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朔夜艶宴 3

 満尋が目を覚ますと、いつもと違う天井が目に入り、一瞬ここはどこだったかと考える。まだ真夜中らしく、小さな窓からは暗い夜空が見える。そこから入ってくる冷えた空気に身震いすると、自分が一糸纏わぬ姿で布団にいることに気がついた。暗い室内を手探りで探ると、すぐ隣に温かい滑らかなものが満尋に擦り寄っている。そこで、満尋は昨夜のことを明瞭に思い出したのである。

 完全に酒が抜けた体で布団から抜け出すと、なんとか床に転がっていた眼鏡と火打石を見つけ出して、灯明皿に火をつける。その僅かな光に照らされた室内に、脱ぎ散らかされた二人分の着物と、満尋と同じく全裸の少女が映し出された。

 なるべく少女から視線を外して己の衣を手繰り寄せ、いそいそと身に着ける。何が起こったかは、頭よりも気だるさが残る身体で理解していた。

 酒の力と性に対する興味とで、満尋はこの娘を抱いたのだ。

 薄っすら化粧をしていても、まだまだ幼さが残る少女は一体いくつくらいだろうか。もしかしたら、十五に満たない可能性もある。初めてというだけあって、彼女は始終緊張と不安で震えていた。集真藍には初めてだから優しくしろ、と言われたような気がするが、果たしてそのように扱えていただろうか。何しろ、満尋にとっても初めての女である。おまけに酒で思考が働いていなかったのだから、彼女には酷くしてしまったかもしれない。はあ、と深い溜息が零れる。今下に戻っても誰もいないだろう。同じように女と一緒にいるか、そうでないものは帰っているに違いない。再び溜息が零れ落ちた。その時は夢中であったが、この後味の、ばつの悪さはなんだろう。心に残るものが何も無い、あれはただの作業であったと、満尋は三度目の溜息をついたのである。

 満尋の心情とは裏腹に、彼女はすやすやと安らかな眠りについている。女にとって、初めてというのは特別なことだと聞いたことがあるが、この少女は自分で良かったのだろうか。少女の顔から視線を逸らすと、床の上に袋から飛び出した何かが、炎の光を反射して光っている。先の尖ったそれを拾い上げると、それは割れた何かの破片のようだった。

「なんだ? 鏡、か?」

 裏に表に引っくり返して観察すると、1センチもない厚みのそれは、光を反射したつるりとした面と、手の込んだ模様の施された面がある。手のひらにすっぽりと収まるそれは、もったいないことに割れた鏡の一部のようだった。

 規則正しい寝息が途切れて、布団の中の少女がもぞりと起き上がる気配がする。反射で彼女の方を見ると、布団がずり落ちて満尋の目の前に、女の白い体が暗闇にぼんやりと浮かび上がった。少女は寝ぼけ眼で目を擦っているというのに、その妖艶さに体中の血が一気に駆け巡る。目を逸らしつつ無言で彼女の小袖を差し出すと、「きゃっ」と小さな声をあげて、彼女は満尋の手から衣を奪い取った。


 満尋が背中を向けている後ろで、衣擦れの音が室内に響く。聞かないようにと念じていても、拾ってしまうのは男の性か。固く目を閉じて何か別のことを考えようと必死になっていると、「もう宜しいです」と声がかけられた。

 振り向けば、少女は昨日部屋に入ったときと同じ表情をしていた。俯いて、唇を固く結んで震えている。いかにも男慣れしていない娘の有様に、満尋の方も困惑した。

「あ、その。……身体は大丈夫か?」

 布団から出てこちらへ近づこうとする彼女を手で制し、「寝てていい」と声をかける。娘はそれに目を丸くして、「はい……」と蚊の鳴く様な声で答えると、また下を向いた。沈黙が小さな部屋を支配する。だんだん居心地が悪くなってくると、「すみません」と少女が消え入りそうな声で話し出した。

