下
これで終わります
ざわっと観衆から動揺が沸き起こった。当然だ、大国同士の政略結婚は、慎重に慎重を重ねて進められ、こんにちに至るまで公表されてこなかった。
それをあっさりと言い放つ彼女は一体何者だ?
只の留学生でないのか?政略結婚の話だって、両国の高官の間でしか、周知されていないのに。
「それは、凍結している筈だ。そもそも絵姿さえも私は見ていない。才気煥発とした美しい王女だと噂だけは流れてきているが、所詮噂だ。政略結婚を成功させて、甘い汁を吸いたいヤツらが、私に興味を持たせようとする策略だろう。そうはいかん」
まるで正義の味方の様だ。政治に巣食う老獪な狸共の思惑を撥ね退け、真実の愛と勇気を貫く、正義の使者。
その腕の中には、愛しい人の真心に胸を熱くして涙ぐむヒロイン。
まあ、今はただの道化達だけどな!
カラルがもう耐えられないと、声に出して笑いだした。ドロシー嬢の発言で混乱していた生徒達は、その場違いな笑い声に、次第に落ち着いていく。
俺もカラル程では無いが、笑い出したくて仕様が無かった。
俺達が知らないと思っているのだろうか。
カルルニアの結婚法では、離婚が認められ、時には長年の愛人と再婚する事もあるそうだ。
バルトニアの結婚法では、離婚は認められておらず、死別による単身者の再婚でさえも、いい顔をされない。一生一人を愛し抜くのが至上とされている。が、そのくせ娼館はあるのだから、人間とは愚かな生物だ。
ルイス王太子は、誰よりもそういう部分に潔癖だ。公式愛人を持つ様な王室の姫と、結婚できないと言い切った事がある。
ちなみに、今上カルルニア陛下に愛妾はいない。
三代前のカルルニア国王に一人の愛妾がいた。
愛妾のネル・ウィングは、国民に絶大な人気を誇る女優であった。更に王妃の親友となり良き相談相手になった。
愛妾は王に飽きられたら、それで終わりである。寵愛を得ている間に、王からどれだけ財を絞れるか、それでその後の生活が決まるのだ。
それが歴代の愛妾の常識であったのに、ネル・ウィングは一人娘の身上だけを約束させ、決して富を望まなかった。
女優を引退して自分の側に居ろと言う、王の言葉を撥ね退け、現役の女優である事にこだわった。
富も名声も、自分の力で手に入れる。
国王の愛妾なんてオマケだ。何時でも辞めていい。
そう言って王を翻弄した。 そんな所が国民に愛されたのだ。
やがて病に伏した王妃は、親友である彼女に、夫の再婚相手になってくれと頼んだ。あなたにしか頼めないと。
王妃の熱望、国民の人気、王の寵愛。全てを手に入れたネル・ウィングは王妃になり、前妻の王子達にも快活な性格が慕われる事になる。
まさに完璧。
一人娘は庶子から王女となり、カルルニアに派遣された、一人の大使に見初められ臣籍降嫁した。
それがロン達の曾祖母、元王女ソフィアである。
「貴方が馬鹿にしたその政略結婚、誰が推し進めていたとお思いで?そして当家が、どういった家柄で、どういった血筋で、どういった役割を担って来たかお分かりいただいての発言ですよね?」
カラルから怒涛の追及が止まらない。ルイス王太子に動揺が走る。
はっきり追及されて、やっと自分が何をしでか自覚したようだ。
「まあカラル様、幼子の様に丁寧に言い聞かせてやるなんて、甘やかし過ぎではありませんか?」
「いや~、自国の王子様に無意識に甘くなってしまいましたな~。ここまで馬鹿だと思わなくって」
そしてドロシー嬢とカラルの追撃が止まらない。恨みが深い。
