く、灼熱の砂漠。
「チャケンダ。お前の長い旅も、ここで終わりだ。」
俺は袖搦の先端を、始まりの化け物チャケンダに向ける。
陽炎が濃い、熱射にもがく様に上に揺らめく昼。汗は滲むそばから蒸発して行く。
その熱気が奴の姿を幻めいて錯覚させる。
あまつさえ奴の反応は薄く、彷徨う亡霊の様ではないか。
袖搦の容赦ない切っ先が、人間味なく冷めてビタリと奴の急所を指し示す。
判っている。
袖搦はとても正義のヒーローが持つ武器には見えない。
聖なる剣の形を成してはいないし、サムライが手にする日本刀にも見えない。
力を連想させる斧や鎚でもない。
技を連想させる槍や棒でもない。
長い柄の先に相手をねじ伏せる鉤爪が付いて居る。
相手に苦痛を与え、身動きできなくする道具。
苦痛を与えるという点でそれは、拷問器具に近い存在だ。
振り返った奴に表情はなく。まんじりともせずに、その切っ先の動きを目で追っている。
「一緒に、新しい惑星に行こうぜ。」
俺は、禍々しい捕り物道具を振りかぶった。
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仮想世界、と言ってもコンピューターの中のデジタルデータではない。
ジェジーがエーテルと名付けた、不思議な物質でできている。
だから、この仮想世界に存在するものは、すべからく質量を持っている。
エーテルは人類もよく知る物理法則の常識をおおむね正確に再現するが、時折非常識なふるまいをする。
人類が理解して居る”物質”ってぇやつに、安易に当てはめる事が出来ないのかもしれない。
エーテルは不思議なのだ。
だがエーテルが不思議なのは、無理ない事やもしれぬ。それは保全機能という人類には理解できない、高度な存在が作り出したものだからだ。
保全機能は滅び行く地球から、俺たち2310名の人類だけを救済した。
俺たちの本体、つまり肉体は”実体層”と呼ばれる場所に厳重に保全されている。
保全機能は、俺たちを完全な状態で新しい惑星に移住させることを、彼らのミッションとしている。
だからか弱い人類の為に仮想世界なんて言う仕組みを用意したのだ。
仮想世界の俺たちの身体はエーテルで出来ており、怪我をしても自然と治ってしまう。
例え首を切り落としたとても治ってしまう。
記憶は実態層に安置されている本体の脳にあるので、エーテルでできた形ばかりの首など、ちょん切れたらまた生やせばいい訳だ。
この仮想世界において、俺達に死はない。
非常識だ。
エーテルでできた体には、不老不死の他に、もう一つ非常識なことがある。
それは特殊能力だ。
身体能力がスーパーマンだったり、触った物を柔らかくしてしまったり、まるで漫画だ。
俺たち2310名は、人間が住める新しい惑星に向かう旅の途中にある。
俺たちがどのような手段で移動しているのかがまた謎なのだが、その移動手段は様々な思いを乗せている。
人類をそのままの状態で保全し、新しい惑星で地球での生活の続きをさせたい保全機能。
保全機能の英知を手に入れ、人類の進化を促したいチャケンダたちお花畑の化け物。
仮想世界こそ人類の楽園であると定義し、新しい惑星への移住を拒む、ケチェ達楽園派。
新しい惑星には行くが、不老不死の肉体は失いたくないと考えている、ツワルジニ達進化派。
新しい惑星で、人類の身の丈にあった生活をやり直すべきだという、ホトプテン達回帰派。
そして、保全機能のパシリをやらされ、うんざりしておる俺。
星を食らって進化する種族人間の、逃れ得ない業に行き当たる異能バトル小説”お花畑”。
その、最後のエピソード。
ガーウィスの世界。
ここには一体の化け物がROM化されている。
頭だけ立派で体が貧相という、不格好なドラゴンで、ヒエレという名の青年が変化した姿だ。
さて、この仮想世界の化け物について、ちょっとおさらいをしておこう。
奴らは醜悪な姿をしていて、臭い匂いがする。
いわゆるゾンビシステムで、化け物に侵食された者も化け物になってしまう。
化け物になると、その者の世界は虚無の空間となる。
虚無と言ったが、そこはエーテルの妙で不可思議な空間なのだ。
空気があるわけでもないのに人間が普通に活動できるし、重力があるわけでもないのに足は地についているし(普通に歩ける)、光があるわけではないのに物は見えるし──全ての常識ガン無視だ。
そして虚無の地平線には、一面に花が咲いている。
この”お花畑の化け物”は、一人の男…チャケンダから始まった。
奴が保全機能の英知をハッキングしたとき、その変化は起きた。
保全機能はその化け物に関する問題の解決を人類の手にゆだねた。
しかし、それにはしばらくの時間が必要であろうとも考え、当面の措置として化け物をすべからくROM化することにした。
ROM化された化け物は凍り付いたように動かなくなり、俺達からは奴らに何でもできるが、化け物からは何もできない。
だから不格好なドラゴンはピクリとも動かず、勘違い芸術の展示物みたいになって、無様な姿をさらしている。
そのROM化された化け物が一人ヒエレの前に、小さな少女が一人、ちょこんと寂しげに座して居る。
「もう少しで人間に戻れるから、待っていてね。私がついているから。やり直せるから。」
彼女は、不格好なドラゴンの鼻先に、愛し気に額をくっつけた。
ROM化されているので返事はないが、彼女の暖かい言葉は、ヒエレの心に届いている筈。
「ジェジーとコンスースが、今、頑張ってくれているから。」
