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下弦の光 1

 雲隠れした朧月をぼんやりと見上げながら、最近はこんな夜ばかりだと満尋は目を閉じた。啓蟄とはよく言ったもので、顔の周りに虫が集る。風呂なんてここ数日入っていないのだから、汗やら何やらの臭いで寄って来るのだろうが、それにしても鬱陶しい。

 そろそろだぞ、と孫太夫が仲間内で決めた合図を出す。それぞれが配置した民家から外を窺う気配が漂った。目の悪い満尋には見えなかったが、村のすぐ裏手の山で二十近い数の橙の炎が揺らめいているらしい。

「あの数なら楽勝だな」

「そう言う人から怪我をするんですよ。油断は禁物。……ああ、ほら。草鞋の紐が切れかかってますよ」

 隣で勘吉が口元を上げると、それを十壱が嗜めた。げげっ、と慌てて足元を見る勘吉に満尋は白い目を向ける。今、一番集中力を高めていた時だというのに。

「……KYにも程がある」

「あ? 何だって?」

「別に……。それより構えろよ。来るぞ」

 満尋が言うと同時に「おおー!!」という雄叫びが上がった。

 襲撃だ。

 別暮と挟河の小競り合いからおよそ一月と半分。あれ以降戦という戦は無かったが、その分夜盗や軍の残党の襲撃が相次いだ。襲われるのはどれも城下から離れた村や町で、田畑を荒らされるだけでなく、女子どもは見境無く連れ去られ、犯された。もともと軍というのは正規の兵士は少なく、ほとんどが徴兵で集められた農民らの烏合の衆である。統率が上手くいかねば、金目当てで集った彼らが略奪へと走るのは良くある事であった。そこで、満尋たちも最近は鵟衆本来の仕事に戻り、村の警備などを主に請け負っていた。ただし、二年前とは状況が違う。事穏やかには対処できない場合が圧倒的に多かった。

 わぁー、と声を上げて満尋に斬りかかってきた男は、見たところ別暮軍の残党のようであった。元々が無頼漢だったのだろう。黄色い歯を見せて、下卑た笑みを浮かべている。

「お前ぇら、あの鬱陶しい鵟衆だな。お蔭様でこちとら、どこの村からも米一粒戴けやしねぇ。軍は軍であの隊長サマの所為で略奪は禁止だしよ。スカッとしてぇなぁ? あんた、こいつでばっさり斬られてくれよ!!」

 男がやぁっと振り下ろしてきた刀を満尋は正面から受け止めた。ぐぐ、と鍔迫り合いになり、相手のギラギラとした目と目が合う。このような略奪は何度も繰り返していたのか、男は刀に慣れていた。大柄な相手に満尋は力負けしそうになり、態と重心をずらして刀を離す。間合いを取って、体勢を立て直した。

「下種め」

 満尋の呟きは与市の銃声によって掻き消された。相手がその爆音に怯んだ隙に地面を蹴る。一気に間合いを詰め一薙ぎすると、赤い飛沫が飛び散った。熱い液体が頬にべったりと付く。満尋はそれに眉を顰め、後ろから迫る気配を振り返る勢いと共に下から上へと払った。ぎゃぁと耳障りな声を上げて、別の一人が地に伏す。

 そこかしこで金属音と爆音が聞こえてくる。ぐるりと見渡せば、二之助と新左衛門が集中して狙われていた。小柄な二人は相手にし易いと思われたのだろう。満尋はそっと彼らに近づくと、二之助の背中を狙っていた男を後ろから袈裟斬りにした。正面では八弥丸が鋭い突きで最後の一人を片付けた所だった。

「お前ら、おいらたちのこと餌にしてるだろ?」

 新左衛門が不満そうにそう言うと、「いいや?」と八弥丸がその頭を撫ぜた。兄が弟をあやす様なその光景も、累々と死体の倒れる背景ではなんともミスマッチだ。

 満尋がほっと息を吐いたその時、う、ぐぅ、という微かな声が足元でして、満尋の右足首に激痛が走った。

「いっ!?」

 満尋が声を上げると、八弥丸が虫を払う様な仕種で右手を振った。

 重たいものが地面に落ちる音がする。見れば背中をばっさりと斬られた男がうつ伏せに倒れていた。左手の手首から先が無い。

「斬りが甘かったんだねぇ。満尋、気をつけないと駄目だよ?」

 やって来た主膳が指先で満尋の足首をちょいちょいと示した。そこに目をやれば、左手ががっちりと満尋の足首を掴んでいる。もちろんその先は無い。

「……ああ。気をつけるよ」

 満尋はしゃがみ込んで靴紐を直すかのようにその手を取り外しにかかるが、死して猶離すものかとその手は中々開かない。だんだんと苛苛してきて、指ごと切ってやろうかという思考に陥り、満尋ははっと(かぶり)を振った。駄目だ。繰り返す度軽くなっていく。その重さは変わらないのに、軽く感じて余裕ぶって、いつか泣きを見るのだ。

 満尋は刀に置いた手をそっと離し、指の一本一本を丁寧に外していった。それは酷く時間がかかったが、皆は何も言わずに待っていてくれた。最後の小指が外れると、絞められていた血管を一気に血が巡る。括り袴の裾を捲ると、赤紫色の手形がしっかりと付いていた。

「うーわ、気持ち悪っ」

 二之助が思わず口にする程、その痕はくっきりと残っていた。流石に満尋も顔を引き攣らせ、乾いた笑みを浮かべる。呪われたんじゃなかろうか。

 孫太夫が満尋の足を押したり曲げたりして様子を見る。時々、鈍い痛みが走り満尋は顔を歪めた。

「……一応、薬は持って来ているが。後で六郎さんに診てもらった方がいいんじゃないか?」

「そうする」

「ついでに御祓いもしてもらったらいいぜ。こういうのは怖いからなぁ?」

「……そうする。……勘吉が俺の代わりに全部引き受けてくれますように」

 両手を合わせて合掌すると、ノリの良い仲間たちはすぐに満尋同様手を合わせてくれた。「おい!」と、勘吉が突っ込む。心配して言ったんだぞ、と言う勘吉に、心配している顔じゃなかったぞ、と言い返した。にやにや笑いやがって、と睨めばすぐに、

「あらら? 見えてた?」

と、尻尾を出す。

 その内、与市が早く帰りたいと言い出したので、皆は軽口を止め帰路の仕度を始めた。日の出が空を赤々と染めて、夜が明ける。


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