「お姉さま方から、女の身を案じてくれる殿方はいらっしゃらないと聞いておりました。ですから、あのようなお言葉をかけて頂けるとは思ってもいなかったのです」

 少女は恥ずかしそうに目を伏せる。それにしても、何故このように清純そうな娘がこの店にいるのだろうか。下で男たちに甘えていた女たちとは似ても似つかない。それとも、あと数年もすれば、彼女も集真藍のように婀娜な女になるのだろうか。

 この大人しい娘は瓔珞(ようらく)と言うらしい。本名かどうかは分からない。遊郭の遊女のように源氏名かもしれない。自分も名乗ると、「満尋様」と呼ばれた。なんともくすぐったいものだ。すると、瓔珞は「あ」と声をあげて何かを探し始めた。もしかして、と割れた鏡を差し出すと、ほっと綻んだ安堵した表情を見せてそれを受け取った。手鏡にしては危ないものを使っていると思っていると、瓔珞はそれを紫色の袋に大切そうに仕舞った。

「これは母から譲り受けたものなのです。お守り代わりに持ち歩いています」

「……そうか。割れているみたいだけど、元からか?」

「ええ、母も初めから割れていたと申しておりました。でも、時々研ぎに出して綺麗に磨いて貰っていたようです」

 瓔珞はそれを袂に仕舞うと、膝をついて胡坐をかく満尋の隣にやってきた。ぎこちなく満尋の腕に手を回すと、薄闇でも分かるくらい真っ赤になった。女性経験の乏しい満尋にもこれは分かる。多分、誘っているのだろう。きっと、遊女としてお勤めを全うしようとしているのだ。しかし、触れている所為で、満尋の腕から瓔珞の震えがはっきりと伝わってくる。全くその気にならない訳ではないが、こうも怯えられては敵わない。やんわりと手を離させると、彼女は泣き出しそうな顔をした。その顔が誰かに似ていて、満尋は刹那硬直する。すぐに気を取り直して、

「俺が初めて取った客なんだろ? 無理しなくていいから……。時間が決まっているなら、それまで何か話して過ごしてもいいし……」

と、なるだけ優しい声音で話すと、瓔珞は安心したようにはにかんだ。

 満尋と瓔珞は空が白み始めるまでぽつぽつと話をして過ごした。瓔珞はここに来る前は、各国を旅する歩き巫女として生計を立てていたそうだ。歩き巫女の中には遊女を兼ねた者もいたようだが、瓔珞の一行にはそのような側面は無かったらしい。そんな彼女が何故この店にいるのかは聞かなかったが、今各国が不安定な情勢の中、社会から弾かれてしまう者もいるのだろう。

 朝日が昇り始めた頃に瓔珞と別れ、下の飯屋に降りる。すでに店主の男は店の支度を始めていた。満尋が声をかけると、もう金は払ってあるから支払いはいい、と言う。朝餉を食べていくよう誘われたが、それは遠慮させてもらい明鵠寺へ戻った。


 部屋へ戻ると、十壱がうんざりした顔で迎えてくれた。頭を押さえて、小声で話してくれと頼まれる。どうやら、二日酔いが酷いらしい。昨日戻ってきたのは、潰れた十壱を運んだ八弥丸と与市だけで、他は皆店に残ったのだそうだ。まだ戻ってきていないというから、店でゆっくりしているのだろう。

「どうでした? 楽しんできたんでしょう?」

 十壱の恨めしげな視線に苦笑する。寝こけていたのだからしょうがない。次があるなら、酒は飲まないことを勧めたい。

「顔洗ってくる」

 満尋は詮索から逃れるために、新しい手拭いを持って井戸へ向かった。早朝の清清しい空気が、昨夜の気だるい香りを払ってくれる。それでも少し、身体も心も緩んでいるから、宇木衛門が暇なら厳しい稽古でもつけてもらおう。いつもよりも静かな明鵠寺で、満尋はそう思った。


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