27. 高い野心の男
ロザンナはレオンから婚約解消を言い渡されると、逃げるように校舎を離れた。
そして、走ってたどり着いた先は、学園北部の森の近くの遺跡だった。支えを失ったロザンナは、祭壇近くの倒れた柱に腰かけ、すすり泣いていた。
いつも木漏れ日が差し込むその場所は、今日に限って曇り空に陽は陰り、薄暗い。
すると、誰も来るはずのないそんな学園の端に、わざわざ訪ねてくる者がいた。
「ノックス殿下……?」
「やあ、ロザンナ。きっとここにいると思いましたよ」
「来てくれると信じておりましたわ!」
ロザンナは傍に歩み寄ったノックスに、勢いよく抱きついた。
それと同時に、自らのイヤリングをそっと一度、指先で触れた。
「約束通り、迎えに来ました」
「私のことなど、お見捨てになったのかと……もはや誰も私を気にかけてなどくれませんわ!」
「あなたを救い出すと、そう約束したではありませんか。だからあの日語らいあったこの場所に、こうして迎えに来たのです」
ノックスは優しくロザンナの背中を撫で、落ち着かせるようにとんとんと叩いた。
「じゃあ、連れ出してくださるんですのね。カエデスにお帰りになるのでしょう?」
「いいえ、ロザンナ。それはまだ少し先の話になるでしょう。あなたが以前言った通り、少しだけ、力を貸してもらうことになる」
「私、何でもいたしますわ。ノックス様……」
ロザンナは涙で潤んだ瞳で、ノックスを見上げた。
王子に婚約を解消され、聖女と親友を失い、罪を暴かれもはや名声さえも失った。ロザンナがノックスだけを頼りにして、多少媚を売ってでもカエデスに逃げ出したいと思うのは至極当然のことだった。
「何をすればよろしいんですの?」
「簡単なことです、ロザンナ。魔法陣をある場所に設置してもらいたい」
「魔法陣?」
ロザンナは首を傾げた。カエデス帝国では呪術を発動するために誰もが知る魔法陣だが、グランティア王国ではその使い方を知る者はほとんどいない。
「私の書いたとおりに書き写すだけでいいのです。場所は女子寮内に一つと……職員の個室がある場所の近くです。どちらも私には近づき辛いですが、ロザンナなら容易い。そうですね?」
「え、ええ。もちろんですわ。いつだって行けますわ。でも、そんなもの書いてどうしようというのです?」
「知りたいですか?」
「ええ。知りたいですわ。ノックス様のことですもの……あの聖女や、殿下……いえ、レオンに……何か復讐の機会を下さるのでしょう? そうですわよね?」
「ふふ……勘がいいですね。賢い女は好きですよ、ロザンナ」
ノックスはロザンナを抱き寄せ、耳元で囁く。
「これらの魔法陣が描かれれば、とある呪術が発動します。そうすれば、あなたが恨んでいる聖女セレティアや、愚かな王子レオンは……苦しみ、悶え、悲惨な死を迎えることになるでしょう……」
ノックスは恐ろしいことを口に出したが、ロザンナの髪を撫でる手つきはそれとは対照的に優しいものだった。
「ああ、ノックス様……素晴らしいお考えですわ……」
陶酔したように、ロザンナは答える。
「ところで、ロザンナ?」
「はい、ノックス様……?」
「どうして震えているのですか?」
ぴく、とロザンナの身体が硬直する。
「ノックス様に触れられると、恍惚に身体が震えてしまうのです」
「そうかい? しかし……このイヤリング。初めて見たけど……美しいあなたには不釣り合いな、くすんだ色合いですね?」
ノックスは目ざとくそれを見つけて、そっと指で触れる。
「触らないで!」
それ以上イヤリングを調べられないように、ロザンナはノックスの手をはたいた。そして、素早く一歩後ろに下がった。
「魔石、ですね。抜け目のない人です。大方、録音、記録用といったところでしょうか?」
後ずさるロザンナに、目つきの変わったノックスがにじり寄る。曇り空はいっそう暗くなり、ついにはぽつぽつと雨が降り始めた。
「いかにもこの魔石は録音の魔石ですわ。ノックス様の今の発言を記録いたしました。もう逃げられませんわよ!」
「はぁ……ロザンナ。私はあなたを誤解していたようです」
