群青の狼
BLUE but Cluster.
We are Azurite Wolves.
「父さん……!」
セシルは自身の太刀、『悲歌慷慨』を引き抜いて、コーネリアスを球状に包み込む触手の膜に振り下ろした。
一瞬だけ膜が裂けてその内側が見えた。見えたのは地面に倒れたコーネリアスの姿。
そんなはずはない。父は最強の男なのだ。死んでいるわけがない。何かの間違いだ。信じたくない状況に動揺が治まらない。
「嘘だ……嘘だ!」
セシルは膜に向かってもう一度太刀を振り下ろそうとした。しかし、それは横合いから急に突き出された何者かの剣が阻んだ。
「そこまでだぜ、坊っちゃん」
片手用ブロードソードと散弾銃を持った盗賊風の男だった。
「邪魔をするなぁぁぁ!!」
間髪入れずにセシルは太刀を防いだ男に向かって振り抜いた。
「よっと」
男はすぐに一歩下がり、ブロードソードを構える。
「危ないじゃない。俺はこの膜の中に用事があるだけなんだから他所に行ってくれたら楽なんだけど」
「何者だ、名を名乗れ」
「俺かい?ゲイルさ。またの名を――――」
ゲイルは散弾銃を至近距離で放った。
「――――ゲイルさ!」
散弾が銃口から放たれる。ショットシェルが開かれて20の鉄球がランダムに散らばった。
ペレットの軌道は運命に導かれて16がセシルから逸れて、残りの4がセシルに向かった。
「当たらん」
それを太刀の一振りで切り落とし、返す刀でゲイルを狙う。コーネリアス直伝の剣技『燕返し』だ。
「ちっ」
異常な反射でゲイルが首を引いたが、太刀が首を掠り僅かに血が流れた。
「ぼんぼんにしちゃあ速い。この体にもまだ慣れてねぇし」
ゲイルは口の中で呟くと、すぐさま踵を返して膜に突っ込んだ。
「逃がさん!!」
セシルはすぐに追ってゲイルの背中に太刀を突き出した。肩越しに後ろを見たゲイルはそれをあっさりと避ける。
瞬間、「マイク!」とセシルが名を呼ぶと、「うおおおおお」と嗚咽を塗り潰して叫び、涙で目を濡らしたマイクがまさに後ろを見たゲイルに正面から斬りかかった。
刀身が遠心力に任せてズルリとゲイルの肩口から胸の辺りにまで埋め込まれる。
「――――おおおおおおお!」
更に雄叫びをあげてマイクは剣を振り抜いた。刃はゲイルの胸からその下に降り、下腹部から抜かれた。
「うぐっ」
直後、マイクはほとんど胴体を両断されているゲイルに蹴り飛ばされた。
致命傷。
なのに、ゲイルは苦痛に目尻をひくひくと動かしながら口の端だけは吊り上げて見せた。
「俺は少し特別製でね」
ゲイルはそのまま触手で出来た黒い膜の中に入ると、コーネリアスの頭部を掴んで、そのまま路地裏に入り姿を眩ました。
後に残ったのは頭部を失い血だまりに倒れたコーネリアスと、怒りと悲しみの絶叫をあげるセシル、そして、リンダの頭を無言で抱き締めるマイクの姿だけだった。
コーネリアスがシンレンマフィアに殺されたという報せは次の日にはドミニオンの全区域にまで行き渡っていた。
彼の葬式は息子でありミズガルズの参謀であるセシルが喪主を務め、コールマン葬儀社が執り行った。
ミズガルズの面々は精神的支柱であったコーネリアスを失い、失意に落ちるどころかますます殺気立っていたため、葬儀は短時間で済まされることになった。
参列者の中にはギルド長官、ダークエルフのダンケルの姿もあった。
ダンケルは葬儀の前に参謀執務室に会いに来た。
「お悔やみ申し上げます」
ダンケルは褐色の肌に刻まれた皺を僅かに歪めて言った。
「ああ。父はジェイルが襲われてから貴方に会いに行こうとした。何を話そうとしていたか分かりますか」
「分かります。それを貴方に教えても良いのですが、その為には貴方にミズガルズの総長になっていただく必要があります」
セシルは首を振り答えた。
「私は……総長になれるような器じゃない」
「では、誰を総長にするおつもりですか?」
「アダムを。奴の方が正しく父の理念を承継しています」
「そうですか。だが、それは困ります。だって貴方でしょう?」
ダンケルが紫色の瞳でセシルの顔を覗き込んだ。
「コーネリアスが施設の話をしたのは」