「二人とも、面識があったんだ…。何か仲いいですね?」
「いえいえ、ロン様。ロン様の叔父貴殿がわたくしの留学のお話を纏めて下さった、責任者だったのです。それ故お話しする機会があっただけのこと。留学の話以外は、何時もロン様のお話ばかりしていますの、ロン様は伯爵家の嫡男としてどれだけご立派か…」
「ええと、ドロシー嬢落ち着いて…?。ほらルイス殿下が、王子なのに放置されて心が折れかかってますから…」
「折れさせておけよ」
「カラル、お前はちょっと黙ってろ」
猛然と、俺への興味を主張してきたドロシー嬢を宥め、カラルを黙らせ、改めて王太子達に向き合う。
初めは動揺したが、もうそれもない。
「皆さん、ルイ様をいじめるのは止して下さい!」
ルイスの腕にずっと囲われていたメルエ嬢が、そこから飛び出して見当違いな発言を繰り出した。
「どうして私達の仲を引き裂こうとするんですか?政略結婚なんて、愛のない結婚に意味はありません!」
メルエ・キャロル男爵令嬢。キャロル男爵は、誠実で心優しい領主と評判で、人望も厚い。身分の垣根を越えて交流し、全員が家族の様に仲が良い。
いざって言う時は、背後からぶっ刺してコイツ何とかしないと…とか考えたり、策略と裏工作しかしていないうちと大違いだ。
そんな環境で育てば、愛と勇気がマブダチさ、友情は勝利を生み、努力は夢を裏切らない!とか素で思ってる、お花畑令嬢が生まれるのも無理はな…くねーよ!
そこん所はしっかり教育しておけよ!
身分階級と特権階級が利権を握る、泥っ泥の貴族社会の現実教えておけよ!
「政略結婚は我々の義務みたいなもんですよ?何度も俺は言いましたよね『あなたが王太子の妃になれるわけ無いのだから、殿下とは別れろ』って」
「それは、ルイ様が無理やり婚約されていたからですよね?顔も知らない王女様と結婚なんて、ルイ様がかわいそうです!それに私はルイ様が王子様だから好きになったんじゃありません。ルイ様という人をお慕いしているんです!」
そのかわいそうなルイ様は、メルエ嬢の健気な愛情を聞いて、心を打たれている模様だ。
「仮にも貴族の令嬢が、そんな事言っていいんですか?あなたにも、守らなければいけない領民がいるでしょう?貴族なら自分の気持ちを殺しても、背負わなければならない責任があります。王子と結婚するよりも、領地に利益を齎す相手が居ても、あなたは殿下が好きだから、それを押し通すんですか?」
「私は自分を犠牲にもしないし、領民の皆も困らせたりしません!皆で幸せになる方法を選びます!」
いや、理想論を聞きたい訳じゃないし。今絶賛国際問題に発展してるし。
「ロン様。世の中には言葉が通じても、話が通じない輩がいるのです。コレは放置して、今後の両国間の国益について話し合いましょう。確認ですが、ロン様には婚約者はいらっしゃいませんよね…?」
「それも大事ですが放置は…、って俺の、婚約?」
「ロンに婚約者はいませんよ。そっか、降嫁は身分的に難しいから婿入りか?そうなるとうちの跡継ぎいなくなっちゃうんだよな~」
「何の話だよ。…降嫁だと?」
その言葉を聞いて色々な出来事が、ロンの中で符合していく。
突然現れたドロシー。王太子とその恋人に対する強い反感。その側に侍るカラル。
そう言う事か…。人柄や容姿の情報は伝わってたけど、絵姿は俺も見た事なかったからな。
子供の頃、赤毛の癖毛を馬鹿にされて、容姿に自信が無くなったからだっけ?
