表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁のホザンナ  作者: 青柳ジュウゴ
93/93

93 残り火 - 4 -

よろしくお願いいたします。

「…………地上の者は賑やかだな」

 

 人の子らの他愛ないやり取りを眺めながら、呆れたようにカレブが呟いた。薄く色づく液体の入ったグラスを片手にゆらゆら揺らしながら、食事には手を付けず片肘をついている。


 物を食べる必要がない我々に配慮してもらい、自分達には軽食を用意してもらっていた。野菜のたっぷり入ったサンドウィッチ、丁寧に飾り切りされた色とりどりの果実。見た目も美しい焼き菓子、透き通った淡い色の飲み物や花弁をあしらったゼリーなどが並べられている。


「俺達は食べる必要がないというのに」


 そう言ってカレブは、ちらりとテーブルの端に座るルーシェルの方へと視線をやる。テーブルの隅に座ってこそはいるものの、足を組み肘を立て、気だるげに壁の方を見るばかりで物を食べる気はさらさらないようだった。その彼女の傍らには小さな使い魔。オレンジ色の髪を揺らして、人型の姿をとったリーネンは主人とは違い軽食どころか人の子らと同じものを要求し食べていた。

 

「これだからお高くとまった天使はイヤなんにゃー。せっかくのおいしいもの、食べないにゃんて人生大損してるにゃー」


 サラダ類には手を付けず、肉と魚料理を平らげていきながらリーネンはふん、と鼻で笑う。その口元はたいそう汚れていた。お世辞にも行儀が良いとは言えないその様子を、自分の隣に座るヨナが心底嫌そうに顔をしかめながら見ている。


「悪魔はぁ、品がぁ、ないですねぇ」

「品性で腹は膨れないにゃ」


 涼しい顔をしたまま、特に気にした様子もなくリーネンは食事の手を止めない。天使も悪魔も階級の差なく食べる必要はないというのに、淀みなく幸せそうに食べ進めていくさまは人とそう変わらなかった。おやつくらい食べるとはネズミを捕まえながら以前言っていたが、……楽しいことは積極的にするべきだという主張からしても、彼女ら悪魔にとって食事とは娯楽のひとつでしかないのかもしれない。

 

「ルーシェルさま、これ美味しいにゃー」


 何を気にした様子もなく、特に気に入ったのだろう肉を器用に切り分けてルーシェルへと差し出している。彼女らの階級差を考えればとんでもない不敬であると思うのだが、最早構う気もないのか割と強引にリーネンはぐいぐい行く。当のルーシェルはといえば見もしない。

 

「いらん」

「口つけてないにゃよ?」

「そういう問題じゃない」


 むっとしたようにリーネンが言うものの、とりつく島もない。いつものことだと言われてしまえばそれまでであるが、ルーシェルは相変わらず、いっそ露骨なまでに何かを口にすることを拒絶する。……生きる事自体を否定する彼女の想いも、わからなくはなかったが。そのあまりにも頑な態度は流石にこの祝いの場にはそぐわなかった。打ち上げは祭事の締めくくりに必要だという、食を必要としない自分達ではあるが少しくらい彼らの文化に理解を示してもよいだろうに。むすりとしたその振る舞いもいただけないと思う。

 

「ルーシェル、せっかくの席です。食べたくないというのであればこちらはいかがでしょう」


 そう言って淡いピンク色をした、花びらのあしらわれた目にも美しい涼やかなゼリーを差し出すのだが。彼女はその真紅の瞳で一瞥しただけで、そのまま再びふいと目をそらされる。あからさまな拒絶。いつものことではあるが……祝いの席である。嫌だというものを、この場で強制するわけにもいかず、差し出した皿を再びテーブルの上に置こうとしたらさっと横から小さな手が伸びてきた。ヨナだ。

 