彼らの切り離し実験の成果が、化け物を普通の人間に戻す技術につながるのだ。
「よし、これでいいだろう。」
「うん、予想以上にいいデータが採取できたな。」
俺のパン屋の入り口付近の二人がけの席。
俺の親友、ジェジーとコンスースの、達成感に満ちた笑み。
「コンスースが論理層で論理死していたときのデータを切り分け、その前後のデータに影響がないことを証明する作業は手間がかかったね。」
「ガーウィスが仲間になってくれてよかったよ。彼は難問を打破する天才だ。」
ジェジーとコンスース、そしてガーウィスは執拗な妨害をはねのけて、切り離し実験を成功させた。
その過程で、コンスースは一度論理的に死亡した。
ジェジーも自らを改造して実験装置の部品にしたし、ガーウィスだって身を挺してチャケンダから実験装置を守った。
3人とも頭を使うのが本職だというのに、全く…
全く、大した奴らだ。
俺の店にガーウィスの姿は無いが、報告書の作成はオンラインで行っているので、彼は自分の世界からネットワーク経由で作業をしていたはずだ。
遂に3人の努力が報われ、切り離し実験の報告書が完成した。
報告書は保全機能がレビューすることになっている。
その実験の成果は、来る移動手段の切り替えで用いられるからだ。
保全機能は人類への干渉を最小にするために、人類の窓口をたったの一人に決めてしまった。
それは誰かって?俺さ。迷惑なことにね。
だから二人は俺に対して報告書を送信してくるはずなのだ。
カウンターの奥で動画を鑑賞していた俺は、そろそろ二人から声がかかる頃合いかと、彼等の方へ顔を向けた。
もう一人、俺の脇の下にへばりついているちっちゃい女の子、プライマリも二人の方へ顔を向けた。
プライマリは公式には”接点”と呼ばれる、保全機能の代理人だ。
保全機能は人類には理解できない存在なので、俺を窓口にたてるとしても、彼女達のような人類が理解可能な存在が必要だった。
だって俺、ただでさえ馬鹿なのに、理解できない高度な存在なんかと直でコミュニケーションとれねーもん。
接点は基本的に俺としかコミュニケーションを取らない。
彼女たちは人類に対して、最小限の干渉しか許されていない。
接点とはそういった面倒くさい存在ではあるのだが、プライマリに限っては、一匹の変態という認識で全く間違いない。
ってゆーか、腐れ脇の下フェチなんだね。
しかも、嫌いな相手の脇の下ほど燃えるという倫理観の狂い様で、その異常性癖っぷりを見ては脳が膿んで居るのではないかと疑っている。
彼女は来る移動手段切り替えの為に、切り離し実験の成果を必要としている。
実験の成果、すなわちジェジーの報告書は間もなく手に入る。
その期待に彼女は欲情し、下半身を激しく俺にこすりつけてくる。
「どう、どう、どう。」
俺は彼女の腰を押さえつけて、俺の体側から15cm離した。
この、最低な下半身の攻防は何も珍しいことではない。むしろ俺の日常といっていい。
俺は慣れた力加減でプライマリの脳天に手刀をめり込ませ、脳震盪を起こさせた。
目を回した彼女をカウンターの上にどける。
「ニカイー!ランチプレート4つ!」
店の奥。窓際の4人がけのテーブルで、イェトさんが手を振っている。
彼女は俺の恋人で、このパン屋の看板娘だ。
だから、彼女がカウンターまで来て俺に注文を伝え、俺がプレートを作ったらそれを彼女が運んでいくっていう段取りなら、話は分かる。
だが、なんだね?席にどっかりと腰を下ろして客とのおしゃべりに夢中。俺に運んで来いと言わんばかりの勢いではないか。ってか、そう言っているんだね。ズバリね。
注文は4つで客は3人だから、イェトの分も含まれているわけだね。
あのさーお前、うちの店のサーバーだろう。なんで客の一人になっているのだ?
いや、あやつは金払わないから、客ですらないな。
でもそうか、もう昼か。みんなに昼飯作ってやらねば。
コの字とジェジーは仕事に夢中で、昼飯のことなんて頭にないはず。俺が気を利かして、何かうまいものを作ってやるべきだろう。
さて、じゃあスクランブルエッグでも作るか──…ん?
あ。カウンターの上にプライマリが居る。寝ていやがる。
何だこりゃあ。邪魔で仕事ができぬ。
ゴトン!
俺はカウンターの上で伸びているプライマリを床に突き落とした。
まったく邪魔な奴だ。なぜそこで寝る?俺の仕事場だぞ!恥女菌が食べ物に混入せぬよう、よく消毒をしなければ。
変態チビに憤慨しつつスクランブルエッグを作っていると、ジェジーからメッセージが飛んできた。
『悪いが、切り離し実験の報告書を接点に提出してくれないだろうか。』
俺はメッセージに報告書が添付されていることを確認し、ジェジーとコンスースに「二人ともお疲れ。」と言って労をねぎらった。
で、添付ファイルをプライマリに渡すわけだが、なんで床で寝てるんだよ。
お前が起きて、俺にポート開けてくれないと、ファイル送れないじゃん。
接点という存在は極秘事項が多い。機密の塊だ。
俺からプライマリに連絡をとることは基本的にできない。
専用のポートを開けておいてくれれば、その番地にデータを置くことで、事実上俺から連絡が取れるのだが。
実際には俺のポートをプライマリの脳内のプロセスが定期的にチェックして、データがあったら引き取っていくという仕組みなのだが、細かいことは今はどうでもいい。
プライマリが自分の役目も果たさずに、のんきに寝こけている。それが問題だ。
頭にくるじゃあないか。
お前はジェジーの報告書を待っていたのではないのか?
