蘇った日
座っている物乞いの前を慌ただしく騎士が駆けて行った。
兜の下から荒い息が聞こえ、物乞い姿の男は不敵に口角を上げる。
騎士団長アストレイの激昂する姿が物乞い──ジェイは鮮明に想像することが出来た。
王都も近場の街も、全てに関所を設けていた。
おかげでジェイは未だ王都に残る羽目になり、こうしていつかのように小便の匂いとネズミに満ちる路地裏で身を隠している。
「おい、そこのお前!」
巡回していた騎士が大声を上げた。
ジェイはフードの隙間から覗き見るように顔を上げる。
声をかけられているのは、騎士の横を通り過ぎようとした別の人間だ。
ホッと息を吐くが、いつでも動けるよう重心を整える。
疲労が溜まっているのか、騎士は明らかに不機嫌で余裕がなかった。
騎士が理不尽に暴力を振るうようなことがあれば、流石にジェイも見過ごせない。
「あ、あの……なんでしょうか?」
過ぎた心配だったかと、ジェイは少し安堵する。
騎士に言葉を返したのは女だ。
ジェイを追っている騎士が女に構う道理はない。
ここも危ないかと、ジェイは腰をあげた。
騎士が女に絡んでいる。今がひっそりと逃げるチャンスだろう。
しかし──。
「貴様、ジェイ・ブラッドとかいう殺人鬼の仲間だな!?」
何の話だと、ジェイは思わず足を止めて振り返った。
騎士の声が荒々しく響く。
女は困惑したように首を振るが、騎士は聞く耳を持たない。
「いえ、私は違います……人違いです」
怯えているのか、少し声が震えている。
絡んでいる騎士は一人だけだ。三人いるのですぐに止めに入るだろうと思い立ち去ることにする。
──しかし。
「おい、この女……結構、美人だぞ」
聞こえてきたのは情欲に盛った男の声だ。
見れば他の二人も止める素振りはない。
むしろ女との距離を縮めていく。
面倒なことになったと、ジェイはひとつため息を溢した。
──そっと、胸の内側にしまった短剣に手を伸ばす。
「これはちゃんと調べないとなぁ。まったく、あの野郎のせいで俺たちがどんなに苦労されたと思ってんだ」
運のない女だと、ジェイは少し呆れた。
あれで高価なローブでも身にまとっていれば、騎士も身分を気にしてここまでの暴挙には出なかっただろう。
だが、こんな路地裏で穴の空いた汚いローブを被っていれば、身分が低いと思われる。何をしてもいいと、それなりの身分の騎士が思うのも無理はないだろう。
「ちょっと付き合えよ……鬱憤晴らしにな」
騎士が女の腕を掴み、路地の奥へ引きずっていく。
ジェイはそっと、三人の騎士の後ろに着いた。
「──じゃあお前らも俺の憂さ晴らしに付き合え」
振り返ろうとした騎士の顔面に拳を叩き込む。
フルフェイスに覆われているが、魔力のない下級騎士の鎧では拳を痛めることもない。
「誰だ……って、ジェイ・ブラッド!!?」
にこりと笑って、手を振る代わりに蹴りを叩き込む。
薄い板のように鎧が砕けた。これで二人目。
残りは一人だ。
「て、てめえっっ」
「おっと、この間合いで剣を抜くのは悪手だぞ?」
鞘から抜きかけた剣の柄に手を置いて押し戻す。
剣を押さえられた騎士が急いで殴ろうとするが、遅い。
「最初から拳に頼ればまだ戦いになっただろうに……」
「げふうっ!!?」
剣の柄を押さえた右手で顎を打ち払う。
騎士がよろけた時には、すでにジェイは拳を顔面に叩き込んでいた。
鈍い音と共に騎士が壁に激突し、そのまま地面に崩れ落ちる。
「アンタも災難だったな。はやく家に戻れ、騎士も気が立っていて危ない」
振り返ると女は無言で佇んでいた。
深く被ったフードで顔は見えないが、赤いふっくらとした唇が見える。
白い頬にはわずかな光に反射する絹のような、金髪がかかっていた。
騎士が情欲を覚えるのも頷ける美しさだ。
「大丈夫か?」
声を掛けると、女がゆっくりとフードを外した。
──その顔を見た瞬間、ジェイは心臓が止まりかけた。
フードの下から、懐かしい顔が現れた。
見慣れた金髪に、瞳を奪われる。
「──ジェイ」
「サリア……? バカな、確かに俺の目の前で……燃えて……」
言葉にならない。目の前にサリアがいる。
