第57話 先生
「クロードさん!」
紙束を抱えたまま書庫に駆け込んできたロアを見て、クロードは一瞬驚いた表情をした。
「一体どうしたのですか」
「あの、近衛隊によって......使っている武器油は違うのですか」
「......そのようなことは聞いたことがありませんね。油は、王家御用達の商人からまとめて買い付けます。近衛兵はいずれも、その中で最上級のものを使っているはずです」
ロアは下を向く。
(やっぱり......あの油は何かおかしい)
黙り込んだロアに、クロードは静かに問いかけた。
「ロアさん、何か気になることがあったのですね」
「......はい。さっき、第二王子の近衛兵の方々が武器に油を塗っていて......いつもと光り方が、違うように見えたんです」
「油は、古くなると影が濃く見えることがあります。......ですが、近衛はそのようなものは使いません。
今日はなおさらです。明日は第二王子殿下が、視察に出発されるご予定ですから」
ロアはぞくりとし、鳥肌が立った。
このまま放っておくと、何か大事になりそうな予感がした。
そして、拳を握りしめて言った。
「急に変なことを言うと思うかもしれませんが......僕は、他の人と見え方が違うんです。あの油は、明らかに普通ではありませんでした」
クロードは少し目を見開き、モノクル越しにロアをじっと見つめた。
沈黙が落ちる。
再びロアがうつむきかけたとき、クロードは静かに口を開いた。
「わかりました。ここは少し、私に任せてもらえますか」
クロードは書庫の扉を押し、外に出て行った。
ロアは胸の鼓動が落ち着かず、紙束を抱えたまま入口近くで立ち尽くしていた。
(どうしよう……やっぱり僕、変なこと言っちゃったかな)
しばらく待つと、書庫の扉がギギッと音を立てて押し開けられた。
ロアは顔を上げ――息を呑んだ。
第一王子、ペルセウス・ヴェイル・ノクスが、クロードに伴われて入ってきたのだ。
ロアは思わず背筋を伸ばした。
王子の気配は、鎧の装飾よりも重く、静かで、近づくだけで空気が変わる。
ペルセウスはロアの前で足を止め、まっすぐに見つめた。
「ロア。何かが見えたと聞いたよ。案内してくれ」
ロアは緊張しながらうなずいた。
「……はい」
宿舎裏に近づくと、第二王子近衛兵たちの声が聞こえてきた。
「なんだったんだあの見習いは。この忙しいときに」
「まったく、第一王子殿下の気まぐれには困ってしまうよ」
「本当にたまったもんじゃない」
ロアはちらりとペルセウスの方を見上げた。
ペルセウスは全く気にも止めていない顔だ。
だが、隣のクロードは冷たい目で声の方向を見据えている。
ペルセウスは立ち止まってささやいた。
「ロア、先に行って、私が来ると伝えてくれないか。急に現れると、驚かせてしまうからね」
ロアはうなずくと近衛兵の方に行った。
近衛兵は面倒くさそうな顔をする。
「坊や、また来たのか」
「今度はなんだ」
ロアは怖気付きながらも言った。
「あの、第一王子殿下がこちらに向かっています」
「何!?」
近衛兵たちはあたふたとあたりを片付け、姿勢を正す。
しばらく待つと、ペルセウスがやってきた。
「やあ、様子を見に来たよ」
近衛兵は背筋をピンと張る。
「はい、異常ありません!」
ペルセウスはゆっくり辺りを見渡し、たずねた。
「武器油も見せてくれるか?」
近衛兵らはロアの方をちらちらと見ながら、油の瓶を差し出した。
「はい、このとおり、いつもの最上級品の瓶でございます」
「明日は第二王子殿下に同行いたしますので、新品を開けております」
ペルセウスはロアの方を見て、小声で言った。
「どうだ」
ロアは瓶を覗くと、目を見開いた。
そこには、武器の刃と同じ、ぬるく騒がしい光が揺れていた。
ロアは言葉に詰まった。
ペルセウスを見上げ、必死に首をぶんぶんと振る。
ペルセウスはうなずくと、近衛兵に向かって言った。
「すまないが、全て洗い流してもらえるか。不具合の可能性がある」
「ですが......」
「明日何かがあってはいけない。念のためだ」
近衛兵たちは目を見合わせ、首を傾げながら洗い場に向かって行った。
近衛兵たちが去ると、ペルセウスはクロードの方へ向き直った。
「ありがとうございます、クロードさん」
「殿下、家臣に向かって敬語はおやめください」
「そうは言っても、先生を呼び捨てにはできませんよ」
(先生……?)
ロアは、書庫で毎日話していた司書官が只者ではないことを察し、ぞくりとした。




