第十七話 第一章完 正体不明・あってはならないナニカ
「そんでその悪魔はどこなんや?」
「科学に喧嘩売っとる奴に関わるとか嫌やわー」
「そんなもんは存在せえへん!」
「せやせや」
「夜中にトイレいけんなるで」
虐殺が起きた空間でも、仕事終わりの金魚鉢五人衆は普段通りである。
「今更やって来たみたいよ」
「は?」
「ひ?」
「ふ?」
「ふ?」
「ほ……うん?」
愉快気な声音を崩さないメリーが指を向けた先には、骨でできた玉座のような物が鎮座していた。
するとその玉座がおどろおどろしく赤黒に輝き、人の形に収束した。
悪魔……と呼ぶには随分と美形だ。
赤い瞳に、逆立った炎の如き髪。気だるげな雰囲気を発しながらも精悍な顔立ち。外見年齢は二十代前半で、街を歩けばあらゆる女性が騒ぎ立てるだろう。
「偉大なる最上級の悪魔様、貴方様の偉大なる計画をどうかお教えください! 後先考えてるかかなり怪しい英雄勇者とかいう奴が、どうも外付けの力を手にしていたっぽいので、それを求めているのでしょうか! もしそうなら流石としか言いようがありません!」
「ふん」
(やっぱこの類ってちょろいわ)
急に土下座したツクモが悪魔に尋ねると、鼻を鳴らす音だけが発せられ、否定の言葉はなかった。
人を定命と呼ぶ類の上位種は、どれだけ人間に親身でも自分達とは違う劣った存在であるという固定観念が存在する。
そのため人が的外れなことを言ったり無礼なら即座に罰を与えるのだが、自尊心が大きすぎるせいで、自らを称える者の話は許してやるという態度で接することがある。
「まあ、あの愚かな英雄勇者も、美しさを尊重する点でのみ見どころがあった」
「ははあ。ひょっとして美人な悪魔が涙を流して訴えたら、悪魔の討伐をやめちゃった感じです?」
「ふん」
「そ、その屈辱と怒りを耐えられるとは流石です悪魔様!」
「ふん」
「あ、あはは」
(辞書で恨みって字を百回調べろやレオンハルト! ミュータントゴキブリに無理矢理謝罪させられて、屈辱に感じねえ人間なんている訳ないだろ! そんなことばっかりしてっから、お前の死後に無茶苦茶になるんだよ!)
ただ、上手く情報を引き出したツクモは白目を剥きたくなった。
種が違い人を見下している存在と戦争状態に陥ったら、基本的には再起不可能なダメージを与えるか、根絶やしにするべきだ。
それなのにレオンハルトは、美女とはいえ悪魔の言葉を信じ許したせいで、その死後に悪魔の蠢動を許すことになった。
(ステータスオープンが使えたかは知らねえけど、神様に会ったら人格とか優しさって項目を追加してもらおう……まさかとは思うけど、ステータスの数値ばっかり見て、協調性とか数値に現れない類を忘れてたとか言いませんよねレオンハルト様?)
ツクモは、英雄勇者が生物を正しく認識していなかったのではないかと疑問を覚えたものの、今は優先するべきことがある。
「じゃあ元凶の悪魔様も死んでください!」
「定命の雑魚が粋がるな」
「す、すいません……」
聞きたいことを終え、最後の仕上げとばかりに悪魔へ宣言したツクモだが、堂々たる言葉に怯む。
「だ、大丈夫です? 勘違いものとかすっげえ扱い難しいですよ?」
「勘違いだと? 生物とはより強く、より美しいものと結びつき繁栄してきた。故にこそ美しさは強さに直結する。鳥ですら分かっている理屈から外れている貴様は、それだけでも我に及ばん」
「こ、困った……正論だ……どうしよう。マジで反論できねえんだけど。確かに勝負の要素は、血統・才能・顔面偏差値=勝利だ。認めよう。顔面偏差値ゼロの俺はお前に勝てない……」
困ったことに定命の者と価値観が大きく違う悪魔と、単純に馬鹿なツクモは会話が成立してしまった。
悪魔は人間の信仰や思念を利用して、強大な力を得ている一種の寄生生物だ。そのためか美意識や価値観が少々人間に引っ張られており、強いから美しい。美しいから強い。という発想を持つ者が多い。
実際、悪魔が住む魔界のみならず、悪魔の天敵である天界の者達も、上位層は美男美女だらけである。
「なんか挑発とかじゃなく素で軽蔑されてるんだけど、スキンケアした方がよかったかな……」
そして悪魔の理論を全く否定できないツクモは敗北したのだ。
「あら、貴方は貴方のままでいいじゃない」
「だよねメリー!」
速攻で復活したが。