施設。どういう意味かは分からない。だが、確かに聞いたことがあった。
「一言だけです。ダンジョンの奥に何かの施設があると」
「十分ですよ。だとすれば、我々ギルドとしては貴方に総長になっていただきたい。それを確約していただけるなら、こちらも情報をお渡しする」
「……少々時間をいただいても」
「納得できるまでアダムさんと話し合うと良いでしょう」
「いえ、すぐに終わります」
「それならば、今日は時間を取ってあります。待ちますよ。ハンバーガーとコーラがあればね」
「すぐに手配させましょう」
セシルは一礼をして部屋を出て、外で待っていたレイファンにアダムを呼んでくるように頼んだ。
比較的損傷が少なかったジェイル内部の訓練場にセシルはアダムを呼び出した。
総長になるならば、アダムかセシルのどちらかだ。
「アダム。お前を呼んだのは他でもない。総長を決めなければならないからだ。誰かがミズガルズを纏めねばならん」
「そんなことでわざわざ呼び出したのか?総長はお前がやれ」
「だが俺はお前がやるべきだと思っている」
「冗談じゃない。二度言わせるなよ」
アダムは眉をしかめ大きく首を振った。
「俺は総長の器じゃない。俺のような阿呆に組織の長は務まらん」
「だからこそだ。お前のような阿呆だから周りが着いていく。ミズガルズの総長はお前のように前線を剣で切り開いていく奴に相応しい。お前がミズガルズの象徴になれ。悪即斬の信念を体現するお前が。誰もがそう思っている」
「違う!我らの正義と秩序を体現しているのはお前だ、セシル。お前が後ろに居て、俺たちの正義を保障してくれるから俺は悪に迷わされたりしないんだ!お前が秩序を作っていて、俺じゃあない!俺はただの剣だ。振るう主人は選ぶが、振るわれる先は選ばない」
「あくまでもやらないと言うのか。フン、そうだろうと分かってはいたが、それでは俺が納得できない。刀を抜け、アダム!」
セシルは鞘から悲歌慷慨を引き抜いて、その切っ先をアダムに向けた。
「賭けだ。俺が勝てば俺が総長をやる!お前が勝てばお前が総長になれ!」
分の悪い賭けだ。というより賭けになっていない。互いに相手に勝たせたいと思い、自分が手を抜けばそれだけでご破算になる馬鹿げた勝負だった。だが、この賭けは成立するのだ。
対するアダムも憤怒と激昂を抜いて、ただ、構えた。言葉は不要だった。
二人の間に重い緊張感が漂った。訓練場の空気が粘性の液体に変わったかのように、酷く息が詰まる。
呼吸が浅くなっている。セシルは自らの横隔膜が少し固くなっていることに気付き、息を吐いて筋肉の緊張を和らげた。
アダムはその瞬間にセシルの集中が逸れたのを見逃さず、踏み込んだ。セシルの喉元に火を纏った憤怒が迫る。鋭い殺気の込められた致死的な一撃だった。
ギンッ!
セシルは両手に確りと悲歌慷慨の柄を握り、アダムの一撃を受け止めた。交差した2本の太刀の接触部から嵐のような剣戟の余波が熱波と化して吹き荒れる。
憤怒の重みにセシルの膝が目に見えて沈む。
「そんなものか?」
アダムが問うた。そんなものでは足りない、と。アダムの太刀は憤怒だけではない。二刀流、もう片方の手には激昂が握られている。
「フッ」という呼気と共に激昂が振り下ろされた。そのくらいで沈むようならこれで終わりだ。
だが、セシルは「これからだ」と叫んだ。
先に振り下ろされた憤怒の衝撃を膝で逃し切り、次の激昂に全身でぶつかった。
片手対両手。
正面からぶつかれば、両手で太刀を振るうセシルが力負けすることはない。もっとも、アダムの膂力は片腕で成人男性一人を優に超える。
それでも、セシルはアダムの激昂を弾き飛ばした。
「そうだ、それでこそだ。セシルゥ!それでこそ総長の息子だ!」
アダムの両腕には長大な太刀が一本ずつ握られている。通常片手で振るうには余りにも重すぎる物で、ミズガルズの中でアダムの他に扱える者はいない。だが、そんなものよりもセシルの両肩にのし掛かる物は重い、とアダムは信じていた。
ミズガルズ全隊員の命。
それならば、アダムの剣戟を跳ね返して当然だ。そして、それをできることもアダムは知っていた。
