第26話 『森ねこ亭』の由来
さまよう宿屋――。
話こそシルから聞いていたが、その活動圏はアロンダール山脈の向こう側であり、さらに名前通りあっちこっちさまよっているのだから見つけるのはたいへんで、そもそも当時の俺は森から出るつもりがなかったこともあって会うことはないだろうと思っていた。
それが相手からやってきての邂逅である、人生とは数奇なものだ。
で――
「そ、そんな、この場に使徒が二人だなんて……! ヴォルケード殿はまだ学園なのに……!」
ヴィヴィはなにをそんなに怯えているのだろう?
もしなんらかの騒動が起きると思っているならそれは実に失礼な話だ。
俺はこの通り信仰の対象となるほど穏やかな人格者であるし――
「僕のことはどうぞレンとでも呼んでください」
そう微笑む彼――レンもまた温厚そうで親しみやすい雰囲気がある。
騒動など起こるわけがないのだ。
「あ、あの! レンお兄さんは『さまよう宿屋』なんですか!?」
自己紹介を終えたレンにまず話しかけたのはディアだった。
レンはちょっと不思議そうな顔をしつつもうなずいて答える。
「はい、三代目ということになります」
「三代目さんなんですね! ちょっと待っていてください!」
そう言うやいなや、ディアは「おとーさーん、おかーさーん! たいへんたいへーん!」と叫びながら森ねこ亭へ駆けていき、姿が見えなくなったかと思ったらグラウ父さんとシディア母さんを連れて現れた。
でもって次にラウくんを回収だ。
「これはこれは、よくいらっしゃいました。私は隣で宿屋を営んでいるグラウといいます」
「妻のシディアです」
「娘のディアーナです! この子は弟のラウゼです!」
「あ、はい」
いきなり宿屋一家の自己紹介が始まり、レンは困惑気味だ。
ちなみに、初対面の人ということでラウくんも困惑気味である。
それはなんだか懐かしい光景。
俺も初めて森ねこ亭を訪れたときは、こうやって紹介が始まってずいぶんと困惑させられたもの……。
「レンさんが『さまよう宿屋』の三代目ということは、二代目だったリクレイドさんは引退されたんですか?」
「はい、『さまよう宿屋』は引退しましたが……。先代とお知り合いだったんですか?」
「いやいや、知り合いというほどではないんです。昔、私たち二人は冒険者をしていましてね、それで危ないところをリクレイドさんに助けられ、そのまま泊めてもらったことがあるんですよ」
「ああ、お客さんでしたか」
ようやく納得がいったレンに、シディア母さんがうなずく。
「そうなんです。泊まらせてもらったのは一度だけでしたが、リクレイドさんの『さまよう宿屋』は私たち二人の目標を与えてくれたんですよ。冒険者を引退したら宿屋を始めてみようって」
「あー……ああ、そ、そうでしたか。それで、宿屋、を……」
「はは、そうなんです。森ねこ亭という名前なんですがね、失礼かと思いましたが、リクレイドさんの印象からそうしました」
「えっ、先代が猫ですか? 猫というよりは虎のような……」
猫と虎ではずいぶん違う。
きっと恩人だからという補正が宿屋夫妻にはあるのだろう。
「しかしリクレイドさんが引退ですか。残念な気もしますが……普通の宿屋とは違いますからね、それもしかたないのでしょう」
「ええ、もうよいお歳でしょうから」
「あ、確かに先代は歳ですが、そこはあんまり関係なかったりするんですよ。むしろ肉体的には若返っています」
「え? 若返りですか?」
「はい。ちょっと話を変えてしまいますが、シルキーって妖精はご存知ですか?」
シルキー……確か家に住みつく女性の幽霊とも妖精ともいわれる存在だったような?