彼らの努力を知らぬわけではあるまい。
ええい、忌々しい。
俺はフライパンのスクランブルエッグを皿によそった後、まだチンチンに熱を持っているその鉄板をプライマリの顔に押し当てた。
ジュウウゥゥ。
変態幼女は飛び起きて、顔をかきむしった。
ははは。そうだろう。熱かろう。痛痒かろう。
接点はその顔も極秘で、俺と二人きりのとき以外は顔をベールで覆っている。
しかしその様な薄い布切れ、焼けたフライパンの前では悲しいくらいに無力だろう?どうだ、どうだ?熱いか?痛痒いか?ふはははは。
「ごぶぅっ!!」
俺はフライパンを片手にうんこ座りをしてプライマリを笑っていたのだが、イェトさんに後頭部を踏まれ、顔面が床にめり込んだ。
「幼児虐待してるんじゃないわよ。」
カウンターには、ベーグルとスクランブルエッグとサラダが乗ったプレートが4つ用意してある。
イェトさんは、そこに紅茶のおかわりを添えて運んでいった。
俺はつぶされた顔面を修復して、プライマリにポートを開けさせ、ジェジーのレポートを提出した。
喜びのあまり、俺の股関に飛びつかんとするプライマリ。
そうはさせるか。
一話に二回も下半身の攻防シーンはいらねえんだよ。この小説はバトルものだ。
俺はプライマリに向かって袖搦を構えた。
すなわち、彼女の変態行為を断固拒絶させていただく構えだ。
彼女もまた袖搦を手にした。
すなわち、徹底して25禁行為に及ぶつもりだ。
競り合う袖搦の切っ先が無慈悲な金属音を立て、俺とプライマリの下半身の主導権をめぐる死闘が始まった。
5分後。
「ぐはーっ。ぜー。ぜー。くっそ、俺が変態チビごときに手古摺るとはな。」
「…」
発情し、狂った雌犬と化した彼女は、実力の200%を発揮した。
変態チビなんかより絶対に俺のほうが強いはずなのだが、戦いは互角。
ハイレベルな袖搦の競り合いで、一滴残らず体力を使い切った。
二人とも滝のように汗を流して、びしゃんと床に倒れてしまった。
お互いに指一本だって動かせないはずなのに何たる執念か、プライマリは俺に這いよって抱き付き、脇の下に顔をうずめた。
『うおおおっ!いいぞ!汗でべたべたの脇の下!この最悪に不快な汚物!私が求めていた毒は、まさにこれだ!一滴残らず舐めとってしまいたい!』
だから変態の汚れた思考を俺に聞かせるな。
俺を標準出力にして脳に直接音声データを送ってくるから、耳ふさごうがアカウント拒否しようが聞こえるんだよ。きもい心の腐臭がな!
で、その変態幼女が、俺にファイルを一つ送ってきた。
『ジェジーに渡してくれ。』
俺はファイル名すら見ずに、えんがちょ的にそれをジェジーへ転送した。
ファイルを受け取ったジェジーは、コンスースと何やら話をし、チャンネルを切り替えて俺の世界を後にした。
あ、あいつら昼めし食ってないな。
ジェジーとコンスースの二人はガーウィスの世界にいた。
ガーウィスの工房に向かう途中、ROM化されたヒエレの前に座っているエリヒュに声を掛ける。
「そんなに心配をしなくても、彼はぼく達が人間に戻してあげるよ。」
「たまにはニカイーのパン屋に顔を出しておくれ。」
礼を言う少女の笑顔に映るものは、未来の希望だ。
ガーウィスの工房に入ると、奥の小部屋に通された。
その中で打ち合わせをすれば、彼らの研究の特に取り扱いに注意を要する秘密は守られる。
音や無線WANの電波、そして熱などを通さない作りになっている。
実験装置を暴徒に襲われた教訓から、マァクの助言で、彼らは機密事項に関してはその部屋で打ち合わせをすることにしたのだ。
プライマリがジェジーに送ったファイルは、移動手段切り替えの仕様書だった。
まずはファイルをローカルネットでシェアし、ざっと目を通す。
「新しい移動手段に切り替えることで、移住先の惑星への到着が142年短縮される…か。」
「新しい移動手段へ引っ越す範囲が書いてあるね。」
「実体層、論理層、物理層。保全機能固有のレイヤーは含まれないんだね。」
「確かにこれでは、お花畑の化け物は引越し出来んのう。」
「化け物たちは保全機能固有のレイヤーに、深く繋がって居るからね。」
「そこでぼく達が切り離し実験で得た技術が役に立つわけだ。」
「保全機能ならば、わしらがなしうる事なら、いとも簡単に成し遂げそうじゃが、なぜ、人類がなすのを待ったのじゃろうか?ジェジーが30年がかりで完成させたこの技術は、彼らにとってどれほど重要かがよく分かった。なればこそ、彼らの役目にした方が確実だったろうに。」
この疑問にコンスースがかぶりを振る。
「自身化け物となったぼくに言わせるなら、その詮索は無意味だよガーウィス。人類が彼らを理解することは不可能。その理解においてのみ、ぼくはチャケンダに勝っている。」
ジェジーが手をたたく。
「さぁ、移動手段の切り替えに向けて、考えることは山ほどある。君たちの優秀な頭脳の出番だ。喜びたまえ。」
『減るものでもなかろうに、なぜ拒む?』
「減る!俺の純真が減る!」
『貴様のような愚か者の安い純真、犬にでも食わせてしまえ。そうだ、子犬に咬まれたと思えばいい。さぁ、さぁ。』
