表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/40

朔夜艶宴 2

 『春宵一刻堂』。真田町の東の隅にある飯屋である。昼間は町の人間が昼餉を食いに、夜は仕事を終えた男たちが集まり、酒を飲みにくる場所である。繁盛した店の中には仕事を終えた男たちが赤い顔で騒いでおり、給仕の女たちが側で酌をしている。草履を脱ぎ板間へあがると、奥で伝内や見知った先輩たちが手招きをしている。満尋たちは、広い一部屋を衝立で仕切っただけの店内を縫うようにして彼らの所へ向かう。途中酔っ払いたちに絡まれもしたが、でかい八弥丸や勘吉が睨みを聞かせると大人しくなった。

「おお、来た来た。先に飲んでたぞ。全員か?」

「いえ、二人ほど体調が優れないので置いてきました。今夜はお招き有り難う存じます」

 すっかり新入り代表が板についた孫太夫が礼をすると、「堅苦しいのはいいから座れ座れ」と、十人ほど居る先輩たちの間に、新入りが間に入るような形で座らされる。満尋の隣には初めて見る男が座っていた。すっきりとした顔立ちで、随分と細身の男だ。寡黙な性質なのか、男は一人静々と酒を飲む。不思議な男である。若いのか歳を取っているのか分からない。満尋がその独特の雰囲気に飲まれていると、顔見知りの先輩から猪口を渡され、並々と酒を酌まれた。

「ほら、飲め飲め。伝内の奢りじゃあ」

 呵呵と笑うと満尋をじぃと見る。向かいの方に居た伝内から、「莫迦言うんじゃねぇ、てめぇも払うんだよ!」と、喝が飛ぶ。満尋は猪口に注がれた白く濁った酒を見つめると、ぐいと一気に飲み干した。「おおー!!」とどよめきが走り、これを皮切りに新人らに酒がまわされる。彼らも満尋に習って勢い良く飲み干した。

 満尋が猪口を床に置くと、くら、と一瞬目が回り、すぐに体がぽかぽかと熱を発する。父親に付き合って少し酒を飲んだことはあるが、もう少し弱いお酒だった。この世界に来て初めて飲んだ酒は辛く、満尋の空っぽの胃には堪える。すると、横から、す、と味噌を差し出された。細身の男からだ。満尋は有り難くそれを頂戴した。ここで出されたのは、味噌汁に入れるような滑らかな味噌ではない。豆やゴボウなどの野菜がふんだんに入っているオカズ味噌で、酒の肴にはぴったりだった。

「そうそう、こいつはなぁ。源助っちゅうんじゃあ」

 酒臭い顔を近づけて、男が笑う。細身の男は源助という名らしい。「満尋です」と挨拶すると、こくん、と頷いて肴を口へ運んでいた。

「のう、こにゃーだ挟河へ行ってきたんじゃろ? どうじゃ? 戦になりそうかの?」

「資材の調達と徴兵が行われていた。間違いなく戦の準備だろう」

 初めて源助が言葉を発した。飲んだ酒の量の割にしっかりとした、低い落ち着いた声が重苦しく響く。

「そうかぁ。久しく平和じゃったが、残念じゃのう。ま、戦が起きんと金が入らんから、一概に悪しとは言えんが……」

 そう言って先輩はぐぃ、と酒を飲み干すと席を離れて別の者の所へ向かった。彼を目で追っていると、自然と他の者たちも視界に入ってくる。十壱はすでに真っ赤な顔をして、ぼんやりしているし、与市は酒に興味が無いのか黙々と料理に箸を伸ばしていた。孫太夫は教養を教えていた京太郎と、何やら熱い議論を交わしている。主膳は近くの先輩と談笑していた。皆それなりに先輩方と打ち解けているようである。満尋も源助と何か話してみようかと顔を見るが、彼はこちらをちらりとも見ずに、ただ酒を流し込んでいるだけであった。

「お待ち遠様。ささの追加ですよ」

 鈴の音のような声がかけられ、給仕の女が追加の酒を持ってくる。男たちはそれを、待ってましたとばかりに受け取ると、

「ようし、俺と飲み比べようって気概のあるやつぁいねぇのかい?」

と、伝内が声を張り上げた。新入り代表として、酒に強かった勘吉と八弥丸が飲まされることになり、並々と注がれた酒が二人に渡される。それから、やんややんやと大騒ぎが始まった。何時の間にか、他の客たちや給仕の女も集まって皆で大宴会が繰り広げられたのである。