でも物語によってはその家の精霊だったりもするので、そこらへんは曖昧だ。
住みついた家の家事を手伝ってくれるという話の印象から、描かれる姿はほぼ可愛らしいメイド姿の少女だったりする。
「僕たちはある意味で自身が『宿』ですから、先代はこのシルキーに住みつかれましてね、その影響で、今では見た目が三十歳くらいにまで若返っているんです」
そうレンが説明したとき――
「あ゛?」
こちらで怖ろしい声が聞こえた。
エレザである。
「おかしい、おかしいですねこれは。聞いていません、聞いていませんよ、妖精と関わるとそんな美味しい話があるだなんてことは……!」
エレザは立ち上がるやいなやどこかへダッシュ。
そしてすぐに聞こえてくる、語気鋭いエレザの声。
「……どういうことですか!」
『……いきなりやってきてなんだ!?』
どうやら森ねこ亭前で魔除けをしていたスプリガンがエレザに責められている模様。
「おおっ、これは面白そうなことに……!」
よせばいいのに、シセリアがウキウキと現場へ向かう。
「……私が主であったとき、貴方は私を若返らせることができたのではないですか!」
『……し、知らん、我はそんな話知らんぞ! そのシルキーが特別であったのではないか!?』
「……これは嘘つきですね! ぶん殴って破壊しちゃってください!」
責める者、弁解する者、囃し立てる者。
猫だからというわけでも、耳を澄ましているわけでもないのに聞こえてきてしまうこの騒がしさ。
もうあっちは放っておこうと思ったが――
『……ええい、汝はもう歳のことなど心配する必要ないではないか! それに妖精が取り憑いて若返らせるなど我も本当に初耳、可能かどうかもわからぬことだ。しかしもし可能とあれば、そのときは汝の友たるシセリアを若返らせようではないか!』
「……まあ、では私とシセリアさんはずっ友ですね!」
「……あっれぇぇぇ!?」
とばっちりも自分から喰らいにいってりゃ世話ないな。
こうしてあっちの騒ぎはシセリアに集束することで収束したが、宿屋夫妻によるレンへの質問攻めはまだ継続中である。
するとここで――
「竜の姿でいても放置されるとか、むしろ新鮮だわ……」
大人しく状況を見守っていたマリーが人の姿に変わる。
見た感じは十五、六歳といったところのお嬢さん。
妹なんだからシルに似ているのは当然ともいえるが、これが雰囲気となるとずいぶんと違う。
なんというか……シルより声が大きそうで、勝ち気そうで、んでもってワガママそうである。
「や、やあマリー、今日はどうしたのだ?」
ずんずんこっちにやってきた妹さんに、シルはなんだか気まずそうな感じで話しかける。
「私はおまけよ。用があるのはあっち。泊まりにいったら、どうしてもってお願いされたからしかたなく連れてきてあげたの」
マリーは明らかに不機嫌な声音で答え、首をゆっくりと動かしながらシルの家を観察、そして言う。
「これまで姉さまはなかなかうちから出ようとしなかったのに、今度はうちに帰ってこなくなっちゃったのね」
「う……」
「まあいいわ。それで……ケインとやらはどこ?」
「先生? えーっと、先生は……あれ? いない? あれー?」
マリーの問いかけにこっちの様子を窺っていたノラが反応を示すも、すぐに認識が誤作動を起こしてしまい不思議そうに首を傾げる。
マリーはそんなノラを眺めつつ小さくため息。
「そう……わかったわ。詳しいことは姉さまから聞くから、貴方たちは庭で遊んでなさい。邪魔して悪かったわね。あの宿の子たちもちゃんと誘ってあげるのよ?」
「はーい!」
追っ払われたのだろうがノラは無邪気だ。
言われたとおりディアとラウくんを回収に向かう。
「それで姉さま、ケインがいないってどういうことなの?」
「いや、それはだな……いないわけではないのだ。というかいる。こいつがケインだ」
「ニャーがケインだニャー」
「???」
マリーが困惑するのも無理はない。
きょとんとしたマリーの顔は険が抜け、年相応の可愛らしさだ。
ひとまず俺は、ちょうどおチビたちが離れてくれているので猫になってしまった経緯を説明した。
「???」
が、マリーの困惑は継続。
おかしいな、ちゃんと説明したのに。
やがてマリーは再起動したのだが――
「聞いてないわ。兄さまったら黙っていたのね……!」
ヘイトがヴィグ兄さんに向いてしまった。
ちょっと申し訳ないような気もしたが、考えてみれば伝えなかったのは事実なのだから恨まれてもしかたないのか。
「つまり貴方がケインなのね?」
「そうだニャー。そっちはシルの妹さんで……えっと……マリリンでよかったかニャ?」
「マリヴェールよ! マリヴェール! 姉さまがシルヴェールで、私がマリヴェール! わかりやすいじゃない! どこから『リン』がでてきたのよ! もしかして馬鹿にしてる!?」
「ごめんニャ、そんなつもりはなかったニャ。いきなり愛称で呼ぶのは失礼かと思って、胡乱な記憶を頼りに当てずっぽうで確認してみただけニャ。『リン』は馴染みがあったからつい出ちゃったニャ」
女優だったり、犬だったり、アンチクライスト・スーパースターだったり。
きっとレンなら同意してくれる。
なんて思っていたら――
「やっぱり馬鹿にしてんじゃないのッ!!」
耳がキーンとするくらいの大声で怒鳴られた。
やはりマリーの声はシルより大きいようだ。




