上弦に問う 2
敷地内の一角にある厩では、十数頭の様々な毛色の馬が飼育されている。小屋から首を出している馬はどれも人の背丈ほどしかなくて、思い描いていたものよりも随分と小さかった。勘吉は馬に慣れているだけあって、一頭一頭馬の鼻面を慈しむように撫でていた。十壱は邪魔にならないよう、長い髪の毛をくるくるとまとめている。
馬術の訓練といっても専門の人間がついて教えるわけではない。世話をしているものはいるが、馬に乗れる者が、乗れない者に指導をしているようだ。
今日満尋たちに指導をしてくれるのは、初日に会った六郎だ。
「おー、おめーら待ってたべ。おれが教えっからなー」
いつもの方言で迎えてくれた六郎は、にこにこしながら満尋たちを待っていた。頭の宇木衛門と一緒にいただけあって、彼もなかなか忙しいらしい。六郎とはあれ以来会っていないので五日振りに顔を合わせる。見知った人間に安堵した満尋とは反対に、勘吉と十壱は身体を固くさせた。
「勘吉は随分と達者みてーだかんな、おれが教えんでもいーべ。きぃいったのみっけて、飛ばしていーだーよ」
「はぁ、では失礼します」
一緒にいて数日経つが、初めて聞く勘吉の敬語はかなり違和感がある。ぎこちなく身体を動かして、勘吉はすぐに馬を選びにかかった。その様子を不審に思いつつ、乗馬初心者の満尋と十壱は軽く六郎から説明を受け、自分達も馬を選びにかかった。
満尋が選んだのは灰色をした葦毛の馬で、十壱は黄色っぽい河原毛を選んだ。勘吉はこげ茶の黒鹿毛を選んだようだ。どの馬も大人しく、優しそうな目をしている。しばらく馬と戯れた後、六郎から馬の背に乗る指導を受けた。
鞍をつけていない裸馬なので、乗るときは飛び乗るといった感じだ。ポニーほどの大きさなのでなんとか跨ることができたが、サラブレッドのような大型馬では無理だったかもしれない。とりあえず、乗り降りだけを何回か練習していたところで、衆徒が一人六郎に走りよってきて何事かを伝えた。どうやら、緊急の用で六郎はそちらに行かなくてはならないらしい。
「すまんねーけど、ちぃっと行ってくんべ。外出て左ん方行ったら、丁度いいとこあっからな」
六郎は慌しく厩を出て行くと、残されたのは呆けた表情の三人だけだ。いち早く立ち直ったのは勘吉で、黒鹿毛を引きながら喜色満面の笑みを浮かべると、
「お? これは俺の出番か?」
と言った。嫌な予感しかしない。隣の十壱も顔を引きつらせている。勘吉はひらり、と馬に跨ると、満尋たちにもさっそく乗るように指示した。
「じゃあ、さっそく行くか! 走らせっぞ、ちゃんとついて来いよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「あ、あたし達はまだ騎乗しか習っていないんですよ。先生でしょう。ちゃんと教えて下さい」
ともすれば今にも走り出しそうな勘吉を何とか止めて、馬の扱いを請うてみた。馬の背に跨り、まずは歩かせ方からと十壱が言うと、
「大丈夫、大丈夫。馬は賢いからなー。歩けーって思えば歩くし、止まれーって思えば止まるって」
などと言い出した。そんなわけあるかっと突っ込みたかったが、馬を驚かせるようなことはしてはいけない、と六郎に言われていたので黙らざるを得ない。勘吉はそのままポカポカと門へ向かって移動を始めたので、追いかけねばと慌てると、驚いたことに満尋の葦毛もそれに倣って歩き始めた。
「あの人の言った通りでしたけど……。複雑です」
「……ああ」
門の外に出ると、左の方と言われたのでそちらへ向かうことにした。馬は手綱を行きたい方向に軽く引っ張るだけで、ちゃんとそちらへ曲がってくれる。満尋は揺れる馬の背から落ちないことだけに気をつけて、馬を歩かせていた。
六郎が教えてくれた道は、かなり険しい山道だったが馬はでこぼこの道も、急な斜面もなんなく登っていく。15分ほど登っていくと、道が開けてなだらかな平原に出た。
「おおー、ここなら走らせても大丈夫そうだな」
勘吉の言うとおり、そこでは何人かの衆徒たちが気持ちよさそうに馬を走らせていた。元気の有り余っている勘吉はともかく、満尋も十壱も慣れない乗馬であちこちが痛い。とくに尻が。うずうずしている勘吉に、「休憩してるから、好きに走って来い」と言うと、勢い良く飛び出していった。
馬から降りて、十壱と適当な木陰に並んで座る。馬はすぐ側で草を食んでいる。さらさらと涼しい風が汗ばんだ顔に当たって気持ちよい。天気も良いし、このまま寝転んだら最高だろうと思っていると、十壱がそういえば、と話しかけてきた。
「満尋は六郎殿と知り合いなのですか? 随分と親しそうでしたが」
「ん? ああ、ここに来たときにいろいろと良くしてもらった。怪我の手当てもしてくれたし、それがどうかしたか?」
十壱は少し苦笑して、
「いえ、ただ六郎殿は鵟衆の補佐役ですからねぇ。少し珍しくて。それにいろいろとお噂のあるお人ですし」
と言った。なるほど、確かに頭やその補佐についている人間と馴れ馴れしく話せるものはそういないだろう。それにしても、噂とは何だろうか。
「おや、知らないんですか? なんでも仕えていた主を切り捨てたとかなんとか。まぁ、あたしも聞いた話ですけれど有名ですよ」
この世界のことはまだ良く分からないが、主を切り捨てる、とは大変なことではないだろうか。あのいつもにこにことした明るい六郎に、そんな噂があるとは驚いた。
「あの言葉訛りは、東の方にある反馬の訛りでしょう。七、八年前に領主が若い家臣に殺されていますが、まさか、ねぇ」
六郎の歳を聞いたことはないが、見た感じだと二十五、六くらいだろう。噂が真実味を帯びてきたが、本当に殺していたらその家臣の命はすぐに奪われているはずだ。
「六郎の歳と出身国を結びつけて、誰かが適当に流したんじゃないか?」
「ですよねぇ」
勘吉がものすごいスピードで衆徒五人抜きをしているのを見ながら、そう言うしかなかった。