「穢らわしい悪魔なんかにぃ、そんなきれいなものなんてぇ、もったいないですよぉ。ヨナがぁ、いただきますぅ」


 そう言って彼女はこちらの手から恭しく皿を取った。丁寧にテーブルの上へと置くと淡いそれがふるりと震える。それを興味深そうに見つめた後、つん、と。指先で恐る恐るつついたのを見て思わず笑みがこぼれた。食べ物は口に入れるもの、というのは理解しているのだろうが一体どうやって食べるものなのかまではわからないのだろう。


「こちらのスプーンで、すくっていただくのですよ」

 

 戸惑う彼女が困ったようにこちらを見上げるので、皿に添えられた銀のスプーンを使うことを伝えたら安堵したようにヨナは微笑んだ。自分もこの世界に来たばかりの頃は何もわからなかったのだ、丁寧に教えてくれたルアード達のことを思えば感謝してもしきれない。今なお賑やかに食事を楽しんでいる彼らを見ながら思う。

 

「冷たくってぇ、ふるふるしているんですねぇ。やさしい香りがぁ、しますぅ」

 

 ほんの少しだけゼリーをすくって口へと運んだヨナが目を丸くしている。

 振る舞われているゼリーはセセアの花弁が使われているのだと先ほど説明があった。ほんのりと色づいた透明度の高いそれは、柔らかく光を反射している。


「悪魔にはぁ、似合わないぃ、可愛さですねぇ」

 

 ヨナはそう言うと、もう一度ゼリーを口にする。おいしいってぇ、こういうことを言うのですかねぇ。なんでもないようにこちらへと語りかけながら、にこにこと笑っている。

 …………先程から、ルーシェルに対するあたりが妙に強いような気がする。普段であれば何か言い返すであろうルーシェルも今日に限って何も言わない。先ほど二人は同じ部屋にいて、言葉を交わしていたようだったのだが。

 

「ヨシュアさまのぉ、オススメはぁ、他にもございますかぁ?」


 黙ったままこちらを見ようともしないルーシェルへと声をかけるより前に、ヨナに小さく腕を引かれた。見上げてくる淡い色の瞳、慣れぬ地上の疑問に関した問いには答えるべきだろうと思いテーブルの上に並べられた皿を見やった。綺麗に並べられ盛り付けられたそれらのうち、一体どれが食べやすいだろう。


「でしたらこちらの……サンドウィッチというものはどうでしょう。野菜が沢山挟んである料理で、このように、」

 

 言いながら、以前森の中で食べたよりも食べやすいサイズに切り分けられたそれを一つ摘む。具材がばらばらにならないようにだろうか、滑らかに削られた枝がパンと中身とを縫い止めるように一つずつ刺してあった。


「これを、……このように、」


 枝に気をつけながら、以前自分が教えられたように両手に持って口へと運ぶ。同じように齧りつくもあの時よりも小さいからか幾分か食べやすかった。重ねられた野菜の層が噛みしめる度にしゃくしゃくと軽快な音を立てる。


「……なんだかぁ、んむ、面白い、ですねぇ」

 

 こちらの真似をして同じようにほんの少し齧ったヨナが、目を白黒させながらも感想を述べた。物を食べる必要のない我々は当然のように食べ慣れていない。口の中へと訪れる食感や刺激は不思議なものではあったけれど、不快というほどのものでもない。

 ヨナは戸惑いながらもなんとか飲み込んで、ふふ、と。こちらを見上げて微笑んだ。そのやわらかな表情に笑みを返せば、嬉しそうに少女はこちらへとすり寄ってくる。そうしてサンドウィッチの残りをまた一口齧る。少しずつではあるものの、食べ進めていく様子を見ながら気に入ってくれたら良いと思う。


 ついと上げた視線の先には、楽しげに食事を続けている人の子らがいる。人を守護する我らが、人の子と同じ事をしているという奇妙さ。決して交わることなどないのに、それでも彼らと関わりを持つ事は、酷く温かく柔らかなものが胸に満ちるのだった。

