第29話 黄金の果実 1/6
冒険者に必要な技能とはなんだろうか。
グラウとシディアはディアに武器の扱いを教えてきたようだが、俺としては武器よりも何よりも、まずは生きるために不可欠なものを自分で用意することができるよう魔法の習得を優先した。
これまでの教育とは異なる、魔法に重点を置いた指導に切り替えることについて、グラウとシディアはむしろ歓迎の姿勢だ。いつでも水を補給できることは当然良いこと。冒険者活動に役立つだけでなく、普段の生活においても便利なのは間違いない。宿屋でありながら体調維持に関わる技能を軽んじていたことを二人は恥じたが、その宿屋の経営がこれまで壊滅的だったのでいまいち言葉に重みがないと言うかなんというか……。
まあともかく――
「やったー! できたー!」
いつもの公園、いつものメンバー、でもって追加された猫と猫。
歓喜の声を上げたのは、ようやく魔法での水鉄砲に成功したディアである。お風呂での特訓が実を結んだのだ。めでたい。
「ケインさん、できました! わたしできましたー!」
「ああ、よくやった。あとはその感覚を忘れないように、何度も繰り返すことだが……そうだな、ノラと撃ち合いでもするか」
「うちあいー?」
「そうだ、えっとな――」
と、俺は昨日の段階で水魔法を会得したノラとディアを向かい合わせ、水鉄砲の撃ち合いについての簡単な説明をする。
「これは私が勝つ! だって先にできるようになったから!」
「一日だからそんなにちがわないもん! 負けないもん!」
そして二人は「えいっえいっ」と100円で買える水鉄砲よりも低威力な水で撃ち合う。
ひたすら宙に水鉄砲を撃ち続ける反復訓練よりは楽しいだろうという思いつきだったが、二人は相手を水浸しにしてやろうと夢中で水を発射していた。今はまだ向かい合った状態だが、これならそう遠くないうちに駆け回りながらの撃ち合いへと移行することだろう。
「本当に二人とも魔法を習得してしまいましたね……」
ノラとディアがきゃっきゃと水を掛け合うのを眺めつつエレザが言う。その両手は寿司握り型の水鉄砲になっているが、今のところすかっすかっと空撃ちが続くばかりだ。
「いずれは私も習得できるのでしょうか?」
「できるだろ。一応これは――」
「ニャザトース様が誰でも可能と仰ったのです、できないはずはありませんね! 当然この私も!」
横から口を挟んできたのはクーニャで、彼女もまた「うにゃー!」と水鉄砲の空撃ちを続けている。なんとしてもその身で神の教えが正しいことを証明したいらしく無駄に必死。ほったらかしにされるニャンゴリアーズは、最初こそ「かまえよー」とクーニャの周りをうろちょとしていたが、今では諦め、こいつはちょろそうだ、と認識されているのかシセリアを毛だらけにしてやろうと群がっている。あとでシセリアはコロコロするアレの偉大さを知るだろう。
あと、ラウくんはしゃがみ込んでペロと向かい――って、あれ? なんかラウくんに手をかざされたペロの毛が、ドライヤーでもかけられているようになびいてるんだが……。
「ラウくんもしかして風の魔法使ってる……!?」
「……ん!」
ようやく気づいたか、バカめ、とでも言わんばかりの得意げな顔をするラウくん。
マジか。
いったいどこから閃きを得たのやら。
確かに俺も水の次に風の魔法を使えるようになったが、それは最初の水――放尿の感覚と地続きの着想によるものだった。
己の肉体に馴染みのある感覚としての風。
そう、屁だ。
しかしラウくんは水鉄砲の感覚から水の魔法を使えるようになったスマートなお子さん。おそらく風の魔法は屁以外のものから会得したのだろう。
「ラウくん、どうやって覚えたの? お姉ちゃんに教えて!」
「私もお姉ちゃんだから教えて? 教えて?」
ラウくんが新たなる境地に到達したことに、ディアとノラは水鉄砲対戦どころではなくなり、慌てて寄ってきてはコツを聞きだそうとする。
「……ねこちゃん、しっぽ」
お姉ちゃん二人の追及にラウくんはそう答えた。
猫の尻尾とは?
何のことかわからず困惑する二人に、さらにラウくんは言う。
「……ふぅーって」
どういうことか、と首を傾げるディアとノラ。
だが俺には思い当たる節があった。
このところ、イマジナリーニャンコの実現を目指すラウくんは熱心に猫の観察をしている。そんなラウくんに、俺はぴんと立った猫の尻尾にふぅーっと息を吹きかけると、少し動くことを教えた。
日常生活で役に立つことなどない、しかしやってみるとちょっとだけ楽しい猫いじりだ。
そのあとラウくんは懸命におっ立った猫の尻尾に息を吹きかけていたが……。
「つまりラウくんは息を吹く感覚から風の魔法を会得したのか」
「……ん!」
誇らしげなラウくん。
やはり……天才か。
屁などという、誰でも辿り着くありきたりの発想から会得した俺は所詮凡人ということか。
一般人は屁から、天才は呼吸から。
ラウくんならば、いずれはイマジナリーニャンコすら誕生させるかもしれない。
△◆▽
今日の訓練はディアが水の魔法を使えるようになり、ラウくんが新たに風の魔法を使えるようになるという、実りのあるものとなった。
公園から帰ってくると、宿が見えたところでおちびーズが我先にと駆けだしていく。
そんないつもの風景であったが――
「遅いぞお前!」
おちびーズが宿に飛び込んだところで、今日は入れ替わりのようにシルが飛び出してきた。
なんでそんな怒ってるんですかね?