夢を見ているのかと、ジェイは自分の頬を叩いた。
痛みがある。現実だ。
「聖火は聖女の味方です。再生の炎は聖女をより健康な体に生まれ変わらせる……みたいですよ? ちょっと時間は掛かりましたが」
サリアがくすりと笑う。
以前と変わらない、柔らかい表情だ。
「見てくださいジェイ。肌荒れも治って、女性としては喜ばしい限りです」
ジェイの口から、自然と笑いが漏れる。
以前極東で“わざび”を食べたときのように鼻の奥が痛い。
涙が目にたまりかけていることに気づき、慌ててそっぽを向いた。
「いよいよ化け物だな」
「化け物!? し、失礼な……見てください、髪も元通りに伸びたんですよ!」
嬉しそうに髪を見せるサリアに、ジェイは深くため息をつく。
生き返って喜ぶのはそこなのかと少し呆れた。
同時に少しだけ、胸の奥が温かくなっていく。
「貴様、何者だ!」
気分が良くなったのも一瞬のこと。
冷水を浴びせられたように、心臓が跳ね上がった。
──油断した。
サリアに気を取られすぎて周囲の警戒が疎かになった。
振り返れば、路地の入り口に騎士たちが集まっている。
アレだけ物音を立てたのだ、当然だろう。
「ち、俺としたことが……サリア逃げるぞっ」
「は、はいっ……てえううえええええ!?」
ジェイはサリアの手を引き寄せると、そのまま膝裏に手を伸ばし抱え上げた。
逃げ道は騎士に塞がれている。そうなれば逃走経路は一つ──屋根の上だ。
「な、お前──ジェイ・ブラッドを見つけたぞ! 包囲しろ!!」
剣を抜いた騎士たちが迫ってくる。
逃げる時間はなさそうだ。
ジェイは血流魔法を発動させようとして、ふと手を止めた。
「ジェイ、早まってはいけません」
サリアが、見上げていた。
眉をひそめ、今にも泣き出しそうな目で見られては殺意が失せる。
「あなたはもう、違うのでしょう?」
過去と決別しろと言っているのだろうが、今更だ。
何も違わないと言い返そうとし──言葉にならなかった。
「ジェイ──」
騎士はすぐそこまで迫っている。
だがサリアが心配しているのは、騎士ではなくジェイだ。
暴力に支配された人生を歩まないようにと、ジェイの今後を案じているのだろう。
どんな時もブレない人だと、呆れるような、感心するような気分になる。
「分かった。今回はアンタの言う通りにしよう」
「ふふ、ありが──」
サリアの言葉を待たず、ジェイは倒れていた騎士の顔を蹴飛ばす。
ゴキッとなにかが折れる音がした。
曲がった鼻からおびただしい血が溢れてくる。
「ジェイっ!?」
サリアの顔をなるべく見ないようにして、ジェイは血を操る。
血刃一閃。
迫りくる騎士の群れに血の刃を飛ばし──
「この程度……舐めるなぁっ!!」
騎士が迎え撃とうと剣を振り下ろす。
血刃と剣が交差する瞬間──ジェイは込めた魔力を爆発させる。
「うわああああっっ!!?」
轟音と共に、剣を振るった騎士が宙を舞った。
爆風に吹き飛ばされ、後続の騎士に激突する。
これで時間は稼げると、ジェイはほくそ笑んだ。
「大丈夫、殺しちゃいない」
一応、胸に抱いた聖女に声を掛けておく。
殺すなと言われたのだ。ちゃんと指示には従っている。
サリアはぱちくりと瞳をまたたかせたあと、顔を赤くし頬が膨らみ始めた。
「おっと、今はアンタのお叱りを聞いている暇はない」
立ち込める土煙に紛れ、ジェイは足早に壁を駆けていく。
ひしっと、ジェイの首に巻いているサリアの腕が力強く抱きついた。
「……もう! 本当にあなたはああ言えばこう言うのね!!」
怒るサリアを抱えジェイは建物の屋上に立つ。
赤レンガ造りの街並みのはるか先に、海に続く港が見えた。
「サリア、あそこまで走──おいっ」
おとなしいと思ったら、サリアは小さな光の玉を両手の間に生み出していた。
温かい光がジェイを覆い、影を色濃くする。
「癒やしの雨よ!」
光球が弾けた。
まさに奇跡といっていい光景だ。
雨のように降り注ぐ光は、ジェイが沈めた騎士の怪我をも癒やしていく。
戸惑うような声が、下から聞こえてきた。
「ジェイ。あなたが人を傷つけても、私が癒やします。ですから、命を奪うようなことだけは、どうか──」