普段は執務服に隠れているセシルの肉体が苛烈を極めた習練で鋼線を束ねたように鍛え上げられていることを。執務の前の三時間、昼休憩の一時間、執務後の五時間。父から与えられた悲歌慷慨を一人で振り続けていること。幾度も型をこなし、繋げ、組み替え、破り、今となっては型を離れて自由自在に太刀を扱っていること。
そして、総長の息子としての重圧に押し潰されないように必死で努力していることを。
――――知っている。俺はお前の親友だ。
アダムがまた一度左手の憤怒を振るう。セシルがそれを鎬で防ぎ流れのままに攻撃に転じると、アダムは右手の激昂で防ぎつつ同時に憤怒を閃かせる。悲歌慷慨は防がれた衝撃を転化して憤怒を弾く。
アダムの目が回るような二刀による連擊の数々をセシルは一刀の効率的な運用で対等に切り結ぶ。セシルのそれは無駄な動きを可能な限り削ぎ落とし、これ以上ないほどに計算され尽くした剣技だった。
攻めているのはまだアダムの方である。二本の太刀、それを扱う強靭な背中と肩の筋力、数百の戦闘と数千の殺害経験、天性の類い稀なセンスはセシルの完成された剣技でも未だ辿り着いていない。
だが――――悲歌慷慨の鋒がアダムの肩に浅く血の線を作る。
時間の問題だ。それも僅かな。
セシルは参謀として前線に出ることは少なかった。命懸けの戦闘も強者との殺し合いも足りていない。一人きりで型稽古を続けてきた故に、セシルには経験が足りていなかった。
アダムとの剣戟はその経験を超新星爆発のように補っていった。経験が凍土のように完成されたセシルの剣技を溶かし、効率に揺らぎが生まれ、剣技の中に緩急と虚像が織り混ぜられた。セシルの剣技はもう一段昇華する。
たった一人で培ってきた総長の息子としての努力を糧に、途方もなく巨大な才能が花開きつつあった。
アダムはその最中、笑った。セシルもつられて笑う。子供のように、そして、とてつもなくぎこちなく。
葬儀の場でセシルは半壊した悪の砦の上に立ち、眼下のガーディアン達を見下ろしてコーネリアスの首が持ち去られたことを告げた。怒りの声が方々で上がり、秩序を維持することを旨とする彼らこそが火薬の塊に転化していくようだった。
一呼吸を置いてセシルは大きく息を吸い込んだ。
「我々はそれぞれが肉と骨を砕かれ心を刃に変えた者。
我々は復讐を心臓に報復を願う一本の研がれた剣。
我々は肉親を、あるいは恋人を喪い涙が枯れ喉から血が出るまで泣き叫んだ者だ。
昨日、我々の多くの同志と、そして、父が死んだ。否、殺されたのだ。悪に、混沌に。故に我々は正義と秩序の為に奴らを斬りに行こう。
今日、私は告白しよう。私は父コーネリアスに拾われた孤児だった。父母を知らず、兄弟もいない。私はこれまで父を得たが誰も喪っていなかった。
だが、もはや違う。我が父、総長コーネリアスは悪と混沌に奪われた。私の心は真に刃となり、今や君たちと同じ血が流れている。奴らの返り血で赤く染まる我らの血は正義と秩序の血だ。奴らと決して混ざらない青い血が我々には流れている。
我らこれより一匹の獣となろう。地を這い、天の果てまで追い詰め、喉笛を食いちぎる狼となろう。
奴らに我らの咆哮を聞かせてやれ!眠れる夜が二度と来ないことを教えてやる!
奴らに我らの牙を見せつけろ!骨を凍らす死の息吹を思い知らせてやれ!
我らは青い血を流す『群青の狼』だ」
大きな歓声が上がる。喉が裂けるほどの狂気的な鬨の声だった。
『セシル総長!』
『グランドマスターセシル!』
セシルが纏う天罰の執行者の日輪が、曇天の隙間から差した日光に照らされて神々しく反射する。
歓声が幾度も繰り返され、セシルの総長への就任は成った。
「悪に報いを受けさせよう。我らの正義を証明しに行くぞ。
奴らは我らの父の首を奪い去った。この葬儀は父を弔うには少し物足りない。父の首を取り戻し、もう一度葬儀を開く。
敵はドミニオンの遥か下、ダンジョンの奥底にいる!」
ドミニオン編 終章
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