ジェジーのレポートを入手したプライマリは、移動手段切り替えの段取りをするため、しばらく俺に会いに来れない。
そこで当面の間必要な脇の下毒を貯蓄させろとうるさいのだ。
わきの下にちょこんと抱き着いていたいと云うならば可愛いものだ。好きにさせてやろうではないか。
そうではないから、全力で阻止せんとしておるわけだ。
彼女が何をしたがっているのか?R15レートのこの小説でまんま書き記すわけにはいかない。
比喩的には、嫌がる彼女の顔面を強引に脇の下に押し付け、更に彼女の**を無理やりこじ開けて、俺の@@を以下略という鬼畜行為を彼女はお望みなのだ。あ、ほぼ書いてしまったな。まずいな。
彼女は馬鹿で優柔不断な俺のことが大嫌いだ。
彼女は大嫌いな相手に無理やりされなければ感じないのだという。
弩級の変態だ。
更に、彼女は人前でそれをされても全くかまわないと云うかむしろ燃える、と、ほざきよった。
超弩級の変態だ。
『鬼畜行為手当なら出す!』
この仮想世界はエントリー時に自分の姿を自由に選べたので、女子は美少女しかいない。
だが、その多くが変態であったりと、性格上の破滅的な問題を抱えている。
まともな女の子って、セカンダリくらいかな?人間ではないけど。
そんな残念な現実に頭を抱えているところに、セカンダリから連絡が来た。
プライマリから応答がない、何か知っているかという質問。
彼女はポートを開けて返事を待っている。
ああ、知っているとも。
俺はプライマリとの最低にお下劣なやり取りの一部始終を、現在進行形で伝えた。
セカンダリは、プライマリを俺のパン屋の裏の物置まで連れて来いという。
おおおおお。助け舟来る。
イェトをはじめ皆、プライマリの変態行為を無視し、放置してくれるからな。この危機的状況に手を差し伸べてくれたセカンダリ様には、ありがたくて涙が出る。
「おい接点。続きは裏の物置で話そう。」
『人気のない場所か。やっと観念して、やる気になってくれたか。』
そんなわけないだろ。罠だ、罠。
プライマリを物置の前に立たせると、物置の戸がスーッと音もなく開き、セカンダリが出てきてプライマリに抱き着いた。
『プライマリ。そう云う事がして欲しいのなら、なぜ私に言わない。』
『私は嫌いな相手でないと燃えないのだ。』
「あれ?ちょっと待って。セカンダリって、そういう趣味なの?」俺は首を傾げた。
『私は自分しか愛せないのだ。従って私が体を許すのは、わが分身であるプライマリだけだ。』
だめだ。セカンダリもど変態だった。俺は頭を抱えた。
この仮想世界に、まともな女子はただの一人もいない。
「お、おう。そうか。じゃあ続きは帰ってからやってくれ。」
俺のセリフが棒読みチックである、その理由は察してほしい。俺の店が穢れるから、まじ帰ってくれ。
『無論そのつもりだ。』
『ニィ~カイィィィ~~!!』
プライマリは、セカンダリにお持ち帰りされた。
店の中に戻ると、窓際の席がざわついている。
楽しいことがあってざわついているようには見えない。
「おいイェト、どうした。人種差別の成金が大統領にでもなったのか?」
彼女は「これをご覧なさい。」と動画のURLを送ってきた。
動画を見てびっくり。
楽園派の代表ケチェと化け物の親玉チャケンダが固く握手をしている。
チャケンダは「革命派」を名乗り、楽園派と同盟を組むと宣言した。
「「我々は共同で、この仮想世界がもたらす恩恵を、恒久的に維持する。」」
二人は同盟を組む目的を、そう語った。
「この仮想世界に残るにせよ、現実世界に戻るにせよ、我々は保全機能のシステムを必要としている。不老不死を理想とする進化派も、実のところ回帰派だって、それは同じではないのか?」
チャケンダはそう問いかける。
いや、いや、冷静に考えてみようぜ。
奴らの真意は最悪で、彼等は残された2310名の人類総出で、保全機能からシステムを強奪しようと、そう言っているのだ。犯罪だろそれ。
「ぼくたち2310人は保全機能に助けられた。その恩を忘れて牙を剥くなど、畜生にも劣る行為だ!」
そう吐き捨てたのは、ツイカウ。
「あの二人には説教が必要だ。」
クールなツイカウがかんかんに怒っている。
「じゃあ奴を滅殺するとき、耳だけは残しておいてやる。何時間でも説教をするといい。」
俺は首をすくめてそう言った。
イェトさんはつぼったのか、ゲラゲラ笑っている。
ツイカウも表情が笑顔に転じた。俺が彼と同意見なのが気に入ったようだ。
何故かチョリソーとオウフだけ、笑顔が引きつって居る。
クールガイがそれを見逃すわけがないし、当然気もきかせる。
「二人とも楽園派だから、気持ちは複雑だろう。君たちは根拠の塔ではイメージキャラクターも務めた楽園派の顔でもある。だが、何があっても君たちはぼくが守る。だから安心してくれ。」
ヒューっ。かっけー。
”何があっても守る”とか、俺には絶対に言えないセリフだ。
何を食ったらそんなすかしたことが言えるのか?
プロテインの飲みすぎではないのか?