自分の足で屋根の上にたったサリアが、まっすぐにジェイを見た。
なるほど、聖女らしいとジェイは少し面食らう。
意志の強さを感じる視線。他者の命を慮る純真さ。
白い頬を撫でる金色の髪も相まって、美しさの中に神々しさまで感じる。
──だが、それとこれとは話は別だ。
「なあ、サリア。俺達が逃亡犯だということを忘れてないか」
はるか下から怒鳴り声が聞こえてきた。
ヒュンと風鳴り音。わずかに顔を背けると矢が頬の横を通り過ぎていく。
「……てへ」
やはり田舎娘か。
ジェイは眉間にシワが濃くなるのを自覚しながらサリアへ近づく。
ヒュンヒュンと、そばを通り過ぎる矢の数が増えてきた。
「じぇ、ジェイ? 顔が怖いです……うきゃあ!?」
腰から肩に担ぐと、聖女様は足をバタバタと抗議するように動かした。
動かれると位置ずれて持ちにくい。
「あの、この格好は乙女として非常に恥ずかしいのですが!」
「この方が運びやすい」
ジェイの背中にあるサリアが何やら騒いでいる。
全て聞き流して海の方角を見た。
途中に大きな教会があり、鐘の音をならしている。
フードを被った信徒たちがちょうど、教会に集まっていた。
「サリア、あれに紛れるぞ。フードを被れ」
「……私が見えるのはジェイの背中だけです!」
「自業自得だ」
善き人なのだが、またどこかの問題に首を突っ込まれても困る。
いっそ何も見せない方が良いと判断し、ジェイはそのまま屋根伝いに教会へ走り抜ける。
「逃げたぞ、上だ!!」
一直線に教会を目指すジェイの方が、複雑に入り組んだ路地を追いかける騎士より早い。
思ったより簡単に逃げられそうだと、ほくそ笑む。
鐘の音が大きく鳴り響いた。教会はもう目の前だ。
「サリア、着地するぞ」
「うぐっ!!」
壁を伝いなるべく静かに地面に降りたが、それなりの衝撃が伝わってしまったようだ。
サリアを肩から下ろすと、涙目になりながら腹を擦っていた。
「サリア。トイレなら教会まで我慢し……」
「違いますっ! ジェイが激しいから、痛かったんです!」
サリアが大声を上げたせいで、集まった信徒たちが振り返った。
「あそこだっ!」
目ざとく追いかけてきた騎士たちに見つかった。
ジェイもサリアもフードを被っているが、マントの色は違う。
一度目をつけられてしまえば、紛れることは難しいだろう。
「サリア……」
「い、今のはジェイが悪いんじゃないですか!?」
さて、どうするかジェイは頭を抱えた。
強行突破しようと魔力を手に込めると、サリアが睨んでくる。
殺生は厳禁。だがサリアを守りながら殺さずこの場を切り抜けるのは不可能だ。
「なかなかに難しい状況だ」
これならまだ竜を退治したときの方が……とも思ったが、すぐにそれはないと否定する。
ジェイを縛る原因。ここには聖女がいる。
彼女の治癒力は強大だ。
首さえ跳ねなければ、心臓さえ潰さなければ相手を殺すことはない。
「じぇ、ジェイ? 何ですか、その凶悪な笑みは……あ、殺しはダメなんですからね!」
死ぬか生きるかは聖女次第。
「まあ、頑張れサリア──」
懐から短刀引き抜く。
先頭を突っ走る騎士。まずはアレを屠って血をいただくとしよう。
幸い、周囲には似た格好の信者がいる。
先頭のどさくさに紛れて一人ひとり片付ける
明確なイメージが湧いた時、ジェイのそばで誰かが囁いた。
「ジェイブラッド。こっちだ」
「アンタは……」
一瞬見えた顔に、警戒心が浮かびジェイは足を止めた。
こいつも倒すべきと考えるが、敵意はなく判断に迷う。
「さあ、はやく」
彼は手招きをして教会内へ入るよう急かす。
背後からは騎士の怒声。思ったよりも近い。
「……」
「ジェイ、行きましょう」
サリアが男のあとについていく。
ジェイの背後では、信者たちが覆い隠すように騎士の前に立ちふさがっていた。
幾人かがジェイを見つめ、はやく行くように視線で促してくる。
他に手段はないと、ジェイは誘われるままフードの男へとついて行った。
次で最後の予定です。
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