表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/40

朔夜艶宴 1

 賊と斬り合ってから五日が経った。翌日は皆かなり参っていて、食事も喉を通らない者がほとんどであった。特に二之介、新左衛門は突然嘔吐を繰り返したり、不眠が続くなど体力的にも消耗が激しく、宇木衛門が暫く九人の仕事と稽古を休みにする、と言ったことは適切な判断であった。満尋も二、三日は何度か食事を戻すことがあったが、今は大分元通りの生活に戻りつつある。他の者たちも、二之介と新左衛門以外は精神的にも落ち着きを取り戻し、それぞれ鍛錬や稽古に励んでいた。ただ、皆どこか表情に翳があり、稽古に励む姿も、まるで何かを振り払うような盲目さがある。それは満尋も同じで、素振りに打ち込むことで自分が奪った男の死に顔を忘れようとしていた。

 こんな時、伊月に会って、ただの高校生だった頃に戻りたくなるのだが、五日前の声だけの『影映り』を最後に、『月夜里(やました)』と繋がることはできなくなった。今日は新月。また月が満ち始めるまで、伊月とはしばしのお別れだ。早く早くと思うほど、ゆるやかに漆黒へ溶け込む月が恨めしい。何千と輝く星空よりも、たった一輪、月が顔を見せることを満尋は待ち望んでいた。

 どっと流れる汗を手拭いで拭き取り素振りを終えると、そのまま風呂場へ直行する。風呂を焚く日は決められているので、なるべく逃さないようにしているのだ。現代にいた頃は、ほぼ毎日風呂に入っていた満尋にとって、布で体を拭く日が続くのはきつい事である。脱衣所の戸を開けると、中にはすでに何人かの先輩が入っているようで、畳まれた衣服がいくつか見える。風呂場へ続く戸の向こう側から、談笑する声が聞こえてきた。

「あ、すみません。俺後でいいんで、ゆっくりどうぞ」

 先輩の一人は袴の後紐を解いているところだった。伝内というこの男は、以前満尋に剣術指南をつけてくれた先輩だ。満尋が慌てて戸を閉めようとすると、

「おう、満尋じゃねぇか。遠慮しねぇで、一緒に入れよ」

と、そのまま中へ入るよう勧めた。癖の強い髪を後ろで括り、無精ひげを生やした伝内は、躯体の逞しい鵟衆の中でも抜きん出て男臭い。萎縮しながら中へ入ると、伝内は豪快に衣を脱ぎ去った。

 同性だからこそ体が気になったりもする。ちら、と横目で伝内を盗み見ると、しっかりと筋肉のついた鋼のような肉体には、腕に腹にとあちこちに古傷が刻まれていた。その傷痕から痛ましさや醜さは感じられない。それよりも、たくさんの修羅場を潜り抜けてきたという伝内の屈強さを示していた。満尋がその傷に圧倒されていると、

「そんなにじぃっと見るんじゃねぇよ。自慢の体に穴が開いたらどうしてくれんだ」

と、伝内は視線に気付いたのか少し照れくさそうに笑った。満尋は「すみません」と目を逸らすと、自分も袴と小袖を脱いで手拭いを腰に巻いた。あんなものを見た後だと、自分の体が情けなくなってくる。鵟衆に入って多少筋肉は付いたものの、まだまだ細身の満尋は伝内と比べればモヤシのようなものだ。

 風呂場に入るとまずかけ湯をしてから、熱い湯船にどっぷりと浸かる。満尋は反射的にほぅ、と溜息を零すと、疲れた体が一気に弛緩してリラックスした気分になった。

 この明鵠寺の風呂は大きな木桶風呂だ。桶の直径は五尺八寸。約170センチメートルもあり、大人六人くらいなら楽々入れる大きさだ。

 満尋はここの風呂を見るまで、てっきり風呂は無いか、あっても蒸し風呂だろうと思っていた。湯船に浸かるのは割りと最近のことで、ここの世界もそうだろうと思っていたのだ。しかし、嬉しいことにここでも風呂は、お湯を張って浸かるのが主流のようだ。風呂がある家は少ないが、大きな町には『御湯屋』という銭湯のような所があるらしい。安価で入れる『御湯屋』は庶民に大人気らしく、金が無くても営業時間後の残り湯ならタダで入れるのだそうだ。

「おおーい、ちぃと熱過ぎっぞ!」

 湯船に浸かっていた先輩の一人が、壁に開けられた小さな虫籠(むしこ)窓に呼びかけた。風呂のすぐ隣にあるその小さな窓の下には、今日の風呂当番の者が控えていて、湯加減の調節をしていてくれるのだ。すると、窓の向こうから「我慢しろよー」という声が返ってくる。満尋が赤い顔でそれに苦笑すると、「てめぇは後輩を茹で上げる気かー」と更に返した。その小気味好い応酬に笑いが零れてくると、突如湯の量が一気に上がった。伝内が風呂桶に足を入れてきたのだ。彼が胸まで浸かると、桶のお湯が勢いよく溢れ出る。

「おい、伝内。お湯がもったいねぇでしょーが」

「あ? じゃぁ、お前が出ろや。女みてぇに長湯してんじゃねぇ」

 どっかと湯に浸かった伝内は悪びれもせずに知らん顔だ。先に入っていた先輩は、胡乱な目で伝内を見ると、

「へいへい、じゃぁもう出ますよっと」

と、風呂桶から出て身体を洗い始めた。

「そうだ満尋。お前この後暇だろう。俺ら町へ出るんだが、一緒にくるか?」

「え、町?」

「おう、この間隣国の挟河(さかわ)岾許(はけもと)に行っていた連中が帰ってきたから、皆で騒ごうってな。美味い酒が飲めるぞ」

 伝内は楽しそうに破顔して満尋を誘った。しかし、先輩らで楽しもうという席に、満尋が混ざってもいいものか。しばし逡巡した後、やはり断ろうかと口を開くと、話を聞いていた別の男が話しに入ってきた。

「それなら、新しく入った奴等皆連れて来いよ。どうせ、あいつ等と顔合わせたこと無いだろ? その方があんたも出やすいよなぁ?」

「え? ええ、まぁ」

「よっし。じゃあ、そうすっか。満尋、お前全員に声かけてこいよ。後で店の場所教えるから」

 伝内はそう言うや否や、風呂から上がって出て行ってしまった。話に入ってきた先輩の一人が、「そういう訳だから、早めに声かけに言った方がいいぞ」と失笑する。その言葉に、満尋は体を洗うのもそこそこに風呂を出ると、慌てて皆の部屋へまわっていった。

 全員に先ほどの話をして、なんとか出席してもらうよう頼み込んだ。顔合わせと言ってくれたのに、出席率が悪いと申し訳ない。皆そんな気分ではないようだったが、満尋の立場も酌んで参加すると言ってくれた。体調がまだ優れない二之介と新左衛門は留守番だ。二人とも調子が良くないのは自覚しているので、生気の薄れた顔で「楽しんできて」と、弱弱しい笑顔で送り出してくれた。

 そして日が落ちた頃、伝内に指示され七人で訪れた場所は、町の隅にある一軒の飯屋だった。この辺りでは珍しい二層建ての店は、満尋が初めて見るタイプの店だ。『春宵一刻堂』と掲げられた店からは、明るい光が漏れ、賑やかな声が聞こえてくる。ひっそりと静まり返った町の中で、ここだけが別世界のように浮き出ていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