 生まれた世界も種族も違う者達が一部屋に集まり言葉を交わしている。文化の相違、常識という前提条件の相違、生じる軋轢は根深く、決して楽観的なものではない。相互理解は果てしなく遠いのに、それでも同じ席についている。優しいばかりではないのに、無でないことが――天界の常である、平穏かつ静謐ではないことが――ふ、と。小さく笑みを刻む。


 この世界に来てから大して時間も経っていないのに、随分とこちらの生活に馴染んだような気がする。自分もかつてはヨナと同じような反応をしていたのだろう、初めて口にしたのはキャンディというとても甘いとされるものだった。せっかくなので最初は甘くて素敵なものを――そう言ってたルアードの言葉も、今なら理解できる気がする。


 あの森を抜けた後も、彼らに勧められて色々と口にした。サンドウィッチを初めて食べたのは、街を出た後でリリーが持たせてくれたものだった筈だ。日の落ちた森の中、こちらの世界の二人と、自分とルーシェルとの四人で火を囲んで、お弁当だと言われて差し出されたものを食べたのだった。その時に小さな鍋で煮込まれたスープの匂いと、小さく爆ぜる火の音を覚えている。揺らめく炎に照らされる表情を静かに見ていた。あの時もそうだ、ルーシェルは頑なに物を食べようとはせず――

 

「……よく物を口にする気になれるな」


 呆れたようなカレブの声に顔を上げる。からん、と彼の手の中のグラスの中の氷が小さく鳴った。カレブは良い香りのするアイスハーブティーというものは気に入ったようだったが、他のものには手を付けようとしないでいた。難しい顔をして、理解できないと言わんばかりに眉をひそめている。


「カレブもいかがでしょう、こちらなどは我々にも食べやすいと思いますが」

「結構だ」


 梓の作だろうか、美しい黄金色の焼き菓子を勧めてみるのだがカレブはにべもない。興味もないと言わんばかりのきっぱりとした拒絶はどこかルーシェルを彷彿とさせたが、彼は高位の天使である。天使とは神の僕であり地に住まう神の愛子を護り導く存在である。それだというのに。


「せっかくのご厚意です。失礼でしょう」


 さすがに咎めると、彼の渋面がさらに深くなる。ちらりとこちらを見る赤い瞳がわずかに揺れて、次にその眼差しが差し出した皿の上の菓子へと移り、再びこちらを射る。戦慄くように唇が震えて、繰り返し閉じて開いたそこは言葉を選んだのだろうか。


「……、…………、………………頂こう」


 いくつか飲み込まれた呼気の果てに、カレブはようやっと小さく言葉にした。不本意であるということを隠しもしないまま、焼き菓子の中でもことさら小さく、飾り気のないシンプルなものを手に取った。指先でじっと見つめ、わずかな逡巡の後かじりつく。それほどまでに嫌がるものなのかと思うのだが、彼の眉間によった皺は咀嚼している最中も揺るぐことがない。それはそれで失礼だと思うのだが、彼らより長くここにいる自分だからこそそう思うのであって、彼にしてみれば当然の反応なのかもしれなかった。


「いかがでしょう」

「……なかなか、刺激的では、あるな……」


 こちらの問いに、歯切れ悪くもそう言ってカレブは応えた。なんとも形容しがたい表情のままではあったが。何かを口にすることのない自分達にとって、あの軽やかな食感は確かに刺激的だったのだろう。味の良し悪しを判断するには経験が圧倒的に足りない、であるなら、口の中で音を立てるような食感は刺激的であるという認識になるのだろう。不快ではない、嫌な味わいではない、それはそうとして違和感が強烈なのだと思う。

 

「おまい、ほんとヨシュアには逆らわないにゃあ」


 次へと指が伸びないカレブとは対象的に、リーネンが焼き菓子へと手を伸ばしながら呆れたように口にする。一つ二つと摘んだそれらをぽいぽいっと口の中へと放り込み、獣の牙で噛み砕かれることによって発せられる高音。それをカレブは理解できないとばかりに顔を顰めて見ている。

 

「当たり前だ、俺はこいつの親友だからな」

 