確かにツイカウの引き締まった筋肉なら、頼りがいも説得力もあらぁな。
「保全機能を敵に回すなんて、狂って居る!」
楽園派きっての頭脳、天才建築家のスパイタは楽園派を脱退した。
「システムの内部を垣間見た僕にはわかる。保全機能は人類にとって、アンタッチャブルな存在なのだ。保全機能が象なら、人類は蟻だ。チャケンダは誰よりもそれを知っているはずなのに。くそっ!なんでこんなことに。」
彼は楽園派の主要なメンバーにメッセージを送った。
「──
ケチェにはもうついていけない。
巨大な保全機能に逆らうなんて、正気の沙汰ではない。
保全機能は話が通じない暴君ではない。
僕たちの理想は、彼らと根気よく交渉を重ねることで実現すべきだ。
本当に、心の底からこの仮想世界での生活を望むなら、君たちも脱退すべきだ。
道を外れて奈落に落ちるのはケチェ一人で十分だ。
皆で新たな派閥を立ち上げて、正しい道を進もう。
──」
この危機感を持った誘い状は、チョリソーとオウフにも送られた。
戸惑い、顔を見合わせる二人。
「どうしたんだい?」
色男は心配そうに、恋人の顔を覗き込む。
判断に困ったオウフは、スパイタの文章をツイカウに転送した。
「ぼくはスパイタに賛成だ。」
ツイカウは文章に目を通すなり、男らしくきっぱりと言い切った。
「うん。分かって居るの。でも…」
オウフと、そしてチョリソーも、なんとも気持ちが定まらない様子。
しっかりしてくれと言わんばかりのツイカウのため息。
「いいかい?よく聞くんだ。子供が親からお小遣いをもらう時どうする?親を殺して財布を盗むのかい?ケチェとチャケンダがやろうとしているのは、そういうことだ。」
「そうね、ツイカウ。おなたは正しいわ。模範的で、その正しさにわたし達は返す言葉がない。」
「チョリソーまで、どうしたんだい。」
まさか二人はチャケンダの側につくなどと言い出すのではないか?そんな不安さえ頭をよぎる。
「ねぇ、いい子ががらにもない悪さをするとき、どうするか知ってる?」
チョリソーが目をそらして話し、ツイカウは視線をそらさず不満気に首をすくめる。
チョリソーは人差し指を唇にあてがう。
「黙ってしまうのよ。」
”本当に裏切る気か”とツイカウは天を仰ぎ、チョリソーとオウフは、申し訳なさそうにうつむく。
険悪な雰囲気。
イェトが「紅茶を入れましょう。」と手をたたいた。
「それともハーブティーにしよっか?しばらく飲んでいないわよね。気分が変わるわ。」
イェトはツイカウとオウフが喧嘩をするところなんて、見たくはなかったのだ。
コジェヌという少年が居る。
彼は俺とチャケンダを観察し続けてきた。
馬鹿の俺はともかく、チャケンダの野郎がそれに気付かない訳がない。
チャケンダはコジェヌに、その少年の冷め切った瞳に何か特別なものを感じていた。
だから始まりの化け物は己の生き様を、ラインランドに潜む少年に見せ続けてきた。
だが、チャケンダは俺と決着をつけると決めた。
自分が彼に見せられるものは、もうそれ程無いと確信し、彼に「君はどうするんだい?」と決断を迫った。
追い続けて来た背中に問われて、彼はついにラインランドの外に出た。
少年がやりたいことは決まっていた。
しかし、どうすれば良いのか?何から始めれば良いのか?皆目見当もつかないのだ。
少年は悩んだ末、マァクを頼ることにした。
あの人望厚いシスターなら、何らかの道を示してくれる筈だ。
コジェヌは迷える子羊として、マァクの教会へ足を運んだ。
教会の門をくぐり、マァクの姿を探す。
だが何処にも見当たらず、祈りを捧げに来ていた者に、マァクはどこかと聞いてまわった。
<※コジェヌです>
誰も知らない。それでもあきらめずに聞いて回る。
突然肩を掴まれる。
「マァク様に何用だ。」
マァクの懐刀イマルスが、鋭い視線で少年をけん制する。
文体は疑問形のはずだが、その口調は明らかに”?”で締めくくっていない。
彼女は少年に対して、暗に”立ち去れ”と命じているのだ。
ところが少年にひるむ様子はなく、逆にマァクの居場所を知っているのかと、前のめりに食いついてくる。
これにはイマルスも面食らった。
「マァク様に何用かと、聞いている!」
教会の中で騒ぎにならぬよう、声を抑えてきつく問いただす。その意味するところはやはり”今すぐ帰れ”だ。
少年は彼女の言葉の真意を解さず文字通りに聞き、素直に返答をした。
「はい。人類を絶滅させたいのですが、どうすればいいのか分からなくて困っているのです。」
人類を絶滅。
イマルスはぎょっとした。
教会にいた数名も驚きを隠せず、本気か冗談か測りかねて少年を凝視する。
悪目立ちしている。
イマルスは慌てて「こっちへ来い。」と、少年の手を引いた。
人目を避け教会の裏手に行くと、部屋の奥にマァクが座って居た。
蝋燭の鈍い灯りは艶やかに椅子に収まったシスターに深い陰影をつけ、彼女の美しさを際立たせる。
「イマルス。その子はどうしたのですか?」
「はい。実は…」
イマルスがいきさつをすっかり話すと、少年は嬉々として、その後を続ける。
「僕は人間にとって、死が何よりも幸福だって知っているんです。だけど、この仮想世界の人間は絶対に死ねない。それが可哀そうで、悲しくてたまらないのです。マァク様。どうかこの僕に知恵をお授けください。どうすれば人類を絶滅させられますか?」
とても正気とは思えない。
だがマァクは呆れるでも、小ばかにするでもなく、静かに、聖母のごとき柔らかな笑顔で少年のたわごとを聞いた。
ややあって、マァクは「いいでしょう。」と、少年を手招きした。
イマルスはじっと傍らに控えている。
並の腹心ならば、”この様な空け者の相手をすることなかれ”と少年をつまみ出しているところだ。
イマルスは違う。マァクに心酔し、全てを捧げている。マァクのすることには全て意味があると信じている。
マァクはデリンジャーを取り出し、銃口を少年の額にあてがった。
「つい先日、この仮想世界は壊れかけ、2310名の命は失われる寸前にあったのです。」
静かに、引き金を引く。
コジェヌは額にマァクの呪いの弾丸を受け、弾丸に封じられている俺とチャケンダの戦いを見た。
論理層を破壊する俺という化け物の姿を見た。
少年はにわかに興奮する。ぎこちない仕草とろれつが回らない口調で「この、ニカイーという男を、論理層で暴走させれば良いのですね。」と、道を得た喜びをあらわにした。人類を絶滅させる方法があるのだ。やはり、マァクの処に来てよかった。