 場が盛り上がるにつれ、満尋も飲む酒の量が増えていく。先輩からの酌を断れなかったというのもあるが、飲めば飲むほど気分が高揚していく所為だろう。賊退治の一件から、どこか暗い雰囲気が新入りたちの中に漂っていた。今夜は久しぶりに気分が明るい。ふわふわとした気持ちの良い感覚を満尋は楽しんでいた。


「ねえぇ? 暫くの間にいい男が増えてるじゃないかい。あたいらにも紹介しておくれよ?」

 ふわり、と好い香の香りが漂ったと思うと、満尋の肩に回された手が滑らかに首元を滑る。白く艶かしい女の腕が、するすると満尋の顔を撫でた。

「おう、集真藍(あづさい)か。新入りが何人か来たんでな。なんだ、そいつが気に入ったのか?」

 先ほどから水のように酒を煽る伝内が、集真藍と呼ばれた女に問いかける。そいつ、とは満尋のことか。振り向いて女を見ようにも、背中にしな垂れられては顔が見えない。柔らかな女の体と、艶やかな香りにくらくらしてくると、女は耳元で「かわいいねぇ」と囁いた。

「この子ちょいとおくれよ。うちにも新しく入った子がいるんだよ。初めての客が、あんたらみたいな野太い熊じゃあ、可哀想だろ?」

「熊だぁ? その熊の相手をしてるあんたは何なんだぃ? まあ、いいけどな。満尋、金はこっちで出してやるから行って来い」

 一体何の話か。満尋にしな垂れかかった女は、ようやく腕を離して隣に腰掛けた。三十路過ぎくらいの女が蠱惑的な笑みを浮かべている。若くも無く、取り立てて美人でも無いが、集真藍の強い生命力と完成された女の色が、彼女に壮絶な美しさを与えていた。

「俺たちの相手はしてくれねぇのかい?」

 他の男たちが不満を露にすると、店に居た何人かの女が擦り寄って甘えてくる。特に、飲み比べで勇姿を見せた勘吉と八弥丸は大人気だ。まさか、この店は色も売っているのだろうか。満尋は己の膝に載せられた集真藍の手を払おうとしたが、酔って力の入らない体ではそれも敵わず、逆に手を取られてしまった。

「お前らも気に入ったの連れてっていいぞ」

 先輩が女を連れて二階に上がるのを見ていると、伝内がそう口にした。勘吉などは、「いいんですか!?」と鼻の下を伸ばしている。孫太夫が「しかし……」と、渋る様子を見せた。顔が赤いのは酒の所為だけでは無いだろう。

「金の心配か? お前ら新入りには、好きなだけ飲ませて食わせて、遊ばせて来いと頭の仰せだ。気にするこたぁねぇよ」

 伝内がそう言うと、勘吉が「っしゃあ!」と歓喜の声をあげた。近くに居た主膳が「お頭は太っ腹だねぇ」と、満尋に話しかける。こちらも嬉しそうだ。向かいでは、八弥丸がなんとか十壱を起こそうとしていたが、彼は完全に酔いつぶれ寝入っているようだった。

「じゃあ、もう憂いも無いことだし、この子連れてっていいね」

 集真藍は満尋の腕を取ってそのまま階段を昇らされる。満尋は霞がかかったような頭でこの先のことを考えてみるが、思いつくものはあるのにはっきりと出てこない。そうこうしている内に、階段を全て上がり終えて二階へ辿り着く。薄そうな壁で仕切られた小さな部屋が幾つか有り、そこから女の艶かしい嬌声が響いていた。それを聞いて、満尋の体が一気に熱くなる。

「この部屋でお待ちさ。さっきも言ったけど、初めての子だから、優しくしておくれよ?」

 集真藍は満尋の肩に手を置いて、真っ赤な紅の鮮やかな口元を寄せる。そのまま戸を開けて満尋を部屋の中に押し込むと、ぴしゃりと閉めて「ごゆっくり」と言った。

 薄暗い小部屋の中には布団が一枚。その横に小さな黒い影が佇んでいる。薄い夜着を一枚纏っただけの少女が、ゆっくりと顔を上げて満尋を見た。小さな灯明皿に照らされた(かんばせ)は、不安げな色を浮かべていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