今はだいぶ改善されたけど、コンプレックスになって、必要以上には表に出たがらないって…。
「私の話を聞いて下さい!貴族云々言っておいて失礼なのはどっちですか!」
あっ、完全に失念してた。イッケネ☆
正直、あんたらみたいな小物、もうどうでもいいんだよね。
「お黙りなさい。あなた方みたいな愚か者に、構っている時間はないのよ」
「そうやって、上から目線で選ぶって、何様なんですか!人は皆平等なんですよ」
「王女よ」
ん?とメルエ嬢が疑問符を浮かべる。ルイス王太子が、まさかと顔を真っ青に染めた。
「そんな…、何故…。王女は不美人なのを指さされるのを嫌がって、表に出たがらないと…」
「いつの話です。政務を熟す為に、克服したにきまってるでしょう。髪の色も癖も、成長と共に変わりましたし」
そう言って、自分を王女と言ったドロシーは、髪を摘まんで唇を尖らせた。
その仕草には、不美人と笑われた過去など欠片も感じられなかった。
言葉も無く震えるルイス王太子。メルエ嬢はそれを不思議そうに見ている。
「どうしたんですかルイ様。ドロシーさんが嘘を言っているかもしれないのに、あっさり信じるんですか?本当だとしても、同じ王族じゃないですか。そんなに怯えて…」
「黙れと言いましたわよね小娘。全く囂しい…。そこの馬鹿と同じだ何て、切歯痛憤ものです」
「また人を貶して、あなたは…!」
「待てメルエ!カルルニアの血を引く、オーガスタス伯爵家の二人が、何も言わず静かに控えてるんだ。彼女は…、ソフィー王女に間違いない…!」
さすがに暴走する恋人を止めにかかる馬鹿王子。なのに、王女でも人を馬鹿にしたら駄目だとか、愛のない婚約をして、婚約者を陥れるのは駄目だとか。訳の分からない事を宣っている。
恋に恋する、お花畑令嬢だと思っていたけど、何か違う。話が通じなくて、理解できなくて、気持ちが悪い。
俺やカラルや生徒達が、ドン引きしているのにも気付いていない。自分の中の正義を押し通す事に夢中で、周囲に気付けないのだろう。
「…もう参りましょう」
ドロシー嬢、いやソフィー王女殿下が、踵を返して人垣を割って去って行く。もう関わりたくないのだろう。
生徒達は何も言わずに俺達を見送った。彼らも気の毒な事だ。軽い気持ちで野次馬をしていたら、自国の王太子の醜聞と、大馬鹿さを見せられたのだから。
皆、言葉も無く佇んでいる。気を強く生きるんだ。
「王女殿下、俺はオーガスタス家に報告に行って参ります。婚約は破棄になるでしょうが…」
「慰謝料をたんまりせしめておやりなさい。そして、我が王族の末裔を蔑ろにした事、骨の髄、魂の欠片に至るまで、刻み込んでやるのです」
畏まりました。と、カラルは良い笑顔でソフィー王女の前を辞していった。
取り残された、俺。
あれさっき、ソフィー王女は、俺の婚約者の有無や、降嫁がどうの話してなかったか?
えっ、それってやっぱりそう言う事なの?
全然身に覚えがないんだけど???
俺の混乱を読み取ったのか、ソフィー王女は足を止め、俺にその美しいご尊顔を向けてくる。
「何故、自分が好意を寄せられれているか、分からない。と言うお顔ですね」
「ええ、その通りです…」
記憶通りなら、ソフィー王女と話をしたのは、今日が初めての筈だ。ソフィー王女の方は俺の姿を見ていた様だが、美しい王女殿下に気に入られる要素は思い至らない。
容姿は平凡だし、髪も赤みが強い金髪でぱっとしない。あっ瞳の灰青色は、ちょっと自慢だけど、それだけだからな…。
ええ~…。本当に、本当に理由が分からい…!
うんうんと悩むロンを、ソフィーは艶やかに微笑んで見やっている。
悩んで悩んで。わたくしの事で頭を一杯にして。
わたくしがあなたを知って。恋焦がれ。結ばれる事が無い事に、どれだけ悲しんだか、あなたは知らないでしょう。
教えてもあげないけどね。
これから、あの馬鹿王子達の尻拭いに、彼も奔走する事になる。
だから今だけは、わたくしの事で頭を一杯にして欲しい。
そして自分がどれだけ魅力的な男性かちゃんと考えてね。
わたくしの愛しいあなた。
END
拙い文章を読んでくださって、ありがとうございました