不思議に思っていると一度宿に飛び込んだおちびーズものこのこ出てきて、その最後には見知らぬ男性も現れた。
にこにこと微笑んでいる穏やかそうな男性は見た目こそ二十代半ばといったところ。普通ならどちらさん、と思うところだが、この状況で現れて、髪や瞳の色がシルと同じ、身につけている服も立派となると、もうこれシルの関係者――たぶんお兄ちゃんだろう。
「もうちょっと早く帰ってきてくれてもいいだろう!」
やはりシルはご機嫌斜め。
はて、待ちぼうけなんて森で暮らしている頃、ちょいちょいあっただろうに今日はまたどうして不機嫌なのか。
宿の居心地が悪かったということはないと思う。前回の宿泊ではずいぶんとくつろいでたし。今回は優しそうなお兄ちゃんも一緒なんだから心細かったなんてこともないはずだ。
「お前がなかなか戻らないから私は兄にあれこれと……!」
「いやそんなこと言われても。お前が今日来るとかわからんし」
あれこれがなんなのかはわからんが、どうも不機嫌なのはお兄ちゃんに関係するらしい。兄妹仲が悪いとは聞いたことがなかったが……なんだろうな。
ともかくシルの言い分としては、俺がもっと早くに戻ってきていればその『あれこれ』に苛まれることもなかったと言いたいようだが……しらんがな。そんなお前が来るとかわからんがな。
うーん、これ、やっぱり連絡手段があった方がいいな。
「なあシル、ちょっと手を繋いでくれる?」
「な、なんだ突然に……。まあべつにいいぞ、それくらい。ほら!」
「なんで照れてんだよ」
「私は照れてなどいない! おかしなことを言うと手を繋いでやらないぞ!」
「あー……。はい。照れてないね」
明らかに照れているが、追及しても面倒が増えるだけのようだ。
前回さんざんおぶらせたくせに、照れるポイントが謎な奴である。
言いたいことをぐっと呑み込みつつ、俺はちゃっちゃと検証しようとシルの手を握り念話ができないかチャレンジ。
これで成功すれば、不思議な経路みたいなものが繋がり、遠距離での会話が可能になる……ような気がする。
ひとまず俺は『ファミ○キください』と念じてみた。
「聞こえたか?」
「何がだ?」
「ダメか……」
念話が無理なのか、それとも握手ではダメなのか。
判断がつかず困った――その時だ。
「――ッ!?」
稲妻のような閃きが、8ビットを誇る俺の脳を覚醒させた。
そうだ、念じるんだから、その『念』が発生する頭同士を近付けてやればいいのだ。
俺はすぐにシルのおでこに自分のおでこをくっつけて確かめてみようと顔を近付ける。
が――
「ひあぅッ!?」
「んごっ!?」
ドゴッと。
両手で突き飛ばされる、なんて生やさしいものじゃない。
双掌打――いや、この衝撃はもう破城槌であろう。
ほとんど不意打ち、それどころかカウンター気味にシルの突き飛ばしを食らった俺は吹っ飛んだ。
いかん、このままではご近所さん家に砲弾のごとくダイレクト訪問だ。
そう予感した俺は、咄嗟に背後方向へ頑丈な土の壁を創造。
そして――ドゴンッと。
「ぐはぁッ!?」
俺は壁をすり鉢状に陥没させてめり込んだ。
これ、俺でなきゃ死んでるね。
「ぐ、ぐふぅ……」
零れるうめき。
ここまでのダメージはひさしぶりだ。
さすがにこれは文句を言ってもいいだろうと思った、その時。
「い、い、いきなり何をする!」
何故かシルに怒られる。
「そ、それはこっちの台詞だよぉ……」
「と、突然口づけされそうになれば当然だ!」
ん?
あっ、そうか、シルの奴、勘違いでびっくりして俺を突き飛ばしたわけか。
「く、口づけじゃねえし、おでこをくっつけようとしただけだし……」
「それでも戸惑うわこの馬鹿め!」
「……」
せめて一言いっておくべきだったか?