 顰めつつ、まあな、と。指についたクッキーの欠片を舐め取りながらカレブは何故か誇らしげに鼻で笑った。呆れたような物言いのリーネンに、どこか揚々としながらもカレブは胸を張ったのである。はあ、と息をつく。彼とは確かに旧知の仲である。長い長い時の流れの中でずっと親しくしてきた同僚であり右腕であり親友である。それらはまごうことなき事実ではあるものの、だからといってそのように誇るものでもないだろうに。

 

「親友って服従するもんにゃ?」

「私に振るな」


 リーネンは食べる手を止めないままルーシェルに投げかけていた。それを実にうっとおしそうにルーシェルが突き放すのに、どうしてだろう。カレブ一人だけ納得いかないとばかりによく通る声でぴしゃりと言い放った。


「服従ではない。敬意だ」


 どこか自慢げでさえあった。服従、敬意、それらを向けられるに値するだけのものがどこにあったのか、自分にはついぞ理解できないでいた。彼の人となりも能力も恐らく自分が一番理解している、勤勉であり真面目である彼の、時折覗かせるこちらへと向ける感情はしかし酷く重いような気がする。自分は、そのような存在ではないというのに。


「にゃーには違いがわからんのにゃが、親友に敬意がいるんにゃ?」

「当然だ。お前のような低級悪魔にメタトロンの何たるかなど理解できるはずもないだろうがな。神の御座に最も近く、天の秩序を統べ、神意を地へ伝える最高位の存在であり――」

「また始まったにゃ……」


 面倒くさそうにそう呟くと、リーネンはその頭上にある三角の耳をぺっしょりと下げながらも再び目の前のごちそうを食べ始めていた。渡り鳥のローストを食べ、川魚の香草焼きを食べ、パンは控えめにしつつもやはりよく食べ。甘い焼き菓子を頬張りながら、おいしいにゃあと嬉しそうに頬を緩ませていた。……我々は食べる必要がないと言うのに、味を楽しんでいるのだろうか、それとも食感だろうか。ともかく、彼女にとって食事とは必要なものではなく完全な娯楽なのだろう。


「聞いてないな貴様!?」

「興味ないにゃあ」


 とめどなく自分へと対する賛辞を述べるカレブが、ひたすら食事に注力するリーネンに向かって声を荒げた。荒げた、が。リーネンはと言えばまるきり猫のような仕草をして、面倒くさそうに顔をしかめるばかり。傍らのヨナですら呆れたようにしている。カレブも熾天使でありサンダルフォンの名を頂く高位の存在だ、何をしているのだろうとは思うが、向けられるのは無垢なまでの自分に対する好意である。なればこそ、拒むほどのことではないのかもしれない……どうしようもないいたたまれなさはあるが。

 そんな周囲のことなどお構いなしにカレブの言葉は止まらない。

 

「そもそもお前は猫なのか? 悪魔なのか?」

「にゃーは猫型悪魔にゃー猫であって悪魔にゃあ。細かいこと気にしてたらハゲるにゃ」

「ハゲっ、」

「おまいら揃いも揃って髪が長すぎるんにゃあ」


 髪が長いと毛繕いが大変にゃー、どこまでも軽い物言いにカレブがひくりと頬を引きつらせる。

 

「不吉なことを言うな!」

「にゃ? 天使もハゲを気にするんにゃ?」

「違う! 髪は霊格を示すものであり神聖な力を宿す器でもある! 神の声を聞き、奇跡を降ろすための感覚器官に近いが故むやみに切り捨てるものではないッ!」

「へぇー、耳毛みたいなもんかにゃ」

「全ッ然違う!」


 …………なんというか。

 獣寄りのリーネンの受け答えは我々の認識から大きく外れており、聞いているだけのこちらからしても戸惑うばかりであった。というか、彼女にとって人型を取っている時の髪は毛の延長なのだろうか。