二人の戦いはコジェヌも見ていたが、それは物理層のみであって、論理層での出来事は知らなかった。
ここでマァクが問う。
「どうやって論理層への扉を開くというのですか?それが出来る者は、片手の指が余るほどしかおらず、そして、きっとあなたには非協力的です。」
「仮想世界に来た直後の僕は何をすべきか知らぬ屍人でした。開眼し目的を得た後も、手段を知らぬ人形でした。今度は力を得て有言実行の人間になる順番なのです。僕はこれから”力”を探します。」
そう言って、人類の幸福を願う少年は、教会を後にした。
「あの少年。大丈夫でしょうか?」イマルスのため息。
「うふふ。どうかしらね。それよりあなた、眉間にしわが寄ってますよ。少し休憩をお取りなさい。」
「はい。」
少年に対する不快感が表情に出てしまっていたようだ。イマルスは修行が足りないと自らを戒める。
教会を左手に出て離れに向かうイマルス。
離れの中ではナイアラがくつろいでいた。
難しい顔で、その向かいに座る。
ナイアラはマァクのお側役に選ばれる前のイマルスを思い出していた。
まじめな優等生タイプであるところは変わりないが、これほど自分に厳しくはなかった。
カラーワイヤークラフトが好きな少女だった。
可愛らしい三輪車やイルカを針金で造っては、ナイアラに見せてくれた。
マァク様の完璧さを真隣で感じて、イマルスは変わった。
彼女の針金細工を見ることはなくなった。
イマルスはワイヤーの代わりに雑草を手にするようになった。
それは、彼女が女の子らしい楽しみを捨てたあかしだった。
ナイアラがイマルスの頭をなでる。
「わたしたち。なかよし。」
「ん?どうした。急に。」
人類の今後のあり方を謳う最大派閥「進化派」の代表ツワルジニは傲慢な男である。
他人に厳しく自分に甘い。
自ら手を動かすことを好まず、何でも人に命令して終いにする。
それが今や、有言実行のプレーヤーマネージャーとして高い支持を得ている。
何故か?
実は今ツワルジニと名乗っている男は、トポルコフという少年が化けた偽物なのだ。
本物はツワルジニの部屋の金庫の中。
マァクはその事実を知っている。
そして、彼女は偽ツワルジニにこう言ったのだ。
「貴方がビジネスの相手たり得るうちは、貴方を本物のツワルジニと認めましょう。」
正体がばれた!
小心者のトポルコフがどれほど震え上がったか、想像できるだろうか?
マァクは秘密を守る見返りなんて、一切求めなかった。
進化派代表としての資質だけを、トポルコフに問うて来たのだ。
トポルコフ演じるツワルジニは、実に良きリーダーだ。
さて、本物のツワルジニはどうして居るのか?
彼は、ネットワークにつながらずトトのサービスを受けられないことから、自分はトポルコフの世界に閉じ込められていると推測していた。
そうして悪あがきを放棄してしまっていた。
だが、ふと、自分が金庫の中に居る可能性もあることに気付いた。
まさか奴らがツワルジニの世界にツワルジニを隠すなどという不用心をするなんて、微塵も考えてはいなかったわけだが、可能性はゼロではない。
他にやる事も無し、ちょっと試してみることにした。
自分は手足を縛られ、袋に詰められて何処か狭いところに閉じ込められている。
その何処かをを金庫と仮定した場合、隙間に充填されているこれは、ツワルジニの秘密のコレクション。
すなわちパンティーだ。
パンティーならば彼の破廉恥な能力で、自在に操れるはずだ。
「まさかな…」
ところが、充填されているなにかは、いとも簡単に彼の思い通りに動いた。
パンティーだ!パンティーではないか!!
彼はパンティーを操って自分の拘束をといた。
そして、暗闇の中、手探りで金庫の操作パネルの裏蓋を探し当てた。
蓋を開け、メンテナンス用スイッチを操作して金庫の扉を開ける。
ツワルジニは脱出に成功した。
即座に偽ツワルジニを探すが、部屋の中には誰もいない。
「トポルコフとあの三つ編みの男。目にもの見せてくれる。」
性格の悪い男の表情は、復讐の悪意にゆがんでいる。
偽ツワルジニは、チャケンダとケチェの同盟にどの様に対応するかを決めるため、ッタイクを伴ってマァクの教会へと向かっていた。
事前にオンラインで概要は説明したのだが、マァクの流儀で、密会は教会の裏の向かって左側の塔でしか行わない。
「マァク様がお待ちです。」
二人をイマルスが出迎えた。
教会を裏へ通り抜ける。
その途中、ッタイクにメッセージが飛んできた。
『ッタイク。今、どこにいる?』
彼女は不思議に思った。
メッセージの差出人はツワルジニ。
彼は自分の目の前を歩いている。
彼女は目の前のツワルジニが偽物だということを知らない。間違いなく本物だと信じている。
全く変な質問だが、逆らうと後が面倒なので、正確に答えることにした。
「あなたの3歩後ろです。」
『どこの世界で、何をしているかを答えろ。』
それを彼が知らない訳がない。だって目の前に居るもの。いよいよおかしな話になってきた。
「あなたは誰ですか?」
『馬鹿者。本物のツワルジニだ。質問に答えろ。』
「ツワルジニ様は、私の目の前にいらっしゃいます。」
『それはトポルコフが化けた偽物だ。』
「え?」
混乱し、ツワルジニと信じていた男の背中を見つめたまま、生真面目な副代表の思考が止まる。
『質問に答えろ!!』
性悪男の一括が、まじめ少女の思考を再び動かした。
「マァク様の教会で打ち合わせです。」
虚を突かれた形で、答えてしまった。
それでよかったのか、目の前の男に報告すべきか、彼女は迷っていた。
俺のパン屋。
プライマリがいつになく興奮した様子で、店の扉をズバンと跳ね開けて登場した。
彼女は俺を標準出力にして『チャケンダをROM化しにゆくぞ!』と、何度も繰り返しテキストデータを送ってきた。
「何キロバイトもテキスト送ってこぬでも、一回でわかる。」
だがプライマリが喜ぶのも無理はない。
切り離し実験のときには許可が下りず、彼女はチャケンダに一切の攻撃ができなかったのだ。
彼女がどれくらい嬉しいかと云うと、今すぐ俺を押し倒して超級者向け鬼畜エロ行為に及びたいほどという、まっとうな人間には理解しがたい方向に突き抜けて嬉しい。
俺はエロい匂いを発散させながら突進してくる変態チビに袖搦の切っ先を向けた。
「それにしても、えらい急な話だな。」
変態チビはしばらく俺の処に来れないはずだった。それがなぜ急に?
