冬の号泣
ずっと泣くもんかって思ってた。
泣いちゃうと膝が崩れて、そこでもう立ち上がれなくなりそうで怖かった。
あふれる涙に脂でも混ざったように重く、慣れない涙が伝った肌はなんだか痒くなる。
辛かった。苦しかった。悲しかった。悔しかった。
そんな感情と涙が後押しするように涙は途切れもせずに溢れ出て泣きじゃくった。
肺がぎゅうぎゅうと痛んで喉が痙攣する。呼吸さえも上手にできなくて苦しくて。
泣けたんだ、私は。
泣いているんだ、私。
「ああ、よかったね、アミ」
柔らかいジョナサンの声が届いて、少しだけ私の泣き声が小さくなった。
よかったって、なにが?
「泣きたいときに泣かないとね、体は泣き方を忘れてしまうんだよ? 泣けなくなった体はストレスで心までダメにしちゃうからね。――体が泣くことを覚えているならまだ大丈夫。アミは元気になれるよ」
そんな優しい声に私はまた泣き出す。
そうだ。本当は私、泣きたかったんだ。ずっと、ずっと、泣いて自分の辛い部分を表に出したかった。
――でも出来なかった。
泣いたら自分が可哀想だと認めてしまいそうで、そんな可哀想な自分を助けてくる人がいないと確信できそうで。
可哀想な自分の輪郭を朧げにすることで、大丈夫なんだと言い聞かせて必死に自分を守っていた。
「……ジョ、ジョナ……サン……わ、私の、話……聞いて、くれる?」
私のわがままに、ジョナサンは優しい瞳で頷いてくれた。
泣きながらジョナサンに私の話をした。
内容はぐちゃぐちゃで、整理もできてなくて、言いたいことを思いつくままに喋る、自分のことしか考えない内容だったのに、ジョナサンは辛抱強く話を聞いてくれる。
話すほどに自覚した。
私は可哀想な子供だ。両親を亡くし、伯母一家に虐待されて、学校でもいじめられて。
それなのに可哀想な自分が恥ずかしい立場だと私はずっと思い込んでいたんだ。泣き言をいう資格なんてないって。
声に出して今までの気持ちを認めたら、ひどく心がすっきりした気分になる。
もちろん、話したからって状況は何も変わらないって知っている。伯母は冷たいし従姉妹は意地悪だし伯父は気持ち悪い。
だけど自分で自分を認めたら、それだけで心が強くなれたような気がする。やせ我慢じゃない本物の強さだ。
私は未成年で16歳の子供でしかないからって、それを言い訳にして唯々諾々に生きていた。でも自分で考えて行動すれば、状況を少しでも変えられるかもしれないと思うくらいにはなれた。
これはとても大切な事なんじゃないかな?
ぎこちなくジョナサンに笑ったけど、うまく笑えたかな?
ジョナサンは相変わらずにこやかに笑ってから、私の頭に手をやろうとして思い直したように引っ込めた。代わりに握手を求めて右手を差し出してくれた。
握ったジョナサンの手は暖かくて、おじいちゃんなのに力強くて、頼もしい感じがした。
「……ところで君たちはいつまでそこに居るのかな?」
私の頭を素通りする声に慌てて背後を見れば、変な集団がサンルームの外から私たちを見ていた。
ざっくり見た印象は、金髪の王子様、赤毛にネコを乗せた不良、人のよさそうな初老の女性、ダイナマイトバディな褐色美女。
え? え? なにこれ?
ここ日本だよね? というか美男美女だらけでそもそも現実なの? まだちょっと残っていた涙が驚きで速やかに撤退しちゃったよ!?
「……ジョナサンが女の子を泣かしていると聞いて」
集団を代表したのは王子様。
繰り返す。
王子様。
ただし、アニメ絵がプリントされたトレーナーを着用。美少女なアニメ絵じゃなかったことだけが救いなの?
雄々しいロボットのトレーナーを着た金髪青年は、清廉な白百合のような気品ある笑みを浮かべる。
その麗しさは絵本から抜け出た王子様そのものだ。
……なんだろう。白皙の美貌なんて、小説や漫画のあり得ない表現だと思っていたけど実在するんだね……。
でも王子様は夢だからいいのであって、現代社会に居ちゃいけない気がする。アニメプリントレーナーを着るなら、なおさらね!
「失礼だよ。ボクは女の子を泣かしていないよ?」
「……あ、ああ、それは本当です……私が勝手に……」
「まぁ! まぁまぁ! 女の子泣かせていないにしても、女の子の顔を汚したままにしておくのは紳士じゃないわ。ついでにテディもジンも泣いた女の子の顔をじろじろ見ないの。マナー違反と心得なさい。そんな暇があったらホットタオルでも作ってくる方がよほど立派な振る舞いよ?」
一気にしゃべったのは、少々ふっくらしたアジア系の初老の女性だ。顔つきは平凡だけれど。温かくてホッとする印象を与える人だ。まるで母親に諭されたように王子様は慌てて踵を返し、不良さんは見事な動きで回れ右をする。頭に張り付いたネコの尻尾がぷらんと呑気に揺れて妙に牧歌的。
二人ともすっごい美形なのに……うん、なんか、残念だね……。
そんな男二人とは対照的に、堂々とした振る舞いで女性陣はサンルーム越しに手を振ってくれて、思わず小さく手を振ってしまう。
あ。褐色美女がビシィッとサムズアップしたけど、そのサインの意味が解らないよ!
中から姿が見えているのに、女性陣は律儀にサンルームの扉をノックして中に入ってくる。礼儀作法の見本とばかりに綺麗な一礼をして私の傍に来て膝をついて見上げてくれたのは、初老の女性。
「まぁ。可愛い顔が台無しよ? でも涙は止まったのね、よかったわ。でもそのままで帰っちゃダメよ? お嬢さんに浮腫んだ顔は似合わないものね?」
笑うとふっくらした頬に浮かぶ笑窪が安心感を与える女性だ。
でもその女性がハンカチで私の顔を拭こうと手を伸ばしたら、スキンシップに慣れない私は
知らずに私の体は竦み上がってしまった。
女性はちょっとだけ首を傾げて、それからまた優しく瞳を細める。こんな穏やかな瞳に私の姿が映る自分の姿に、恥ずかしさと嬉しさが込み上げて居た堪れない気持ちになっちゃう。
「私は真佐子よ。みんなはマーサって呼ぶわ。お嬢さんもそう呼んでくれると嬉しいのだけど」
「……え、あ。はい……わ、私、有海、です」
「愛らしい名前ね。隣であなたに話しかけたくてうずうずしている残念女性がエミリー、ファッションに問題がある子は残念二号のテディ、猫の下僕になっている残念三号がジンよ。よろしくね」
……菩薩の微笑みで毒を吐いているような気が……。
それより、美女さんも美形さんもイケメンさんも残念なんですね。
そもそも二号ってことは一号もいるわけで……え? まさかジョナサンじゃないよね? そうだと言って!
狭かったサンルームが一気に人が増えて手狭になる。いきなりの人口増加に驚く私を、ジョナサンはとても優しく見ていてくれた。