「天使はみんな毛並みがいいと思ってたんにゃあ」


 ルーシェルさまが一番ツヤツヤだけどにゃ! そう言ってリーネンはけらけら笑う。毛皮の認識で間違いないらしい。猫型悪魔とは一体どのようなものなのか常々不思議であったが、やはり悪魔というよりは獣に近いのかもしれない。


「毛並みとは何だ! 髪とは神との繋がりを示し、御言葉、恩寵、そのすべてを繋ぎ止めるもの。天に近づくにつれ長くなるのは自然なことだ、軽々しく扱うな!」

「髪と神て掛け漫才か何かかにゃ?」

「違う!」

「短いほうが絶対身動きが取りやすいと思うけどにゃあ」

「実に低級者らしい発想だな……ッ」


 本来の色を変え、柔らかな金髪になった頭をかきむしりながらカレブは呻くようにして叫んだ。その低く落ちた声に空気がわずかに張り詰める。

 その緊張を感じ取ったのか、ぴくん、とリーネンの三角の耳が跳ねた。


「天の歌は魂を震わせ、悪を灼く。いま、俺が。この場所で神歌を奏でれば、貴様のような低級悪魔など存在を保つことすら叶わん事をその空っぽの頭でよくよく覚えておくことだな……!」

「おまい声が武器になるんにゃ? こっわ」

「今はメタトロン厳命の元に黙って聞き流してやっているだけにすぎない。大いなる神の慈悲だと思え、低級悪魔風情が」

「清らかなはずの天使が脅迫するんにゃ……」

「人聞きの悪いことを言うな!」


 どこか引いたようなリーネンに、カレブが大声で反論していた。無論その程度では面倒くさそうな表情はリーネンから消えることはない。……カレブの方が遥かに高位であり、霊力量など比べるまでもないと言うのに。リーネンとのやり取りを見ていると、どうしてもカレブが遊ばれているように見えてしまっていた。真面目な言動に対してリーネンはどこまでも面倒くさそうである。声にからかうかのような響きがあるような気がするのは、きっと気のせいではないのだろうが。では自分に何ができるだろうか、皆目見当もつかない。


 とはいえ、なおも言い合いを続ける二人はそろそろ止めたほうがいいだろうと、無反応なルーシェルへと視線をやるのだが。やはり彼女は我関せずといった体で、つんとそっぽ向いたままだった。関わる気はないらしいがしかし、このまま放っておけば先日の森のようにまた何かを破壊しかねない。


「こちらも賑やかですね」


 どうしたものだろうと考えていた時、ふいに第三者の穏やかな声が響いた。反射的に声の方に視線をやれば、そこには一人の男性エルフの姿。


「イーサンさん、」

「お酒は嗜まれますかな」


 そう言って差し出されたグラスには、揺らめく琥珀色の液体が満ちていた。飲食物の共有である。どうしたものだろうと僅かな逡巡の後、好意は受けるべきだと判断しそっと受け取るとイーサンは満足したように笑った。ふうわりと爽やかに香るそれを手に立ち上がろうとするが、こちらを制した彼はメイド達が用意した椅子へとゆっくり腰を下ろした。


「祭り開催中は何らお構いもできず申し訳ない、孫達は粗相をしませんでしたか」

「そんな、とんでもありません。我々の方こそ謝罪では済まぬことをしてしまいました。皆様に被害がなかったのは、ただただ幸運であったに過ぎません」


 改めて先日の騒動について謝罪を述べる。

 事実、カレブが修復してくれたとはいえかなりの損害を出したと聞いている。人的被害はなかったようだが、ルーシェルを攻撃した時に相当森を破壊したらしい。魔力と霊力の違い、術式の暴発によって記憶は飛ばされ己の行動を覚えてはいないのだが、……夢現に、昔の事を思い出したのは。それ相応のことをしたからなのだろうとは思う。悪魔は殲滅すべきもの、あの時の自分であるなら、強大な悪魔を排除するのに周囲の被害を顧みたとは思えない。

 