ちょっと反省しつつ、俺は壁から抜け出そうともぞもぞ。
しかし背中から腰にかけて深くめり込むという、エビっぽい体勢のため苦戦。壁を消してもいいが、そうなると落下して尻もちをつくことになりそうだ。
「これはチャンス――ではなく、えっと、ケイン様、大丈夫ですか?」
手足をじたばたさせて藻掻いていると、クーニャが寄ってきた。
「なんか不穏な思いつきをしやがったような気がするがまあいい。ちょっと引っぱってくれるか」
「はい! ――ほら、そこの騎士、貴方も手伝ってください。本来であれば貴方が受け止めてさしあげるところなんですよ」
「死にはしなくても重傷が確定しているのはちょっと……」
俺はクーニャとシセリア、さらに面白がって寄ってきたおちびーズに引っぱられ、大きなカブのように引っこ抜かれた。
「ひどい目に遭った……」
「いやー、それは仕方ないかとー」
「ケイン様、急におでこをくっつけられようとされたら、普通はびっくりするものですよ? 相手が女性であればなおさらです」
「いきなり人のデコを舐めたがった奴がなに言ってんだ」
言っていることはもっともだとしても、クーニャ相手には認めたくない。
「それで、お前は何がしたかったんだ?」
ひと息つけたところで、両手を腰にやって、いかにも『怒ってます』といった感じのシルが尋ねてくる。
「あー、えっとな――」
と、俺は連絡手段の確立のための実験であったことを説明。
これが確立すればあらかじめ訪問を伝えられるし、森を出た時のような騒動も防げると。
「先にその説明をしろ! 先に! 説明を! 連絡手段よりもまずそういうところだぞ!」
「解せぬ……」
説明したらさらに怒られてしまった。
「だがまあ、確かにそんな連絡手段があれば便利ではあるな」
「だろう? でもうまくいかなくてな……」
どうしたものかと思った、そんな時。
「にゃ!」
亜空間からにゅっとシャカが顔を出した。
「またその猫かっ」
「おお、話に聞いていたシャカ様ですね!」
びっくりするシルに、歓喜の声をあげるクーニャ。
「にゃごにゃごにゃーう、あおあうー」
「あ、ケイン様、シャカ様が前に作った物を出してもらいたいと……えっと、離れた相手と話をする道具?」
いつもなら『わからん』で終わるシャカの言葉をクーニャが伝えてくる。
よかった、俺への罵詈雑言ではないようだ。
「話をする道具……もしかしてこれか?」
そう〈猫袋〉から取りだしたのはモックでしかないスマホだ。
「にゃ! にゃんにゃごおろろうおー」
「それでいいみたいですね。あともう一つ用意してもらいたいと」
「もう一つ? ほれ、これでいいか?」
左右の手にそれぞれスマホ。
するとシャカは亜空間からにゅるんと抜けだし、とことこ宙を歩いて俺の胸元に移動すると、前足でスマホの画面をタッチ。
つかお前完全に外に出られたのかよ……。
「にゃお!」
「あ、これでいいみたい……です?」
やることは済んだとばかりに、シャカは亜空間にお帰りになった。
「これでいいって……え? もしかしてそういうこと?」
見ればスマホの画面にはこれまでなかった肉球マークが浮かび上がっている。
試しに一方をタップしてみると、もう一方に反応があった。
『ニャンニャンニャン! ニャンニャンニャン!』
呼び出しコールは猫の鳴き声だ。
固定なのだろうか?
「シル、これ、ちょっとこの印を押して、こうやって顔の横にやってくれ」
「お、おお、わかった」
シルは言われた通り肉球マークを押して、スマホを顔の横に。
「どうだ、聞こえるか?」
「んお!? おお、聞こえるぞ!」
まあ目の前にいるんだから声は聞こえて当然だが、ちゃんとスマホからも声が聞こえるようだ。
「なんか唐突に問題が解決したな。あとはどれくらいの距離でって話なんだが……。まあ帰ったら挑戦してみてくれ。肉球の印を押せばこっちに繋がるようだから。上手くいけばいつでも話ができるぞ」
「いつでもだと!? それは凄いな! よし、わかった!」
そう言うとシルは魔法鞄にスマホを仕舞い込み、ちょっと離れた所に移動して竜の姿になる。
「え、ちょ――」
「ではしばし待っていてくれ!」
そう告げ、シルは止める間もなく飛び去っていった。
「待っていてくれって……まさか……」
「うん、ごめん、たぶんそういうことだと思う」
そう言ったのは、取り残されたお兄ちゃんだ。
笑顔から一転、気まずそうな顔になってしまっている。
「あー……ど、どうも初めまして、ケインです」
「うん、初めまして。僕はシルの兄のヴィグリードだ。気軽にヴィグとでも呼んでほしい。それで……えっと……妹は普段は落ち着いてるんだけど……何かあると……ちょっと、ね」
「いや、俺があげた物が悪かったんで……」
「そうは言っても、お礼も言わず……いや、それだけ嬉しかったのかな。じゃあ仕方ない……? 本当はこのあと話をしたかったんだけど……うん、出直すことにするよ。ごめんね」
そう謝り、ヴィグ兄さんはシルを追うように去っていった。
なんだかな。
これ、シルが電話してきたら文句言ってもいいよね?