「では気を取り直して、ギャグパートは終了。悪いけど死んでくれや。勿論、ちっとも悪いと思ってねえけど」
「ふん」
「我は闇なり。いつか消え去る深淵なり」
こきりと首を鳴らしたツクモが駆け、鼻で笑う悪魔の顔面に向け拳を振りかぶった。
「は?」
呆然。
ツクモの拳は悪魔を粉砕するどころか通り抜け、骨で出来た玉座を粉砕するだけだ。
「単なる定命の猿如きが悪魔に触れられると思ったのか?」
「げ、幻覚じゃねえ! 次元が違う……!」
「格の違いを弁えろ」
嘲る悪魔と驚愕するツクモには圧倒的な差があった。
単なる物的存在であるツクモは、より上位の次元・位相に位置する悪魔へ介入することが出来ないのだ。それは二次元がどんなに頑張っても三次元に至れないようなもので、同じ生物とは言えない格の違いがある。
「がっ⁉」
「我が許可しているからこそ、お前は我が姿を見れる。聞こえる。だが触ることまでは許可していない。それにお前が見ている我の姿も、所詮は猿の頭が理解出来るギリギリ形になっているだけで、もっと神々しいものだ」
上位存在だからこそ悪魔は一方的にツクモの喉を掴むと、握りつぶさんばかりに締め上げた。
絶世の美男子に見える悪魔の姿すら、人間が認識可能な範疇での姿に過ぎず、そもそも悪魔がその気になっているからこそ、ツクモとの会話が成立しているのだ。
重ねて述べるが格が違い過ぎ、ツクモは勝負の土俵にすら上がれていない。
「こ、こんな種族をレオンハルトはボコボコにしたのか……は、初めて尊敬したかも……レオンハルトにしたらお前らも雑魚だったのかな……」
苦し紛れのツクモに悪魔が青筋を浮かべる。
悪魔という種族全体がレオンハルトのズルに手も足も出ず敗れているが、彼らからすれば無かったことにしたい恥ずべき過去だ。それをずけずけと言ってのけたツクモを悪魔が許す筈もなく、指に込められた力は一瞬で有機生物の想定を上回った。
「かかったなっ!」
その頭に血が上った悪魔の隙を見逃すツクモではない。
彼は精神を燃やし尽くすことで無理矢理だが己の格を押し上げ……首を握りつぶされて顔が転がり、物言わぬ死体と化した
「え?」
酷く困惑したメリーの声が地下空間に響いたが、恋人であるツクモは返事をすることなく、その瞳にはなんの輝きも宿っていない。
「ツ、ツクモ? い、いや。そんな嘘よ。そんなっ! いやあああああああああああ!」
恐慌に陥ったメリーがもつれる足で走り、ツクモの頭部を抱き上げるが無駄だ。
首と胴が別れたなら、生物は死ぬしかないのだ。
単純な生物なら。
「どうだったかしら?」
メリーがツクモの頭部ではなく、なぜか頭上を見上げ話しかけた。
恋人を失ったことで正気を失ってしまったのだろうか?
『主演女優間違いなしですよメリーさん! いやあ迫真の演技に痺れちゃいました! ギャラは明後日振り込むんで確認してください!』
奇妙なことに、脳に直接響くツクモの声が周囲に響く。
『あ、勝手に話を進めてすみません。やっぱパニックホラーってのは、映画にする必要があるかなーとか思って演技力を鍛えてるんですよ』
『明日のデート、なに着て行こうかなー』
『つーか区の連中、俺らに予算くれてもいいんじゃね?』
『あはははははははははは! ざーんねん不死身でーす!』
『でもオタクの鉄パイプは勘弁な!』
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。
わいわいがやがや。
一の。十の。九十九の口が一斉に喋り始め、地下空間に喧しい騒音が満ちる。
いったい……いったいいつの間にこんな化け物が降臨していたのか。まるでフィルムが途中で途切れたのかと錯覚してしまうほどの唐突。
大きかった。
地下空間の天井にぶつかりそうになり、腰を屈めて悪魔を眺める異形。
黒く、暗く、昏い体。一瞬たりとも落ち着かず、蠢く様に、のたうつ様に変化する、正気を削る威容。
触手が捻じれ、絡み合い、束ねられたかのように細長い四肢の異様。
そして頭と首がなく、代わりに全身にある九十九の口が閉じたかと思えば百九十八の赤い瞳に変じ、また次の瞬間には百九十八の耳が生え揃え、いきなりそれら全てが無くなり、またしても九十九の口が嘲る。
「ああ?」
悪魔がポカンとした声を漏らす。
悪魔どころの話ではなく、それを容易く飛び越えた先で微睡んでいなければならない筈の、冒涜そのものが降臨していた。