「あなたは誠実な方だ」


 イーサンはふっと笑った。


「里の者に被害があったのならばともかく、あの程度であれば余興のようなものでしょう。皆も気にしてはおりますまい。我々は森の民、変化を嫌う傾向があるがゆえに娯楽には飢えておりますので」


 そう言って老年のエルフはゆるやかに笑う。

 ……あの騒ぎを、娯楽と捉えるのか。死傷者が出ていたらその限りではなかったのだろうが、そのおおらかさには少々面食らった。いやしかし、とも思い直す。先程の後片付けの時も、特段他のエルフ達から悪感情は向けられなかったのだ。少し間違えれば祭り自体を台無しにしていたかもしれないというのに。


「ところで、里で何か収穫はありましたかな。資料室の蔵書など随分熱心に見ておられたようですが」

 

 穏やかな声音のまま問われる。相当な騒ぎを起こしてしまったと思っていたのだが、本当に大したことではないらしい。なんでもないようにそれよりも、と変えられた話題に困惑しながらも、問いかけに答えないのは失礼になるだろう。


「――ええと、はい、その節は貴重な資料を見せていただきありがとうございました。けれど、決定的なものはまだ何も……こちらの世界の観測値は大まかに把握出来たのですが、扱う力そのものが我々の世界とは異なりますので」

「でしょうな」


 こちらの説明に、そう言ってイーサンは苦笑する。ある程度は想像がついていたのだろう。

 我々が使うのは魂が持つ霊力、こちらの世界では血に宿るとされる魔力。術式一つで展開できる我々とは違い、この世界では自身にとって相性の良い媒介を通して術を発動させている。自分やルーシェルが、宿す霊力はそのままに発動条件が変わったのは転移を経たからだろうとは思う。空間転移は複雑で大掛かりな術式を必要とする、この世界の理に縛られたのは術式なしに移動させられたのが原因ではないかと。


 傍らには黙ったままでいるヨナ、テーブルの隅にはルーシェル。未だに騒がしくしているカレブとリーネン、その向こうでは人の子らが楽しげに語らっていた。元の世界に戻るための、なにかしらがあるかもしれないと言って訪れた里。ここでの出会い、交流、祭り。空にあっては知り得なかった地に住まう者達の営みは、酷く暖かく眩しい。


「……収穫面だけで言えば、確かに決定的なものはありません。けれど、私は、私どもは、ルアードさんに出会えて本当に感謝しているのです。この世界の事が何も分からない私たちを導いてくださり、この秘匿の里にまでご招待していただけて……人との間に、あなたがたも摩擦があるというのに。得体のしれないものを招き入れることを、滞在することを、ルアードさんもあなたも許してくださった。本当に、本当にとても良くしていただいているのです。感謝してもしきれません」


 ルーシェルによる天界の襲撃、対峙、転移。訪れたこの世界では何ら力も使えず、言葉も通じない。文化も違う。右も左もわからないこちらに、親身になってくれたのは彼だった。これがもし、他の者であったのならば今頃どうなっていたのだろうと思う。


「そうでしたか……」


 わずかに目を見張った彼は、そう言って柔らかく目を細めた。手にしたグラスを少し揺らして、その水面へと静かに視線を落とす。新緑のような鮮やかな緑の瞳が優しく解けていく。


「あれは、昔から肝心なことほど喋らぬ子でした。適当に笑って誤魔化して、気付けば勝手に動いている。あれが行動に移すときは既に決めた後だ、他者の意見など聞きやしない。それがオリビアには歯がゆいのでしょうが……いえ、」


 どこか呆れたような物言いだ。けれど、その声色はひどく穏やかなものだった。途切れた先に続いたのは、ふふ、という小さく笑う柔らかな音。

 里に来た時も、困っていたから連れてきたとルアードはイーサンへと説明していた。勝手な事ばかりとオリビアも言っていた。それでも彼は、ルアードの行動を諌めはしても止めはしない。お前はまた、と呆れたように言うばかりだった。