実は先ほど、保全機能から接点に、移動手段切り替えの準備を進めるよう指示があった。
その指示の中には”全ての化け物のROM化”も準備の一つとして含まれていた。
化け物はシステムの中枢に繋がって居るので、ジェジーの技術でいったん仮想世界から切り離さないと、新しい移動手段に移設できない。
今一度書くが、移設の対象は実体層、論理層、物理層、この3つだけだ。
後は全て最新のアーキテクチャに刷新される。
従って新しい移動手段に映った後、チャケンダ達お花畑の化け物が旧来の移動手段と同じ手口で保全機能の英知を得られる保障はない。
チャケンダはそれを嫌っている。それが保全機能に抵抗する理由の25%。
兎に角、お花畑の化け物は残らずROM化し、一旦仮想世界から切り離せというのが命令であり、化け物の中には当然チャケンダも含まれる。
俺たちがCHMOD(化け物のROM化)を本格的に始めたとチャケンダに知れたら、奴は何をしてくるか解らない。
ならばそんな奴から真っ先に退治してしまうのが正しい戦略だ。
ROM化も、今度はチャケンダやコンスースに簡単には破られない様に、強度を上げるそうだ。
プライマリは俺に袖搦を投げてよこした。
既に俺は自分の袖搦を右手に持っているというのにだ。
「おい袖搦なら持って…ん?」
左手で受け取って、右手で持っている奴と並べて比べる。
ちょっと形が違う。
ヒーローが持つ武器に見えない禍々しさは健在なのだが、なんか細い針のような鍵爪が増えてるな。
これ、刺さったら折れて、相手の体に残らない?痛そうだな。見続けていると先端恐怖症になりそうだ。
『チャケンダ用だ。』
「チャケンダ用?」
『奴は凄腕のハッカーだ。ROM化の強度は上げるが、念には念を入れて別な手段で更に奴を拘束する。』
「ようはこいつを奴に刺しっぱなしにしておけば良いのだな?」
『ほう、貴様にしては察しが良い。この陽気に雪でも降らなければいいが。』
喧嘩売ってくるなー。プライマリちゃんはー。カチンとくる。
「んだと!こいつをてめぇのケツに…」
…ぶち込むぞ。と、言いかけたのだが、プライマリが嬉々として俺のほうへ尻を向け、裾をまくり上げ始めたので、俺は軽く咳ばらいをした後、彼女の脳天に拳骨を落とした。
全くプライマリちゃんの変態性癖には油断も隙もあったものではない。
「おい、イェト。行くぞ。」
俺はプライマリが手にしていた札の束を、イェトさんに投げた。
「相手は誰?」
「チャケンダだ。」
「へー。いきなりラスボス戦とか。上等じゃない。」
だよね、イェトさん。
俺もさ、日常の描写とか、謎解きとか、全部いらないと思うんだ。
いきなりラスボス戦、速攻最終回で。
「ぼくも行くよ。」
丁度ガーウィスの世界から戻ってきたコンスースが、アタッシュケースを2つ担ぎ上げた。
「マオカルも出てくるのだろう?彼はぼくが相手をする。」
今やマオカルよりもコンスースの方がはるかに強く、いじめに近いと思うのだが、それを指摘すると「今はね。」と表情を引き締め、決してマオカルに対する警戒を解こうとはしない。
完全に終生のライバルと決めている。そんな感じさえする。
鬼火力のコの字まで来たら、本当に1話でいきなり最終回だな。
まぁ、それもいいか。いいのか?いいのだ!