「な、なんだこれは……」
『なんだと言われたなら答えてあげよう!』
『……どれ名乗ったらいいんだ?』
『ぶっちゃけ名前と異名が多すぎて把握できてねえんだよな』
『宇宙ゴキブリ呼ばわりしたオタクは絶対に許さない。絶対にだ』
『俺の目に洗剤ぶっかけるとかあいつらに人間の心とか無い』
『顔無き者。開けてはならない口。最初に宙を見た火。滅び蛍。煙と共に生まれ、煙と共に去る。枯れるべき知恵泉。息で死す夢。星権化・人類地球。古く古い古きモノ。どれでも好きな名を呼べばいいさ』
『俺の本名はなんでしょうか!』
『なお的中したところで支配はできません』
『チッチッチッチッ。ブブー。時間切れです』
永久の無限牢獄で捕らわれるに足る異世界のナニカ。絶対に逃がしてはならなかったモノ。
あらゆる……数多の世界意思が一致団結してなんとか抑え込んでいた◆□■の化身。
邪神なのか。悪魔なのか。怪物なのか。名を呼ぶことすら憚れる古きものなのか。
それすらも分からぬ暗黒が聳え立つ。
「死ね!」
悪魔は訳の分からない存在を許容できず、悍ましい巨体の周囲を把握すると、空間ごと押し潰そうとした。
「ば、馬鹿な! あ、あり得ん!」
『お客さん、お触りは禁止ですよ』
『そりゃあ、俺がお話しようかなーって思ってるから、あんたも俺を見れるし聞こえてるけど、触っていいとは思ってないし』
『位相とか次元が違い過ぎるんだよ。浮遊王都を蟻が認識できると思う? 無理無理。あんたが見てる俺の姿だって、でっかい触手の集合体っしょ? 悪魔の脳がギリギリ理解出来る範囲で、ふわーっと形作ってるだけなんだよねそれ。一個の歯にある百兆の文言も見えてないよな?』
『俺の本質に迫れてない蟻ん子が触れられる訳がない。あ、ツンツンしないでメリー。くすぐったい』
驚愕する悪魔の脳裏によぎった予想と、ほぼ違わぬ言葉が九十九の口から紡がれる。
それはつい先程、悪魔が口にした内容を変えて嘲ったものだが、人が悪魔に触れられぬならともかく、上位存在の悪魔が介入できない者など、極々限られた化け物ということになる。
「神格とでも言うのか!」
『どうなんでしょうねー』
「ぐぎっ⁉」
『さあ、十二分に教えてあげたぞ。心を燃やせ。精神を昂ぶらせろ。存在を許してはいけないと想え。歯を食いしばれ。未来のために拳を作れ。人を取るに足らないと言うなら見せてみろ。世界意思に作られた存在ではない。単に招かれただけのくせに俺をしばき、袋叩きにして、脳天に鉄パイプを振り下ろしたオタクたちのように! あの! ただの人間たちのように!』
『見せろ見せろ見せろ! 殴られ! 這いつくばり! 愛されてる訳でも愛してる訳でもないくせに! オタク共は人を救うために俺と戦ったぞ! 俺たちと戦ったぞ! そして勝ち続けたぞ!そうとも! 俺は! 俺たちは負け続けた!』
神格。それも外見から悪性の類だと推測した悪魔だが、全て遅かった。
悪魔の目ですら認識出来ない、蜘蛛の足のような触腕が美を誇る体を締め上げ持ち上げる。
『無限に続く牢獄……うんざりだった! うんざりだった! だが! 告白しよう……オタク共と殺し合うときだけは楽しかった。本っ当に楽しかった。別に特殊な趣味はないが、鉄パイプでぶん殴られ、バットで脳天をカチ割られて楽しかった。分かるか? お前らとは違うもっと高次元の俺を見つめて、それでもぶっ殺しに来たんだぞ!』
『なぜ怯える! ええ⁉ お前らみたいなのが虐げに虐げ、蹴飛ばしに蹴飛ばした連中が俺に挑みかかって来たのに、殺されそうになったら怯えるだけか⁉ ああそうだろうとも! 壊すなんて簡単なもんを選んだお前らが、救うっていう馬鹿を選んだオタク共に及ぶ筈がねえ!』
『天よ! 魔よ! いいや愚か者よ! お前らが飼育してる気になってる霊長は俺を無限に倒したぞ! 永遠に殺せたぞ! お前らが嘲っている人という総体はお前らを容易く超えるぞ! いつかきっとの話じゃねえ! 必要とあれば今すぐ!』
人に敗れ続け、人に対する厄介オタクと化したナニカが叫ぶ。
しかし悪魔にしてみれば意味不明な持論を一方的に展開されているだけだが……それこそが怪物。
会話が成立せず、理解不能な持論を宿し、好き勝手暴れ回った果てに敗れるのだ。
『という訳で一名様、あの世へご案なーい』