「竜人に襲われた人間の子を拾ってきた時もそうでした。〝別に助けたかったわけではない〟と、そう言っておりましたがね」


 懐かしそうに言いながら、やはりイーサンは肩を竦めるに留まった。

 竜人に襲われた人間の子とは、アーネストのことだろう。幼い頃『赤の神』と呼ばれる竜人に村を襲われ、ただ一人生き残ったという人の子。苛烈な復讐を内に秘め、傷だらけになってもなお剣を手放さない。強くあろうとするしなやかな魂の持ち主。


「……里へ連れ帰った時点で、覚悟などとうに決めていたのでしょうな」


 何が、とも。何を、とも。イーサンは言わなかった。

 ただ静かに微笑んで、手にしたグラスへと口をつけている。自分も彼に続いて、その琥珀色の酒を口にすれば舌先をやわく焼くアルコールの味がした。鼻から抜けていく花の香り。味に関しては未だに良し悪しはわからないが、優しい味がすると思う。


「若い者は前を向こうとする、悪いことではありません。そしてあれは、それが容易いことでないことも理解した上で、それでも理想を追いたいのでしょう」


 理想。実現するには難しいもの。それでもなお人々が願い、渇望するもの。

 イーサンの声はどこまでも静かだ。容易い事ではない、それを、痛いほど分かっている声だと思った。


「共に在りたいと願うことは、尊いことでしょう。……ですが、それだけでは埋まらぬものもある。あなたがたのような強い力を持つ者でも、異世界であったとしても、他種族との相互理解はやはり難しいものなのですね」

「それは、」


 ――それは。

 どこか物寂しい言葉に向けて、自身が言いかけた言葉は舌先に乗ったまま。その先が落ちることはついぞなかった。ヨナが不安げにこちらを見上げてくる、けれど胸の奥がざわついてうまく笑ってやれないでいた。それは、なんだ。今自分は、一体何を言おうとしたのだろう。


 ――ヨシュアさんはさあ、共存とかって、考えたことない?


 いつかの言葉がよみがえる。

 共存、人とエルフと。天使と悪魔と。

 竜人と人とのハーフがいる以上、個々人で交わる事は不可能ではないのだろうと思う。天使と人の子の間に生を受けたものも存在する。神の許しはなかったけれど、認められたものではなかったけれど。でも、この場は。言語、文化、生まれた世界すら違えた者たちが一堂に会している。言葉を交わし、心を交わし、賑やかに談笑し共に卓を囲む。食事を共にする。


 ――互いに理解することはできない。

 衝突、恐怖、怒り、主義主張は根深く交わったとて得られるものは綺麗なものばかりではない。指先が触れあえたとて心からの理解にはほど遠い。同族であったとしても真に知り得ることは永劫ない。分かり合えない。それでも、それでも自分は考えることをやめたくない。相手の事を知りたい、知った上で判断をしたい。不理解のままの断絶は、争いが続くばかりではないかと。知ること、触れることがきっと。この世界へとやってきた意味だと思うから。


「少し、喋りすぎましたな」


 そう言って、イーサンは手にしていた空になったグラスを傍で控えていたメイドへと手渡した。そうしてゆっくりと立ち上がる。ゆるやかな動作、金の髪がふわりと揺れて柔らかな緑の瞳が静かにこちらを見た。凪いだ湖畔のように澄んだ色。


「けれど私は、こうしてあなたがたと、異界の方達とも同じ時を過ごせる事が嬉しいのです」


 穏やかに目を細めながら、イーサンは小さく笑った。


「長く生きてみるものですね」


 まるで独り言の様に小さく呟いて、ふ、と。イーサンが向けた視線の先ではカレブがなおも何かを言い募り、リーネンが露骨に聞き流していた。人の子らの笑い声が響く。ルアードは困ったように笑いながら、それでもどこか楽しげだった。


 人、エルフ、天使、悪魔、この世界の者、転移して来た者。生まれた世界も種族も、年齢も性別もなにもかもが違う。

 それでも今この場には、確かに同じ時が流れていた。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