ケチェとの同盟宣言のおかげで、チャケンダの居場所は知れている。
マァクの手の者が彼の動きを追っている。
俺たちはプライマリに導かれて、ラスボスのいる世界にチャンネルを切り替えた。
そして今。
頭のすぐ上低くから睨み下ろす太陽が、メラメラと命を焼く、灼熱の砂漠。
「チャケンダ。お前の長い旅も、ここで終わりだ。」
俺は袖搦の先端を、始まりの化け物チャケンダに向ける。
陽炎が濃い、熱射にもがく様に上に揺らめく昼。汗は滲むそばから蒸発して行く。
その熱気が奴の姿を幻めいて錯覚させる。
あまつさえ奴の反応は薄く、彷徨う亡霊の様ではないか。
袖搦の容赦ない切っ先が、人間味なく冷めてビタリと奴の急所を指し示す。
判っている。
袖搦はとても正義のヒーローが持つ武器には見えない。
聖なる剣の形を成してはいないし、サムライが手にする日本刀にも見えない。
力を連想させる斧や鎚でもない。
技を連想させる槍や棒でもない。
長い柄の先に相手をねじ伏せる鉤爪が付いて居る。
相手に苦痛を与え、身動きできなくする道具。
苦痛を与えるという点でそれは、拷問器具に近い存在だ。
振り返った奴に表情はなく。まんじりともせずに、その切っ先の動きを目で追っている。
「やぁ、あの実験以来だね。元気だったかい?」
「てめぇの青い髪、イラつくよな?」
俺は唾を吐き捨てた。
「ぼくのお花畑は椿だ。青は椿の赤に映えていいと思うけどね。」
「その乙女チックな幻想ごと、てめぇの頭を吹っ飛ばしてやるよ。」
袖搦を構えた俺とプライマリが突進する。
当然ニューオンとマオカルが割って入るが、これはイェトさんとコンスースが止める。
ニューオンの前で札を構えるイェト。
「あら、私の相手は炎使いのボウヤじゃないのね。」
「アンタには貸しがたまってるのよ。今日こそ耳をそろえて返してもらうわ。」
マオカルの前でレールガンを構えるコンスース。
その砲身は一本から三本に増えている。
「また、改造をしたのか。」
「趣味でね。連射できるようにしたんだ。」
ニューオンは最初っから奥の手デジタルデータ人形を出す。
イェトは札を一枚取り出し、こそこそと「強いる真値」と呟いてデジタル人形に放った。
札はデジタル人形の心臓の位置に張り付く。
そこめがけてイェトさんのマジパンチ!
ニューオンは「無駄よ。」と冷ややか。
デジタル人形は攻撃を受ける場所のビットを0にして、攻撃を無効化してしまう。
ところがどっこい。デジタル人形は粉砕されてエーテルに返った。
「なん…だと。」
「上手くいったみたいね。」
「何をした!」
「私が使った札の能力は”強化”。敵の能力を上げるわけだから不利なのだけれど、代わりに強化された部位のビットは必ず1になる。つまり…」
「くっ!」
「…わたしが強化された敵を上回る強さで攻撃すればいいわけよね?」
「では!これならどうだっ!!」
ニューオンが13体のデジタル人形を並べた。
イェトさんは札を13枚取り出した。
彼女がそれぞれの心臓めがけて札を投げようとした瞬間、デジタル人形が合体、巨大な一体のデジタル人形になる。
「私が最も愛する13人の集合体。」
「だからなんで、最も好きな男が13人もいるのよ。」
「前にも言ったでしょう。これ以上絞れないの、13人全員愛しているのよっ!」
「きしょ、」
「さぁ、この巨人を強化できるものならしてみなさい。あなたの勝ち目はゼロよ!」
イェトさんは迷うことなく巨人の心臓に札を投げて強化した。
能力が強化され、あふれ出るパワーに吠える巨人。
「どんなにその巨人が強かろうと、わたしの鬼パンチで粉砕して見せるっ!」
イェトさんが巨人に向かって跳躍する。
さて、コンスース対マオカル。こちらはどうか?
「まだ、そのハンドガンに固執しているのかい?」
「ああ。軍人としては失格だが、俺はこの銃を信頼し、愛している。」
「ならば、今回もぼくの勝ちだ。」
圧倒的に火力も防御力も違う。
3砲身レールガンがマオカルの身体を吹き飛ばす。頭と胸の一部を残し、全部だ。
マオカルのハンドガンの銃弾はコンスースの特殊スーツに傷一つつけられない。
コの字の楽勝。やはり弱い者いじめではないか。
「さてと、」
コンスースは俺とイェトを見比べる。
俺とプライマリはチャケンダ専用の袖搦で、確実に奴にダメージを与えている。
イェトさんとデジタルの巨人は互角に競り合っている。
「あの巨人から先に片づけるのがよさそうだ。」
まずい!強敵コンスースがやってくる。ニューオンは即時の判断を迫られていた。
チャケンダは自分かマオカルの援護を期待している。
でなければ俺とプライマリのツーマンセルには太刀打ちできない。
だが、マオカルはあっさり倒され、ニューオン自身もイェトとコンスース二人の相手はきつい。
俺の仲間の中では、この二人、イェトさんとコンスースが最強だ。
「チャケンダ様!」
チャケンダは化け物に変化した。
醜悪な線虫の塊だ。
ダメージの大きい半分を、俺とプライマリを止めるために残し、もう半分がニューオンのもとへ飛ぶ。
ニューオンと合流後人間の姿に戻り、奴は身体の半分が穴だらけの重傷で、ニューオンを連れてチャンネルを切り替えて逃亡した。
去り際。
マオカルに「君はもはやぼくたちの戦力たり得ない。」と頼りない軍人に三下り半を突き付けた。
戦力外通告をされたマオカルは呆然。
俺たちはチャケンダの行方を追うため、一旦パン屋に戻る。情報を集めねばならぬ。
コンスースは一人砂漠にとどまり、マオカルに「待っている。」と告げて去った。
サソリが寄ってきて、千切れ飛んだマオカルの肉を食っている。
:
この砂漠の戦い、冒頭の描写と違うって?
そりゃあそうさ、2つは別な日の出来事だ。
俺とチャケンダは、同じ砂漠で2回出会うのだ。
オトギリソウが咲き乱れる、化け物の世界。お花畑。
化け物が一体ROM化されている。
姿は31のラフレシアに寄生され、脚が凍りつきひび割れた、巨大なヘラジカ。
その名をシシスカンと言う。