「やめろおおおおおお!」
『つまり……やっていいってこと?』
「ぎゃあああああああああ⁉」
ナニカは胸の部分に巨大な口と歯を形成して触腕を近づけると、悪魔は必死の形相で抵抗する。
しかしどれだけ暴れても触腕に触れることは出来ず、それどころか鋭い刃のような歯が悪魔の肉に食い込み、数度の咀嚼で細切れの肉片に変わってしまった。
『げっぷ。異世界転生出来たら教えてくれや。あ、魂喰っちゃったから無理か。ははははは』
悪魔を貪り食ったナニカは、口では実験の成果が現れることを期待しながら、実際は魂すら消滅して完全なる死を迎えた悪魔を嘲った。
これを知れば多くの上位存在は慄くだろう。
基本的に魔界や天界の住人は肉体が死を迎えたところで、魂さえ無事なら幾度となく復活が出来る。そしてそんな上位存在の魂が消滅するなど、圧倒的に格上の神格が絡まなければまず起こりえない。
その起こらない筈の事態が、こうも容易く現実のものになってしまった。
「ツクモ、ここは燃やす?」
「そうしよう。何の成果も得られてなかったみたいだけど、異世界転生&チートの研究なんて、行き着く果ては集団自殺だよ。そんなの風情がねえ」
「ええ、そうね」
ツクモの生首を撫でていたメリーが尋ねると、やはりコマがトんだかのようにナニカは消え去り、いつの間にか胴と頭が繋がったツクモが肩を竦める。
そしてツクモにすれば、異世界転生の技術など百害あって一利なしを極めており、残してはおけなかった。
「悪魔と邪教のせいであちこちが汚れてるから、念入りに焼かねえとな」
「では任せたのである」
「現れただけであちこちに汚染をばら撒くとか、これやから科学に喧嘩売っとる存在は駄目なんや」
「おっと、生物兵器を所持しとる本隊のことかな?」
「お陰で人間に任せて帰れんやん……」
「消毒やでー」
「ファイヤー!」
頭を掻くウォルフ、面倒臭がっているヴァンプ、金魚鉢五人衆もこの砦を焼くことに賛成していた。
悍ましい儀式を行い悪魔まで直接現れたせいで、砦の付近は様々な汚染が発生しており、これを放置していては立ち入った常人が正気を失い、薬物中毒よりも余程危険な状態に陥ってしまうだろう。
「ついでにヤクの原料を作ってる畑も見つけて焼いちまおう。なあに、このツクモ社長の手にかかれば森に延焼せず、畑だけ焼くことなんて朝飯前よ」
どうやらツクモは本業の方も忘れていなかったようで、違法薬物の供給源も破壊するようだ。
「それじゃあPH警察会社、作業開始!」
物理法則に従っていない炎が燃え盛ったのは、ツクモの宣言後すぐのことだった。
◆
それから数日。
違法薬物の拠点が潰されたことで、浮遊王都は平穏を……。
「おいゴラァ匍匐前進止めろ! 葉っぱ好きだからって芋虫になるんじゃねえ! しっかりしろー!」
取り戻していなかった。
「ヤクの流通網どうなってんだよ! 絶対一つや二つじゃねえぞオイィ! もう頭おかしくなるううううううううう!」
身なりはそこそこいいくせに、興味本位で薬物に手を出した愚か者が、街中で匍匐前進している姿にあきれ果てたツクモが絶叫する。
どうも悪魔のような陰謀が関わっていない、清く正しい違法薬物の流通ルートが複数あるようで、一つを潰してもあまり大きな影響がないようだ。
「仕事には困らねえな」
「我輩には関係ないのである」
「やっぱ怖いわー」
「頭おかしくなる物質を量産とか、頭が変やわ」
「このおかしさが、霊長には必須なんやろ」
「超適当やん」
「ほな、ワイはいち抜けと言うことで」
ウォルフ、ヴァンプ、金魚鉢五人衆も肩を竦め、普段通りの業務をするしかない。
「あの、社長さん大丈夫なんです?」
「タフだから大丈夫よ」
ついでに偶然通りかかった酒場の看板娘、ニーナがメリーにコッソリ話しかけるが、にこやかに笑っているメリーの言う通り、ツクモはこんなことでへこたれない。
犯罪者が親を呼ぼうと、現行犯のくせにやってないと宣っても、自分こそが法律だという謎ルールを聞かされても平気だ。
多分。
「今日も一日頑張りましょう!」
やけくそ気味なツクモの叫び声が、浮遊王都に響き渡るのであった。
とりあえず第一章はここまで! いったん完結にして、また話が溜まったら一気に投稿します!
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