ノックスはわざとらしく額に手を当てて、痛みを堪えるかのように目を閉じた。
「もう少し、扱いやすくて愚かな女だと思っていたのに」
次に顔を上げると、ノックスは不敵な笑みを浮かべた。それはロザンナが今まで見たこともない、いや、ノックスが学園に来て一度も見せたことのなかった、仮面の下の本来の表情だった。
「それはお生憎様ですわ」
「はは。だからといって、あなたに何ができる? やすやす逃がすとでもお思いか?」
ノックスは内ポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、素早く変形させてきらめく刃を見せた。
「それをこちらに渡せ、ロザンナ。大人しく従えば、あなたを傷つけはしない。まあ、人質としてカエデスまでついてきてもらうことにはなりますが」
「お断りしますわ!」
「交渉決裂ですね。では……【呪術方式233、影幻影。実行】」
ノックスが呪術方式を唱えると、手に持ったナイフが宙に浮かび、分身するように二つに増えた。そして三つ、四つとさらに数を増やしていく。全てのナイフはその切っ先をロザンナの方へ向けていた。
「行け」
ノックスの号令とともに、分裂したナイフが一斉にロザンナめがけて真っすぐ放たれた。
「っ……【茨よ! 阻め!】」
ロザンナは後ろに跳びながら、魔法を唱える。地面から何本もの黒い茨が生え、ナイフを防いで身代わりになった。
「【呪術方式853、影移動。実行】」
ロザンナの茨が役目を終えて消え去ると、先ほどまでいた場所に既にノックスはいなくなっていた。
「逃げた……?」
「まさか」
その声はロザンナの真後ろで聞こえた。
「動くな」
ロザンナの首元には、冷たいナイフの刃が突きつけられていた。ノックスはロザンナのすぐ後ろに立ち、耳元で囁く。
ロザンナが自らの魔法で視界をさえぎった後、ノックスは影移動を用いてロザンナ自身の影へと移動したのだった。
「ロザンナ、教えてください。何故こんな真似を? 私を捕えることで、今までの汚名がそそがれると、そう考えたのですか?」
「汚名? そんなこと、どうだっていいですわ」
「なおさらわかりません。ロザンナ、私は確かにあなたを侮っていた。しかし、あなたに運命を感じると言ったのは、嘘ではありません。これはとても直観的なもので、言葉では言い表せないものだ。はるか古代から刻まれていたような……この世界が、形作られた時には、既に決まっていたような、そんな感覚です。あなたもきっと、私と同じ気持ちを感じていると思っていた……」
ロザンナが答えずにいると、ノックスは言葉を続けた。
「私はここで仕事を成し遂げます。その成果を持ってカエデス帝国に帰れば……間違いなく、次の皇帝の座は私のものです。これは宿願だ! 今の継承位で何もしなければ、決して得られなかった地位です。それを覆せるものが今、目の前にある! 私はカエデスの、栄えある皇帝になるのです、ロザンナ!」
「大した野望ですこと……」
「この意味が、わかりませんか? ロザンナ。あなたがこの国を見限り、私についてこれば……あなたは皇后になれるのです」
「皇后ですって? この私が?」
それはゲームの設定すら超える、高い地位だ。設定では、ロザンナがノックスと結婚した際の地位は、帝国内の高位の貴族の妻にすぎなかった。
しかし、ノックスは学園に来た。そして未来を変え、いずれは皇帝にまでなろうとしているのだった。
「いずれにしても、答えは決まっているようなものでしょう」
ノックスはロザンナからイヤリングを取り上げ、石の地面の上に落とし、踏みにじった。はめ込まれていた魔石は砕かれ、割れる。
「これであなたは無力で孤独な女に過ぎない。レオンから疎まれ、セレティアから憎まれ、エミルに嫌われ、誰も助けに来ない」
そうして、ノックスはロザンナに問いかけた。
「私と共に来て、未来の皇后になるか……今ここで誰にも気にかけられず無様に死ぬか。二つに一つです。もはや答えを聞くまでもない自明の選択ですが……一応聞いておきましょう。さあ、あなたの、答えは?」
ロザンナはその重大な問いに答えるために、大きく息を吸い込んだ。




