第19話 金さえあれば憂なし
「んっ……」
うっすらと、瞼を開く。
……いけないわ。
わたくしとしたことが、寝てしまっていたなんて。
重い体に鞭打って、わたくしは頭を上げた。
するとそこには、あるはずのない影があった。
慌てて見上げると、そこには体を起こしたオスカーが、わたくしを見つめていた。
「オスカー……!」
疲れなど放り投げて、わたくしは思わずベッドに身を乗り出す。
「よかった!目を覚ましたのね!!」
わたくしの顔を見たオスカーは、いつものように目尻にシワを作って笑った。
「おはよう、フェリシア」
「おはよう、ではありませんわ!オスカー!あなた、何日寝ていたと思っていますの?!」
「そんなにかい?」
「そうですわ!もうあの日から七日も経つというのに、あなたって人は!!!」
七日と聞いて、オスカーは目を瞬かせた。
まさかそれほど寝込んでいたとは思っていなかったらしい。
「……ずっと、心配していたんですからね」
「それは、すまなかった」
わたくしに謝るオスカーの顔は、あの日とは違って血色がいい。
そのせいかしら。目頭が熱い。
……やだ。
涙なんて……この人に気づかれたら、それこそ笑われてしまうわ。
わたくしは水差しを取るために、急いで後ろを向いた。
「もう、本当ですわ。わたくしだけではなくて、商会の皆さんや、お医者様にも謝ってください」
「……医者?」
その言葉に、オスカーの声は低くなる。
やっぱり……そういう反応になるわよね。
ため息をつきながら、わたくしはコップを持ちながらゆっくりと振り返った。
「えぇ。お医者様です」
「……そうか。では、今度からは呼ば……」
「呼びますわ」
お医者様を呼ばないで欲しいというオスカーの言葉を遮って、わたくしはキッパリと言い放った。
「これからも、オスカーに何かあったら、わたくしは迷わずお医者様を呼びます」
「それは……私が医者嫌いだと知っても……かな?」
「もちろんですわ」
オスカーが倒れた日、お医者様に診ていただいた後で、ニコルたちからオスカーが医者嫌いであると聞いた。
普段はお医者様の治療を受けるどころか、薬まで嫌がる徹底ぶりらしい。
けれど、そのようなことはわたくしには関係ない。
「私が、絶対にやめて欲しいと言っても?」
「お断りします。わたくしは、あなたに何かあったら……これからも絶対に……絶対に、お医者様を呼びますわ!」
思わず、声が大きくなる。
だって呼ばない……呼べない理由がありませんもの。
「……わたくしはもう、あんな思いをしたくありませんわ」
そう言って、わたくしはオスカーにそっとコップを渡した。
触れたオスカーの指先は、あの時と違って……ただただ温かい。
冷えた指先。
けれど熱に浮かされて、わたくしの声にも答えてくれなかった。
あのまま目を覚まさなかったらと思うと、今でも胸が苦しくなる。
「……わたくし、お祖父様を亡くしているんです」
「お祖父様を?」
「ええ。わたくしがまだ、社交界にデビューする前のことですわ」
わたくしは椅子に腰掛けると、ぽつりぽつりとオスカーにお祖父様のことを話した。
「お祖父様は、風邪をこじらせて亡くなりました」
「それは……」
「本当なら、お医者様に診てもらえたはずでした。それなのに……あの時我が家には、お医者様を呼ぶだけのお金さえもなかったのです」
お祖父様は、とても才のある人だった。
家のために蓄えを残してくれていたのはもちろん、わたくしに帳簿の読み方や、お金の使い方を教えてくれた。
歯車が狂ったのは、お祖父様が隠居されてから……。
お父様が、正式に家のことを行うようになってからだ。
理由はわからないけれど、お祖父様は一切、家のことに口を出さなかったらしい。
そのせいでお父様はどんどん蓄えを使い込んでしまった。
「……お父様は、ほとんどお祖父様の話を聞いてこなかったのです。そのせいで、領地の運営もうまくいかず……。それなのに、お父様はもちろん、誰も生活を変えようとはしませんでした。わたくしが後から何を言っても、聞いてなどくれません。それどころか、女なのだからお母様のように何も気にせず暮らせば良いと……。そのようなこと、できるわけがありませんのに」
「……そうだったのか」
「気づいたときには、もう何も残っていませんでした」
あのときのことは、今でも忘れられない。
熱にうなされて、苦しそうにしているお祖父様に、わたくしには何もできなかった。
お医者様を呼ぶことも、薬を買うことも。
「お金さえあれば、お医者様に診てもらうことができたのに……ッ」
口にすると、胸が締め付けられた。
まだ……こんなにも苦しいのね。
「もちろん、お金があれば必ず助かったというわけではないと……わかっているわ。でも、できることはあった。だからわたくしは、また何もできないのは嫌なの」
わたくしは涙を堪えながら、オスカーを見つめた。
「お金のせいで……なんていいわけを一生し続けるなんて、絶対に嫌よ」
「フェリシア……」
「ですからわたくしは、あなたと結婚したの。あなたと一緒になれば、もう絶対にお金に困ることはないはずでしたから」
そうよ。
お金がなくてできないことはあるけれど、お金があれば、なんでもできるもの。
「あなたのお金で豪遊するつもりでしたのに……まさか、すぐに資産を寄付してしまうなんて、思っていませんでしたけどね」
そっと、わたくしはオスカーの手を握った。
オスカーはしばらく黙ったまま、何も言わなかった。
「……そういうことだったのか」
「え?」
「君がお金を欲しがる理由だよ」
オスカーは、わたくしを見つめて笑う。
目尻には、あの優しいシワが刻まれていた。
「君は、後悔しないために、お金が必要だったんだね」
「それだけではありませんわ。先ほども言った通り、わたくし贅沢したいのです」
「ははっ。そうだったね!」
小さく笑ったオスカーは、ふと視線を落とした。
「……私とは、ずいぶん違うね」
「違う?」
「いや。何でもないよ」
その声が、ほんの少しだけ寂しそうに聞こえた。
「フェリシア」
「はい?」
「タラセイアに戻ったら、君に聞いてほしい話がある」
「聞いてほしい話……?」
突然のオスカーからのお願いに、わたくしは瞠目する。
「それは、今では駄目なんですの?」
「連れて行きたい、場所があるんだよ」
「……わかりましたわ。でしたら早く、よくなってくださいね」
そう言って、わたくしは彼の額に手を当てた。
まだ少し熱が残っているようだけれど、先ほどよりはずっと落ち着いている。
これなら、きっともう大丈夫ね。
「熱は、下がってきたようですわ」
「ああ。君のおかげだ」
「わたくしではなく、お医者様のおかげです」
「そうかな?」
「そうですわ。最後まで、しっかりお薬を飲んでください」
「……飲まないとダメかい?」
「ダメです」
オスカーは、また小さく笑った。
その顔を見て、わたくしも一緒になって笑った。




